第37話 逸脱
【シーン①:鎮静】
対抗戦からひと月。
学院内の興味は十二月の冬季帰省へ移りつつあった。
特定個人に集中していた視線も分散し、全体として穏やかな空気が流れている。
レオンの周囲も同様だった。
講義後に残る者は一人か二人程度で、質問のない日もある。
内容も「構造論」から「小テストのヤマ」へと変わり、傍聴人も冷やかし程度だ。
もう、レオンの領域に踏み込もうとする動きは見られない。
距離が一定に保たれている。
ポジションが変遷したことが、レオンにもわかっていた。
「レオンはすごいが難しいよな」
理解はできても再現できないという認識が共有されている。
一般科の中で、機能として切り離されたポジションにレオンは立っていた。
教室の端にマルセルがいる。
席も距離も以前と変わらないはずだが、隣という配置ではなくなっている。
視線は交差せず、寄宿舎以外では会話もない。
レオンが気付くと、マルセルがいないということがよくある。
以前は逆だった。
レオンは図書館で本を開いていた。
外部からの干渉が減り、分析処理の負荷は軽くなっている。
にもかかわらず、レオンの内部には、説明のつかないストレスが掛かっていた。
改善されたはずの環境に対して、何かが足りないという認識だけが浮いている。
原因は特定できないまま、思考は別の領域へ移る。
未検証の項目がある。
落ち着いたこの機会に試しておきたい。
身体強化魔法。
四学年次に扱う内容であり、現時点では禁止されている。
理由は明確で、制御困難、個体差大、失敗時のリスクが高いとされている。
レオンはリスクの根本が、出力と制御が密接に結合している点にあることを理解している。
しっかりと資料を読み込み、脳裏の解析者にも確認済みだ。
――厳密な制御と余裕を持った運用をすれば問題はない。
長大な詠唱である幻影魔法を制御できる自分であれば、そしてしっかりしたリスクヘッジをすれば大丈夫。
「父上も戦闘中にやっていたじゃないか」
子供の頃に見た父の雄姿は、まだ瞼の裏にある。
レオンは本を閉じた。
検証を始める。
【シーン②:身体強化】
夕食後の寄宿舎。
部屋にはレオンしかいなかった。
最近、マルセルは就寝の直前までどこかに行っていることが多い。
詮索はしない。
レオンは左手にリンゴを持ち、右手を構えた。
「コルツ・アップ」
左手がほのかに光を帯びた気がする。
力を入れると、リンゴに指が食い込む。
普段のレオンではできない芸当だ。
――どこまでいけるか
少し魔力の出力を上げる。
明確な差がない。
もう少し。
変化は小さい。
もう少し……。
改めて左手に力を込めると、リンゴにひびが入る。
もう少し行けるか。
さらに魔力を注ぎ込む。
そして、左手に力を。
ぐしゃり、とリンゴがつぶれた。
「よし」
腕から滴るリンゴの汁も心地よく感じる。
――到達した。
その瞬間。
視界が明滅した。
「え?」
――おかしい。
――まだまだ余裕がある……はず。
考えようとする。
――制御しているはずなのに、値が合っていない
意識が落ちた。
[Error: RuntimeException]
Cause: Unbounded resource consumption in high-priority thread.
[Warning: ResourceDepletion]
Source: InternalStorage(100%)
Status: Total Drain (Duration exceeds safety threshold).
[Notice: UnexpectedVarianceDetected]
Status: Unresolved Process.
Initiating Emergency Shutdown of User Interface...
[System: Rebooting...]
【シーン③:ひとり】
真っ白な空間に浮かんでいる感じがした。
チリ、とした刺激が一瞬だけ走る。
胸の奥。
体の中心。
それで意識が戻った。
目が開いて、少しずつ景色が見える。
寄宿舎、自室だった。
目が覚めると、妙に体が軽い。
レオンはゆっくりと上体を起こし、周囲を確認する。
ベッドの上。
時間は不明だが明るい。
部屋には誰もいない。
状況から、実験中に魔力枯渇を起こして意識を失ったと判断する。
あのブラックアウトは、以前にも覚えがあった。
立ち上がる。
ふらつきはない。
少し歩いてみようと、一歩目を踏み出す。
急に扉が開いた。
マルセルが入ってくる。
呼吸が乱れており、動きに余裕がない。
「レオンさん……っ」
言葉が続かない。
視線が揺れたまま、ようやく状況を伝える。
「……倒れてて。部屋の中で」
短い説明。
それで十分だった。
マルセルは目に浮かんだものを隠すように視線を逸らし、「先生を呼んでくる」とだけ言って部屋を出ていく。
レオンはその背を追わず、手を軽く握る。
体の具合は安定している。
違和感も再現しない。
問題はない、と判断する。
やがてヴォルフが医療魔術師を連れて到着し、簡単な診察が行われる。
「魔力枯渇だ。
軽度の損傷の可能性はあるが、現時点では問題ない」
「ただし繰り返せば器にダメージが残る。
おまえは、一昨年もやっているな。
しばらくは魔法禁止だ」
説明は簡潔で、警告も明確だった。
レオンは頷いた。
数日後、授業に戻る。
環境自体は変わらない。
講義も、廊下の流れも同じまま維持されている。
ただ一つ、周囲の反応だけが変化していた。
視線が合わない。
距離が保たれる。
話しかけようとする動きが途中で消える。
質問に訪れる者はいない。
完全な静止。
代わりに、どこからか断片的な声が風に乗って届く。
「結局、魔力がないとダメじゃん」
「制御だけじゃ無理なんだろ」
レオンは振り返らない。
そのまま一定の速度で歩きながら、内部で結果を整理する。
今回の原因はリスクヘッジの失敗であり、制御の問題ではない。まして魔力の問題ではない。
理論自体は破綻していない。
そう結論づける。
外部の音を遮断する。
レオンの隣に並ぶ者はなく、その視界には誰も入ってこなかった。
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