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異説 太平洋戦記  作者: 水谷祐介
第一六章 合衆国海軍、マーシャルへ
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一〇四 猛将と理論家と烈風


 「通信より艦橋。総合作戦本部より入電。『本一七〇〇をもって“晴二号作戦”を発令す。帝国陸海軍は総力を上げ、来寇せる宿敵米軍を撃滅すべし。一六二三』以上です」

 「まったく、いまさら何を言うか。とうの昔に戦いは始まっておるわ」

 一九四三年一二月八日、日本標準時午後四時二五分。

 帝国海軍第六艦隊司令長官の角田覚治海軍中将は、旗艦である司令部巡洋艦「酒匂」の作戦室にあって、通信室から上げられた報告に対し苦虫を潰したような表情でつぶやいた。

 「長官、作戦の発令を艦隊に布告しなくてもよろしいのでしょうか?」

 第六艦隊の参謀長、有馬正文海軍少将がおずおずと尋ねると、角田は表情を変えずにぶすりと答えた。

 「我が艦隊の将兵に何をいまさら伝えると言うのかね? 我が艦隊の行く先はすでにマーシャル諸島と決まっておるし皆知っておる。必要無い」

 ――戦艦と空母を含む艦隊がハワイ島ヒロ湾を出撃した。という情報を一一月二八日に入手した帝国総合作戦本部は、とりあえず横須賀にあった第六艦隊司令部に出撃準備体勢を、その他本土の軍港に停泊中の主だった艦艇には上陸中の乗組員の緊急招集を、クェゼリン環礁に停泊中だったボルネオ島ブルネイ行の油槽船団に即時出港の命令をそれぞれ発したが、訓練のためにボルネオ島ブルネイにあった第二艦隊司令部に引き上げを命じることも、本土から増援の航空隊を進出させることもしなかった。

 なぜなら、敵信の解析や中立国で入手される情報等を基にした最新の敵情分析から、合衆国海軍の視線は明らかに東を向いており二正面作戦が出来る余裕などあるはずが無い……と、作戦本部に代表される東京にいる面々が見ていたからであり、「どうせ訓練に過ぎまい」という意見が体勢を占めていたからである。

 しかし角田は確たる根拠を持っていたわけでは無かったが、出撃準備命令を受けるや直ちに日吉の連合艦隊総司令部を訪れ、司令長官の南雲忠一海軍大将に直談判して、本来は第二艦隊隷下の本土在泊部隊をも臨時に第六艦隊の指揮下に編入させると共に、陸上基地に展開していた艦上機の母艦収容と父島近海への艦隊集結命令を発令させるという行動に出た。

 すなわち、作戦本部の言う訓練などではなく、彼等は劣勢を承知で限定的な攻撃を仕掛けてくるという考えからなのだが、普通こんな話を一人の提督が言ったところで通るはずは無い。

 それに例え通ったとしても、ただの杞憂に終わった場合には貴重な燃料だけでなく、手間と予算の無駄使いを強行した……と了見は狭いが人の失敗には敏感に反応するような連中に、良からぬ烙印を押されることは間違い無い。

 もはや自分は帝国海軍のさらなる近代化のための捨て石であると勝手に信じ込んでいる南雲は、自身が軍令部総長に異動する際の人事異動において、主力部隊の指揮官を任されるであろうこの帝国海軍きっての猛将に、そのようなリスクを負わせるわけにはいかぬと最初は反対した。

 だが、そんな理由で引き下がろうものなら猛将の名が廃る。

 マーシャル諸島に展開する第二航空艦隊の戦力は、ウェーク島やギルバート諸島に展開する合衆国陸軍航空軍に対処するだけなら充分だが、再建途上とは言え六〇〇機の艦上機を擁する太平洋艦隊に襲われてはとても戦線を支えきれない。

 また、太平洋艦隊が完全復活するまでじっとしているようでは、米国世論が黙っていない。艦隊が復活する以前に大統領選挙がある以上、何もしないことは共和党がまともに戦わなくても得票数の減少に繋がり、むしろ政府が軍を動かさざるを得ないだろう……と、角田には似合わない説得を駆使されては南雲も黙ってはいない。

 角田の申し出を全て受け入れると共に提案者の称号をも、つまり杞憂だった際に降りかかる泥は全て自分が被ると言って角田を横須賀に送り返したのだ。

 のみならず南雲は、「晴三号作戦発動準備。尚、二号……」という、絶対国防圏の一角であるトラック諸島の失陥を何よりも恐れるが故に、物事が良く見えていない作戦本部に配慮した命令を出す一方で、第六艦隊にはエニウェトク環礁への進出を命じている。

 エニウェトク環礁はマーシャル諸島の西の端に位置し、当然トラックに向かう艦隊が立ち寄る場所ではない。

 「トラックを向きつつマーシャルに行け。責任は俺がとる」……早い話、南雲はこう言ったわけである。

 その後部隊の集合に少し手間取り、エニウェトク環礁の北方約二〇〇海里の地点で米艦隊発見の報を受けた第六艦隊は、給油艦から最後の洋上給油を受けるや針路をひとまずビキニ環礁にとって、艦隊速度を給油艦に合わせていた一六ノットから二〇ノットに上げて進撃を続けた。

 給油艦から別れてすでに五時間。戦いの第一幕は終演を迎えており、東京の鈍さもここまでくると賞賛に値する。

 「失礼します。二航艦司令部より入電です」

 さて、角田の言葉に束の間静まり返った作戦室に、ノックの音と一緒に入室してきた通信参謀の森卓二海軍少佐の声が響いた。

 作戦室の妙な空気にたじろぎながら、森はやや長めの電文の綴りを角田に手渡した。

 猛将だろうが闘将であろうが何であろうが、“中年”であることに変わらない角田は老眼鏡を取り出して電文を一読すると、それを傍らに控えていた首席参謀の大井篤海軍大佐に手渡した。

 「……二航艦は何があろうと“丙”を潰したいようですね」

 太平洋戦争の開戦後、海上護衛総隊の作戦参謀として資源地帯と本土、さらに前線を結ぶ輸送路の確保に励んでいた大井は、今年に入ってからは通商防衛の経験を評価されてインド洋に於ける通商破壊部隊……第八艦隊の首席参謀として前線に立ち、日英講和に伴う第八艦隊の解隊後は航空母艦「蒼龍」副長、連合艦隊総司令部付き士官といった目立たない役職をこなしていた。

 そして、今年九月一五日に発令された人事異動で海兵五一期の先陣を切って海軍大佐に昇進及び現職への抜擢を受け、同期生曰くお手本のような出世コースに乗ったのである。

 「ほぅ、戸塚長官(海軍中将、戸塚道太郎第二航空艦隊司令長官)は泰山による夜間雷撃を敢行されるおつもりですか」

 大井の言葉に電文を覗き込んだ航空甲参謀の高橋赫一海軍中佐がそう言うと、有馬がどこか不安そうな声色で発言した。

 「しかし泰山による対艦雷撃は、南太平洋海戦の戦訓から自重が求められています。戸塚長官はいったい何を焦っておられるのでしょうか?」

 「……南太平洋海戦の時は薄暮攻撃だったが、二航艦がやろうとしているのは夜間攻撃だ。戦闘機の迎撃はまず無いだろうし、対空砲火も不正確になるからあながち無謀とも言えん。まぁ、強いて言えば取り逃がすことを恐れておられるのだろうな」

 机上に広げられたマーシャル諸島を中心とする地図と、壁に貼り出された戦闘経過の一覧表を見ながら角田は言った。

 ――第二航空艦隊司令部から逐次発信される戦況報告によれば、帝国海軍は現時点で文字通り劣勢に立たされている。

 二隻ずつの正規空母と軽空母を基幹とする目標“丙”に攻撃をかけた第一次攻撃隊は、二隻の軽空母に爆弾を多数命中させて撃沈に追い込み、二隻の正規空母にも二本ずつの魚雷を命中させて撃破したのだが、その代償として多数の未帰還機を出してしまった。

 具体的には、合衆国海軍の新鋭艦上戦闘機F6F“ヘルキャット”に終始押され気味だった零戦が出撃六三機中未帰還一六機、天風が出撃三二機中未帰還八機、彗星が出撃五三機中未帰還三七機、天山が出撃五三機中未帰還二六機であり、帰還機の中で損傷が酷い機体を省いた結果、特に第五〇三海軍航空隊には全滅判定が下され、早々と第二航空艦隊の戦闘序列から外されている。

 この結果第二航空艦隊の対艦攻撃力は大幅な低下をきたし、一方でどういうわけか全て戦闘機の単一編隊でやって来る合衆国海軍の攻撃隊の波状攻撃を受ける羽目に陥った。

 彼等は迎撃を受けるとひとしきり戦った後引き上げるという行動を繰り返したため、マーシャル諸島の基地群こそ全て無傷だが、紫電を装備した第三〇三海軍航空隊だけでは手が回らず、第二次攻撃隊用に待機していた零戦をも迎撃戦闘に投入したため、護衛を失った第二次攻撃隊の出撃は取り止めとなった。

 そうこうする間に太陽は西の海上に消えようとし、手負いの空母は東へよたよた去って行く。

 また、有力な空母機動部隊である第六艦隊が接近中であることや、後方から航空隊の増援があることは太平洋艦隊も分かっているだろうから、その増援が到着したとき太平洋艦隊が帝国海軍の攻撃圏内に留まっている確率は低い。

 そんななか、弱体化した攻撃力で最大の戦果を得ようと思えば、夜間雷撃を行き足の鈍っている“丙”の正規空母に仕掛ける以外に無い。

 マーシャル諸島という最前線を任されつつ“辺境部隊”との陰口を叩かれ、部隊や物資の配置の優先順位が下げられる傾向にある第二航空艦隊としては、もはや形振り構っている余裕は無い。

 戦闘序列的には同列で、長官の海軍兵学校の卒業年次的には一年下であることから、第六艦隊として夜間雷撃についてとやかく言うことは叶わないが、戸塚の心境を彼なりに考えた角田はそのことを割り引いても、有馬の懸念に対してあえて何も言うつもりにはなれず、そのことを示すように話題を自分達のことへと変えた。

 「ともかく、我が第六艦隊は特に“乙”を相手取る可能性がある。無理に追撃するつもりは無いが攻撃圏内に敵がいる限りは、徹底的に叩き潰す。そこで問題なのは八航戦の扱いだ。今のうちに皆の意見を聴いておきたい」

 「二航艦の報告から察するに、敵艦隊の艦上機のほとんどは戦闘機と思われます。“丙”の正規空母の被害状況によっては、残存機をカタパルト発艦させて“乙”の損害を埋めたとも考えられますから、“乙”の防御力は侮れません。逆に言えば我が艦隊が攻撃を受けることは有り得ませんから、捕捉出来ればとやかく言わずに総力出撃をかけるべきです」

 高橋がまず口火を切って積極論を展開すると、有馬がすかさず口を開いて意見を述べる。

 「航空甲参謀の言う通り、我が艦隊が敵の艦上機の攻撃を受けることは無いだろうが、場所によっては陸軍機による攻撃を受ける可能性がある。よって五航戦の零戦を一個中隊ずつ温存しておくべきです。もっとも、護衛はあってもP38でしょうから八航戦の烈風は攻撃隊に組み込むべきです」

 「航空甲参謀の言う通りだとしますと……」

 微妙な修正はあるにせよ、長官と似たような経歴と姿勢の持ち主である参謀長の賛同を得たことに一瞬得意気になった高橋の表情は、方針を引っくり返すことに関しては天下一品の理論家である大井の声によって暗くなった。

 「敵の迎撃戦闘機はことによるとこちらの制空隊よりも多いことになります。烈風の攻撃隊編入は当然のこととして、我が艦隊の防空は二航艦に依存するのも一つの手でしょうな」

 「ふむ、では五三型のお手並み拝見といくか。通信参謀、上阪に今の方針を伝えてくれ」

 予想してもいなかった大井の発言にキョトンとした高橋を横目に見ながら、満足気な口調で角田は言った。

 上阪香苗海軍少将が率いる第八航空戦隊は、戦時急造の新鋭中型正規空母である大鳳型航空母艦の一番艦「大鳳」と二番艦「龍鳳」からなり、その母艦航空隊として第六八三海軍航空隊がある。

 この六八三空は第六艦隊で唯一、艦上戦闘機“烈風五三型”と艦上爆撃機“流星二二型”を装備した部隊であり、連度にやや不安があるとは言え角田にとって是非とも使ってみたい部隊であった。

 三菱重工業からの出向技術者を迎えた城北航空機が開発した二〇〇〇馬力級エンジンである“秋嵐”……“誉”のバックアップエンジンを装備した機体が、果たしてどのような活躍を見せるのか、それを誰よりも楽しみにしている角田のもとへ新たな報告が入る。

 「通信より艦橋。連合艦隊総司令部より入電。『灰号作戦発動準備。一六五五』以上です」

 「……長官、少し気が早くはありませんか?」

 参謀達が揃って怪訝そうな表情を浮かべる中、唯一事情を知っている角田は苦笑いを浮かべてそうつぶやいた。



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