23 これを至福と呼ばずして何と呼ぶ!
バーサ自らの案内で僕らは本館から独立した造りの離れに通された。
宿は思いの外繁盛しているようで移動中何組もの宿泊客と擦れ違ったけれど、けしてそれらと正面から鉢合わせる事はなかった。
「離れは完全にプライベートが保てる造りになっておりますからね、お楽になさってくださいまし」
以前此処に来たのは7・8年前か。
騎士学校の夏期休暇に家族で来たんだっけ。
あの頃爵位返上の後始末でゴタゴタしてた家がやっと落ち着いて、久し振りに皆で顔を合わせたんだよね。
「バーサもすっかり女将の貫禄が板に付いたね」
「もう長いですからね。坊っちゃんもちょっとお目にかからない間に見違えるくらい逞しくなられて!奥様ソックリのそのお顔が肩の上に乗っかってなければ誰だか分かりませんでしたよ」
砕けた口調が懐かしい。
バーサは僕の母親が伯爵家に輿入れする際に侍女として付いてきた女性で、今でも身内同然の存在だ。
「そちらのお嬢様の身支度に人手が必用でしたらお申し付けくださいまし。誰か人を寄越しましょう」
「それなんだけど―――――」
自分達の事は自分でするからなるべく離れには人を近付けないで欲しい、と頼むとバーサは何も聞き返したりせず心得た風に了承してくれた。
シュシュの酷く人見知りする様子から何か事情が有るものと察したようだ。
「坊っちゃんは昔から小さな方にはお優しかったですからねぇ―――――」
その後、手際よくお茶の支度を済ませたバーサは「また後程御用を伺いに参ります」と言って下がり、離れは完全に僕とシュシュの二人だけになった。
普段人目に囲まれるような生活をしてるから、こういうのはちょっと新鮮だ。
「シュシュ疲れたよね?馬車の中ではずっと緊張し通しだったし…」
おいでと手招きをすればシュシュはソファの端からソロソロと身を寄せて、すぐ傍までやって来る。
「なぁに?」とでも言いたげにちょこんと首を傾げる仕草に鼻血を吹かなかった自分を褒めてやりたい!
やばー…。なんかもう、末期なんですけど僕。
取り敢えずシュシュは定位置(膝の上)に。
あああぁ……癒される。
朝っぱらからムッさい中年と殺りあった疲労感もコレで相殺されるというもの!
腕の中にシュシュを抱き込んだままパタリと後ろに倒れ込めば、丁度良く肘掛けの部分に凭れる形で収まった。
胸の辺りが子供の体温でじんわりと温かい。
「……このまま昼寝しちゃおうかな」
小さな身体をゆるゆると撫でていると、ケープの下の翅が存在を主張するようにピクリと動いて、少し驚いた。
何だか気持ち良さそう?
シュシュはうっとりと目を閉じて、猫なら今にも咽を鳴らしそうな感じだ。
「ふふ…可愛い……」
結局僕らは二人揃ってそのままソファで寝入ってしまい、夕食の時間を知らせに来たバーサに呆れ顔で起こされるまで、ペタリと密着した状態だった。
バーサ曰く、“猫の親子を見ているようでございました”とのこと。
――――――不純な動機での連れ込み疑惑は晴れたみたいだけど………親?
23にして思春期の娘を持つ父親とかヤメテ。
せめて『兄』でお願いします……。




