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時の過ぎ行くまま  作者: 犬神まみや
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浅葱の乾坤一擲002

浅葱の乾坤一擲002

 八月十五日夕刻。

下働きの梅吉が土方氏からの言伝を持ってきた。

富士乃にきてくれろとのことだった。


恐らく八木、前川の両屯所では話にくいことなのだろう。


私はすぐに身支度を整え前川邸を出ようとした。……だがどうも機敏に動けない。体が重たい感じがする。例の大阪の帰郷あたりから夕刻になると急にドッと気分が落ち込むのだ。


恐らく色々の人死を間近で見たり、斬った貼ったの時に湧き上がる自分の中の疑問がそうさせているんだろうと自己解決していた。

実際問題、今の所正々堂々とした一対一での勝負などと言うものをきちんとしていない。


いくら刀を指した暴漢とはいえ酒に酔っていたり、いくら多勢に無勢で武器を手にしていたとはいえ刀を持たない者を斬ってしまっている。疑問が胸の奥底で燻って、私を苛んでいたのだ。


どうせ斬りあうなら正々堂々向かい合っての勝負がしたいのに。

それならば疑問を感ぜずにすむかもしれないのに。


京残留を決めたあの夜、土方氏の言った

「おめえに嫌な思いさせる事になるかも知れねえ」

というのはこういう事だったのかな、とひとりごちる。


前川邸の裏門を出た所で、ちょうど八木邸から出てきた平山氏とばったりと会った。

「平山さん」

偶然の鉢合わせだったので向こうは少々面食らったようである。

「沖田の。どこへ行くんだ?」

と怪訝な顔で訊ねてきた。


「ああ、へへへ、ちょっと夜中にかじるおかしを探しにいこうかなって」

「……おかしぃ?……おいおい、大の男が酒じゃあなくて甘味物かよ。大体もうこの時間じゃどこも店閉まってるぜ?」

さぐりを入れているんだろうか?


そんな疑問も浮かんだが、私は気にも留めず笑顔でさらりといった。

「酒はどうも飲んだ後、みんながいうみてえに気持ちよくなれないんだものなぁ。でもね、ほんというとね、土方さんに富士乃に来いって言われてるんだ。飯おごってくれるって。でもみんなにばれるとみんなの分金出さないといけねえから秘密にしろってさ。だから平山さん、内緒だよ?こんな言い方すると金払い悪ぃって事で土方さんの面子に関わっちゃうしさ。それともさ、平山さん一緒に行って俺と共犯になってくれる?」


平山氏は呆れたように笑顔を作ると答えた。

「俺は芹沢さんにおごって貰うさ。いってきなぃ。後、どうせおごってもらうなら女おごってもらえよ。おめえのツラはいつまでも乳臭くていけねえ」

私は吹き出す。

「大丈夫ですよ、俺こう見えて何気に女の人に人気あるんですから」

平山氏の苦笑が完全に笑顔に変わった。

「女ったって近所のガキどもやばあさん連中にだろ?……まぁおめえは親切だからあたりまえっちゃあたりまえか」

「そうかな?親切ってほどのことしてないけれど。それに子供だっておばあちゃんだって女の人は女の人! でしょ?」

「ハッ、抱ける女にしとけよ、たとえば・・・」


平山さんが口ごもり、急に険しい顔つきになった。と、同時に私は背後に気配を感じて振り向く。美しい女が一人暮れ始めた町の角に立ちすくんでいる。

平山氏が私の胸元をぽん、と掌で叩いて言った。

「沖田の。あの女が来てる事は見なかったことにしちゃあくんねえか。おめえの出かけるのも芹沢さんたちにゃ黙っておくからよ」

「平山さん……」

「土方ンとこへ行ってきな」

そういった面持ちは非常に神妙で憂鬱そうであった。

元々無愛想な感じの人ではあるけれどこうして話せるのは少し嬉しかったのに。


私はその女性の方を向くと何事もなかったように会釈をして脇を通り過ぎる。彼女も私に会釈をして返した。なんともいえない……困惑したような……けれどどことなく上気した表情で。


何気なく私は背後をふり向く。平山氏に連れられて彼女は八木家の門をくぐっていった。見たところ、彼女は明らかに普通の奥方ではない。芸妓あがりの金持ちのお妾といった風情だ。そういった類の女性を裏門から入れずに表から入れるとは何かそれなりの事情があるのだろう。


私は其の姿が見えなくなるのを見届けてから前を向きなおし、とぼとぼと歩き出したところで今度は全く別の女性が目の前に立っているのに気付いた。

「あれぇ、君は……」

「君はとはご挨拶やね。ウチは頼まれて来たんやで」

普段着だったので一瞬解らなかったが、以前富士乃で助けた芸妓だった。

あの時はもうすこし年齢がいっているかと思ったが、普段着だと私よりずっと若いのだろうとわかる。

着物ひとつでずいぶん印象が変わるのだから、女というのは不思議な生き物だな、と私はつくづく思った。

「もしかして土方さんに頼まれてきたの?」

壬生まで歩いてきたのか。女の足では斎藤町から大分かかるだろうに。そんな私の考えはどこ吹く風で彼女は前川邸の壁に背を預けながら言う。

「どうせこっちに用事あってん。ていうか…あン人……トシさん? 名字は土方(ヒジカタ)言うのん?」

「うん、土方歳三っていうんだよ。因みに俺は」

「知っとる」

「えっ」

「あんた、“おきたそーじ”…っていうんやろ?“おきた”ってのはトシさんから聞いたわ。でもそーじってのは知っとったんえ。あんさんにに助けてもろた時に、あのとしぞーって人が散々あんさんの名前呼んでたやん?」

「うん、そうだったね」

「 変な名前やなおもっとってん。お侍やのになんで掃除なんやろぉって。起きたなり掃除始める人かおもたわ」

私はぶっと吹いて笑い出した。

「アハハァ、ひでえなあ。でも確かにそうだよなあ。言われてみたらおかしな名前だあ。でも本当は拭いたり履いたり綺麗にしたり大掃除とかのそうじじゃあないんだよ」

「冗談やし。しっとるもん」

彼女はそういって少し顎を上にしてすまし顔をした。


面白い娘だ。私には年齢の離れた姉しかいないし、姉達とは早いうちから離れて暮らしていたし男所帯だったので年下の娘というのをあまり知らない。妹がいたらこんな雰囲気なのだろうか。

「あんたお侍やのに怒らへんのね。ウチのいう事」

「だって本当にそうおもったんだもの」

「変わってる人やわあ」

「君も十分変わってるよ。所で君……名前は?」

彼女は私の方をちらとみて、よいしょと壁から背を離しぴょこりと頭を下げると

「うち“おしょう”って言います。どうぞご贔屓に」

挨拶をした。

「うん、宜しくね。お店に行ったら君を呼ぶようにするよ」

「そうしてんかー」

彼女はそういったあと、八木家の門の辺りに本の一瞬だけちらと目を流した。


「……なにか……気になる?」

「え…なんでもあらへん…」

彼女は口ごもる。言いたくない事なのだろう。でもさっきの意味ありげな視線で私の方が気になってしまった。

「気になるのはさっきあそこに入ってた女性?それとも男性?」

彼女はそれを言われてびっくりしたように私をみた。

「わかるのん?」

「うん。そりゃあね。もしかして…女性の方かな。気になったの」

「……」

「今の女性、誰なんだい?」

「あンさんは知らんかも知れへんけど、あン人……この辺ではえらい有名や……」

彼女の顔が曇る。

「有名……?」

「一昨日火事におうた大和屋さんの……御妾さんで、“お梅”って人や」

「なんだって……」

私は眼を剥く。


そんな人が何で。


平山氏の見なかったことにしてくれ、というのはどういう事なんだろう。


「なぁ、沖田はん」

彼女に声をかけられて私は我に帰った。

「あんさん連れてかんと、おかみはんにも、トシさんにもウチが怒られるんえ」

少し早口になってるところみると、彼女はその場を離れたくなったのだろう。私も平山氏の言葉を飲む事にした。

「そうだね。もう行きましょう、お尚さん」


+++


富士乃の二階の一室で土方氏が大小を脇に置いたまま待ち構えていた。それだけこの店が土方氏を優遇している事がわかる。私が来るまでどうも一人で飲んでいたらしい。乱れていない所をみるとたしなむ程度であったのだろう。

「遅かったじゃねえか」

眼だけ笑っている。待たされた割に余り不機嫌でもないらしかった。


「ちょっと野暮用で」

喉元まで先に八木家の門前で出会った“お梅”の名が出かかったが、言葉を呑んだ。

「飯は食ったのか」

と聞かれたので、はいと嘯いた。どうも食う気分になれなかったのだ。

少しするとお尚が失礼します、と声がけをして部屋に入ってくる。着替えており、すっかり芸妓の風情になっていて見まごう程だ。

私が飲まないのを土方氏から聞いたらしく、気を利かせたのだろう。茶を入れて、つまみに小さな愛らしい京菓子も盆に乗せてきてくれていた。


ありがとうと私が言うのと、へえ、とすまし顔で答える彼女を見届けた後

「お尚、女将にこいつを渡しておいてくれろ」

と、土方氏は胸元から小さな紙包みを出し彼女に手渡した。

「ふたっつありますけど」

「もうひとつはお前がとっときな。そのかわり悪ィが、よっぽど力づくで押し込んで来るような無粋な輩以外は誰も通さねぇようにしちくんなぃ。いいかい?猫の子一匹だって通しちゃダメぜ……今はこいつとサシでいきてえんだ」

「へえ、わかりおした……」

お尚はすんなりと部屋を出て行った。


彼女の気配が消えるのを待ってから、土方氏は煙草をひとつ・ふたつふかすと、煙草盆を持ち上げ廊下に面したふすまの所へそれを置いた。ふすまに本の一寸かそこいら隙間を開け、廊下の様子を一度伺うと

今度は盆の上に煙管を置く。


煙管の煙は一瞬土方氏の動きに合わせてゆらりとゆらめいたが暫くすると真っ直ぐ天井へ向かって身をくねらせながら上っていく。

これで誰かが廊下を通る時に煙の動きで気配が読めるというわけだ。


「今日は……俺以外には誰もおらんのですね」

「ああ、今ひとりひとりに話すようにしてる。で、まずはオマエからってわけだ」

土方氏は座布団の上に胡坐をかいて自身の右膝に肘を付いて其の上に顎を乗せる。

「近藤さんからはどうせまだ何も聞かされちゃあいねえんだろ?」

はい、と私は答えた。

「いいさ、話すのは俺の役目だ。大体あの人ァ説明が下手だからな、まぁ座れよ、そうじ」

彼は自分の正面の座布団に座るように促した。私はそれに素直に従う。

「これからの話は大分物騒な話だ。よく心して聞けよ?」

私は黙ってうなずく。

「とうとうな天子様(孝明天皇のこと)がご立腹なされたらしいのよ。無論、過激浪士どもにだ」

「え」

天子様が?学問がお好きで聡明な方であるがゆえにご立腹になる理由は余程のことだろう。

「知ってのとおり長州藩は今まで禁裏の守護を仰せつかってたワケだが、あいつらの目論見がお上に知れたのさ」

「いったい何があったんです」

「天子様を無理矢理奈良へ移って頂いて、そこで天子様を頂点とした新政府を作るつもりだったのよ」

「・・・・・・!」


私は言葉を失った。

それは一大事である。


「聞けば天子様は京を離れたがっておられんそうだ」

それも其のはずである。

それまで公武合体に対し今まで頑なであった朝廷が、皇女(和宮様)を幕府の上様(家茂公)に嫁がせて、和睦を図るまでして日本という国の外交とその存続をかけたばかりなのである。


亜米利加(アメリカ)の強烈な武力、兵力を目の当たりにし、開国に踏み切った幕府としても大喜びだったのだ。和睦が図れれば長州の過激行動を止められると信じたのも大いにあった。


だが朝廷と幕府の思惑通りに事は運ばす、長州藩の不貞浪士達は、残念ながらそこまで苦渋の決断をなされた天子様(天皇)の意志に反した行為を続けているだけではなく奈良に無理矢理連れて行こうなど言語道断である。


にも拘らず長州が“尊王”・“勤皇”の二文字を掲げているのでは本末転倒で話にならない。これでは朝廷の威信はガタ落ちである。


「過激浪士どもは天子様の賜る再三のお言葉に耳を傾けなんだ。天子様は物騒な事は嫌悪されるお方だからな。連中の行動が余りに常軌を逸してるってぇおこぼしになってな。薩摩藩に命が下ったそうだ。“長州藩自体を完全に京都市中から締め出す”ってな」

 「要するに連帯責任という奴ですか。まぁ……致し方ありますまいね。じゃあ……うっかりすると」

「ああ、戦になるだろう。まずは薩摩藩と会津藩と桑名藩が動くってぇ話だぜ」

「長州藩はおとなしく引き下がるようなタマじゃあない。当然のごとく兵を揃えてくるでしょうねぇ」

「だろうなあ」


土方氏は少し目を細めて視線を流し、表の様子を障子の隙間から伺う。外は此処へ来た赤銅色ではなく、既に薄紫の闇が辺りを取り巻いていて、小堀向いの置屋の明りが灯るのがぼんやり映っている。廊下側に設置された煙管の煙も相変わらず真っ直ぐ登って、他の誰の気配もない事を教えていた。


しばしの沈黙の後、土方氏が口を開いた。

「恐らくな、我々にも出動命令が出るぞ」

「!」

私は息を呑む。

「それは新撰組としてですか」

「ああ」

動かず眼を逸らしたままで彼は答えた。

「会津と桑名のそれぞれが大砲を二丁ずつ預けてきたよ。今八木さんとこの蔵に預けてある」

「ええええっ!」

民間人の家の蔵の中にまさかの大砲があるとは。想像して思わず声が出た。いったいいつ運び込んだものだろう。私の驚愕に呼応するように、対面の土方氏の伏目ががっと見開いていた。彼は普段は伏目がちにしているが、実際大きな目なので、其の顔には伏目の時にする鋭い眼光とはまた違った別の迫力がある。

土方氏はおでこに手を当てると、

「おめえは声が大きい……」

とがっくりした。私は慌てて左手で口を塞ぐ。

そこで土方氏はようやく私へ視線をうつし、溜息混じりにいった。

「どうもおめえとは、内緒話にもならねえし、緊張感も抜けちまっていけねえや。あのなあ、これぁなあ結構な一大事なんだぞ」

「もちろんわかってますともっ」

私の真顔に土方氏も呆れた様に苦笑する。

「ま、いいか。俺も正直気が張りすぎてたとこだ。いや、とは言え……こんなもんは恐らく序の口にすぎねえだろうがよ。この先はもっと大事続きになるこたぁ請け合いだからな。こんなことくらいでガタガタァ言ってちゃ話にもなんねぇやな」

「それァどんなことです?」

「既に各所の間者どもが暗躍しての諜報合戦がはじまってるぜ」

「確証が?」

土方氏は答えずニヤリと笑って返した。


そう、こんなこといってはいるが、そういうこの人も、その諜報合戦に後れを取ってはいまい。実際の所ここ数日斎藤氏の姿が見えない。斎藤氏のお得意の暗躍が始まってるのだろう。

「兎に角まぁそんなワケだからよ。おめえもいつ出動になってもいいように

常に準備だけはしておいてくれ」

「心得ました。……じゃあこれから少し刀でも研ぎにいってこようかな」

私が笑いながら席を立ち脇差を帯に戻すのを見て、きょとんとした顔で土方氏は私を見上げる。

「……?! 帰ぇるのか?!」

はい、と私。

「おいおい」

土方氏は呆れたように苦笑する。

「おめえ、ここくんだりまで来て帰るってなあ……確かに俺ァ備えろとはいったが、気構えのことであってなにも今すぐのことじゃあねえんだがなぁ」

「飯もいりませんし、酒も飲まないですし、女もいらないですから長逗留は無意味でしょ?」

「おめえがいいならお尚をつけるぞ? ありゃかわいいおんなだろ? なぁに、なにも寝ろってんじゃねえ。ありゃ芸子だからそういう類の女じゃねえしな。少しは楽しめよ」

私は笑った。

「あのこがかわいいのは俺にも解りますけどね。いずれまたの機会にしますよ。第一今は一大事でそれどころじゃないんでしょ?」

「普通は逆なんだがなあ。斬った張った一大事の時にこそ女に癒してもらうんだよ」

うぅん、と私は唸る。

「俺、言っちゃあなんですけど……そこまで人斬るのに慣れてるほうじゃあないんで」

その言葉を耳にした途端、土方氏の眉根がふっと曇った。

「おめえ……まさか……まだこないだここであった事気にして……」

私はその表情を見て、ハッとして答えた。

「いえ、ここでの事だけじゃあないんです。京へ逗留が決まったあの日……トシさんに言われたでしょう。おめえに辛い思いさせるかもしれねえって。だから……相応の覚悟はしてたつもりなんですけれど、何て言うのかな……俺の覚悟の方向性がちょっとずれてたって感じで」

「……そうじ」

「あ、だから……すみません、今は自分の未熟さを恥じてて。それでちょっとそんな気分になれないんですよ。大阪で芹沢さんたちの前でも恥かいちゃいましたからね。もっとしっかりしなきゃとおもって」

「そうか、なら俺も無理強いはしねえよ」

そう言うと少し寂しそうに彼は微笑み、ところで、と切り出した。

「……その芹沢なんだがな」

土方氏がまた曇り顔に戻る。そこには難色が加わっていた。

「こないだの大和屋の一件…………。あの時の事、オマエ覚えてるか?」

「忘れようったって忘れられるもんですか」

「いや、あの火事の時によ、ぼんっと大きな音がしただろう」

「……そういや……」


私の脳裏にあの時の光景が浮かぶ。

確かにそうだった。

何かの破裂したような音と同時に火の手が大きくあがった。


「わかるか?普通の火事じゃあ、ああはならねえ」

「どういうことです?」

「恐らく大和屋は火薬かなんかを隠してたんだろう。

それが爆発したんじゃねえかと方々が推測してる」

「……!!」

「元々不貞浪士に金銭渡してたとこだ。うちも八木さんに預けてる大砲の例もあるくらいだし、大和屋が火薬だの、大砲だのの一個や二個隠しててもなんもおかしかねえよ」


そこで芹沢氏のあの目と、巻き上がる火炎、そして、大和屋の愛妾お梅の姿が交互に浮かぶ。


――黙っててくれ――


平山氏の言葉が耳元を掠めるように流れた。

私は土方氏にお梅の事がますます言えなくなった。いや、どのみち彼は知っているかも知れない。私なんかより詳しく。けれど言えなかった。


「どのみち会津藩は、芹沢を厄介だと踏んじまってる。金銭の面の強奪の線を理由にするか、大和屋での重要な証拠物件の隠滅を罪状にするかはわからねえが、後もう一悶着ありゃあ会津はもう待っちゃあくれねえだろうな」


あちこちから酒宴の声と微かな碗の音に混じって小堀に流れる水の音が聞こえる。土方氏の脇に置かれた行灯が山吹色の輝きで彼を映し出している。其の分だけ闇が部屋の隅々にまでしん、と広がっていた。


私は自分の呼吸が少し荒くなるのを感じて、すぐこの場から離れなけれようと一歩踏み出す。

「では……私はこれで。今日の事は、土方さんがみんなに伝えた頃見計らって……皆と話をっ……」

言葉が途切れた。目の前がぐにゃりとゆがむ。天井一回転したような感じがして、息もうまく吸い込めない。私は情けない事によろめいて片膝を付いた。


「そうじ!?」

慌てて土方氏が私の傍にかけよってくる。

「あはは……すみませ……寝不足かな」

「そういやオマエ昨夜は夜勤だったな。全く寝てねえのか?」

私はうなずいた。

胸の奥が重たい。何度も試すが息が吸い込めない。肺に空気が入っていかない。指先の感覚が殆どなく、痺れている。


着物の胸元を握り締め座り込む私を見て土方氏は勝手に奥手にある襖を開けて布団を引っ張り出すと、有無を言わさず私をそこへ横にした。


行灯を枕元にもってくると私の顔を覗きこむ。

「顔色がわりいな。どこが一番苦しい!?」

土方氏は過去に散薬を売って歩いていた事もあって、多少医学をかじっている。私の手首を取ると脈を図り静かに言った。

「少し早鐘うってやがんな。今どんなかんじだ?」

「すこし・・・苦しい・・・くらいで・・・」

「帯緩めるぞ」

そういって私の袴に手を伸ばす。

私は慌ててその手を掴んだ。

「!」

「大丈夫……大丈夫ですっ……」

「何が大丈夫なもんか!」

土方氏の手が私の袴の結びにかかった。

「おめえがほんとは見かけ倒しで身体が弱ェこた知ってんだ!ほんのちょっと前に麻疹にだってかかってんだから油断すんな!」

「そんなの……もう一年ちょっと前でしょ……それに、あれは……トシさんが……移したくせに……」

やかましい、と土方氏は一喝するが早いか私の袴と着物を緩める。

その後、彼は自身の懐から小さな薬包を取りだし、さっきまで楽しんでいたであろう熱燗の徳利から少しだけお猪口に酒を注いで持ってくる。


しゃらっ と囁く様な音のあと、お猪口の中に土方氏、指を突っ込んで掻き回している。

「少し温いが……まぁいいだろ……」


嫌な予感がした。


「い、いらないですよ!?」

ゼェゼェする呼吸の中でやっと呟いた。

が、土方氏はじろりと私に一瞥をくれて、

「てめえの薬嫌いにも困ったもんだ」

と、私の鼻をさっと左手でつまむ。

「あっ……がぁ……」

呼吸が出来ないで開いた口に、土方氏のもったお猪口の中からどろりとした液体が流し込まれた。

「ウチの石田散薬はな、なんにでも効くんだ、大人しく観念して飲みゃがれ」

「わざわざ江戸から持ってきてたんですか……貴重な……薬有り難うございます……おえっ」

「なぁに、まだたんまりあるからな。飲ませてやるから安心しやがれ。いざとなりゃ郷里に馬ァ走らせて届けてもらうよ」


そういってニヤニヤ笑う彼が鬼に見えた瞬間であった。

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