一一〇 航空主兵主義の密偵
帝国海軍第六艦隊の別動隊……“第一警戒隊”の先任指揮官、第三戦隊司令官の高柳儀八海軍少将は、旗艦の信濃型戦艦三番艦「出雲」の夜戦艦橋に文字通り佇んでいた。
その両目は暗闇の中良く見えないが、逆探が敵の電探が発する電波を捉えたことにより無線封止を解除した後作動させた電探曰く、敵艦隊がいるという方向をじっと見つめていた。
「司令官、このままでよろしいのですか?」
「通信より艦橋。一五戦隊司令部より入電。『直ちに突撃の要有りと認む』以上です」
すると「出雲」艦長の森下信衛海軍大佐の控え目な意見具申と、第一五戦隊司令官の伊崎俊二海軍少将の積極的な意見具申が仕組んだかのように重なる。
調子は対照的だが言いたいことは同じ具申を同時に受け、高柳は妙な偶然に苦笑いを浮かべながら、少し驚いたような顔をしている森下に返事を返した。
「君等の気持ちは分かるが、むやみに攻撃をかける必要は無い。何もせず、何もさせず、夜が空ければおいらん勝ちだからな……通信参謀、伊崎に伝えてくれ。自重せよ、とな」
戦場で焦ってはいかん、ばってん木村(海軍少将、木村昌福第三水雷戦隊司令官)の奴ば何も言ってこんな……まぁ久しぶりの前線でも髭を弄るのに忙しいのじゃろうなぁ、などと妙な想像に高柳が一人ほくそ笑んでいると、電測室から敵艦隊の位置の定期報告が入る。
「電測より艦橋。敵先頭艦の位置、本艦の左一五度、距離二八〇。敵艦隊上空の機影は相変わらずです」
第一、今撃った所で当たるとも思えない。
暗過ぎるし遠過ぎる。無駄弾をばら蒔き砲身を意味もなく摩耗させて、艦政本部の担当者に小言を言われるのは一体どこの誰だというのか?
そして敵艦隊の上空に確認される機影は、恐らく第七五一海軍航空隊の陸上攻撃機“泰山”をボロボロにした敵の夜間戦闘機だ。
ギリギリのところで更新が間に合った新鋭の水上偵察機“瑞雲”と言えど敵う筈はなく、水上戦闘機“強風”を護衛に付けるなど論外である。
……となれば、もし相手が仕掛けてきた場合、敵艦の発射炎を測距儀で観測して距離を割り出すなど無謀であるから、基本的には対水上電探のデータを頼りに照準をつけなければならない。
もっとも、電探に問題があるわけではない。
「出雲」と「越前」が搭載する艦載対水上射撃電探……零式三号電波探信儀二型、通称零式三二号電探は本隊に残留した大和型戦艦や第二艦隊所属として南方で訓練に勤しんでいる同型の「信濃」や「三河」が搭載する新型……三式三号電波探信儀一型、通称三式三一号電探に比べ当然その性能、特に方位各測定能力は劣る。
しかし、遠距離においては光学測距よりも破格に正確な距離の値を弾き出すことに変わりは無く、電測要員も扱いに習熟しており虚像に惑わされることもほとんど無い。
問題は艦橋トップの主砲射撃指揮所に据えられた、二式射撃盤と三式方位盤照準装置にある。
一言で言えば、「新型故に砲術科員がその扱いに充分習熟していない」ということだ。
さらに三式の最大の売りである“電探と連動したより速く正確な照準”は、三式三一号電探との連動を前提としており、零式三二号電探とは接続が出来ないのだ。
まさに宝の持ち腐れ。新型の利点が生かされないばかりか、訓練不足という途方も無い失点を生んでしまっているのである。
艦政本部が練り上げる艦艇の新造及び改修計画は、基本的に作戦本部や軍令部が叩き出す“合衆国海軍の戦力推定”に基づいて決定されるため、欧州戦線の雲行きが何とも言えない微妙な情勢である今、「決戦までまだ時間がある」と判定され、戦艦の改修は先送りとなり結果これである。
その根本原因は“艦隊決戦主義”にあるにせよ、もし当初の予定通りに改修工事が行われていたのなら、電探は三式に更新されもう少し訓練も出来たに違いない。
……とは言え、第六艦隊司令部は我々を基幹に警戒隊を編成した。電探も射撃指揮装置も新型で扱いに慣れている、「大和」と「武蔵」からなる宇垣纏海軍中将の第一戦隊ではなく、年季の入った我々第三戦隊を。
砲術畑出身の長官のこの判断が何を意味するか、答えは単純明解だ。
「電測より艦橋。敵先頭艦の位置、本艦の左一七度、距離二四〇。上空の機影は変化無しです」
「敵さん、動きませんな。何を考えているのやら」
「あぁ、ばってんこんままでは距離七〇で反航戦だ。電探射撃の専門家を指揮官に戴くゆう敵さんがすることじゃない。見とれ、いずれ取舵ば切る」
新たな動きを見せる素振りすら無い敵艦隊に対し、疑問を呈する森下に高柳は自信あり気な口調でそう言った。
直進すればそのまま近距離砲戦となり、手数が多く装甲の厚い信濃型の優位は動かない。そもそも近過ぎて、電探の出番があるかどうかさえ疑わしい。
面舵に舵を切ったらそれこそ大変だ。自然メジュロ環礁とアルノ環礁の隙間に突っ込むことになり、こちらは敵艦隊の後ろから悠々と丁字を描けるし、下手を打てば座礁する。
逃げるにしろ、立ち向かって来るにしろ、まずとるべき行動は一つしかない。
しかも相手が電探射撃の使い手とくれば、通常の夜間砲戦を行うような距離まで踏み込んで来ることはまず無い。電探に昼夜の区別など出来ないのだから。
「……どのみち、アイオワ級二隻で我が信濃型二隻は倒せんばい。不安要素は確かにあるが、確実性を求めるならモンタナ級ば連れて来るんだったな、米軍」
「電測より艦橋。敵戦艦取舵に転舵!」
今度はどこか憐れむような、そして余裕を示すような口調で高柳がそう独り言をつぶやくと、まるで計ったかのように電測室から新たな報告が飛び込んだ。
「司令官ッ!」
「まだまだまだ。電測、敵さんば舵戻したらすぐに伝えろ」
気負ったように叫ぶ森下を制して、高柳は努めて冷静に森下を飛び越えて直接指示を出す。
まだ分からない。立ち向かうのか、逃げるのか。
「敵戦艦直進に移行、針路二〇〇度! 続けて増速……二五ノットを超えます……敵軽快艦艇、針路二四〇度! 並びは巡、巡、巡、駆……いや巡、駆、駆……以下全て駆逐艦級の小型艦です!」
「司令官、今度こそ」
森下の三度目の具申に、高柳は小さな笑みを浮かべてゆっくりとうなづき、口を開いた。
「一五戦隊司令部宛て、命令。『以後別命あるまで三水戦司令部の指揮下に入れ』」
「三水戦司令部宛て、命令。『突撃せよ』」
「六艦隊司令部に報告。『我、ただ今より敵“甲”を迎撃す。一九二六』以上」
「戦隊針路一六〇度、最大戦速! 左砲戦!」
「面舵一杯、本艦針路一六〇度! 『越前』宛て信号、『我に続け』。主砲、左砲戦!」
米海軍よ、新兵器を振りかざして古参を馬鹿にするとどうなるか、帝国海軍が培ってきた戦艦同士の砲撃戦が何たるか、今改めて教えてやる。
奇しくもこの時、森下と高柳は同じようなことを口中でつぶやいていた。隣に立つ人間が同じことを考えていることも、闇の中の敵戦艦の艦内にいる人間がやはり似たようなことを考えていることも知らずに……
――さてその少し前、帝国海軍第六艦隊の本隊はルオット島の泊地を予定より遅れて出撃し、クェゼリン環礁から脱して針路を南南東にとって二〇ノットの艦隊速力で進撃していた。
敵潜水艦の目から極力逃れるため全艦厳重な灯火管制を敷き、一方で駆逐艦や護衛艦からは絶えず探信音が海中に放たれ、艦隊周辺には複数の新鋭陸上哨戒機“東海”の発する爆音が轟いているという矛盾状態にあるが、どのみち潜水艦が潜望鏡や通信アンテナを海上に出せる状況ではない。
そうひそひそと、かつやかましく白波を蹴る第六艦隊の旗艦、司令部巡洋艦「酒匂」の艦内に小気味良い靴音を響かせながら、首席参謀の大井篤海軍大佐は一人歩を進めていた。
艦隊全体に“第二種戦闘配置”が下令されているため、艦内を行き来する将官はとかく少なく、大井はほとんど誰ともすれ違うことなく目的地に辿り着いていた。
「失礼致します」
「……入りたまえ」
小さく「長官公室」と書かれた金縁の板が張られた扉を開けると、部屋の主であり大井を呼び出した張本人である司令長官の角田覚治海軍中将が、作戦室に置かれているマーシャル諸島の広域図の縮小版に見入っていた。
大井は静かに扉を閉めると、応接用のソファに座って身動き一つしない角田の向かいに、やはり静かに座った。
応接机の上に置かれた地図は、縮小版と言えど戦況が一目で分かるよう、地図そのものの大きさに比べて駒の大きさが相対的に大きい。
そのため部隊の正確な位置がいま一つ掴み難いという欠点を抱えていたが、呼び出された大井にとってそれはどうでも良いことでもある。
晴二号作戦に基づく目標を半ば第二航空艦隊に丸投げし、灰号作戦の発動に備え第六艦隊の本隊が南下していること。
第六艦隊の司令部要員が誰一人として想定していなかった、艦上戦闘機の単一編隊による対地強襲により、マロエラップ環礁タロア島の飛行場が使用不能となりこれが未だ復旧しておらず、同飛行場に展開していた部隊がメジュロ環礁に移動していること。
クェゼリン本島に到着した増援の航空部隊が今、夜明けと共にメジュロ環礁の東南東一二〇海里付近を遊弋中の敵機動部隊“乙”を捕捉撃滅すべく、出撃準備作業に追われていること。
そのメジュロ環礁方面に向かっている敵艦隊“甲”を阻止するため、戦艦「出雲」以下の第一警戒隊が急行中であること。
等々、地図を目の前に今さら改めて言うことは無い。全て報告待ちである。
となれば、用件は戦いとは関係無いとみるのが自然だ。特に、この長官の場合は、である。
「君は一体この艦内で、何を調べているのかね?」
だからこそ顔を上げた角田の発したこの一言に、大井は比較的冷静な声色で返事を返すことが出来たのだ。
「ご存知でしたか……しかしご存知なら、まさか私がそう簡単に口を割るとは思っておられないでしょう? それに失礼ながら、長官ならもう私が何をしているかまで、お分かりになっておられるのでは?」
とは言え、口調は冷静でも大井はどこかで動揺しているのか、気付かぬ内に厚顔不遜なことを口走っていた。
「似合わないことを言うようだがね。海軍省軍務局第一課長の樋端君(樋端久利雄海軍大佐)に第二艦隊首席参謀の早乙女君(早乙女勝弘海軍大佐)、そして君だ。海兵五一期のエース諸君が揃いも揃って、来年の海軍記念日を前にして大抜擢を受けるのを見れば、さすがに気になる……まったく、一年近く長官をやっとると余計なものばかり見えるようになっていかん」
見方によっては相当無礼な大井の返答を笑って受け流し、自身の発言も微笑しながら行なった角田はさらに続けた。
「無論、問いただそうとは思っておらん。君の言う通り、君の目的も指示を出したのが誰なのかも、悲しいかな想像出来る……とにかく、私が言いたいのはだね」
帝国海軍全体を見渡して見ても、大井程理屈にうるさい男はいないだろうし、帝国海軍の人間なら誰も好き好んで大井と議論したいとは思わないだろう。意見が完全に一致していない限り、間違い無く論破される。
だが、角田はそんな大井に発言させる隙を見せることなく一方的に喋り続けた。
「もう少し静かにやりたまえ、ということだ。私が気付くぐらいだ、他にも君が我が艦隊の首席参謀に就いた真の理由に感付いた者がいても不思議じゃない。それが君等の探索対象だったとしてもだ、前もって言っておくが私は君を匿ったりはせん。元々、陸にいる連中のこの手の策謀は不愉快に思っておるのでな。陛下や国民の期待に応え、ただ御国を守護すべき海軍軍人たるもののすることじゃない」
つまるところ、これが角田の主張である。忠告でも何でもない、ただの不満であった。
すると突然執務机上の電話が鳴り、角田は受話器の向こう側と二言三言交わすと話題を綺麗に切り替えた。
「第一警戒隊が敵艦隊“甲”と戦闘に入ったそうだ。さぁ、作戦室に行くぞ大井首席参謀」
今の話、私は忘れたからな。思い出させるなよ。
大井よりも先に公室を後にした角田の背中はそう語っていた。
東京に生まれ、東京に育ち、これまでの一九年の人生で愛媛県は松山市よりも西に行ったことのない作者ですが今回、高柳氏に“佐賀弁”を喋らせるという暴挙に出てしまいました。
多分、全然違うと思うのですがどうなんでしょう。
ご意見、ご感想お待ちしております。