番外編 感謝祭旅行
夏の開戦から数ヶ月過ぎ、季節は冬になる。
そして一年終わりと新年の始まりに感謝を伝える特別な時期、通称『感謝祭』の前日の夜。
士官学校での訓練を終えたラインハルトは一人、自室で荷造りをしていた。
机に置かれた情報誌には戦況ニュースが一面を飾っている。
相変わらず戦線が膠着状態で取ったり取られたりが続いているみたいだ。
いくら比類なき強さを誇る帝国軍でも流石に連合軍を相手にするのは辛い。
そんな事を考えながら荷造りをしていると部屋の扉が勢い良く開いた。
「ラインハルト、準備はまだか!? 列車の時間に間に合わないぞ!」
ラインハルトの想い人であるヴィクトリアが急かす。
「大丈夫だよ、ヴィッキー。準備は終わったからもう行けるよ」
「ならば急げ、私は早く行きたいんだ。冬季休暇しか長期旅行に行けないんだぞ」
「わかってるよ、今行くから」
ラインハルトは荷物を肩に掛けながら言う。
「でも感謝祭に旅行なんて楽しみだな~」
「私だってそうだ……学校にいるとお前は余り構ってくれないし……」
「流石に皆の目がね。いくら皇帝陛下公認とはいえ、君だって体面があるから……」
「うん。だからラインハルト……旅行の時はいっぱい甘えるから……覚悟しとくがいいぞ」
頬を赤くしながら恥ずかしそうに言うヴィクトリア。
そんなヴィクトリアにラインハルトは耳元で囁く。
「約束だからね、好きなだけ甘えていいよ。愛しのヴィクトリア」
その愛の言葉にヴィクトリアの顔は赤く染まる。
「うん……お前を信じているからな」
互いに愛の言葉を囁き口付けを交わす。
「ごめん。ヴィッキーが可愛いから、つい……」
「いや、私も嬉しいから気にするな。それにラインハルトと同じ気持ちだから構わない……」
瑠璃色と焔の瞳が見つめ合うが、ヴィクトリアが壁にかけられた時計を見る。
「ラ、ラインハルト! お前の想いに応えてやりたいが、列車に間に合わなくなるぞ!」
ヴィクトリアの言葉にラインハルトは不満気な表情を浮かべながら言った。
「あれ? ヴィッキー、僕の高ぶった想いの行き場は!?」
「後でちゃんと応えてやる、今はこれで許せ」
そういうとヴィクトリアはラインハルトの頬に口づけをした。
「出来れば唇に……」
「調子に乗るな、バカ。行くぞ、ほら」
「う、うん」
ヴィクトリアはラインハルトの手を引き、部屋を後にした。
帝都ユグドラシル駅にはいくつかの夜行列車が走っている。
平時の時は連邦や共和国、アレグリア王国の首都やら王都にも行っていた。
だが今は戦時で、各山脈要塞戦線から外は敵の領土になっている。
だから夜行列車は山脈要塞麓の街、もしくわ山脈に近くの観光地が最終駅になる。その先に続くトンネルは鋼鉄の壁で塞ぎ、一部の線路は特攻列車を使わせない様に線路を破壊した。
そんな夜行列車に乗るべく、ラインハルトとヴィクトリアは夜の帝都を走っている。
今回の旅行は感謝祭の宴も兼ねてヴィクトリアの両親と宿で合流する事になっており、行先はヴィクトリアが選定したらしい。
人混みを避けながら走り、ラインハルトは目の前を走るヴィクトリアに訊いた。
「ヴィッキー、そろそろ何処に行くのか教えてくれてもいいんじゃない!?」
「着いてからのお楽しみだ! 心配するな、お前も気に入るぞ」
今回の旅行は宿から列車までヴィクトリアが手配をすると言い、ラインハルトは完全にお客様状態なのだ。
ユグドラシル駅に辿り着くと夜行列車に乗ると思われる人達で賑わっており、大小様々な旅行鞄を手に持ち構内を行き交っている。
不意にラインハルトがヴィクトリアに声をかけた。
「ねぇ、ヴィッキー。人混みではぐれるとマズイから手を繋ごうか?」
「えっ!? し、しかしまだ帝都だし……皆の目が……」
頬を紅潮させながらモジモジ答えるヴィクトリア。
本心は手を繋ぎたいのだが、皆の目が気になるのだ。
そんなヴィクトリアにラインハルトはちょっとした意地悪を思いついた。
「いま手を繋がないと、旅行中は手繋ぎは無しにするよ? それでもいい?」
「ふぇ……」
その言葉を言われた瞬間のヴィクトリアは、まるでおやつを取り上げられた猫の様に悲壮感に満ちていた。
「ごめん冗談だよ。もうみんな周知の事実だから気にしなくてもいいんじゃないかな? ヴィッキーが嫌なら別にいいけどさ」
「ラインハルトの意地悪……まだ皆の前では恥ずかしい……」
可愛らしく少しだけ頬を膨らませて抗議するヴィクトリア。
ラインハルトは、そんなヴィクトリアの手を強引に握った。
そして少しだけ彼女の手を引っ張る様な形で歩き出した。
「僕はヴィッキーと手を繋ぎたい気分なんだ。嫌なら離していいよ?」
その言葉をかけられたヴィクトリアは彼の手を強く握り返した。
「別に嫌じゃない……それに私も手を繋ぎたい気分だ……。ラインハルトのクセに大胆過ぎるぞ……」
「そりゃ僕は『繊細にして、大胆不敵な漆黒獅子』だからね。でもヴィッキーの性格からして、こういうの好きでしょ?」
笑顔で言うラインハルトにヴィクトリアは顔を赤らめて呟く。
「うん……でも余り意地悪はしないで欲しい」
「わかったよ。でもそんな言い方されると漆黒獅子の血筋が疼くのか、余計に意地悪したくなっちゃうけどね」
ほんの少し悪巧みを考えてそうなラインハルト表情にヴィクトリアはそっぽを向いてしまう。
「バカ……もう知らん」
いじけてしまったのか、ラインハルトは慌てて謝った。
「ごめんごめん。ちょっと悪ふざけが過ぎたよ。お詫びに旅行中はヴィッキーの言うこと聞くからさ、機嫌直してよ」
「本当だな?」
ヴィクトリアの言葉にラインハルトは何回も頷いた。
ラインハルトとしても、せっかくの旅行を楽しみたいし、ヴィクトリアにも楽しんでもらいたいのだ。
「じゃ……まずはこの本をお前と一緒に読みたい……」
「本?」
ヴィクトリアが鞄から取り出した一冊の本。
タイトルは『世界の怪談集』と書かれている。
「女子の候補生達で流行っているんだ。なんでも世界の怪談集を集めた本で、結構怖いらしいぞ……」
「いいけど、怖いの大丈夫なの? だってヴィッキー、幽霊とか嫌いでしょ?」
以前、士官学校で起きた幽霊騒ぎ。
あの一件でヴィクトリアは幽霊が嫌いなのをラインハルトに知られてしまったのだ。
「嫌いだが……ラインハルトが一緒なら大丈夫な気がする。だがもしもの時はお前にしがみ付いてもいいか?」
顔半分を本で隠しながら、恥ずかしそうに言うヴィクトリア。
そんな姿にラインハルトは無性に可愛く見えてしまった。
「いいよ、腕なり体なり好きなだけしがみ付いていいから」
「うん、頼りにしてるからな」
するとヴィクトリアは鞄に本をしまい込み、嬉しそうに自分から手を繋いできた。
ラインハルトも何も言わずに繋いだ手を少しだけリードする形で歩き始める。
そして遂に二人が乗る列車が見えてきた。
行先標示は北方の観光地、バーデン=バーデンと標示されている。
深海の様に深い青色の客車、先頭の機関車には『ナイトジェット』と描かれている。
そして、それぞれ客車の入口には駅員が切符の確認をして案内がもう始まっていた。
ヴィクトリアに言われるがままに付いて行くと、段々と列車の後方に連れて行かれるラインハルト。
最初は二等客車かと思ったが違うみたいだ。
二人とも士官候補生で一給料は出るが、高給取りではない。
だから二人は事前に想い人同士だから相部屋の三等客車ではなく、個室のある二等客車にしようと決めていた。
その方が人目を気にせず……連邦の言葉を借りるならイチャイチャ出来るからと。
「ヴィッキー、何処まで行くの? 二等客車は過ぎてるよ」
「心配ない、もう着いたぞ」
「着いたって、ここは……」
目の前にある客車は一等客車。それも最後尾の一等客車だ。
「ちょっと、ヴィッキー!? 僕そんなにお金持ってないよ!」
ラインハルトが貰っている給料では、せいぜい二等客車の中か、頑張っても上の部屋がいい所だ。
心配そうなラインハルトにヴィクトリアは落ち着いていた。
「心配するな、これは私からの褒美だ。お前は命がけで帝国の為に尽くしてくれたんだ。これくらい受け取っても悪くないだろ」
「それはヴィッキーも同じでしょ」
ラインハルトは開戦時に連合軍傘下、四季国の捕虜になってしまった。
そして連合軍が欲する、帝国の力の源。
帝国の何処かに隠されていると言われる宇宙船の所在が記されたペンダントを守り抜き、見事ヴィクトリアが救出した。
その功績で卒業後はヴィクトリアが少佐でラインハルトは大尉の昇進を果たし、またラインハルトは爵位と領地。そして、かつて一族が名乗っていた漆黒獅子を受け継ぎ五大皇族の復活を果たした。
だがラインハルトは連合軍からの尋問という名の拷問を受け、心に深く消せない傷を負ってしまった。
「私はいいんだ。お前にしてやりたいから有り難く受け取れ。これは私からの褒美なんだから」
恥ずかしいのか、いつもの上から目線のアルムルーヴェ口調になる。
「じゃ有りがたく受け取るよ、ヴィッキー。いい思い出が出来るね」
「うん」
上機嫌にヴィクトリアが駅員に切符を見せていると不意にラインハルトが後ろから耳元で囁いた。
「僕にとっての本当のご褒美は晩餐会の後で君から貰ったけどね。愛しのヴィクトリア」
「なっ!?」
ラインハルトの愛の囁きにヴィクトリアの顔は瞬時に真っ赤に染まり、思わず駅員から返された切符を落としてしまう。
「ば、バカ! 恥ずかしだろ!」
「ごめんごめん。でも本当の事だよ。君は嘘が嫌いだしね」
悪びれずに謝るラインハルトにヴィクトリアも恥ずかしそうにお返しの言葉を言い放つ。
「……また褒美があるかもしれないぞ……いい子にしていればな……愛しのラインハルト」
ヴィクトリアの愛の言葉に思わずラインハルトは彼女の両手を握りしめて言う。
「じゃずっといい子にしてるし、ヴィッキーの言うこと何でも聞くよ」
ラインハルトに両手を握りしめられ、ヴィクトリアの鼓動が高鳴り速くなる。
そして思わず頬を紅潮させながら、恥ずかしくて視線を少しだけ逸らす。
「……じゃいい子にしてるんだぞ。いい子にしてないと褒美はないからな……」
「もちろん。約束するよ」
ラインハルトは頷き、ヴィクトリアの手を繋ぎながら二人は夜行列車に乗り込むと一人の女性が出迎えてくれた。
黒髪の長髪を三つ編みに纏め、普通の駅員と違い白い制服に白い制帽を被っている。
しかも制服を着ていても分かるくらい豊かな胸をお持ちで、おまけに容姿端麗で何処かレベッカと同じ優しい雰囲気を醸し出していた。
「今晩はお客様、ナイトジェットにようこそ。お客様を担当させて頂きます、副車掌のルーナと申します。短い間の旅ですが、お客様に満足して頂けるよう頑張らせて頂きます」
ルーナが礼儀正しくお辞儀をし、二人も思わずお辞儀をしてしまう。
「よろしくお願いします、僕はラインハルト。彼女はヴィクトリアです」
「はい、存じております。皇族の方をご案内出来るなんて光栄であります。ではお部屋にご案内しますね。お荷物は私がお持ちしますので」
そういうとルーナはヴィクトリアの荷物を持ち、ラインハルトの荷物を持とうとしたが流石に女性一人は無理があったらしく体がよろけてしまい、ラインハルトが体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「あ、すみませんシュヴァルーヴェ様……」
ラインハルトに体を支えられた瞬間、思わずルーナの顔が赤くなったのをヴィクトリアは見てしまう。
「大丈夫ですよ。僕の荷物は自分で運びますから、彼女の荷物だけお願いします」
「はい、すみません……」
顔が赤くなったのが恥ずかしいのか、仕事が満足に出来なくて恥ずかしいのか知らないが、ルーナは顔を隠す様に急いで歩き出した。
その瞬間、ヴィクトリアがラインハルトの耳たぶをつねる。
「こら、堂々と私の前で浮気するなバカ」
「痛たたたっ!? 浮気なんてしてないよ!?」
「どうだか。お前は歳上に好かれやすい男だからな。それにどことなくレベッカ上級生に似ている」
「本当だって! いい子にしてるから許してよ!」
「よし、特別に許してやる」
ヴィクトリアにあらぬ疑惑を持たれながらも、ようやく解放されたラインハルト。
そしてラインハルトは赤くなった耳たぶを擦りながらヴィクトリアの後を追って歩きだす。