白衣の<人殺し>
四月の下旬になって、南野晴子の遺体が発見された。
遺書は無かった。
発見場所は、和歌山県の観光名所。
三段壁と呼ばれている、荒ぶれる海に突き出た岸壁だ。
内部には洞窟があり、エレベーターで、観覧できる。
独特の神秘的な雰囲気に、訪れる観光客は多い。
晴子は、岸壁から、海へ身投げしようとした。
しかし、海面へ辿りつけなかった。
両足首を、スカーフで縛って飛び降りた、らしい。
スカーフが、まばらに生えた木の枝にひっかかり、
陸上からも海からも、発見されにくい窪みで、宙ぶらりんになってしまった。
長い苦痛を味わったであろうと、報道された。
身動き取れぬ逆さ吊りの状態。
体内の液体は下に溜まっていく。
死に至たるまで、どれ程時間を要したのか。
前例が無いので、明確に報道されない。
晴子は息絶えるまで、
どんな思いで、海と空を逆さまに見ていたのか。
「ここ、自殺の名所でもあるのよね」
三ヶ月ぶりに、マユが側にいる。
「そうなの?」
聖は知らなかった。
「線路に飛び込むとか、高いとこから呼び降りるとか、首を吊るとか、自殺の方法はいくらでもあるのに、わざわざ自殺の名所に足を運んだ……死に場所を予め決めてたのかな」
全くわからない。
色々面倒な人生を送ってきてはいるが、
聖は、死のうと思った事は一度も無い。
そういう人間は、自死の方法や場所を考えた経験も無い。
もしや、マユが自殺の名所を知ってるのは、
自殺を考えたことがあったのかと(幽霊だけど)心配になる。
「違うの、病院で聞いたことがあるから、知ってるの」
言葉に出さなくとも、聖の心配は伝わったようで、マユは笑う。
しかし、病人が、その話題って笑えない、と聖は思う。
「患者じゃないのよ。見舞いに来た人達が、わりと、そういう話してた。食堂とかエレベーターでね」
「何で?」
人それぞれとは思うが、聖には理解出来ない。
重症患者、その親族、死に怯える者に聞こえる場所で、自殺の名所の話を、なぜする?
「例えばね、癌の手術をした人を見舞いに来たグループが、初めは、癌の話題で盛り上がるの。自分の身内、知り合いの話。癌だから、亡くなった例もあるでしょ。そこから、だんだん、死んだ人の話に移っていくの。隣の高校生が、元気だったのに、ある朝突然死んじゃったとか」
病院だからこそ、死は語られるのだと、
マユは教えてくれる。
霊安室から運ばれる遺体は、他者の目に触れぬよう配慮がされているが、完全ではない。
重篤な患者の親族が、死の告知に泣く廊下は、無人とは限らない。
「死が近い気配ってあるのよ。その人を愛する人には悲しく辛いものだけど、赤の他人からしたら、ゾッとする。……つまり、病院って死のオーラに包まれてる、怖い場所なのよ」
食堂で長々と喋っているのは、グループで来た見舞客が多かった、らしい。
「怖い話題って、皆好きでしょう? 事故死、自殺、となっていくわけ」
しかし、病院なんだから、病人や家族に、配慮しろよ、
と、聖は、また腹が立つ。
「まだ、先があるのよ。最後は自分の死の話題になるのね。苦しい手術を繰り返して、結果やせ衰え、死んでいくくらいなら、自殺の方が、ましだと、なっていくの」
……金沢の高級ホテルに数日滞在して、東尋坊から身を投げるの。
……それなら、いっそナイアガラの滝がいいわよ。
……お金かかるでしょう?
……死ぬんだから、サラ金で、借りるだけ借りたらいいじゃないの。
マユは、実際に聞いた会話を再現する。
「ロマンチックな死を語れば、覗いてしまった、現実の死を遠くへ追いやれるでしょう?」
淡々と語る端正な横顔に、
マユもロマンのある自殺を志していたのでは?
と、聖の心は乱れる。
不本意に、全く予想外に、この山で死んでしまったから、成仏出来ないでいるんじゃないだろうか?
聖の動揺に気づかず、マユは、瞳を輝かせ、南野晴子に関するニュースを、もっと見たいと言った。
検索すれば、自宅前からと、三段壁からの報道が殆どだった。
「あ、隣が映ってる」
聖は動画を静止させた。
隣家は、ブルーシートは取り除かれている。
大きな門があった辺りに、白い建物がある。
「○○小児科」
と書かれた、真新しい看板が掛かっていた。
ガラスのドアの前に、男が写っている。
大柄で髪の量が多く、白衣を着ていた。
「隣の人は、家を売ったのかしら?」
いや、違う。
家の一部を解体、リフォームしたのだと、聖は答える。
「前に見てから四ヶ月経っていない。更地にして、全部建て替えるのは無理。別の人が住んでるとは思えない。この白衣のドクターは、多分、隣の息子だ」
「そうなの? ……確かに年齢的にあってる感じ、だよね」
マユはため息をついた。
「私、てっきり、隣の人は、いたたまれなくて、遠くへ行ったと思ってた。……医者で開業って、幸せそうじゃない?」
聖は答えない。
静止した画面を見つめている。
白衣の男は、
撮影中だと気付き、映りたくもないと、慌てて中へ入ろうとした、
その時で止まっている、
真新しい自動ドアの使い勝手に慣れていないのか、
左手で数回、ドアの金具にタッチした直後。
若いドクターの左手は小さかった。
もちろんマユには見えていない。
けれど、聖が<人殺し>を見たと、察知した。
聖は、画像を拡大する。
「セイ、この人だったのね」
マユは驚きも疑いもしていない。
憲司を殺した……飴を与えたのは隣家の息子だったのか?
小さな手は憲司の手か?
他の子を殺している可能性はゼロでは無い、と聖は考える。
隣家の玄関で撮った写真で確認する。
何度も見た、南野晴子と憲司と、隣の子の写真。
晴子は美しかった。
色白で顎の細い華奢な顔。
華やかな笑顔は魅力的だ。
憲司は母親そっくりの顔立ち。
両手は鮮明に写っている。
小柄で華奢な身体に釣り合った、小さな白い手。
ドクターの
白衣の袖から出ていた、小さな手と、相違点はなさそうだ。
「隣の子、憲司君に比べて随分大きかったのね」
マユは聖が手を見ていると知らない。
隣の子は、顔がボカシで隠されている。
憲司より二回り大きい。
行儀良く膝の上に両手を載せている憲司と比べて、
両足を広げ、両手は頭の上。随分リラックスしている。
子供達の佇まいの差にも、此所が、南野家では無く、隣の家だと感じ取れる。
「このドクターが、人殺しだと、わかったんでしょう。事故じゃなかったのね……ごめんなさい」
推理が外れたと、何故だか謝る。
「いや、ほぼ、推理通りだと思うよ。……憲司君は隣の家で飴をもらった。そして喉に詰めて、家に帰って死んだ。抜けていた事実は、飴が、隣のオバサンが手にしていた袋から憲司君の喉へ、どうやって入ったか、それだけ」
マユは暫く何かを考えて、
「憲司君が、大きく口を開けないと、喉へは届かない、わよね?」
と、聖に聞く。
一年生の男子二人。
ふざけ合い、じゃれ合うイメージが聖の頭に浮かぶ。
……憲司君は、あーんと、大きく口を開けている。
(背の高い)隣の子、からは口の中がよく見えただろう。
それから?
彼は、暗い穴へ……飴を押し込んだ。
「そんな事したら、息が出来なくなるって、わからなかったのかしら?」
殺意があったのか、どうか、
それは本人にしか判らない。
いや、本人にも解らない。
ちょっとした、無意味な行為だったかもしれない。
「憲司君は息が出来ない。叫ぶこともできない。当然、家に転がるように帰った……そこから先の推理は合ってるよ、きっと」
「隣の人は……息子がした事を、見ていなかったのかしら?」
「見たのは、自分の子が憲司君の口へ飴を入れてる、それだけだったと思う。その時はわからなかったんだよ。まさか、喉に詰め込んでるなんて」
後になって、息子の指が、憲司君の口の奥まで入りすぎていたのを
思い出したにちがいない。
「憲司君の遺体を隠せば、我が子の罪を隠蔽できる。行方不明にする必要が晴子以上にあったのね……ドクターになった彼は、自分が憲司君を死なせたと、知らないと思う?」
「殺意も無い、危険な事だとも知らなかったんだ。それに、まだ一年生だから、深い考えの無い、突発的な行為である程、忘れてしまうのが自然だろう? テレビのニュースで放送された通り、家の前でバイバイしたあと、憲司君は行方不明になった。幼い彼に、それ以外の事実は考えられなかった」
「でも……警察の事情聴取は受けた筈よね。最後まで憲司君と一緒だったんだから」
「彼はありのままを答えた。家の前まで一緒だったと」
「セイ、飴の事は? ……行方不明の子供が、遺体で発見されるのは想定内でしょ。死亡推定時間を特定するのに、生前食べた物は重要な情報よ」
マユの指摘に、
隣人は息子に、飴に関してだけは、口止めの必要があったと、気付いた。
息子が飴の事を、警察や誰かに喋り、南野晴子の耳に届けば……嘘がバレてしまう。
「飴の事は、誰にも言うなと、母親に口止めされたのね。七歳の彼に理由は分からない。でも従った。
連続殺人事件で、水色の大きな飴の事が報道されたでしょう?
彼の中で、過去の記憶が蘇ったりしなかったのかな」
「それはどうかな。そんな暇、無かったかもしれない」
三十二歳で開業した事実は、彼が多忙だった、イメージに結びつく。
「憲司君、四人の子供、晴子。結局六人死んだのね。隣の人が、もっと早く南野晴子に打ち明けていたら、無関係の子供達は死なずに済んだのに」
「婆さん達に、出来るはずが無いと思ってたんじゃないかな。一生黙ってるつもりだったんだよ。
大切な息子を守る為に」
「セイ、ちょっと、待って。隣人が、晴子さんに……本当の事を打ち明けたとは限らないよ」
隣人は、息子が、憲司の喉に飴を突っ込んだと、言わなかったかも。
自分があげたと、言ったかも。
自分があげた飴で、死んでしまった。事故だったと泣いて謝ったかもしれない。
晴子は、
登校班の誰かが憲司を殺した、と信じていた。
善意で飴を与えた行為が、運悪く窒息に繋がった、事故だと、考えられなかった。
飴玉という凶器で殺されたと解釈していた。
(母親の勘は真実を捕らえていた)
「……それが単純な、悪意のない行為が発端の、事故だったと告げられたら、心が壊れちゃうよ」
シロクマの剥製の側に、二人の母が居る。
一人はシロクマに、愛する我が子を見る。
<助けられなくてごめんなさい。必ず復讐するから、どうか許して>
そしてもう一人の母は……自分の息子が死なせた遺体に、いったい、どんな言葉をかけられたのか。
二人の母は、同じくらい痛々しく悲しい。
聖は、不意に脳裏に浮かんだ光景に身震いした。
どうか、
何も知らない(自分の罪も、その結果も、母の苦しみも)ドクターが、
この先、自分が招いた死の数を上回る子供の命を<人殺しの徴>のある手で救って欲しいと、
聖は、祈ってしまった。
「それで、可愛らしいシロクマくんは、今、どうしてるの?」
陰惨な事件の副産物だけど、
姿を思い浮かべ、マユの目尻は、下がる。
「あの子は、すっごい、気に入られてる、らしい」
二三日前に山田鈴子から電話が掛かってきた。
暖かい晴れた午後、溜まっていた仕事を終え、
マユの希望で借りてきた映画「ノスタルジア」のビデオ、静かで、延々と灰色の画面が続くのに、催眠術にかかったように、意識が途絶えた時だった。
鈴子の第一声が
「にいちゃん、あんたシロクマに何したんや?」
だった。
何もしていないと嘘を付いた。
でも、質問の裏が気きになるから
「アレが、どうかしましたか?」
と聞いた。
「南野晴子の亡霊がついていったとか? 」
マユは、シロクマの持ち主を気の毒がる。
「亡霊は当たってる。けど、子供の幽霊達、なんだって」
一年生くらいの男の子が一番大きくて、あとはちっちゃい、
そう所有者は言っていたらしい。
北海道の何処か知らないラーメン屋での話だ。
「憲司君と、連続殺人で殺された子ね。……シロクマがまとめて連れて行ったんだ」
幽霊のマユが言うから、
不思議だけど、そういうこともあるのだと、聖は納得する。
シロクマが聖の元にやってきたのはもっと不思議、怪現象なのに
それは気にかけていない。
「シロクマも子供でしょう。憲司君と一緒に呼び寄せたのね。トモダチを。……持ち主は怖がってるの?」
そうでもない。
どれも可愛らしいし、実害はない。
妻子ない独り身の慰みになると、言っている。
「その人も、見える体質なのね。憲司君はシロクマとずっと一緒にいられて良かったのよ。セイは間違った事をしてないよ」
マユが笑う。
聖は、ふと、マユの骨を集めて、何かの剥製に詰めてみようかと、閃いた。
そしたら、ずっと一緒にいられるのか、と。
しかし、本人の了承抜きで勝手な真似はできない。
じゃあ、聞いてみるか?
無理だ。
長い髪を白い指ですくい、小首を傾げ、微笑んでいる。
足下のシロがじゃれつくのに答えているのだ。
この綺麗な人に、
「君の、骨」
と、言えなかった。
最後まで読んでいただき有難うございました。
仙堂 ルリコ




