浅葱の乾坤一擲 003
浅葱の乾坤一擲 003
十七日の早朝。
天子様(天皇)より久邇宮朝彦親王に密命が下り
同日深夜、軍を動かす事を決めた会津藩より正式な出動命令が新撰組にも降りてきた。
出動命令の可能性が、色濃くなってきたのだ。
通達を近藤先生の口から聞き、隊士全員がとうとうこの時が来た絶叫に近い歓喜の声あげた。
それを受けて屯所は一気にあわただしくなる。
当の私自身は相変わらず夕暮れ時になるとどっと気分は落ち込み体は重くなる。けれどこの日はそんな私の滅入った気持ちを凌駕する程に屯所中活気づいていた。
「会津藩千五百の兵を用意したらしい」
命を受けた近藤先生から芹沢氏が詳細を訊ねていた。
「薩摩と桑名は?」
平山氏が答える。
「薩摩は二百名、確か・・・桑名は千五百名らしいですな」
「他の協力藩はいかほどだ?」
近藤先生が山南氏の方を見る。山南氏は頷いて、すらと答えた。
「恐らく淀、徳島、岡山、鳥取、米沢です。ただ兵を出すかまでは不明です」
私はその相談を頭の上でききながら、鎖帷子の点検を原田氏としていた。井上のおじさんと平間氏が槍を数本どこからかもってきて原田氏に声をかけた。
「おい、悪ィけどよ、槍使い(原田氏のこと)。こいつもガタきてねえか確認してくれろ」
「わかったァ、今行く」
原田氏が
「ちといってくるわ」
と席を立ち、私は目だけもちあげてハイと答えた。
そうこうしていると新見氏がばたばたと足音を立ててこちらへ向かってきながら
「刀や武具なんかの点呼、使用できるのかの確認しておけよォ!おまえらあ!」
と方々に向かって叫んでいる。そんな新見氏の脇をすり抜けて藤堂氏がひょこりとやってきて、
「手伝います」
と言うと、すとんと私の目の前に胡坐をかいた。
「助かります。原田さんに行かれちゃったから、人手が足りなくなっちゃって困ってたんですよ」
ふふふ、と私が笑うと原田氏の置いていったヤットコと小槌を拾いながら藤堂氏も笑顔になった。
「席が開いていて良かったです」
「手持ちぶさたってこたぁないだろうに、何でですよ?」
私がまたふふ、と笑うと、藤堂氏は真顔になって声を潜めて言った。
「こんなこといったら他っから唸り飛ばされっちまいそうだけど、初の実働ですからねぇ。流石に緊張しちまって。だから……沖田君といるとなんていうか……そのぅ……少し落ち着けるんですよねぇ」
「そう?」
「うん。それは江戸の頃から変わりないんだ。沖田君といると不安が吹っ飛ぶんです」
「アハハ、俺ってご利益あるんだなぁ、そいつぁありがてえはなしだぁ」
「後で甘いものでもお供えしないとね」
フフフと笑う横顔に目をやると、向こうも視線を合わせてきて、また二人で笑い合う。
…初の実働を気にしているのは、斬り合いになる想定をしているのか。藤堂氏はまだ人を斬った事がないのかもしれないなと私は思った。それなら落ち着かなくて当然だ。
そういう私だってなれていると言うほどなれてはいない。
彼は私の思惑の外側からまた話しかけてきた。
「明日は小銃も用意するのでしょう?」
「あれ、そうなんだ。あ、そっか。それでさっき新見さんが刀や武具なんかのっていってたのか」
「だねえ。ああ、銃の扱いを俺ァイマイチわかってないからなあ。それが一番いやだなあ」
「使い方もだけど撃たれても困らァね。弾ァこいつだけではじき返せるたぁちっと思えないもの」
私は鎖帷子を持ち上げて肩をすくめる。それを見て藤堂氏が吹き出した。
「それにしてもこの帷子は大分錆びてるねェ」
藤堂氏がそういいながら穴の開いた部分を針金でくくって綺麗にまとめた。性格も割りと細やかだから、こういう作業が得意なのだろう。
もっとも剣術の防具などは皆、自分で直していたんだからお手の物だ。
「油は塗ってあったんだろうけどね、そっちのは昨日、古物屋でたまたまみつけて慌てて引き上げてきたばかりの奴だからしょうがないかも」
私も藤堂氏と同じように穴を埋めていく。
「一度砂で洗わないとかなあ」
「洗う袋探してこないとなあ」
二人で確認ともなんともつかない会話をしていると、表がドヤドヤと騒がしくなる。
野口氏と永倉氏が大砲を蔵から出してきて、使用法の確認を大砲組に教示するのが開け放した障子から見えた。
そこへ土方氏が渡り廊下を歩きながら外の大砲隊、部屋の我々に向かって声をあげた。
「馬と馬具の点呼は終わった。近藤さん、芹沢さん、明日は馬に乗って貰えるぜ」
「おお、そうか」
近藤先生が笑顔で顔をあげた。
芹沢氏もニヤリと笑う。
……嗚呼、熱気だ。
凄い熱気だ。
あの清河の裏切りにあって、京に残った心もとのない十四人の浪人が、仲間を集めこれだけ一丸となってやれる日が来るなんて正直思っていなかった。
今度こそ
今度こそちゃんとした立会いを
乱戦になったにせよ武士同士の戦いができれば。
私のヤットコを握る指先に力が入る。
皆、きっと眠らず早朝の出動まで恐らくこのまま突っ切るだろう。
夏の熱気が更に増したような気配が辺りを包んだ。
+++
そしてその時は来た。
明八つ(深夜1時)頃。
禁裏は長州藩を締め出すために、中川宮様の指揮の下、九つの門を閉ざし、武装した兵士達に警護させ、京にいる各藩の兵を召集した。
明七つ(早朝4時)頃。
全軍が揃った合図の大砲が一発放たれて、京の人々はその異変を知る事と成った。
明六つ(明け方6時)頃。
堺門に集結既した長州藩の軍勢約二千六百名と、
幕府軍の約二千名がにらみ合いをはじめていた。
まさに現場は一触即発の気色であったようだ。
それは当然至極の事で、長州藩としてみても、今まで任されていた禁裏の堺門の警護から外されるなどとんでもない事態なのだ。
朝廷との大きな繋がりが一つ絶たれるだけでなく、彼等の本願が果たされる事が遠くなるのだから。
公武合体派、佐幕派の方とて同じである。朝廷と上様の意に反する事をしている彼らを断じて赦すわけには行かないのだ。
睨み合いは延々と続き、退け、退かぬの押し問答が続けられ、長州藩が一歩も退かぬというのが解ったであろう、巳の刻(午前十時頃)に会津藩から我々に出動の勅命が下される。
全員今か今かとその声を待っていたので、伝達がもたらされた時の全員の喜びようは尋常ではなかった。
歓喜の余り涙ぐむ者もいた。
私は土方氏と共に前川邸の、彼の自室にいたが、
八木、前川両邸の隊士達の歓喜の声は響いていた。
「……どうやら来たようだな」
「はい」
私達は目を合わせると頷きあう。
「ジョウさん、いるか?」
「応」
障子の向こうの縁側から返答があった。
「援護、伝達、頼んだぞ」
「承知した」
さわと音がし、庭先に幾つかあった気配が消えた。探索方の数名が動いたのだろう。私は庭のその様子を聞き届けた後、土方氏に問う。
「鎖帷子をお付けになりますか?」
「ああ、鉄砲相手にするかもしれねえんじゃあな」
「じゃあこれを使ってください」
私は昨日修繕した中でも新しく頑丈で軽いものを選び袋に入れてしまっておいたのを差し出した。
「……かなり状態がいいものですから、多少はトシさんのこと守ってくれるんじゃないですかね?
あ、近藤先生にも渡しておきましたから安心してつけて下さいね」
「……」
土方氏はそれを手に取るとしばし無言になった。
「……気を遣わせたな……」
「他の上官のみんなもそうだけどさ……まだトシさんにゃあ死なれちゃ困るもの。だって、俺達これからなんだしさ」
私が笑うと彼もふっと笑顔になって、
「ま、俺は弾が避けて通るだろうけどな」
と強がった。
「ハイハイ、そうかもしれませんけど一応の事ですから、ちゃあんとつけといてくださいね」
「解った解った、おめえのキモチはムダにゃしねえよ」
そういって彼は手早く着替えを始めた。
「ああ、それにしてもあの色はやっぱりどうも趣味じゃあねえ」
彼は私が一緒に用意しておいた鎖帷子を着る為の肌着を身に着けながら浅葱色の羽織のかかる絵紋掛けをみて苦虫を噛み潰す。
「まぁ新撰組の存在を知らしめるにゃあうってつけかも知らん。ものは考えようだな」
ここまで自分の主張があるんだから面白い人だと私は笑う。其の顔を見て彼は怪訝な顔をした。
「なぁに笑ってんだ?」
「いえ、なんでもないですよ。それより胴はおつけにならないんですか?」
「胴はいらねえ。不恰好に成るだろ」
これも彼なりの美学なのだろう。私はまた笑う。
「なぁに笑ってやがんだこいつめ」
土方氏が呆れたように仏頂面をした。
そこで廊下から声がかかる。
「沖田のぉ!」
「あっ、原田さんだ」
私がぱっと襖を開けると、正面近くまで迫っていた彼は
「おおっ」
と驚く。
原田氏はすっかり隊服に手甲、鉢がねを身に着けている。改めて傍目からみてみると確かに派手ではあるが結構雰囲気は悪くない。少々ギョッとするくらいである。集団で歩いたらさぞ人目を引くだろう。
「やぁ、原田さん、見違えたねえ」
と笑うとちょっと苦笑いで
「馬子にもなんとやらでね。まぁみられるていでよかったよ」
と答えると、其の後少し背をのけぞらせるようにして、背後を親指でさし示す。
「所でよ、おめえさん着替えたらでいいから、
近藤先生と隊士どもの身なりみてやっちゃくんねえか」
「えっ?隊士達のは解るけど、近藤先生はなんでです?」
「みっともなくねえか不安なんだとさ。まぁ初陣だものなあしょうがねえやなあ」
それを聞いて土方氏が呆れたように肩をすくめ、
「いい、近藤さんとこにゃ俺が行く。そうじ、おめえは先に着替えて隊士どもの面倒みてやれ」
私は解りましたと答えてその場を後にし、
着替えてから隊士たちの様子を伺うことにした。




