親子の記憶
射撃訓練場での懲罰が終わり、急ぎ食堂に向かった四人。
案の定、アレクシア教官が懐中時計と睨み合いしながら待っている。
先に着いたモニカが両膝に手を付き、息を切らしながら報告した。
「はぁ、はぁ。第七班、モニカ上級生並びにレベッカ上級生、以下中略下級生二名……ただ今到着しました!」
「宜しい、第七班! 何とか間に合ったわね。出来れば、次回からは下級生の名前もちゃんと言ってあげなさい」
「りょ、了解です!」
息も絶え絶えながらモニカが敬礼した頃に三人も到着した。
四人は呼吸を整える時間もなく配膳トレーを受取り列に並ぶ。
今日のメニューはハンバーグに野菜にスープ、デザートにはホットケーキが用意されていた。
相変わらず士官学校らしからぬメニューに驚くが、フェーニクスが校長と聞くと大概の人間は納得する。
ヴィクトリアが席に着くと飲み物が無いのに気づいた。取りに行こうと立ち上がろうした瞬間、横からオレンジ色の飲み物が差し出された。
「はい、ヴィッキー。オラーンジェに炭酸多目に、蜂蜜が少しだけにしといたけど。これで良かったかな?」
飲み物を持って来たのは、相変わらず締まりの無い顔のラインハルトだった。
「う、うむ。感謝する」
何故だかラインハルトの顔を見たら不思議と疲れが少しだけ癒えた気がした。
当の本人は相変わらずヘラヘラした顔でヴィクトリアの横に着席し、食事を食べ始めた。
「今日のメニューはハンバーグか……なんだか懐かしいな」
「懐かしいって大袈裟な。お前の国ではハンバーグは高級なのか?」
自身のハンバーグを切りながらヴィクトリアが、これまた上から目線で聞いてきた。
「いや。残念ながら四季国でもハンバーグは一般家庭でも食べられる普通の料理だよ」
「では、何故懐かしい? まさか子供の頃に親に作ってもらったのが懐かしくなり、恋い焦がれていたとか言うまいな」
ヴィクトリアの言葉にラインハルトのナイフが止まる。
その瞬間、ヴィクトリアも流石に言い過ぎたかと思い、恐る恐るラインハルトを横目に伺う。
「確かに僕はハンバーグに並々ならぬ程に恋い焦がれているね。でも、その恋はたぶん叶わないかな。僕の恋い焦がれているハンバーグは、死んだ母さんのハンバーグなんだ」
ヴィクトリアは不意にラインハルトの経緯を思い出した。
ラインハルトは十年前に四季国に居て、帝国との戦争に巻き込まれ両親を亡くし、養父母に育てられた事を。
そして自分の何気なく言った言葉に無性に恥ずかしくなる。
「ラインハルト、その……許して欲しい。私は自分で言った言葉に恥ずかしくなる」
「別に構わないよ。じゃ謝罪ついでに僕の一人言に付き合ってもらおうかな」
「それなら任せろ。我らアルムルーヴェは耳が良いからな」
それからラインハルトは自分の両親について語った。
母親は帝国からの移住者で、平和を求めて父親が住む四季国に結婚を機に移住した事や、母親は歴史を教える先生だった事。
父親も歴史研究家で将来はラインハルト自身も先生か研究家になりたいと言った時のヴィクトリアの真剣な表情は、生涯ラインハルトは死ぬまで忘れないだろう。
そして養父母はとても優しい人だけど、既に義理の姉さんがいて、とある事情で仕方なく学費が無料の士官学校に来たと聞かされた時は流石にヴィクトリアも驚いていた。
「ラインハルト、一つ聞いていいか?」
「なに?」
「帝国軍は任官拒否すると、学費を全額国庫に返還しないといけないぞ?」
「え?」
その言葉にインハルトの顔から汗が吹き出てきた。
どうやら知らなかったみたいだ。
「まったく呆れたな。そんな事も知らずに、よく士官学校に来たな」
「参ったな~。僕の慎ましくも穏やかな人生設計が狂うな」
頭を抱えて本気で困っているラインハルト。
そんなラインハルトを見兼ねてなのか、横に座っている獅子から上から目線の提案がされた。
「ラインハルト、お前は運だけは良いな。ちょうど私は帝国の皇族であり、おまけに領地も持っていて普通の人間よりは些かお金に余裕がある。お前がどうしても任官拒否したい時は、私がお前に貸付けをしてやってもよい」
正に『傲慢にして、強欲のアルムルーヴェ』らしい上から目線の言葉。
「因みに借りた場合の返済期限は?」
「そうだな……お前の就く仕事によるが、ざっと見積もっても、これ位だ」
ヴィクトリアが自身の片手を広げて見せた。相変わらず白くて細い指に思わず見とれてしまったが、直ぐに現実に戻った。
「なんだ、五年間か……」
ヴィクトリアの白くて細い指が五本に見たのを確認して胸を撫で卸したのも束の間。
「違う、五十年だ」
「ちょっと嘘でしょ!?」
余りの驚きに思わず立ち上がってしまった。
周りの候補生の視線に恥ずかしくなり直ぐに着席する。
不思議そうにラインハルトを見るヴィクトリア。
どうやら金銭感覚も段違いらしい。
「嘘じゃないし、我らアルムルーヴェは嘘が何よりも嫌いだ。しかも金利抜きの計算だからな」
「あはは……。君の性格が少しだけ知れて嬉しいけど、因みに金利を含めると?」
その言葉に今度は両手を広げた。
「百年!? それだと僕は死んでるよ」
ヴィクトリアとラインハルトは今は十六歳。百年後はお互いに百十六歳で、どんなに長生きしても無理な話だ。
「安心しろ。仮にお前が死んだ場合は、返済不可と見なしてそこで終わりだ。間違ってもお前の子供に取り立てはしないように、未来の娘だか息子には言っとくから」
「それを聞いて少しだけ安心したよ。もしもの場合は、君の子供に伝えておいてくれると助かるよ。君も、か弱い平民から強制的に取り立てをする残虐皇帝という極めて不名誉なアダ名は欲しくないだろうからね」
「当たり前だ。お前、我らアルムルーヴェを何だと思っているんだ。我らは誇り高き一族なんだぞ。他の三皇族と一緒にするな」
オラーンジェを入れたコップを両手に持ちながら、ラインハルトに迫るヴィクトリア。
どうやらヴィクトリアは余程、アルムルーヴェ一族である事を誇りに思っているらしい。
綺麗な黄金の髪に情熱的な焔の瞳が、ラインハルトの瑠璃色の瞳を見つめる。
思わずラインハルトは視線を逸らして、黄金の獅子の持っているコップを見た。
「あ、オラーンジェが無くなりそうだから持ってくるよ」
ラインハルトはそう言うと半ば強制的にヴィクトリアからコップを奪い、オラーンジェを取りに行く。
そんな後ろ姿を見てヴィクトリアは一人言を呟いた。
「ナール」
そんな二人のやり取りを遠くのテーブルから見ていた者がいた。息を殺し、存在すら消し去っていた者。
「あれは逃げたな。レベッカ上級生」
「えぇ、逃げたわね。モニカ上級生」
モニカとレベッカは互いにコップの淵から二人のやり取りを見ていた。
そんなモニカとレベッカを見ながら、またある者が溜息を漏らす。
「あなた達、よっぽど私との食事がつまらないみたいね」
声の主はアレクシア教官だ。士官学校の食堂は在校生徒が一斉に食事がとれる程広くない。その為に前半と後半に別けているのだが、今日の第七班は前半で一番遅れた為に後半の生徒と重なってしまい、座る席が足らないのだ。
そのために二人は空いていた席は下級生に譲り、教官達と一緒の席で食事をしている。
黙って食事をとり続けるアレクシア教官にレベッカが聞いてきた。
「アレクシア教官は貴族として気になりませんか? 王女殿下と平民の二人が――」
「付き合うってこと?」
余りにも直球返しでレベッカの思考が止まってしまい、モニカは口に入れようとしていたハンバーグを頬に激突させてしまう。
そんな二人を見ながらアレクシア教官はカップに注がれた珈琲を飲みながら語り出す。
「そうね、貴族としてなら皇族の方がどんな人と付き合うかは多少は興味があるわね。でも皇族の方が平民と付き合うのは、大して珍しい事でもないのよ」
「皇太女殿下……。つまりアルムルーヴェ候補生の母君ですか?」
レベッカの言葉にアレクシア教官は無言で頷いた。
「それも一つの例ね。皇太女殿下がまだ王女殿下と言われていた時に、アルムルーヴェ候補生の父君と出会ったと聞いたわ。当時の父君は、ごく普通の一般家庭出身だったらしいし。なんの因果か知らないけど、当時の二人も士官学校で最初に出会ったらしいのよ。しかも二人して士官学校で語り継がれる伝説を作ったのよね」
「あ、その伝説なら知ってますよ。確か今の帝国軍の礎を確固たるものにしたと聞きましたから」
二人して共通の話題に盛り上がってしまい、一人おいてけぼりを食ってしまったモニカ。
「アレクシア教官、何の話ですか?」
モニカが聞いてきた所で珈琲を飲み終わってしまい、トレーを片付けようと立ち上がってしまう。
「残念ね、珈琲一杯分で出来る話はここで終わり。機会があったらまた話すわね。それと経験から言わしてもらうと、くれぐれもお節介は焼かないこと、いい二人共? じゃないとせっかく巡り合った星々がすれ違ってしまい、どんなに願っても永遠に二つの星は逢うことは叶わないから」
「星姫物語ですか?」
レベッカの言った星姫物語は帝国に古くから伝わる童話だ。
二つの星の海に住む、星姫と星の王子は一年に一回しか現れないと言われている数多の星々で作った天の川という橋でしか出会えない。
ある日、星姫の臣下が良かれと思い星々を集めて、好きな時に王子に会えるように天の川を作った。だが適度にバランスを保っていた星々の均衡が崩れてしまい、星姫の臣下が作った天の川すら消えてしまう。それ以降、星の海には二度と天の川は現れなくなったと。
星姫は悲しみの涙を流し、それが流れ星の起源『星姫の涙』と言われる。
「そう言うこと。では、お先に失礼させてもらうわ」
アレクシア教官はトレーを片付けようと歩きながら、ヴィクトリアとラインハルトを見て星姫物語の様な結末を迎えて欲しくないと、ふと思ってしまう。