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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一七章 闇夜の海戦、まやかしの戦い
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一一一 メジュロ環礁沖海戦


 「通信より艦橋。警戒隊司令部より命令電入電。『突撃せよ』以上です!」

 帝国海軍第三水雷戦隊旗艦、軽巡洋艦「最上」の戦闘艦橋に第一警戒隊、すなわち第三戦隊司令部からの命令が飛び込んできた時、「最上」以下指揮下の一二隻の夕雲型駆逐艦は揃いも揃って速力を落としていた。

 「艦長より電測、敵の位置及び動き報せ」

 「最上」艦長の田原吉興海軍大佐がどこか戸惑ったようにまずそう言うと、電測室のみならず見張り所と通信室からの報告が連続して飛び込んだ。

 「見張りより艦橋。『雄物』直進に戻ります。一五戦隊各艦、本艦前方に占位完了です」

 「電測より艦橋。敵戦艦一番艦、本艦より左一七度、距離二二〇(二万二〇〇〇メートル)、針路二〇〇度。敵巡洋艦一番艦、本艦より左一九度、距離二一〇、針路二四〇度」

 「通信より艦橋。一五戦隊司令部より入電。『我、ただ今より貴隊の統制下に入る』以上です」

 「ふむ、ひとまず戦艦は高柳に任せるとしよう。戦隊針路一〇五度、各艦回頭後最大戦速。左砲雷戦。敵巡洋艦の頭を押さえるぞ……艦長、とりあえず一番艦に照準を合わせておいてくれ」

 と、第三水雷戦隊司令官の木村昌福海軍少将が瞬間的にお互いの位置関係を頭に描き、海軍兵学校の同期だが卒業成績で上を行く第一警戒隊先任司令官兼第三戦隊司令官の高柳儀八海軍少将からの命令より、タイミング的にはむしろ早い段階で命令を発する。

 早い話、木村と第一五戦隊司令官の伊崎俊二海軍少将は独断専行を、つまりとやかく言われる前に言われるであろうことを勝手に実行していたのである。

 彼等の行動は「最上」と第一五戦隊旗艦の軽巡洋艦「沙流」との間の無線電話で取り決められ、敵艦隊が何をしでかすのか分からない内に第一五戦隊が第三水雷戦隊の前方に黙って移動を開始するというある意味での抗命行動ではあったが、戦闘が開始され敵艦隊もまた突撃して来る今になってみれば中々の好判断であると言える。

 田原はそんな木村に返事を返しながら、初めは「何と不親切な」と思った命令もまた、実は叩き上げの水雷屋である木村のことを信頼してのことだと、遅ればせながら気が付いた。

 いわゆる小さな親切大きなお世話、というやつである。高柳は高柳で独断専行のことはともかく、余計なことを言わずとも木村が自分の仕事をきちんと成し遂げると分かっていたのだろう。

 「面舵一杯、本艦針路一〇五度!」

 第三戦隊の二隻の信濃型戦艦が方位一六〇度方向に向かって、闇の中を白波を掻き分けて行く姿を右に眺めながら、二つ前を行く軽巡洋艦「夏井」の影が、前を行く「雄物」の右側にはみ出すのを確認すると田原はそう下令する。

 命令は航海長を経由して操舵長に伝達され、針路を九〇度にとっていた「最上」はその艦首を右へと振っていく。

 「本艦速力三五ノット、左砲雷戦。目標、敵巡洋艦一番艦!」

 そして右方向への一五度の回頭を終えて艦が直進に戻るや、田原はすかさず新たな命令を機関長、砲術長、水雷長に発する。

 一足先に加速を開始したため離れていく「雄物」の後を追いかけるように機関の鼓動が高まり、艦橋前部に据えられた二基の三年式五〇口径一五,五センチ連装砲塔が、砲身をもたげながら左側へと旋回していく。

 ところで、回頭により目標たる敵巡洋艦一番艦の相対的な位置は、左三五度に移動している。

 そのため艦橋からは見えないが、艦中央部付近の二基の九二式四連装魚雷発射管や、後部の二基の主砲塔も目標をギリギリ射界に捉え睨んでいるだろう。

 「敵戦艦発砲!」

 すると、見張り員の報告と同時に闇の彼方に閃光が走り、合衆国海軍新鋭戦艦の特徴であるまるで中世の教会の尖塔のような艦橋と二本煙突の影が小さく浮かび上がる。心なしか、艦の長さがこれまでのそれと比べて長いようである。

 「敵巡洋艦発砲!」

 「……『沙流』『入間』『夏井』目標、敵巡洋艦二番艦。『雄物』『最上』目標、敵巡洋艦一番艦。『沙流』及び『入間』は『沙流』指揮下に統制射撃。他艦は単独射撃。一五戦隊各艦は電探測距、『最上』は光学測距を用いよ。砲撃始め」

 「艦長より砲術、光学測距いけるか? ……うん、よし分かった。主砲、砲撃始めッ!」

 始めはまったくの闇夜だったこの海域も、今ではほんの微かな雲の切れ目から、普通の人間ならまだ闇夜だと思う程度の星明かりに照らされている。

 ぼやぁとしているのかさえ疑わしい艦影と瞬間的に明滅する発射炎を測距儀で捉えて距離と方角を弾き出す。夜戦が御家芸の帝国海軍の砲術科員にとって、不可能なことではない。

 だが田原は、確認をして彼等の確約を得た上でなければ命令を出せなかった。

 表情一つ変えることなく悠然と佇む木村に比べ、自分は何と気の小さい男であろうか。田原は自己嫌悪と木村を尊敬する気持ちがない交ぜになった、奇妙な感情を抱えながら表情だけは艦長のそれに戻す。

 さて、「沙流」以下の吉野型軽巡洋艦“後期型”四隻からなる第一五戦隊は、現在は第二南遣艦隊司令長官を務めている三川軍一海軍中将の指揮下にかつて第八艦隊を編成してインド洋を暴れ回り、その後日英講和を受けて本土に帰還し、整備点検のため入渠したドックでついでにとばかりに電探や射撃指揮装置を半ば試験目的で全て新型に総取り替えしている。

 もっとも、これらの新型装置を使っての実戦経験は当然無い。

 そこで、大胆にも木村は“実地試験”に乗り出したのだ。

 工廠の技術者共や赤レンガの中の連中は、書類を見てただ無邪気にはしゃいでいるが、果たして同型艦同士で目標の位置情報を共有して射撃することは、自分が得た情報だけで射撃することに比べてどれだけ有効なのか。そもそも電探測距単独の射撃はどこまで有用なのか。

 来年の海軍記念日……五月二七日に行われると言われている、来るべき決戦に備えた帝国海軍の大規模な編成換えと人事異動の際、木村は帝国海軍の水雷屋なら誰もが憧れる第二水雷戦隊の司令官、もしくはその際に全艦揃っているかは微妙だが、新鋭の葛城型重巡洋艦四隻からなる戦隊の司令官に就くだろうというのがもっぱらの噂である。

 また、太平洋戦争の勃発よりおよそ一年を鳥海型重巡洋艦「足柄」艦長として過ごし、海軍少将に昇進の上で臨んだハワイ攻撃の後の人事異動において、海上護衛総隊参謀長という抜擢人事……兵学校の同期だが、少将昇進が二年も早く今や海軍中将の松永貞市連合艦隊参謀長と同格……を受けたものの、実状は決戦の際海護総隊の艦艇が連合艦隊に“出向”する時や、万が一輸送船団が敵の水上部隊の襲撃を受けた時に備えた戦闘訓練や、通常の護衛任務の際の艦隊運動の訓練にのみえらく熱心で、参謀長として他の参謀達を纏めることすら……司令長官の人柄から実際に不要だという見方もあるが……無関心であったという。

 であるからして、木村は気が済まないのである。自分自身が実際に使ってみて成果を自分自身で確認しない限りは……

 「『沙流』より入電。『我、砲撃を受く。敵弾は二〇センチ級と認む』……『入間』及び『夏井』、『雄物』よりも同文入電!」

 「『出雲』及び『越前』、撃ち方始めました!」

 見張り員の報告と同時に右斜め後ろを行く第三戦隊の発射炎に艦橋内が照らされ、一トンを超える重量を持つ八発の直径四一センチの砲弾が空を圧して駆け抜けたかと思えば、反対側からよく似ているが微かに違う重々しい飛翔音が駆け抜ける。

 「後部見張りより艦橋。『出雲』左舷前方及び『出雲』と『越前』の中間海面に三本ずつの水柱を確認!」

 「甘いですな。敵さんの戦艦、特に二番艦の照準は」

 「まぁ、我々も三戦隊も人のことは言えんよ。問題はいかに素早く修正するかだ」

 彼我の戦艦同士の間には直線にして約二万メートルの距離が横たわっている。

 電探の言う情報が完全なものであることは、この時点での技術力を見ればまるで期待出来ないことだし、砲口初速が音速の二倍を優に超える一トン級の物体が、これだけの距離を踏破するまでに受ける途方も無い空気抵抗は計算出来ても、存在することだけは確かな気流の影響をどれだけ受けるかなど分かったものではない。

 近接戦闘ならいざ知らず、暗闇の中この距離で初弾命中などおきたら、その弾を撃った艦の砲術科員達は超の付く天才集団か超の付く強運集団のいずれかだ。

 第一、第一五戦隊各艦の報告からしていかれている。

 間違い無く信頼出来る事前情報によれば、敵の重巡洋艦は全部で三隻。にも関わらず四隻の艦が「重巡に撃たれてます」と言うということは、実際には狙われていないのにあたかも狙われているように、勘違いしている艦が一隻だけいるということだ。

 飛んで来た敵弾が噴き上げた水柱は、さぞ微妙かつとんでもない所に現れたに違いない。

 とは言え、闇に慣れてきた田原の両目におぼろげながら映る敵艦の周囲に自分達が噴き上げている水柱の姿は、目を凝らしてようやく映る程度だ。

 艦橋トップの砲術科員はきちんとタイミングを計って、「雄物」の水柱と「最上」の水柱を区別しながら修正作業に勤しんでいるわけだが、弾着観測機や吊光弾の無い現状では、やはり方位測定の精度が大幅に改善された艦橋トップの三式三一号電探を用いた測距の方が正確なのではないか。本艦も電探だけは「出雲」や「越前」よりも先に更新したのだから……

 と、田原がある意味不気味な感想を抱くなか、戦況は着々と動いていく。

 「『雄物』より入電。『先の報告は誤りなり。我を襲う敵弾無し』いじょ……続けて『夏井』より入電。『我、敵二番艦を挟叉せり』以上です!」

 声の調子が幾分上がった通信室からの報告に、田原は懐中時計を取り出して時間を確認する。

 「雄物」が勘違いに気付くまでやけに時間がかかったことは置いておくとして、「夏井」は交互撃ち方を一〇回しない内に電探測距により挟叉弾を得た。

 何はともあれ、次からは弾着修正の必要性が著しく減った八発の一五,五センチ砲弾が約七秒おきに敵巡洋艦二番艦を襲う。主要防御区画の装甲板には跳ね返されても、弾量の多さで挽回出来る部分もある。

 「『雄物』より入電。『我、敵一番艦を挟叉せり』以上です」

 「……どう見ます司令官?」

 「……理論上は観測情報を複数艦で共有しとる統制射撃の方が、より正確な砲撃を行えるというのはまぁ理解出来るが、現実は改良の余地がやたら多いということだよ。しかし敵さんもだらしない。良いことだが未だに命中も挟叉も無いとはね」

 「電測より艦橋。敵巡洋艦一番艦取舵に転舵! 針路一七〇度……二番艦以降続行します! 本艦より左四五度、距離一一〇」

 「ほほう、敵さん距離を詰めに来たか」

 電測室からの報告を再び素早く頭に描いた木村がつぶやく。

 敵艦隊が選択した針路はちょうど、目標に対する方位角を維持したまま距離だけ詰められるものである。

 敵の司令官が砲弾の無駄使いを嫌ったのか、はたまた時間を惜しんだのか、一気に接近戦に持ち込むつもりのようである。

 ――この転舵により、有効弾を得て一斉撃ち方に移行していた「夏井」と「雄物」は、普通ならもう一度交互撃ち方に戻す羽目に陥いる所なのだが、両艦の艦長はあえて一斉撃ち方を継続する手に出た。

 測距儀を用いての光学照準の場合と違って、最新型の電探を照準に活用しているため彼我の距離や敵艦の位置、速力、針路等の算出に要する時間が大幅に短縮されると共に、正確さもより増している。さらにこれまでの砲撃でこの海域の大気状況もある程度把握できているため、慎重に狙い撃つよりやや大雑把でも数で捻じ伏せるという、およそ帝国海軍らしくない戦い方を彼等は選択したのである。

 「電測より艦橋。敵巡洋艦一番艦取舵に転舵、針路二〇〇度……以下続行します。本艦より左四五度、距離七〇!」

 「戦隊針路一六〇度。三水戦各艦は回頭と同時に魚雷発射」

 「艦長より水雷。本艦魚雷発射用意! 敵巡洋艦を狙え」

 距離七〇〇〇メートル。魚雷の必中を期すにはやや遠い。

 だが、あまり待ってもいられない事情もある。

 すなわち相手に新鋭重巡洋艦三隻が含まれ、その後ろに水雷戦隊の旗艦であろうアトランタ級軽巡洋艦が続いているのである。

 遮二無二突っ込んでいる間に、主要防御区画をも容易に貫通しかねない八インチ砲弾を被弾するわけにはいかないし、五インチ砲弾の雨を浴び続けるのも頂けない。

 距離が急速に縮まっていくなか、統制射撃を行っている「沙流」と「入間」もようやく有効弾を得て、一足先に敵巡洋艦二番艦を主砲散布界に捉えていた「夏井」と合わせて、単純計算で一分につき一七〇発余りの一五,五センチ砲弾を浴びせていった。

 流石は新鋭艦だけある。と木村に感嘆の声を上げさせた程の重巡洋艦とは思えない防御力を発揮して、帝国海軍の三隻の新鋭軽巡洋艦よりの集中豪雨をものともせずに、「入間」の三番主砲塔を一撃のもとに爆砕して後部艦橋を叩き折り、艦中央部の水上偵察機“瑞雲”とカタパルトを吹き飛ばすまではいったが、そこまでが彼女の限界だった。

 三隻の九七式六〇口径一五,五センチ主砲から弾き出される三桁単位の砲弾は、敵巡洋艦二番艦が自ら距離を詰めれば詰める程、被弾が嵩んで被害が増せば増す程、より高速で着弾する。

 物理学の初歩知識であるが、物体の運動エネルギーはその物体の質量の二分の一に、速度の二乗をかけて導き出される。

 要するにただでさえ高初速で撃ち出されるため、もはや弾のサイズ、重さが関係なくなってきていたのである。強い個の力は時として、弱い集団の力に負けるのだ。

 ここで「沙流」と「入間」は統制射撃を維持したまま、敵巡洋艦一番艦を砲撃する「雄物」と「最上」の砲弾の軌道と交差角を変化させて敵巡洋艦三番艦に、「夏井」は四番艦たるアトランタ級にそれぞれ目標を変更している。

 砲撃戦は明らかに日本側に有利だが、それを一息にひっくり返せる力を彼等は常に持っている。そんなことをされるより、多少確率は低くとも止めを刺すべきだと言う発想なのだ。

 その一方で、彼我共に新たな落伍艦が出ないなか魚雷発射命令を出したものの、第一五戦隊が各々の魚雷発射管に収めた合計三二本の魚雷に関してはまだ使わず温存するつもりらしい。

 「面舵一杯、本艦針路一六〇度……魚雷発射始めッ!」

 アトランタ級から放たれる直径一二,七センチの砲弾の雨の中をひた走り、すでに何発か被弾しているものの戦闘には何らの支障も出ていない「最上」は例によって「雄物」の引く白い航跡をなぞるように右方向に曲がると、この時を待っていた水雷科員達が八本の直径六一センチの九三式酸素魚雷を圧搾空気によって扇状に撃ち出す。

 戦闘艦橋にあって前方に視線を向けている田原にその様子は見えないが、代わりに彼は懐中時計を取り出して時刻を確認した。日本標準時、一九時三六分。

 「水雷より艦橋。本艦魚雷発射完了。命中まで四分半!」 

 「通信より艦橋。『夕雲』より入電。『六駆、魚雷発射完了。我、次発装填作業開始せり』……『巻波』よ……『村雨』よりも同内容文入電!」

 「一五戦隊司令部宛て、命令。『攻撃より回避を重視せよ』以上だ」

 「艦長、少しずらしてくれ。ぶつかったらえらいことだ」

 「分かりました。面舵五度、後続艦に信号。『我に続け』」

 敵の重巡洋艦は二隻。

 第三水雷戦隊に先行する第一五戦隊の一番艦「沙流」と二番艦「入間」が事実上二番艦となった敵巡洋艦三番艦を、四番艦「雄物」と第三水雷戦隊旗艦の「最上」が敵巡洋艦一番艦を、三番艦「夏井」が事実上の三番艦となった敵巡洋艦四番艦をそれぞれ砲撃するという、いささか奇妙な目標選定を行っている彼等は今、「沙流」と「夏井」の周囲にやや大きめの水柱を、「雄物」と「最上」の後ろを行く第六駆逐隊の司令駆逐艦「夕雲」の周囲にやや小振りかつ多めの水柱を、その他一一隻の駆逐艦の周囲に小振りの水柱をまといながら敵艦隊と同航戦を戦っている。

 状況的に、一番危ないのは格上の敵艦と戦っている「沙流」と「夏井」だ。実際、「沙流」は敵艦隊の変針前に被弾しており、煙突が吹き飛ばされている。

 そして第三水雷戦隊が闇夜に放った魚雷は全部で一〇四本。本音としてはもっと近付いてから撃ちたかったのだが、過去の戦訓や距離から考えて一割を超える命中魚雷が出る可能性もある。少なくとも魚雷と予算の無駄遣いはしていない。

 もっとも、魚雷発射の命令を出した木村の本心としては、敵が海中を疾駆する魚雷の存在に気が付いて回避行動をとって命中率が下落しても構わないと思っている。

 回避行動をとれば、確実に砲撃精度は落ちる。つまり味方艦の危機はひとまず去るし、自分達に与えられた最低限の任務たる“敵の魚雷から味方戦艦を守る”ということは達成される。魚雷さえ撃ち込まれなければ、衰えたりとは言え攻防力に勝る「出雲」や「越前」が危機に陥ることは無いだろう。

 「砲術より艦長。敵巡洋艦一番艦に命中弾を確認!」

 「よしッ! 主砲、一斉撃ち方!」

 やっときたか! と言わんばかりに田原は叫ぶように発令する。前を行く第一五戦隊の派手な射撃に目を奪われていたためか、半ば自分の艦の射撃状況が頭から飛んでいた感のあった田原だが、いざ命令してみるとその発射間隔の長さに唖然とした。何やかんやで旧式の三年式六〇口径一五,五センチ砲なのである。

 ――至近弾が撒き散らす砲弾の断片から内部の砲術科員を守れる程度の、本当にそれだけの装甲板と言うよりささやかな盾しか有していない三年式の四基の連装砲塔の内の一基……最後部のそれがアトランタ級軽巡洋艦から矢継ぎ早に放たれる五インチ砲弾の直撃を受けて砲塔や砲身のみならず担当要員をも一撃の下に吹き飛ばされ、それだけに止まらず装填待ちの砲弾にまで引火して派手な火柱を噴き上げた時、反射的に砲塔直下の火薬庫への注水と消火及び救護要員の派遣を命じた田原の手に丁度握られていた懐中時計の長針は“Ⅷ”を示していた。

 「艦長、もう少しだ。もう少し」

 そう言った木村の右手にも懐中時計が握られている。魚雷の到達時間までもう一分さえ無い。

 「見張りより艦橋。『出雲』後部に被弾!」

 「了解」

 間髪入れずに入った報告に、田原は感情のこもらない返事をただ義務感によって返した。

 先手を取られたとは言え第三戦隊の信濃型戦艦が砲撃戦に破れることなど、数的不利に陥らない限りあり得る話ではない。今回は同数の対決であるから自分達が敵の魚雷から守ればそれで良い。

 二〇年近くに渡り帝国海軍最強の戦艦として、彼女達が帝国海軍の将兵達に与えてきた安心感のようなものは、航空機の台頭により海軍航空隊の大拡張が行われているこの時点においても健在なのだ。

 「そろそろかな?」

 だから第三戦隊よりも、自分の艦のほうがよっぽど危ない。

 そう信じて疑わない田原は三度懐中時計を手にとって、先程発射した魚雷が命中する瞬間を見届けるべく身を乗り出した。

 「電測より艦橋。敵水雷戦隊中の数隻がばらばらに面舵を切ります!」

 「『出雲』、艦橋に被弾!」

 敵艦が彼等に迫り来る魚雷の存在に気が付いた。だが魚雷に対する対抗面積を極小化すべく転舵を始めた艦は一部であり統制も執れていない様子である。

 そんなことでは一部の艦の回避は成功しないだろうし、敵の単縦陣が崩れたということは魚雷の脅威が消えた後の砲撃戦において、陣形が綺麗に維持されているこちらの方が圧倒的に有利になるということだ。

 ある種の余裕のようなものが一瞬心に芽生えた田原は、二番目の報告を自分の目で確認するため右斜め後ろに視線を移した。

 しかし視線の先の巨大な水柱が崩れ去った後、艦上を踊る火炎に照らされた「出雲」を目にした田原は、そして木村もまた、予想外の光景に言葉を失ったのであった。



 合衆国海軍第五一・三任務群旗艦、戦艦「ニュージャージー」の放った重さ約一,二トンの一六インチ重量弾が帝国海軍第一警戒隊及び第三戦隊旗艦、戦艦「出雲」の水上機整備甲板に命中し、夜間戦闘機の存在から出撃する機会を逸していた新鋭水上偵察機“瑞雲”や射出用カタパルトその他諸々を吹き飛ばしたとき、同艦の夜戦艦橋に詰めていた帝国海軍の将兵の面々は比較的落ち着いていた。

 航空兵装を失ったことは痛いことに変わりは無いが、この状況下では充分許容範囲内の損害だ。

 外れ弾の吹き上げる水柱の大きさから、敵がより威力の高い重量弾を使っていることは既に判明していたが、最大厚三九〇ミリの舷側装甲や同じく五六〇ミリの主砲塔正面防盾を抜くには、彼我の距離が足枷となってまだ足りないと思われていた。

 これを抜くにはもっと接近して着弾時の速度を稼ぐか、逆に遠ざかって大落下角弾による甲板装甲の貫通を図るしかない。

 しかしもし敵が前者を選択した場合それは諸刃の刃だ。接近すれば命中率と威力が上がることは自明だが、同時に「出雲」の命中率と威力も上がり、額面上の攻防力で劣るアイオワ級には不利だ。そして後者を選択すれば命中率の低下を甘受しなければならない。

 どっちにしろ、敵艦隊は頃合いを見て取舵に転舵するはずだ。さもなくば、互いの針路のなす角が四〇度である現状がそのまま維持され、戦いは接近戦となる。

 「艦長より砲術。敵に負けるな、しっかりせい!」

 そんななか、「出雲」艦長森下信衛海軍大佐が艦内電話の受話器に向かって怒鳴り込む。

 無論森下は艦長として、「出雲」が搭載する零式三二号電探の方位測定の精度がやや甘いということは分かっている。また二年程前のウェーク島沖海戦に於いて実証されたように、主砲弾の散布界が必要以上に狭過ぎると言われていることも知っている。

 しかし、手数の劣る敵に先手を打たれたことは艦長として不愉快なことである。

 別段人のことは言えないが、電探射撃でも交互撃ち方を選択していた敵艦から次は一時に九発の敵弾が飛んで来て、ほぼ確実に一発は命中し艦体を傷付ける。

 そうすると本土に帰ってからの修理費が嵩み、なおかつ修理に時間がかかればその分訓練時間が削られる。そして何より被弾すればするほど、死傷する部下の数が増える。そのようなことはあってはならない。

 ……などと森下が一人考えているなか、「ニュージャージー」の第一斉射弾が大気を切り裂きながら殺到してきた。

 結果を単純に言えば、二発が命中した。何の因果か、一番命中してほしくない場所にである。

 その時森下の右手は、まだ進行方向向かって右後ろの艦内電話の受話器を握っており艦橋の端に立っていた。

 だからこそ激烈な震動が唐突に襲ってきた時、近場にあった突起物にしがみついて体を何とか支えることが出来た。

 無意識の内に頭をすぼめ目を閉じていた森下の耳に、艦橋の防弾ガラスの内の何枚かがいとも容易く砕け散る音や第三戦隊司令部要員や部下達の絶叫が響く。

 さらに一呼吸遅れて左腕に鈍い痛みを覚え、頭上から得体の知れない巨大な倒壊音が押し寄せてきた段階で、森下は艦長としての責務をようやく認識した。

 「ひ、被害報告、急げぇ!」

 「救護班は大至急夜戦艦橋へ! 負傷者の救護急げ!」

 艦内電話の受話器を握り直して全艦放送のスイッチを入れ、連続的に森下がごく当たり前の指令を発するや、まだ一部有線電話に切り換えられずに残っていた伝声管の内、後部艦橋トップの予備射撃指揮所からの直通伝声管から上ずった声で報告が飛び込む。

 「よ、予備射撃指揮所より艦橋! 昼戦艦橋付近に被弾しそこから上が吹き飛んでいます! 射撃指揮所全滅の模様につき、主砲の射撃管制はこちらで行います!」

 そしてこの報告により、森下は自分の艦を襲った災厄をようやく理解した。

 要は、まず一発が夜戦艦橋直下、艦橋基部側面の厚さ四九〇ミリの装甲板に命中し、巨大地震の如き揺れと貫通ギリギリの大きな凹み、その上にある夜戦艦橋のガラスを割った弾片を置き土産に海中に跳ね返され、その直後に振り子のように揺れていた艦橋の上部に二発目が命中し、大正年間に竣工したときから変わらない艦橋を支える鋼鉄の支柱を何本か叩き折るか何かして、戦艦にとってほぼ必要不可欠な射撃指揮所を艦体から切り離してしまったのだ。

 「吹き飛ばされた」と言うより「もぎ取られた」と言った方が表現としては正しいのかもしれないが、どっちにしろ戦艦の射撃指揮所に詰めることを許された特別優秀な砲術科士官や、海軍入隊以来「出雲」以外の艦に配属されたことが無いような叩き上げの一級のベテラン下士官達が一時に吹っ飛んだことに違いはない。

 「出雲」はその頭脳を失ったと言っても過言ではない損害を被ったのである。

 また命中箇所から、もし今が昼間だったら森下自身もまた吹き飛んでいただろう。

 先程の叱咤が、射撃指揮所の要員に対する最後のそれになってしまったことに愕然としながらも、艦の中枢神経が辛うじて生き残ったことに微かに覚えたな安堵感は、敵陣に突入するかのように雪崩れ込んできた救護班員の持つ懐中電灯に照らし出された夜戦艦橋の光景によってたちまち掻き消された。

 「し、司令官?!」

 自分の左腕を襲ったものの正体ははっきりしている。一発目の弾着の衝撃と飛び散った弾片に叩き割られた防弾ガラスの破片だ。

 問題は、破片が艦橋内を正面向かって左から右へ飛んできているということだ。その途中に人間がいればどうなるか、答えは明らかだ。

 そして高柳はその時、司令官用の椅子に腰掛け両手は共に肘掛けに預けていた。

 しかしその体勢でも揺れに耐えることは叶わず、一言で言えば椅子からずり落ちていた。

 そこへ破片が、それもやたら厚い破片が吹き付けたのである。

 森下が慌てて駆け寄った時、身体の正面向かって左側ばかりをガラス片に抉られた高柳はその至るところから血が流れ出しており、気味悪く湿った軍服はピクリともしない。

 所々に散らばるガラス片を踏み潰してさらに近寄った森下は、恐る恐るその左耳を高柳の口元にあてる。

 すると微かな吐息が確認出来たがそれ以上は何もない。明らかに気を失っているし、このまま放置すれば確実にあの世だ。

 そしてそんな夜戦艦橋内のことなどお構い無しに第二斉射弾が着弾し、一発が第一砲塔正面防盾に命中して見事に跳ね返され、残り八発が「出雲」を囲むように水柱を噴き上げ、水中爆発の爆圧で水線下を痛め付ける。

 「艦長、腕の治療を……」

 「構わん! 包帯貸せ、自分でやる。それより司令官だ!」

 そう言って駆け寄って来た救護班員から包帯をひったくった森下は、高柳が慎重に運び出されて行くのを横目に見ながら、止血出来れば今は良いとばかりに無造作に包帯を左腕に巻き付ける。

 まだ戦える。予備射撃指揮所が陣取る後部艦橋には予備の測距儀と予備の電探アンテナがついている。多少精度は落ちるにしても、これまでの砲撃で得られた諸々の情報は予備射撃指揮所も持っているはずだ。

 「予備指揮所より艦橋。先の被弾で予備の電探アンテ……」

 「……おい? どうした!? 応答しろ!」

 と、第三斉射弾が落下してくるさなか入ってきた報告が、着弾及び命中と同時に途切れる。

 「副長より艦長! 後部艦橋被弾! 詳細は不明ですが……」

 「第三砲台長より艦長! こ、後部艦橋上部に被弾! 予備射撃指揮所全滅の模様につき、至急こちらで管制を引き継ぎ射撃を再開します!」

 ……信濃型戦艦はまだまだ貧乏な日本の戦艦だけあって、そう簡単に沈まないようにやたらと厚い装甲板を貼るだけでなく、そう簡単に戦線離脱しないよう主砲の射撃管制については予備の予備のそのまた予備まで用意してある。

 つまり、砲術長の陣取る射撃指揮所に何かがあれば、高角砲担当の第二分隊長の陣取る後部艦橋トップの予備射撃指揮所が任を引き継ぎ、さらに予備射撃指揮所に何かがあれば主砲担当の第一分隊長の陣取る第二もしくは先任砲台長の陣取る第三砲塔下に設けられた、簡易な指揮所が指揮を引き継ぐことになっている。

 大改装の折り、主砲を新型の五〇口径砲に切り替えると同時に、連装砲塔だった第一と第四砲塔を三連装砲塔に換装するため、信濃型戦艦はその横幅が竣工時と比べて一様に太くなり、安定性をより増すと共に前々から三連装砲塔であった第二及び第三砲塔の部分に余剰スペースが生じ、そこを活用して四基の砲塔の簡易な管制装置が据えられたのだ。

 ただし、もう電探測距は出来ないし砲塔に取り付けられた光学測距儀は、その高さが低くて単独では精度に疑問符が付く。さらに、破壊され易い。

 結論として、命中率は大きく下落したと言って良い。

 「何てこった、一体何だっていうんだ!」

 「艦長! とにかく今はこの状況を何とかしませんと!」

 まるで悪霊に憑かれたかのような被弾状況に、思わず自暴自棄になりかけた森下は、こちらは頭に傷を負ったらしい第三戦隊の首席参謀、山田盛重海軍中佐の声で我に帰った。

 司令官たる高柳が負傷により指揮不能となった現状において、第三戦隊の先任指揮官は誰あろう森下なのだ。

 「あぁ、すまん。艦長より通信。通信機は生きているか?!」

 「空中線が片っ端から切られて長距離無線は駄目ですが……隊内無線なら何とかなります!」

 「よし、三水戦司令部宛て通信。『一警の指揮は貴隊に委譲す。三戦隊の指揮は“出雲”艦長が代行す』以上!」

 「『越前』より信号。『我、敵二番艦後部砲塔を爆砕せり』……続けて『我、挟叉弾を受く』以上です!」

 「……面舵一杯! 戦隊針路二一〇度! 『越前』は一斉撃ち方を継続せよ!」

 三水戦の司令官はあの木村さんだ。時間さえ稼いでおけば何とかしてくれる。

 というそれはそれは他人頼みな方針を打ち立てながら、森下は戦隊指揮官代行としての最初の命令を発した。

 しかし例によって舵の効きはすこぶる悪く、転舵命令を出してから艦首が右へ振れるまでに第四及び第五斉射弾が降り注ぎ、第六斉射弾が今まさに着弾するかという瞬間に「出雲」は旋回を開始し、九発の一六インチ砲弾は全て海中に没した。

 「第一分隊長より艦長。主砲射撃準備良し!」

 「了解、交互撃ち方にて砲撃始め!」

 はっきり言って、森下はこの予備の予備に期待はしていない。

 闇夜の中、まともな観測情報が得られるとは思えないからだ。

 それならば、既に命中弾を得て情報を豊富に持つ「越前」のように戦うのは戴けない。発射間隔を犠牲にして行う斉射は、敵艦を散布界内に捉えてほぼ確実に命中が望めるからするのであって、望めないのなら矢継ぎ早に射弾を撃ち込んで敵艦を牽制し、「『出雲』健在なり」と、内外に示せれば御の字という発想なのだ。

 というふうに、まさか艦長に期待されていないとは夢にも思っていないであろう主砲から、およそ一〇秒毎に四発ずつの四一センチ砲弾が放たれる。

 反対に回頭によって狙いを外された敵戦艦は「越前」同様斉射を継続し、三回の空振りの後「出雲」の破壊された水上機整備甲板をさらに抉った。

 やはり距離に限っては正確な電探射撃は、最初から斉射で畳み掛けるべきではないか。本艦も電探を更新していれば出来たものを……なぜ敵もやらんかったのだろうか? まぁ良い。付き合ってもらうで米海軍!

 「取舵一杯! 戦隊針路一四〇度! 機関そのまま、全速を維持せよ!」

 そう闇の彼方を見つめながら思い、叫んだ森下は、回避行動の定石の一つである急加減速の繰り返しをするつもりはなかった。

 もとより、急回頭により速力は大きく落ちている。これを元に戻すだけで一苦労であり、そもそも急加減速や転舵の繰り返しによる回避行動は戦艦にはむいていない。五桁の排水量を持つ艦が、一ノット加速するのに要する時間は出力を六桁の値まで振り絞ったところで、一分や二分の話ではないからだ。

 「第一分隊長より艦長。敵艦隊取舵に転舵……針路は……一六〇度です!」

 さて、測距儀だけを用いて敵の針路を弾き出すためには、何度も何度も計測しそれらの相違の程度から計算して導き出さなければならない。

 敵艦であろうと味方艦であろうと、果てには陸地であろうとその位置情報を知るのにもっぱら電探を使い、使い過ぎて慣れてしまっていた身には、光学測距単独による位置計測にかかる時間がもどかしくてたまらない。

 「艦長より通信。近距離無線は使えるんだったな!?」

 「は、はい。音質は保障できませんがやり取りに支障はありません!」

 「よし、『越前』の電測室と本艦の夜戦艦橋の間、それから『越前』の夜戦艦橋との間に直通回線を繋げるか?」

 「やれます、少し時間をください!」

 「急いでくれ、頼んだぞ!」

 現在の海戦に電探は不可欠の要素だ。しかし「出雲」のそれは消え去っている。ならば「越前」のそれを使えば良い。

 ……とは言っても、「第三戦隊の指揮権を猪口(海軍大佐、猪口敏平『越前』艦長)に委譲しよう! 奴は海軍兵学校の一年後輩だが今は非常時だ」という選択肢が初めから塗りつぶされていたことは、年功序列制に凝り固まった帝国海軍の限界とも言える。

 「……通信より艦橋。とりあえず昼戦艦橋との回線を『越前』電測室、射撃指揮所との回線を同夜戦艦橋と繋ぎ変えました。試験はまだですが……」

 「構わん、よくやってくれた……『越前』電測室、こちら『出雲』艦長。応答せよ」

 「こちら『越前』電測室です。感度良好です。敵艦隊の現在位置、本艦より左四五度、距離一二〇です。針路は一六〇度、速力三〇ノット程度と見積もられます」

 「了解した! これからも敵の位置に関して逐一報告を入れてくれ……『越前』艦長、こちら『出雲』艦長。応答せよ」

 「こちら『越前』夜戦艦橋、感度良好です。森下さん、ご無事でしたか!?」

 通信室の連中が送信出力を最大値にでもしたのか、すこぶる鮮明に飛び込んできた『越前』電測室からの報告をネタに思考しつつ、森下は猪口に対してすでに考えてあった指示を伝える。

 「こちらは高柳司令官が重傷を負われた。射撃指揮所も予備も壊けて主砲の命中率もまるであてにならへん。そういうわけやから、こちらは敵一番艦に対する牽制と攪乱に徹するつもりだ。猪口、貴様は二番艦を仕留めつつ、ちゃんと着いてきてくれよ!」

 「了解です。早いところ二番艦を潰して、『出雲』の援護に回りますからご安心を」

 艦の中枢をやられたが故、どうしようもないのだ。出来ることを淡々とこなすより仕方がない。そしてやられていない「越前」を見る限り、どうしようもなくならなければ信濃型戦艦はまだまだ使える。

 そんな慰めとも確信とも発見ともとれる結論に一人行き着いてた森下は受話器を置くと、転んで手をつこうものなら大変なことになるであろう床を踏みしめ、戦場を吹き荒れる風と共に自らの主砲から放たれる轟音と黒煙が割れた窓から容赦無く侵入してくる夜戦艦橋の中央に仁王立ちになった。

 「第四砲塔より艦長! 第四砲塔、旋回不能!」

 「了解。第四砲塔、火薬庫注水!」

 同じ被弾でも、ものによって足の裏から伝わる感触には大層な違いがあるものだ。

 主要防御区画の装甲板が何とか敵弾を跳ね返す際の衝撃とも、薄っぺらい装甲をぶち抜かれて炸裂した際の衝撃でもない。炸裂した後、敵弾とはまた別のものがまた新たな衝撃を引き起こしたようだった。さしずめ、パーペットを損傷したのだろう。

 断じて転ぶものかと腰を屈め、踏ん張りながら未体験の衝撃をやり過ごした森下は、自分でも不思議なまでに冷静に返事を返し、念の入った指示を出していた。

 「艦長、このまま行きますと敵戦艦に我が方の頭を押さえられかねません」

 「分かっちょるよ……取舵一杯! 戦隊針路三〇度! 右砲戦!」

 切迫した声色で具申した山田に対し、森下はこの悲惨な状況下において初めてほくそ笑みながら返答し、一息入れるなり力の籠った声で新たな転舵命令を発した。 

 第四砲塔が損傷したことにより、主砲火力の四分の一が失われている「出雲」は、それでも一矢報いるべく目標めがけて砲撃を繰り返し、一四〇度に変針してからあまり時間が経っていないため充分な速力を回復していない艦体が、身震いをしながら敵弾の雨の中思い出したように艦首を左へと振っていく。

 反対に主砲塔はゆっくりと右に旋回しやがて砲撃を再開し、後方に付き従う「越前」も回頭終了と共に斉射を再開する。

 この時点でややずれてはいるが、二つの戦艦部隊は反航戦を演じている。そしてややずれているが故に、第三戦隊は敵戦艦部隊の後方へと進んでいる。

 「『越前』電測より『出雲』艦長。敵戦艦隊一斉回頭、反転します!」

 「よし! 面舵一杯、戦隊針路一七〇度!」

 あの長ったらしい艦体だ。一斉回頭の命令が出たのは少なく見積もって一分前に間違いない。つまり、連中は後手に回っている。

 確か敵艦隊の指揮官はリーとかいう名だったと思うが、ものの見事に罠にかかりおった。電探射撃の達人だか何だか知らんが、基本の航海術はまだまだのようだな。楽あれば苦ありとはよく言うが、その逆もまた然りだ。

 ……と一人考えながら、二人いる敵の指揮官の内の一人を罠に嵌めつつ、もう一人が張った蜘蛛の巣へ着実に歩を進めてしまっていることに、森下はこの時まだ気が付いていなかった。



 「やはり最初から全門射撃でいくべきだっただろうか?」

 戦艦「ニュージャージー」の戦闘指揮所(CIC)で戦況を見守りながら、合衆国海軍第五一・三任務群司令官のウィリス・A・リー海軍中将は誰ともなしにそうつぶやいた。

 すなわち、彼は戦闘に突入する時迷ってしまったのである。

 対水上レーダーを照準に用いた場合、自艦から敵艦までの距離の誤差は文字通り誤差であり気にする必要はまず無い。

 問題は方位角だ。レーダーが実用化された頃に比べればだいぶ改善されたが、それでも平均的に一から二度ずれる。

 一般的にはこれも気にする必要の無い誤差なのかもしれないが、仮に完全な無風状態で一〇マイル先の目標に対する方位角が一度ずれているとすると、その誤ったデータに従って撃ち出された砲弾は、目標からおよそ〇,三マイルずれた位置に水柱を噴き上げることになる。これは戦艦を縦に並べてだいたい二隻分である。

 それに加え、実際に無風状態などあり得ないから初弾命中は期待出来ない。そこで、レーダーが捉えた敵艦と水柱の影からそれぞれのずれを割り出すわけだが、当然水柱の影も本来あるべき場所とは違う所に現れる。

 これが同じようにずれてくれればまだ良いのだが、そうは問屋が卸さない。要するに、てんでばらばらにずれるのである。

 「本艦の第一三斉射、目標を挟叉するも命中弾無し。砲撃続行します」

 そんななか「ニュージャージー」の艦橋トップに詰める砲術長から、定期的に上げられる単調な報告がCICに響く。

 合衆国海軍の性格として、一点を狙い撃つというより面を制圧するという砲撃を好む。

 だから戦艦に限らず水上艦艇の主砲散布界は、広過ぎても困るのだがやや広めにとっている。

 こうすることによって、敵艦から見れば散布界から外に出ることが難しくなる。一度捉えたら逃がさん、というわけだが、その弊害として一斉射辺りの命中率が下落し今のようなことが起こる。

 「反省は帰投後にしましょう、司令官。むしろ今現在の砲撃精度を褒めるべきです」

 「ニュージャージー」艦長のカール・F・ホールデン海軍大佐が笑みを浮かべながら言う。

 自分達はとりあえずの砲撃精度が出るまでは、一度に生じる水柱を減らしてしまおうという選択をした。

 二〇年以上前に竣工して以来使い込まれ、ウェーク島沖海戦では合衆国海軍の戦艦部隊を叩きのめした敵のシナノ・タイプに比べれば、いかに猛訓練を施しても文句無しに技量の劣る砲術科員達のことを、土壇場になって無駄に“考慮”してしまった司令官の最初の命令は、確かにまずかった。積極的に意見具申をしなかった自分にも、司令官にそう思われてしまった部下達にも問題はある。

 しかしご覧あれ。初めは手惑いましたが斉射に移行してからたった三度の射撃で、砲撃に必要不可欠の敵一番艦の目と頭をもぎ取ったのです。そして主砲そのものと機関や命令系統はまだ生きているらしい敵艦は、右へ左へと転舵しながら砲撃を続行し、それに合わせて本艦もついさっき取舵を切りましたが、敵一番艦は相変わらず散布界内に留まり続けているではありませんか。

 ただの笑顔一つで、変に長ったらしい本音を表現したホールデンに苦笑いを返しながら、リーは対水上捜索レーダーのPPIスコープに視線を向けた。

 海上を疾駆する艦艇もスコープ上ではただの光点に過ぎない。

 その中でも一際大きな光点が針路を一四〇度方向にとって動いている。彼我の距離を目分量で測れば、一二〇〇〇ヤード余りといった所であろうか。

 一方、「ニュージャージー」と「アイオワ」からなる第一戦艦戦隊はこの時、三〇ノットの速力で方位一六〇度方向に艦首を向けている。

 少し前までは二〇〇度を向いていたのだが、「出雲」が針路を一四〇度に変えた際、リーが反射的に針路変更の命令を出していたのだ。

 アイオワ級戦艦の速度性能は破格だが、どういうわけか三〇ノットを超える速度を出すと、艦尾を中心に異常震動が発生し砲撃どころではなくなるという大きな欠点を抱えている。

 大出力を発揮する大型エンジンを生存性を考慮してシフト配置にしたがために、恐ろしくデカく長くなってしまった機関室が元凶であることは疑い無く、色々と調べあれこれと手を打ってはみたものの改善の気配は無く、砲戦時は三〇ノット以上の速力を出してはならないと決められている。

 他方で皮肉なことだが、砲術長曰く「出雲」は火災炎によって変わり果てた姿を晒しながら三〇ノット近い速力を発揮し続けている。針路を二〇〇度にとったまま放置すると、必然的に近距離戦闘に巻き込まれ逃げるのも難しくなるから、一定の距離は保つ必要がある。

 「敵戦艦部隊、取舵を切ります……針路三〇度!」

 もっとも、確かに艦長の意見は正しい。我ながらとんでもないミスを犯したものだ。

 今更ながら乗艦の砲術科員の腕に心の中で賛辞を送りつつ、敵戦艦を示す光点がその方向を変えたことにリーは眉をひそめた。

 タカヤナギよ、一体何をするつもりだ……と、敵の指揮官の名前は知っていてもその本人が現在指揮を執れる状態にないことは知らないリーは、頭に浮かんだ疑問を解消するより先に、後にメジュロ環礁沖海戦の結果を決めた命令と呼ばれる転舵命令を発した。

 「……第一戦艦戦隊、右方向一斉回頭!」

 「面舵一杯! 本艦針路三四〇度!」

 ホールデンが反射的に命令を伝達するが、舵の効きの悪さは最高速度以上に異常である。

 元々、ポスト・レキシントン級巡洋戦艦として計画されたアイオワ級戦艦は、帝国海軍の伊勢型戦艦という“巡洋戦艦のような戦艦”への対抗、及び戦艦主体の主力艦隊の前衛を務める航空母艦主体の偵察艦隊の一員として行動することが想定されていた。

 そのためにはやたら速い速力を得る必要があり、一方でパナマ運河を通航する都合上、艦体はもはや不気味なまでに細長い。

 結果、航空母艦と共に対空戦闘にあたる状況も多いと予想されているにも関わらず、その舵の効きの悪さから“艦隊運動を乱す問題児”と揶揄される程なのだ。艦隊規模で対空戦闘の演習などやろうものなら、まず間違いなく多数の海軍将兵の寿命が縮むであろう。


 ……話は逸れるが、「航空機が行動中の戦艦を撃沈することはまず無理である」と、大艦巨砲主義者に率いられたほとんどの列強海軍が考えた根本原因は、“ジュットランド半島沖海戦”にある。

 先の世界大戦最大の海上戦闘となったこの海戦では、英独主力戦艦同士の決戦こそ起こらなかったものの巡洋戦艦同士の比較的遠距離の砲撃戦が生起し、双方の巡洋戦艦が不思議と簡単に撃沈されるという自体が発生した。

 ここで、装甲が薄いのだから仕方あるまい……と、海戦の結果を受け取った列強海軍はまず自然に解釈し、次いで一様に戦慄したと言って良いだろう。

 なぜなら、彼等は日本海海戦の結果を主として大艦巨砲主義に目覚めて突き進み、英国戦艦「ドレットノート」の出現を見ていわゆる“弩級戦艦”の整備に着手したが、彼女等の“水平防御”には甚だ無関心であったからだ。

 無論、考える必要が無かったから無関心でいられたわけだが、“航空機”の実用化はそれを弾着観測の手段とすることによって、マストのてっぺんから弾着を観測するしか無かった時代には、とても考えられなかった遠距離の砲撃戦を可能にした。

 遠距離に弾を飛ばす方法は砲の仰角を大きくしてゆけば良いという至って単純な話であるが、そこで放たれた弾が放物線軌道を描かないことが話をややこしくする。

 砲内に刻まれたライフルリングによって大きく減殺されながらも、なお膨大な運動エネルギーを持って飛び出した砲弾は、それを空気抵抗によってだけではなく位置エネルギーに変換することによっても失っていく。

 だから、単純に考えれば放物線の頂点を摘まんで敵艦側に引っ張ったような軌道を砲弾は描き、最高点を通過した後は蓄えた位置エネルギーを再び運動エネルギーに変換しながら、飛翔と言うより落下しつつ敵艦の横ではなく上に激突するのである。

 ジュットランド半島沖海戦で撃沈された巡洋戦艦の多くは、絶対的にかつ相対的に装甲が薄い部分を想定外の方向から飛来した砲弾に射抜かれたわけだが、列強海軍が考えた対処法は至極単純かつ同じものだ。

 “ポスト・ジュットランド型戦艦”と通称される、この海戦の戦訓を取り入れた列強海軍の新造戦艦、さらに改装を施された既存戦艦は皆、舷側や主砲塔正面はもちろん主要防御区画周辺の水平部分にも“自艦の射撃に耐えられる”装甲板を張り、大落下角をもって飛来する砲弾をも跳ね返せるようになった。

 「戦艦の主砲弾が射抜けない装甲板を、航空機から投下された爆弾が射抜けるはずがない。よって、水平装甲の薄い旧式でもない限り戦艦は航空機に沈められはしない」と、大艦巨砲主義者が声高に叫ぶ理由の背景をこうして見ると、これはこれでまともな意見なのであり、結局はその装甲板を射抜ける爆弾が登場し、出来れば命中精度が改善するまでの虚勢に過ぎないのだ。

 とは言っても、「航空機で戦艦を撃沈しよう!」などと本気で考え、その方策まで本気で練って魚雷はともかく実際に爆弾を作ってしまった海軍は帝国海軍だけであろうし、その帝国海軍もまた爆撃だけで戦艦を沈めた経験は無いのが現実であり、その彼等をして“米国版六六艦隊計画”と言わしめた建艦計画を合衆国海軍が立て、実行していることも現実だった……


 さて話を戻せば、特に戦前は大艦巨砲主義者が幅をきかせていた合衆国海軍における航空母艦の任務は、“戦艦部隊の前衛として進出し、偵察活動及び決戦海域上空の制空権の確保に務める”というものだった。制空権が無くては弾着観測機を飛ばせない。

 そのためにはまず、決戦海域上空の制空権確保の障害となる敵空母部隊をだだっ広い海上に探し求める必要があるが、ここに一つの問題が生じてしまう。

 レーダーなるものが実用化されたのはここ数年の話であって、それ以前はとにもかくにも見張りの視力が全てであった。

 ところが、基本的に白人は黄色人種に比較して夜間視力がよろしくない。いくら彼等が黄色人種を差別しようがこれだけは遺伝の問題であり抗えない。

 航空母艦や重巡洋艦を主力とする偵察艦隊がもしも夜間、かの日本海海戦において帝政ロシア海軍のバルチック艦隊を苦しめた帝国海軍の襲撃部隊に遭遇し、先に見つけられようものならば……

 これに対する対処法は主に二つある。

 まず一つ目。夜間の見張りをアジア系の移民にやらせる。

 そして二つ目。先手をとられて襲撃を受けても、追い返せるだけの戦力を偵察艦隊に配備する。つまり、レキシントン級巡洋戦艦でありアイオワ級戦艦である。

 「まだかね、艦長?」

 「は、はぁ。そろそろ……」

 とは言え舵の効きがこうも悪くては、襲撃に来た敵の軽快艦艇にかわされ時が時なら空母に肉薄されてもおかしくない。

 もう途方も無い問題児である。確かに問題児が時として英雄擬きになることはあるし、現に今なっていることは分かってはいるのだが、どうしようもないもどかしさを持て余したリーは、ホールデンに思わず八つ当たりをした。

 リーは一個戦艦戦隊を預かる司令官であると同時に一個任務群を預かる司令官でもあり、「いつどのようにして、太陽が昇ればありとあらゆる所からミートボールを機体に描いた航空機が湧いて出てくるであろうこの海域から離脱すべきか」という問題が常に頭の中を渦巻いている。もはやメジュロ環礁に艦砲射撃をかけることなど選択肢から消えているのだ。

 第一戦艦戦隊のことだけを考えれば、今こそ復とあるか分からない離脱の好機なのだが、実際にそれをやるとアーレイ・A・バーク海軍大佐に預けた巡洋艦以下の軽快艦艇を敵中に置き去りにすることになる。

 第五一・三任務群のことを考えれば、ここで戦艦だけ離脱するわけにはいかない。新たな離脱の機会が来ることを信じて、敵の戦艦を拘束し続ける必要がある。

 現在までのところ、重巡洋艦「ボルチモア」と駆逐艦三隻が敵巡洋艦や駆逐艦の砲撃により戦闘不能となっており、また雷撃によって重巡洋艦「キャンベラ」と駆逐艦三隻には早くも総員退艦命令が発令されている。

 反対に、敵はまだ駆逐艦二隻を失ったに過ぎないという。

 明らかに割りが合わない。新鋭の重巡洋艦がこうも早く戦線離脱するとは考えてもいなかったリーとしては、一分一秒が惜しくて仕方がなかったのである。

 「本艦の第一六斉射、目標後部に一発命中」

 「第一戦艦戦隊、左方砲撃戦!」

 そのため、リーは砲術長からの定期報告に趣旨のずれた返事をまったく意に反すことなく返した。CICに立っている以上外部の様子は全く見えないが、艦が今まさに右旋回していることは体感出来る。弾が一発当たろうと外れようと、この時のリーにとってはどうでも良いことだった。

 「後部見張所より報告。『アイオワ』本艦に続行中なるも、被弾により大火災発生。航空燃料に引火せる模様」

 「『アイオワ』艦長に、可及的速やかに消火するよう伝えよ」

 闇夜の中、航空燃料……すなわちガソリンが燃える炎は恰好の射撃目標だ。レーダー射撃の技量において、合衆国海軍に匹敵する能力を持ち合わせかつ光学照準射撃の技能においては凌駕するとも言われる帝国海軍は、今頃嬉々として照準を付けているのではないか。

 合衆国海軍が世界に誇る最新鋭戦艦と、帝国海軍の象徴として君臨してきた老練な戦艦による砲撃戦は、こうして見ると一進一退であった。

 リーは敵に撃ち負けている「アイオワ」のことを若干苦々しく思いながら、「ニュージャージー」の砲撃の再開、そしてその着弾の瞬間を静かに待った。戦艦同士の戦いに限れば、「ニュージャージー」が一刻も早く目標を撃破することが勝利への最短ルートなのであり、それが叶わぬ時、敗北へ繋がるレールにポイントは切り替わる。

 「本艦の第一七斉射、全弾近弾。砲撃続行します」

 おそらく「ニュージャージー」の乗組員の中で、最も落ち着いている人間の一人は砲術長であろう。あてが微妙に外れて額に皺がよったリーと、それを横目に見ながら射撃指揮所への直通電話の受話器を握るホールデンの方が、よっぽど己の心臓に負担をかけている。

 何しろ、挟叉さえしなかったのだ。勝利への最短ルートは曲がりくねっていく。指揮官として実に嫌な感じだ。

 「本艦の第一八斉射、目標中央部に一発命中」

 「敵戦艦部隊、面舵を切ります……針路一七〇度!」

 「な、何だって!!」

 そしてリーとホールデンは結局、「ニュージャージー」の照準の修正に要した時間の短さに安堵する機会を失った。レーダーマンの報告が何を意味するのか、帝国海軍の戦艦部隊の行動が何を意味するのか、咄嗟に理解出来なかったのである。

 「……どういうことだ? なぜ彼等はメジュロに背を向ける? 我々が向いているというのに……」

 「司令官、敵艦隊がこうして間近にいる以上、メジュロ環礁に対する攻撃は不可能です。万が一、対地攻撃の機会が訪れたとしても、そのようなことをすれば時間がかかってその後敵機動部隊の追撃をもろに受けます。となれば我々の採るべき道は二つ、対艦戦闘の続行または現海域からの離脱です」

 ホールデンはリーの質問には答えず、と言うより答えが分からないが故にあたりさわりが無く実は最も適しているであろう意見具申をした。

 「……第一戦艦戦隊、針路一九〇度」

 「取舵一杯、本艦針路一九〇度!」

 リーはホールデンの解答に苦笑いを浮かべながらも、PPIスコープを一瞥し簡潔に結論を述べた。戦闘続行、である。

 ――言うまでもないことだが、リーの命令が舵機室に伝えられてから実際に艦首が一九〇度方向に向くまでに一分近い時間を要した。

 その間、艦中央部に設置された艦載機整備甲板から濛々たる黒煙と紅蓮の炎を噴き上げていた「アイオワ」のダメージ・コントロール・チームは、自慢の腕と技術を駆使して「越前」から発射される砲弾の中消火活動に挑んだが、場所が悪かった。なにしろ中央部である。合衆国海軍はこの戦訓から新造艦はもちろん、既存艦も機会さえあれば艦載機整備甲板を艦尾に設置又は移設され、被弾時の被害の最小化を図るようになるが、それはあくまでも後の話。

 とは言っても、合衆国海軍の意地とでも言って良いのだろうか。闇夜の中の紅蓮の炎という「越前」に格好の射撃目標を与えながらも、尖塔のような艦橋の後ろにそびえる二本煙突を両方とも吹き飛ばされようとも、第三砲塔に引き続き第一砲塔をも破壊されながらも、「アイオワ」は一途に「ニュージャージー」の後ろに続き、「越前」の第三砲塔を破壊する活躍を見せていた。

 しかし、圧倒的に不利ではあった。このまま何の干渉も無ければ“善戦せるも初陣で死す”ことになることは疑いようもなかった。

 そしてそんな「アイオワ」を救ったのは、奇遇にも二隻の戦艦だった。

 目標艦の中枢機関に大きな被害を与えたと認め、同時に味方を救うため砲門を「越前」に向けた「ニュージャージー」に対し、似たように目標艦を撃破したと認め、こちらも味方を救うため砲門を「ニュージャージー」に向けた「越前」である。

 メジュロ環礁に背を向ける……南下しながらも砲撃戦の様相を変化させた二つの戦艦部隊は、奇しくもほぼ同時に同じことを考え実行に移していたのであった。

 「第二三水雷戦隊リトル・ビーバーズ司令部より入電です!」

 新たな目標に対して砲撃を始める時、有効弾が出るまでにはそれなりの時間と手間がどうしてもかかってしまう。

 その様子を黙ってレーダーを媒介に黙って見つめていたリーの耳を、砲声に負けまいと発せられた通信士の大声が貫いた時、リーは自分の頭の中に何か突風が吹きぬけたような感覚を覚え、咄嗟に目を堅く瞑り、大きく見開いてPPIスコープを凝視し直した。

 後の戦史家が口を揃えて批評し書き残していることだが、この瞬間のリーは一個任務群を預ける指揮官としては不適格であるとして、査問委員会にかけられるだけの充分な理由を持ち合わせていた。

 一言で言ってしまえば、“一個戦隊を指揮する感覚で一個任務群を指揮していた”ということである。

 「ニュージャージー」から見て左後方をひたすら南下し続ける光点の群れ。レーダー射撃の専門家たるリーはそれを、途方も無く時間をかけた末瞬時に巡洋艦戦隊と見抜き、その距離を大雑把に見積もった……だいたい八〇〇〇ヤード。

 そんな場所をこんな位置関係で帝国海軍の巡洋艦戦隊が全速力で走っている、ということはつまり……

 「いかん、しくじった!」

 リーはこの状況下で大声を出さないようにする自制心は持ち合わせていたが、声に出さないわけにはいかなかった。

 「……司令官?」

 小声でも発せられれば、隣にいる人間の耳には充分届く。

 「読みます。『我、ライバルより先んじて、獲物を狩場へ招待しつつあり』以上です!」

 重苦しい雰囲気を吹き払うように、友軍から発せられたユーモアにCICが沸き返る中、リーだけは血の気を失った表情を浮かべていた。

 一つならまだしも、二つ続いた上官の異常に違和感を覚えたホールデンが再度声をかけても反応しない。

 海戦以来、多くの合衆国海軍の艦艇と将兵を太平洋の藻屑と変えてきた帝国海軍の秘密兵器が、今まさに涎を垂らしながら自分に向かって迫って来る。ホールデンが声をかけた人物はこの時、海軍少将の徽章を付けたただの恐怖に脅える男だった。

 そしてレーダーマンとソナーマンからの報告が、ほぼ同時にかつ正反対の声色をもってCIC内に響き渡った。

 「リトル・ビーバーズ、敵水雷戦隊をかわしました! 敵戦艦部隊に後方より接近中!」

 「本艦左一一〇度から一三〇度より魚雷航走音! 左舷側並走中の敵巡洋艦より発射された模様……ひ、必中コースです!」


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