80 僕だけが知っている
夏から秋に移るほんの僅かな期間に、シュシュは驚くほど身体的に成長していた。
小柄で華奢なのは変わりがないけど、幾分身体の曲線がまろやかに、そして何より真珠色の翅が一段と大きくなった。
自力で長時間を飛ぶのは無理でも短い飛行なら可能になって、結果的にしょっちゅう窓から脱け出すお転婆娘が出来上がった。
今のところゆったりと全身を覆う外套でカバーしてるけど、将来的には隠しきれなくなるかもしれない。
王都行きが決まった際、僕は本当はシュシュをエムローザに置いてくつもりだった。
本人とライディーンが盛大にゴネて結局同行する事になったけど、飛天だけでも充分目立つのに!出来るだけ人目に触れさせたくなかったのに!
絶対におかしな事を言い出す輩がいるから!
案の定国王にイジられて奴は今にも雷を落としかねない有り様になるし。
人間だったら100回くらい不敬罪で投獄されてる感じ?
そして僕は、自分的には有り難いんだか何だかよく分からない《飛天の騎士》という称号を手に入れた。
一種の名誉称号みたいなものだ思えば良いのか。
『実権は何も無いけど誰の指図も受けなくて良い』という王家の御墨付き。
それもまあ、ライディーンの性格を考えたら妥当な措置かもしれない。
「スォード―――!見て見て」
よく晴れた秋空。
心地の良い朝の陽射しが揺れる露台に軽やかな声が響く。
振り向くとこの国ではあまり見かけない装束に身を包んだ天翅の少女が駆け寄って来るところだった。
「侍女さんに着付けてもらったのー。似合う?」
「うん、可愛い可愛い。動き易そうだしこれなら空を飛んでも安心だ」
「えへへー」
過去(前世)の記憶を頼りにどうにかRPG風のコスチュームデザインを描き起こし、城のお針子に頼み込んで仕立てて貰った特注の飛行服。
上衣がシンプルな膝上丈のベビードールで下衣が女の子には珍しいパンツスタイル。
タイツでも可愛いけど脚の形が露になり過ぎるからNG。間を取ってスキニータイプのパンツに柔らかな布靴をチョイス。
こちらの文化的にはかなり斬新な衣装になったけど、スカートで空を飛ばれるよりは安心出来る。
「挨拶は済んだのかい?」
「うん…」
――――城には10日程滞在して、細かな取り決めや当面の行動についての話し合いを行った。
基本的に一ヶ所に長期間留まるのは避け、主に国境付近の様子に目を配る事。
年に何度かは登城し、得た情報を報告する事。
――――等々、いちいち上げれば切りがない。
それでもある程度の指針が定まり、今日、晴れて旅の空に出立する運びとなった。
僕が城の役人相手に打ち合わせをしている間、シュシュは王子達と過ごす機会も多く、それなりに親しくもなれたらしい。
無論もれなくライディーンがくっついて回ったのはお約束だ。
「――――そうだこれ。ふふ、仕上げにどうかと思ってね。プレゼントだよ」
ちょっとしたサプライズに用意していた小物を、小さな手のひらにちょんと置いてみる。
「えっ―――あ、これ!『シュシュ』だぁ!」
「うん、可愛いでしょ」
小さい頃の真珠が長い髪を飾るのに好んで着けた、布製のアクセサリー。
本名の発音にも近くて愛称の由来になった思い出のある一品。
「着けて着けて!」
「はいはい、只今―――ん、可愛い!」
低めの位置でサイドテールにした髪に淡い水色のシュシュを巻く。
「………色々覚えててくれるんだね…スォード」
「うん?それはまぁ…君の事だし」
「あたしは――――…」
涙ぐんで何かを言いかける口を急いで塞ぐ方法といったらこれしか思い付かなくて。
ちゅ。
「――――!!!」
ベリーみたいに真っ赤になって、はくはくと口を開け閉めする様子がまた強烈に可愛い。
うーん、もっとイジメてみたいかも。
「僕はねぇ、シュシュ。君が何処の誰でも―――昔の事を覚えていてもいなくても、どちらでも構わないんだ」
「………あたしが…真珠だから…?」
「『僕』が、見付けたのが『君』だからだよ」
もの問いたげにキョトリと首を傾げる仕草に、内心悶絶しながら理性を総動員して冷静を装ってみる。
「なんていうか…『私達』は―――…良い別れじゃなかっただろう?前世の夢を度々見るようになって、随分心に引っ掛かっていたんだ。最初の頃は実際にあった事だなんて思いもしてなかったけどね…。いつか自分に護りたいものが出来たなら、その時は―――何に代えても護ると決めてた」
重いだろう。
逃げる術もなくこんな気持ちを向けられて。
あまり幸せでなかったかもしれない過去の出来事なんて、全てを思い出す必要はどこにも無い。
君の事は僕が全部覚えているから。
「寧ろ君には災難かも知れないよ?――――こんな遠い所に生まれ変わってさえ、同じ相手に縛られるなんて。たまたま『僕』に出逢わなければ、いずれ違う相手を選ぶ道もあったかも知れないのに。だけど僕はもう君を手放してあげられない……」
「………っ、あたしはっ……!置いてかれて、ずっと、悲しかった。淋しくて…辛くて……――――逢いたかったよ!」
「シュシュ…」
「逢いたかったよぅ……蘇芳ちゃん…」
「うん……もう離さない」
僕は神様なんて信じて無いけど、“偶然”という名の神様ならいるんじゃないかと思い始めてる。
奇跡みたいな“偶然”の出逢い。
気付かなければそれでお仕舞いになる筈だった、廻り合わせ。
僕は、それに深く感謝を捧げたい。
腕の中に程好く収まる確かな温もりに、満たされる想い。
何処からともなく黒い翼の主が露台に姿を現し、出立を催促するように翅を揺する。
どこまでも高く蒼く、晴れやかに澄み渡る空。
「さあ、出掛けようか。――――これから君と見たいものがたくさんあるからね」
「――――うんっ!」
この手は繋いだままで往こう。
もう二度と、離れる事が無いように。
最後までお付き合い頂きありがとうございました!




