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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一六章 合衆国海軍、マーシャルへ
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一〇七 第六艦隊の固定観念


 「……晴二号作戦にしろ灰号作戦にしろ、作戦を実行するにあたってあまり喜ばしい状況ではないようだな」

 一九四三年一二月九日、日本標準時午前三時〇三分。

 マーシャル諸島クェゼリン環礁の北側に浮かぶルオット島の泊地に錨を降ろした、帝国海軍第六艦隊旗艦の司令部巡洋艦「酒匂」の作戦室で、早朝の作戦会議に臨んだ司令長官の角田覚治海軍中将はまずそう口火を切った。

 作戦室の中央にはマーシャル諸島の広域図が鎮座しており、壁に架けられた黒板に所狭しと書かれ貼られ書かれた戦況が、視覚的に一目で分かるよう様々な駒や旗が置かれている。

 そして、“停泊中”を意味する旗を立てられた“第六艦隊”を表す駒と、“移動中”を意味する旗を立てられた“米機動部隊”や“米戦艦部隊”を表す駒との間には直線距離にして約三八〇海里の開きがある。

 個人的な思いとしては直ちに出撃して、最新の情報ではマロエラップ環礁の東約一七〇海里を南西方面に移動中の敵機動部隊に襲い掛かりたい角田と言えど、一個艦隊を預かる身としては連合艦隊総司令部より「灰号作戦発動準備」が発令された以上、むやみに動くわけにはいかないことは充分理解していた。

 無論正式には“晴二号作戦”が発動されているから、それだけであるのなら角田は何の遠慮も無しに敵機動部隊の捕捉撃滅に動いているだろう。

 しかし“猛将”の異名をとる角田にとっては、むしろまだ正式に発動されるかさえ分からない灰号作戦の方が、その優先順位は遥かに高いものだったのである。

 「それにしても敵の指揮官……フレッチャー提督は我々の事情を良く理解しているようですね。さもなくばマロエラップにこれほどまで近付くはずがありません」

 おそらく逆立ちしてもお互いの思考回路を理解することは叶わない、頭脳の構造が根本的に違うのだから……とどこからか陰口を叩かれている首席参謀の大井篤海軍大佐が広域図に視線を落としながら、忌々しげにかつ感嘆したような口調で言った。

 「それに艦上機のほとんどをF6Fにして臨むだけでなく、米軍はその夜間戦闘機型まで揃えている。単発機に搭載可能な小型機上電探など、我が国はまだ試作段階であるというに。おかげで二航艦はこの様だ」

 そして参謀長の有馬正文海軍少将が、黒板に貼られているものと同じ内容が書かれた書類を手にそう言うと、広域図を囲むように立っている参謀達の視線は、一斉にマーシャル諸島の東側に連なるラタック列島の内、帝国海軍の航空基地があるウォッゼ環礁、マロエラップ環礁、メジェロ環礁に向かって注がれた。

 マーシャル諸島が最前線である限り、これら三つの環礁はいわゆる不沈空母として、侵攻してくる敵軍を迎え撃つための絶対の拠点である。

 だが弾切れの戦艦が何の役にも使えない鋼鉄の塊であるように、たとえ飛行場があってもそこに航空機が無ければただの平地に過ぎない。

 ――全ては合衆国海軍の艦上機のほとんどが戦闘機であることなど、知る由も無かった第二航空艦隊が昨日の航空戦においてお手本のような戦いを演じ、お手本のように敵の術中に嵌まってしまったことに起因している。

 すなわち、日中は二隻のインディペンデンス級軽空母の撃沈の代償として、対艦攻撃力の中核を担っていた第五〇三海軍航空隊に全滅判定が下される程の損害を受け、夜間は損傷して退却を図っていたエセックス級空母の攻撃に向かった、唯一の陸上攻撃機部隊たる第七五一海軍航空隊第六〇七攻撃飛行隊が、夜間戦闘機と想像を絶する精密な対空砲火に妨げられ、何の戦果も得ること無くこれまた全滅判定を受けたのである。

 これを受け連合艦隊総司令部は直ちに増援の航空隊の派遣を決定し、対艦攻撃能力を喪失した第二航空艦隊指揮下への臨時編入を行なったが、この時点では一機たりとも到着しておらず、到着しても長距離移動を強いられたエンジンの整備を片付けるまで実戦投入は出来ない。

 よって、第二航空艦隊が今使える第一線部隊は戦闘機隊のみである。

 具体的には第三〇三海軍航空隊の局地戦闘機“紫電二二型”九五機、第二八一海軍航空隊の零式艦上戦闘機六三型七六機、第七五一海軍航空隊第五一七戦闘飛行隊の陸上戦闘爆撃機“天風一一型”一八機の合計一八九機の戦闘機が昨日の航空戦を生き残り、上記の三環礁に分散してマーシャル諸島の防空を担っている。

 とは言え、少な目に見積もっても二〇〇機以上の艦上戦闘機を一極集中出来る相手に対しては明らかに劣勢であるため、増援が到着するまでの繋ぎ役として、角田は第六艦隊から九六機の零戦五二型……空母「穂高」及び「乗鞍」戦闘機隊をマロエラップとメジェロへすでに派遣しており、両部隊は現在移動中である。

 「長官、あくまでも灰号作戦を主と考えるなら、フレッチャーの目がマーシャル諸島に釘付けになっている内、少なくとも今日中には出撃すべきです。敵機動部隊撃滅のため晴二号作戦を主と考えるとしても、二航艦との協力の観点から直ちに出撃すべきです」

 要するにとにかく動くべしと具申した有馬に対し、角田は重たい口調で信じられないようなことを口にした。

 「この戦、少なくとも現時点においては仕掛ければ敗けるとまではいかなくとも、損害に見合う戦果は挙げられまい……私の方針は夕刻に出撃して夜陰に紛れて南下、フレッチャーは無視するつもりだ。何か意見はあるかね?」

 「……それはつまり、灰号作戦を主と考える、ということでしょうか?」

 それまで抱いていた印象からかけ離れている現実の角田の様子に戸惑いを覚えながら、航空甲参謀の高橋赫一海軍中佐がどこか控え目に尋ねる。

 「うむ、どのみち灰号作戦は発動されるしこの作戦に機動部隊は不可欠だ。本土を出撃した時は勿論このようなことは思ってもみなかったが、状況が変われば方針も変わる。今艦上機に損害を出すことは極力抑えなければならん。見敵必戦の精神も一つ間違えれば取り返しがつかんのだ」

 有馬も高橋も、情報参謀の中山定義海軍中佐も砲術参謀兼作戦乙参謀の千早正隆海軍中佐も、とにもかくにも居並ぶ幕僚達の目に写る角田は奇妙に小さく見えた。

 つい数ヶ月前、御息女を亡くされた時ですらこれ程では無かったはず……あの時実は双子の兄弟でもいるのではないかと思った、と本土帰還後の酒の席で言った参謀がいた程に、この時の角田は角田らしくないことこの上無いものだった。

 当然ながら本土帰還後にそんなことを言えるのは、理由を知っているからだがこの段階ではまだ角田はその本心を誰にも明かしていなかったため、作戦室は例によって不気味かつ新鮮な空気に満たされていた。

 もっとも一人だけ、当直担当参謀として徹夜をしていた大井だけは、笑みを含んでいささか垂れ気味の目で、怪訝そうに角田を見る同僚達を見渡していた。

 本土出撃前に連合艦隊総司令部へ乗り込んだ角田に唯一付き添っていたため、また夜中の出来事を全て把握しており、確証は無いもののそれなりに事態を把握していたのだ。

 そんな大井にもこの角田の態度は意外だったが、彼なりの戦況分析に従えば間違いではない。

 大井の考えでは……睡眠をとっていた人の中では、真っ先に作戦室に入って来た角田の同意を得ているから角田の考えでもある……米軍は予定外の行動を、想定外の事態が起きたことによりとっているというものだ。

 ここにおける予定外の行動とはマロエラップ環礁に対する接近であり、想定外の事態とは第六艦隊のルオット入泊である。

 彼等は恐らく、第六艦隊が自分達に向かって真っ直ぐ突っ込んで来ると思っていたのであろうが、そうでないということをクェゼリン環礁付近に潜めた潜水艦から得、一番厄介な相手がお互いの攻撃圏外にいるならばと昨日と同じこと、つまり戦闘機による波状攻撃を仕掛けて第二航空艦隊にさらなる消耗を強いるであろう。

 とにもかくにも国民向けのパフォーマンスが欲しい米軍の本心はともかく、見た目にはただの航空撃滅戦であるから基地に被害が出ることも、ましてや占領されることなど絶対にあり得ない。

 そこで灰号作戦のことを考えれば、ここで機動部隊を前線投入することは燃料の無駄であり、いたずらに搭乗員を失うだけだ。

 何故なら台所事情の厳しい米軍はどうしても艦隊保全主義を取らざるをえず、第六艦隊が前進すれば第二航空艦隊の行動圏内から離脱を図ることは明白だからだ。

 そうなれば第六艦隊は自分から踏み込んだ手前、米国民の心情対策のため戦術的には戴けなくとも単独で追撃しなければならない。角田にとっては大したことではないが、東京にとっては大問題なのである。養成にかかる予算を考えれば、搭乗員一人たりとも無駄に死なすことなど貧乏国家にあって許されることではない。

 「……遅くとも明日には二航艦は対艦攻撃能力を回復します。場合によっては、我が艦隊も参陣を求められる可能性がありますが、その時はどうなさるおつもりでしょうか?」

 さて、態度には納得出来なくとも、発言には納得出来たらしい有馬が話の方向を変える。

 「空母は出せん。艦隊が近付けば逃げられるからな」

 その点は心配いらん、と角田はニヤリと笑って答えた。この様子を見たある参謀はまず「やはり本人だ」と胸を撫で下ろし、有馬は質問を重ねる。

 「航空隊だけ派遣する。ということでしょうか?」

 「その通り。それから本土に帰還したら早急に図上演習を試み改めて実証せねばならんと思うが、戦闘機のみを駆使しての艦隊防空は楽なように見えてそうではない。例え電探で見張って戦闘機を敵に誘導しようと、波状攻撃を受ければ必ず破綻する。昨日の二航艦がまさにそれだ。機会は無いだろうが、万が一のことがあれば実地で試してみるのも良いだろう」

 そもそも、艦上機を陸上基地で使用して何が悪い? と有馬への回答を締めくくった角田に高橋がさらに具申する。

 「派遣部隊は六二一空(第六二一海軍航空隊、第五航空戦隊の艦上機部隊)の残余部隊がよろしいかと存じます。そうだいっそ山田司令官(海軍少将、山田定義第五航空戦隊司令官)を始めとする五航戦司令部も地上に揚げてクェゼリン本島の二航艦司令部に派遣してはどうでしょう?」

 「ふむ、後で山田に話してみるとしよう」

 大尉時代に海軍砲術学校高等科を修了し、巡洋艦の砲術長職をいくつかこなして文字通りの鉄砲屋になるはずだった角田だが、八八艦隊計画の白紙化後航空分野の拡充を進めていた帝国海軍により、航空分野の士官確保のため有無を言わさす“航空屋”に転身させられた過去がある。

 そして海軍大学校甲種二三期を航空担当として修了した彼はその後、航空戦隊の参謀職を皮切りに航空関連の役職を多数務め、機動部隊の指揮官となった今は本人の思いとは無関係に“帝国を勝利に導く三提督の一人”などと新聞紙上で騒がれているが、角田はその記事を見た際にはこれを一笑し、参謀達の前で三人の中における自分の地位はどん底の最下位だと笑った男だ。

 元来、自分のことを誇るような性格ではなく、優秀かつ闘志溢れた指揮官であることに違いはないが、部下の意見を無下にすることはせず、自分の考えよりも優れているとみれば自分のそれを躊躇うこと無く葬れる。

 「しかし一方で灰号作戦のことを見破られては元も子もありません。近付かず、それでいて我々が東を向き続けているように見せなければ」

 「砲術参謀の意見に賛成ですが、具体的に一部の部隊を陽のある内に先行させるというのはどうでしょう? 作戦遂行上何の意味もありませんが、我々の本心を見抜かれぬためには敵を疑心暗鬼に陥らせるのも一手です」

 千早と大井が続けて具申すると、角田は壁に架けられた艦隊編成表に視線を向け、次いで広域図を一分弱じっと見つめた後、顔を上げて参謀達に二、三意見を求め、それらに基づいた決定という幹を創り、参謀達がさらに討議して枝葉を拵える。

 これは彼等にすれば最良とは言えないが、ある程度の自信の基に練られた行動計画であったが、敵機動部隊の行動予測に重大な穴が開いていた。

 攻撃隊に属する艦上戦闘機をまとめて“制空隊”と呼称する帝国海軍の固定観念に、角田以下第六艦隊の司令部要員が皆縛られていることに彼等が気付くには、もう少し時間をかけ損害を出す必要があったのである。



 ―在マーシャル諸島の帝国海軍部隊一覧―


 第六艦隊 司令長官:角田覚治海軍中将

  旗艦:「酒匂」(第六艦隊司令部直属)

  第一戦隊:「大和」「武蔵」

  第三戦隊:「出雲」「越前」

  第六戦隊:「古鷹」「高雄」「愛宕」

  第七戦隊:「蓼科」「衣笠」「鞍馬」

  第一五戦隊:「沙流」「入間」「夏井」「雄物」

  第四航空戦隊:「大鷹」「冲鷹」「雲鷹」

       第六五一海軍航空隊

  第五航空戦隊:「飛鷹」「隼鷹」「穂高」「乗鞍」

       第六二一海軍航空隊

  第八航空戦隊:「大鳳」「龍鳳」

       第六八三海軍航空隊

  第二一戦隊:第一護衛隊:「夕張」「秋月」「照月」「涼月」「初月」

        第二護衛隊:「黒部」「新月」「若月」「霜月」「冬月」

  第二二戦隊:第三護衛隊:「阿賀野」「春月」「宵月」「夏月」「満月」

        第四護衛隊:「阿武隈」「葉月」「花月」「清月」「大月」

  第三水雷戦隊:「最上」

       第六駆逐隊:「夕雲」「巻雲」「風雲」「長波」

       第一一駆逐隊:「巻波」「高波」「白露」「時雨」

       第二三駆逐隊:「村雨」「夕立」「春雨」「海風」


 第二航空艦隊 司令長官:戸塚道太郎海軍中将

  艦隊司令部直率部隊

   第一〇〇三海軍航空隊(輸送)

   第三特別根拠地隊(駐クェゼリン本島)

   第六特別根拠地隊(駐ウォッゼ本島)

   第二五三海軍航空隊(艦戦/増援部隊)

   第五八一海軍航空隊(艦爆・艦攻/増援部隊)

   第二航空艦隊基地総隊 他

  第二二航空戦隊

   第二八一海軍航空隊(艦戦)

   第五〇三海軍航空隊(艦爆・艦攻/全滅判定)

   第七五一海軍航空隊(陸攻・戦爆/陸攻のみ全滅判定)

  第二四航空戦隊

   第一五一海軍航空隊(陸偵・艦偵)

   第三〇三海軍航空隊(局戦)

   第九八一海軍航空隊(水偵・哨戒・飛行艇)


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