番外編 感謝祭の祭り
あれから二人はバーデン市の中央市場に向かっていた。
ヴィクトリアの歩幅に合わせる様にゆっくりと歩き、ラインハルトの腕を掴みながら歩くのが余程嬉しいのか、ヴィクトリアは幸せそうな顔でラインハルトの腕に頬を擦り寄せる様に密着させている。
そしてバーデン市の中央市場に差し掛かると、多くの観光客で市場は賑わっており、出店から漂う芳しい香りが二人のお腹を鳴らす。
「ねぇ、ヴィッキー。お昼がまだだから、出店で食べ歩きをしようよ」
「そうだな。バーデンは温泉の地熱を使った料理が有名だからな」
ヴィクトリアの言うとおり、バーデンは温泉が名物だ。
中央市場の周りにはベンチが置かれ、足湯を楽しむ人。地面から湧き出る温泉の蒸気を配管を出店まで通して、それで蒸し料理を提供する店等様々だ。
そんな中、ラインハルトの目についた出店がある。
「あそこの出店はどうかな。美味しそうなお肉だけど」
ラインハルトが指差す先には蒸し器が在り、店主と思われる女性が蒸し器の蓋を開けると、そこには肉の塊とヴルストが蒸されていた。
「確かに美味しそうだが、私はあっちの料理が食べてみたい」
ヴィクトリアの視線の先は反対側の出店に向いている。
屈強な男性が似つかわしくない蒸し器の蓋を開けると、湯気の中から現れたベアラオホがヴィクトリアの胃袋を掴んだみたいだ。
二人して食べたい物が違った為に、ある事をラインハルトは提案する。
「じゃ両方買って、分けて食べようよ」
「わかった」
そういうとヴィクトリアは小走りで出店の列に並び始め、ラインハルトもまた自分が食べたい物の列に並んだ。
暫く経って二人が顔を合わせると、何やら三つも四つも持って帰って来たのだ。
ラインハルトの手には串に刺した肉が数本に、ヴルストは十本近く持っている。
ヴィクトリアに至ってはベアラオホが紙袋いっぱいだ。
ベンチに座り、足湯に足先を入れるとラインハルトが訊いてきた。
「ヴィッキー、そんなにどうしたの?」
「お前こそ。いつからそんな強欲になったんだ?」
ヴィクトリアから強欲と言われるのはラインハルト的に腑に落ちない。
『傲慢にして強欲の黄金獅子一族に言われたくない』と言えば、たちまちか弱い漆黒獅子は簡単に噛み殺されてしまうから口を紡ぐしかない。
「ヴィッキーの強欲さが僕にもうつったのかも知れないよ。なにせ君の一族は傲慢にして強欲で有名だし、僕の可愛い想い人だからね」
「あまりつまらない冗談は言うな。お前のつまらない冗談で私の腹が満たされては困るからな。だが可愛い想い人という言葉はありがたく受け取るよ」
あまりつまらない冗談と言われ、普通の男なら機嫌を損ねる言い方だ。だがラインハルトは何も思わず受け流した。
それが「傲慢にして強欲の黄金獅子」と言われる彼女。ヴィクトリア・フォン・アルムルーヴェの想い人をやる秘訣だ。
もっとも、そういう所も愛すべき所だとラインハルトは理解していたし、また彼女の可愛さが帳消しにさせる。
俗にいう惚れた方が負けなのだ。
「だがあえて弁明するなら店主の男が『姫様が可愛いからサービスだよ』と言われた。ま、私の可愛さは認めるがな」
ヴィクトリアの口からアルムルーヴェ特有の上から目線の言葉が出てきたが、ラインハルトは平然と返した。
「そりゃヴィッキーは可愛いからね。この女性の愛の証が欲しいと思ったし」
「なっ!?」
さも平然と返されてしまいヴィクトリアの顔が赤くなる。
「バカ! 恥ずかしいだろ!」
「別に恥ずかしくなんかないよ。僕はヴィッキーの愛の証が欲しい。その思いは変わってないし、これからも変わらない。君以外の愛の証は要らないよ」
ラインハルトの真っ直ぐな愛の言葉にヴィクトリアは頬を紅潮させてしまう。
「昨日から大胆不敵過ぎるぞ……。私もお前以外の愛の証は要らないし、ラインハルトの愛の証が欲しい。この思いは変わらないし、これからも変わらないからな」
ヴィクトリアの真っ直ぐな愛の言葉にラインハルトは彼女の手を取る。
「じゃヴィッキー、今から宿に行って愛の証を作ろうか?」
「ふぇっ!?」
愛の証を作ろうかと言われ、ヴィクトリアの顔が瞬時に真っ赤に染まった。
「ふ、二人で話し合っただろ……愛の証は結婚してから作ろうと。それまでは二人の時間を楽しもうって……。でもラインハルトが今すぐ愛の証が欲しいと言うなら……私は構わない……」
その言葉にラインハルトはヴィクトリアの手を握る。
「ありがとう、ヴィッキー。でも僕も男だから順序を守るよ。さっきのは言ってみたかっただけだから。男としては今すぐヴィッキーの愛の証が欲しいけどね」
「ラインハルト……出来る事なら私も一人の女として、お前の様な誇り高き男の愛の証が早く欲しいと思ってるからな」
「それは光栄だね、嬉しいよ」
二人は見つめ合うと口づけを交わし、ラインハルトは自分が買ってきた串焼きとヴルストをヴィクトリアに差し出した。
「さぁ、冷めないうちに早く食べよ」
「うん。ラインハルト、ベアラオホは色んな味があるから半分に分けて食べるからな。その方が楽しめる」
「わかった」
足湯の程好い温かさを感じながらヴィクトリアは買ってきたベアラオホを半分に分ける。
半分に分けると肉の餡が入った奴や、トマーテとケーゼを混ぜ合わせた餡から良い香りがしてくる。
食べている途中、ヴィクトリアが何故串焼きやヴルストをいっぱい買ってきたのか訊いてきたのだ。
「女性の店員さんが『可愛いシュヴァルーヴェ様だから特別にサービス』って言ってくれたんだよ」
「ほぅ……可愛いシュヴァルーヴェ様ねぇ……」
ヴィクトリアがジト目でラインハルトを見る。
その視線に慌てて訂正した。
「いや、店員さんのサービスだよ! 変な意味はないから!」
「別に怒ってないから気にするな。私が訊きたいのはこのメモの事だ」
彼女が差し出したのはヴルストを入れた紙袋の中に入っていたメモ用紙。
そこには女性店員の連絡先が書かれており、なんとメモ用紙には口づけの跡付きと来た。
「知らないよ、そんなのは!」
「ほぅ……このメモには『連絡待ってます』と書かれているぞ。誰に喧嘩を売ったのかわからせてやらないといけないな」
焔の瞳が紅く輝き始め、ヴィクトリアの視線が女性店員に向けられている。
ラインハルトも女性店員を見ると、向こうも気づいたのか手を振ってきてしまい、更にラインハルトの立場が悪くなってしまう。
「あの女……本気で喧嘩を売っているな」
足湯に浸かっていたが、ヴィクトリアは立ち上がり靴を履いて今にもアルムルーヴェの怒りを分からせようとしてラインハルトも立ち上がり彼女を押さえさせる。
「お願いだから怒らないで! 僕の不注意だから!」
「ラインハルトに落ち度はないのはわかっている。大方、あの女が勝手に入れたんだろ。私の男にちょっかいを出すなんて良い度胸をしている」
ヴィクトリアのスイッチが入りかけていると思い、ラインハルトは頼み込んだ。
「何でも言うこと聞くから落ち着いて!」
「……本当だな?」
焔の瞳から輝きが消えていき、何とかアルムルーヴェの怒りは静まったらしい。
ヴィクトリアがラインハルトの耳元に何かを囁き、ラインハルトが頷いた。
「わかったよ。二つも頼むなんてヴィッキーは欲しがり屋さんだね」
「いいだろ別に……皆にわからせてやりたいからな。お前にタイミングを任せる……」
「了解。じゃ今だね」
「ふぇっ!?」
ラインハルトがヴィクトリアの体を強く抱きしめて長く熱い口づけを交わす。
突然の事でヴィクトリアも驚いたが、次第に焔の瞳を閉じてラインハルトと同じ様に体を強く抱きしめながら流れに身を任せた。
その光景に周囲の人達から黄色い声が聴こえ、子連れの家族は二人の姿に見とれていた為に急いで目隠しをする。
そして長く熱い口づけが終わり、瑠璃色の瞳が焔の瞳を見つめて言う。
「これで僕が誰の男か皆にわからせてやったね、ヴィッキー。少しは満足した?」
「……うん、満足した。でもいきなりでちょっと驚いた……」
「それはごめんね。ヴィッキーが凄く可愛いからつい……。もしかして今は嫌だったかな?」
ラインハルトの言葉にヴィクトリアは首を横に振り、頬を紅潮させながら言った。
「嫌じゃない。私は凄く嬉しかった……」
「……よかった。じゃヴィッキー、二つ目のお願いを叶えるから座って」
「わかった」
二人は再びベンチに座り足湯を楽しみながら昼食を楽しんだ。
ヴィクトリアの二つ目の願い、それは――。
「ほら、ヴィッキー。口を開けて……熱いからね」
「ん……」
ヴィクトリアの口に半分に分けたベアラオホを食べさせてあげた。
口を開けて待つヴィクトリア、その光景が何とも言えない可愛いさを放つ。
そしてベアラオホを食べさせてあげるとさながら猫に餌付けをしている気分になる。
「ラインハルト、次はヴルストが欲しい……」
「はいはい。ヴィッキーは甘えん坊だね」
「別にいいだろ……お前が何でも言うこと聞くって言ったんだから。それに……私が甘えん坊なのはお前が一番よく知ってるだろ……」
「そうだね。特に愛し合ってる時のヴィッキーはかなり甘えん坊だか――ふぁごっ!?」
思わずヴィクトリアがラインハルトの口の中にベアラオホを突っ込んで黙らせた。
「それを言うな……恥ずかしいだろ」
頬を赤らめながら言うヴィクトリアだが、ラインハルトの顔が見る見るうちに青白く変わっていく。
どうやら喉に詰まらせたらしい。
「ラインハルト……ラインハルト!?」
急いでヴィクトリアが飲み物を渡し、ラインハルトは一気に飲み物を飲み込み押し込んだ。
青白い顔に生気が戻っていく。
「ゲホッ、ゲホッ!」
「すまない、大丈夫か?」
ラインハルトの背中を擦りながらヴィクトリアは心配そうな表情を浮かべる。
「……大丈夫だよ」
「本当にすまない……流石にやり過ぎた」
シュンとした表情を浮かべるヴィクトリアだったが、ラインハルトは彼女の頭を優しく撫でた。
「本当に大丈夫だから元気出して。せっかくの旅行なんだから楽しもうよ、ヴィッキー」
「わかった。すまなかった、ラインハルト」
「全然いいよ。ほら、ヴィッキー。また食べさせてあげるから口を開けて」
「うん……」
そういうとヴィクトリアにヴルストを食べさせてあげると彼女は幸せそうな表情浮かべ、ラインハルトはそれが堪らなく愛おしいと思った。
すると今度はヴィクトリアが串焼きの肉を串から離し、その肉を指で摘まみながらラインハルトの口元に持っていく。
「今度は私が食べさせてやるからな」
「だ、大丈夫だよ」
「いいから。私だってお前を甘えさせてやりたいんだ」
ラインハルトは抵抗しても無駄と思い、諦めて口を開けた。
串焼きの肉はとても柔らかく、ソースなんか無くても溢れ出る肉汁で十分美味しかった。
「動くな、ラインハルト。いま口元を拭いてやるから」
紙ナプキンでラインハルトの口元に残っている肉汁を拭いていく。
「あ、ありがとう。ヴィッキー」
「気にするな。ラインハルトが手の掛かる男なのは知ってるし」
「あはは……面目ない」
「別に悪いとは言ってない。ラインハルトのそういう末っ子っぽい所は……凄く愛しく思うし可愛いと思ってる」
「可愛い?」
「何でもないから気にするな!」
ラインハルトの手間の掛かる末っ子気質がヴィクトリアの母性本能を擽ってしまうのだ。
だがラインハルトは男なので可愛いと言われてもピンと来ないし、女性と男性では見る視点や感じ方が違うからある意味仕方が無い。
「じゃヴィッキー、お腹も満たしたから観光に戻ろうか」
「あぁ。バーデンにはまだまだ見る所があるからな」
「それは楽しみだ」
二人は足湯から足を出してミニタオルで拭く。
それからラインハルトの腕にヴィクトリアは再び掴んで頬を密着させ、二人は歩き出した。