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過去と未来を繋ぐ者達へ  作者: 卵飯好男
【獣王国ディアナ編】第4章 大獣技場

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第90話 決勝

 決勝へ向かう通路の先から、腹の底まで震わせるような歓声が押し寄せてくる。


 休憩を挟んだことで少しは落ち着いたつもりだったけれど、出口へ近づくにつれて心臓の鼓動はまた速くなっていた。緊張しているのか、それとも楽しみにしているのか、自分でもよく分からない。ただ、不思議と足取りだけは軽かった。


 アルベルトと戦い、セレーネと戦い、気づけば最後の一試合。


 予選が始まった時には、まさか自分がここまで残るなんて思ってもいなかった。


 通路を抜けると、眩しい陽射しと一緒に大獣技場の全景が飛び込んできた。


『さあああああッ! お待たせいたしました! 《カグラ武闘獣杯》、いよいよ決勝戦ですッ!!』


 実況の声を掻き消す勢いで、観客席から歓声が湧き上がる。


 何度も立ったはずの試合場なのに、今までとは少し違って見えた。


 広さも、形も変わっていない。それでも中央へ向かって歩いていると、四方から集まる視線の数が嫌でも分かる。ここまで来ればさすがに俺でも、自分がこの大会の最後の二人に残ったのだという実感が湧いてきた。


『まずは今大会初出場! 準々決勝では歴戦の冒険者アルベルト・レイスを、そして準決勝では驚異の七属性対決を制してセレーネを撃破! 異国より現れた新たな実力者――真白ォォォォ朝陽ィィィィッ!!』


「うわ……」


 名前を呼ばれた瞬間、一段と大きな歓声が降ってきた。


 反応に困って、とりあえず片手を上げてみる。すると余計に盛り上がってしまい、なんとなく恥ずかしくなってすぐに下ろした。


 こういうのは何度やっても慣れそうにない。


 観客席へ目を向けると、人混みの中に見慣れた三人を見つけた。


 シウンは腕を組んだままこちらを見ていて、その隣ではミニムスが何やら大声で叫んでいる。口の動きは激しいのに、周囲の歓声に全部呑まれて一文字も聞こえない。


 聞こえなくても、たぶん問題ない。


 最後にセレーネへ視線を移すと、ちょうど向こうも俺を見ていた。


 目が合う。


 特に何か言うわけでもなく、セレーネは僅かに顎を引いた。


 俺も小さく頷き返す。


 それだけで十分だった。


『そして対するは昨年度王者! シウン、トラガミ・ジンという強敵を退け、今年もこの舞台へ帰ってきたァァァァッ! サルトビィィィィ・ゴクウゥゥゥゥ!!』


 今度こそ、大獣技場そのものが揺れたように感じた。


 反対側の通路から現れたゴクウは、その歓声を浴びながら長い金属棍を肩に担ぎ、空いた手を観客席へ振っていた。


「おー! 今年もすげえな!」


 本人まで一緒になって盛り上がっている。


 途中で誰か知り合いでも見つけたらしく、そちらへ向かって大きく手を振り返しながら歩いてくる姿には、これから決勝を戦う緊張感なんて欠片もない。


 やがて俺の前まで来ると、ゴクウは何事もなかったように笑った。


「よっ」


「……軽いなあ」


「何が?」


「一応、決勝だぞ」


「知ってるよ。だから来たんじゃん」


「そりゃそうだけど」


 思わず笑ってしまう。


 シウンとの試合でも、ジンとの試合でもそうだった。


 ゴクウはずっとこんな調子だった。


 追い込まれても焦らず、相手がどれだけ強くても楽しそうに棍を振り回し、気づけば最後には勝っている。


 ただ――こうして正面に立ってみると、観客席から見ていた時には気づかなかったこともあった。


 まず、棍が長い。


 もちろん見れば分かることだし、試合を見ていた時から知っていた。それでも自分へ向けられる距離まで近づいてみると、その長さが急に現実味を持つ。


 俺の剣ではどう考えても届かない位置に立っているのに、ゴクウが肩から棍を下ろせば、その先端は簡単にこちらへ届く。


「……それ、近くで見ると長いな」


「ん? 棍?」


「うん」


「貸そうか?」


「今から戦う相手に?」


「触るだけならいいぞ」


「いや、いいよ。終わってからにする」


「じゃあ勝ったらな」


「俺が勝っても触らせろよ」


「それは考える」


「なんでだよ」


 ゴクウが声を上げて笑う。


 俺も笑いながら腰の剣へ手を掛けた。


 その時だった。


 ゴクウが肩に担いでいた棍を下ろす。


 たったそれだけ。


 表情も変わらなければ、身体に力が入ったようにも見えない。


 それなのに、棍の先端がこちらへ向いた瞬間、さっきまで普通に話していた男が急に遠く感じられた。


 俺とゴクウの間にある空間を、一本の棍が丸ごと支配している。


 近づこうと思えば近づける。


 ただし、そこへ足を踏み入れた瞬間から向こうの攻撃が届く。


 俺の剣は、まだ届かない。


 ゴクウが笑ったまま口を開いた。


「朝陽」


「ん?」


「セレーネとの試合、見てたぞ」


「まあ、次に戦うんだから見るよな」


「うん。だからちょっと困ってる」


「困る?」


「お前、戦ってる途中で色々できるようになるだろ」


 棍を握った手が、軽く位置を変える。


 何気ない動作なのに、先端が僅かに揺れただけで俺の目はそこへ引かれた。


「アルベルトの時もそうだったし、セレーネとやってた時なんて途中から使う魔法まで増えてたじゃん。ああいう奴、相手してると面倒なんだよ」


「……もしかして警戒されてる?」


「してるしてる」


「全然そう見えないけど」


「そりゃ見せないようにしてるからな」


「今言ったら意味なくない?」


「あ」


 本気で今気づいたような顔をする。


 どこまで本気なのか分からない。


 でも、俺が笑った直後、ゴクウは何でもないことのように続けた。


「だからまあ、覚える前に倒す」


 口調はさっきまでと変わらない。


 それでも、その一言だけは妙にはっきり耳に残った。


 こいつは俺が試合の中で相手を見ていることを知っている。


 ということは当然、好きに観察させてくれるつもりもない。


 審判が中央へ進み出た。


「両者、位置へ」


 俺は数歩下がりながら剣を抜いた。


 右手に片手剣を持ち、左手は空けておく。


 剣と魔法。


 今の俺が一番慣れている形だ。


 向かいではゴクウが棍を両手で握り、腰を僅かに落としていた。


 さっき感じた通り、遠い。


 俺が斬るためには踏み込まなければならない。


 けれどゴクウは、その踏み込む前から俺を殴れる。


 だったら、まずはあの間合いを越える。


 審判が左右を確認する。


 さっきまで耳を埋め尽くしていた観客の声が、意識の外へ遠ざかっていった。


「――始め!」


 俺は合図と同時に地面を蹴った。


 長い武器を相手にして、わざわざ向こうの間合いで待つ理由はない。一気に距離を潰すつもりで踏み込み、剣を振れるところまで残り二歩に迫ったところで、ゴクウの前側の手が僅かに押し出された。


 大きく振りかぶったわけでもない。


 腰を捻ったようにも見えなかった。


 それなのに、次の瞬間には胸元へ金属の先端が迫っていた。


「っ……!」


 予想していたより、ずっと速い。


 咄嗟に上体を捻ると、棍が服の胸元を掠めながら脇を抜けていく。冷たい金属が一瞬だけ視界を横切り、その向こうにゴクウの顔が見えた。


 まだ笑っている。


 でも、ここだ。


 突き出した棍は俺の横を抜けた。引き戻すより先に懐へ入れば、今度は俺の剣が届く。


 止まりかけた足をそのまま前へ送り、ゴクウとの距離を一気に詰める。


 そこで初めて、ゴクウの手が棍の上を滑った。


 何をしているのか理解するより早く、俺の横を通り過ぎたはずの棍が弧を描いて戻ってくる。


 剣を振るはずだった右腕を慌てて立てた。


 甲高い金属音とともに衝撃が腕を突き抜け、握った柄が手の中で震える。


 重い。


 見た目から想像していた以上の一撃に押し返されかけ、俺は片足を後ろへずらして踏ん張った。


 その瞬間、目の前にいたゴクウの姿が消えた。


 違う。


 下だ。


 棍を受け止めた俺の意識が腕へ向いた僅かな隙に、ゴクウは深く腰を落としていた。俺の剣の下へ潜り込むように身体を滑り込ませ、その肩が胸元へ触れる。


 まずい。


 そう思った時にはもう遅かった。


 足元を払われる感触と同時に身体が浮き、さっきまで正面にあった観客席がぐるりと傾いた。


 地面が迫る。


 咄嗟に身体を捻り、肩から落ちながら勢いを殺す。そのまま一度転がって距離を取り、砂を蹴り散らしながら立ち上がった。


 すぐに剣を構える。


 追撃が来る。


 そう思ったのに――ゴクウは来なかった。


 数歩離れた場所で、いつの間にか棍を肩へ戻している。


「……なるほど」


「何が?」


「いや」


 口では誤魔化しながら、剣を握り直した。


 観客席から見ていた時には、もっと単純に考えていた。


 長い棍を使って相手を翻弄する。


 懐へ入られそうになれば、持ち方を変えて対応する。


 言葉にしてしまえば、それだけだった。


 でも違う。


 実際に向けられた棍は、ただ長いんじゃない。


 俺が「ここからなら剣が届く」と思って踏み込んだ、その距離まで含めてゴクウの間合いだった。


 遠くても向こうの方が先に届く。


 だから近づいた。


 なのに近づいた瞬間には、もう棍の使い方そのものが変わっている。


 だったら――次は。


 そこまで考えたところで、ゴクウが棍を肩から下ろした。


「朝陽」


「ん?」


「だから、考えてる暇ないって」


 言葉が終わるより先に、ゴクウの姿が大きくなった。


 今度は向こうから来る。


 俺は剣を握り締め、迫ってくる棍の先端から目を離さなかった。


 ゴクウとの距離が瞬く間に縮まり、真っ直ぐ伸びてきた棍の先端が視界の中央を埋める。


 さっきと同じ突き。


 そう思って身体を外へ逃がしかけた瞬間、棍が止まった。


「――っ!」


 違う。


 突き切るつもりなんて最初からなかったのか、ゴクウは俺が動き始めたのを見るなり手首を返し、半端な位置で止めた棍をそのまま横へ薙いだ。


 避けようとした方向から金属の棒が追いかけてくる。


 身体を戻している余裕はない。剣を差し込んで受けると、耳元で甲高い音が弾け、腕へ伝わった衝撃に肩まで持っていかれそうになる。


 それでも今度は踏ん張らなかった。


 まともに力を受け止めるより、棍が振られた方向へ自分から身体を流す。押し飛ばされる勢いを利用して半歩横へ逃げると、さっきほど腕に衝撃は残らなかった。


「お」


 ゴクウの声が聞こえた。


 上手くいった。


 けれど、それを確かめる暇もない。


 受け流された棍を引き戻すことなく、ゴクウはその勢いのまま身体を回していた。長い棍が背中側を通って反対の手へ渡り、一周して今度は低い位置から迫ってくる。


 狙いは足。


 跳べば避けられる。


 地面を蹴ろうとして――やめた。


 シウンとの試合で見た。


 ゴクウは棍を地面へ突き立て、それを支点に空中の相手まで追っていた。自分から逃げ場のない空中へ出るのは危ない。


 後ろへ下がる。


 棍が靴の先を掠めて通り過ぎ、そのままゴクウの身体まで俺から離れていく。


 追うか。


 一瞬だけ迷った。


 でも、今度は先に左手を向ける。


「《ファイアボール》!」


 放った火球が、距離を取りかけたゴクウへ飛んでいく。


 避けるなら、その先へ踏み込む。


 そう考えていた俺の目の前で、ゴクウは棍を両手に持ち直すと、飛んできた火球へ横から思い切り叩きつけた。


 炎が爆ぜた。


「は!?」


 赤い火の粉が派手に飛び散り、一瞬でゴクウの姿を覆い隠す。


 魔法を棍で殴るなんて考えていなかった。


 でも、止められたわけじゃない。


 むしろ姿が見えないなら、向こうからも俺は見えない。


 剣を身体の横へ引きつけ、散った炎の中へ飛び込む。


 熱気が頬を撫でる。その向こうに人影を見つけ、迷わず剣を振り抜いた。


 硬い手応えが返ってきた。


 ゴクウはいた。


 しかも逃げるどころか、炎の中で棍を立てて俺の剣を受け止めている。


「見えてたのかよ!」


「見えてない!」


「じゃあなんで!」


「来ると思った!」


 それだけ言うと、ゴクウは剣を受けていた棍を斜めに傾けた。


 押し込もうとしていた力の行き先が突然なくなり、刃が棍の表面を滑る。身体ごと前へ崩れた俺の脇をゴクウが抜け、すれ違いざまに足を引っ掛けてきた。


 今度は分かっている。


 引っ掛けられた足へ逆らわず身体を回し、倒される勢いをそのまま利用して片手を地面につく。視界の端でゴクウが振り返るのが見えたところで、左手を向けた。


「《ブリーズ》!」


 至近距離で風が弾けた。


「うおっ!」


 初めてゴクウの身体が大きく揺らぐ。


 俺も片手をついた不安定な姿勢から転がるように立ち上がり、そのまま一歩踏み込んだ。


 風に押されたゴクウとの距離が開く。


 ちょうど剣が振れる。


 右腕を振り抜くと、ゴクウが棍を戻すより僅かに早く切っ先がその肩口へ迫った。


 届く。


 そう思った瞬間、ゴクウが上体を後ろへ反らした。


 刃が胸元を横切り、服の表面を浅く掠める。


「惜しい!」


「ちょっとは当たっただろ!」


「服な!」


 言い返す間にも、反らしていたゴクウの身体が戻ってくる。


 その勢いに合わせて棍まで振られた。


 今度は受けない。


 頭を沈めると、髪を巻き上げるほどの風を残して棍が頭上を通過した。


 その下からゴクウの胴が見える。


 さっきなら迷わず踏み込んでいた。


 でも、今は一瞬だけ待つ。


 棍が通り過ぎても、ゴクウ自身はまだ動ける。


 俺が近づけば何をする。


 足か。


 肩か。


 それともまた持ち方を――。


「遅い!」


 考えている間に、ゴクウが棍を引き戻した。


 慌てて剣を合わせる。


 今度は正面からぶつかった。


 重い衝撃に押され、足が地面を滑る。


 まずい。


 今のは考えすぎた。


 何でも疑えばいいわけじゃない。警戒して動かなければ、それはただ止まっているのと同じだ。


 ゴクウが間合いを詰めてくる。


 だったら、次は迷わない。


 振り下ろされた棍を剣の腹で外へ滑らせ、空いたところへ踏み込む。ゴクウの手元が動いたのを見て、今度は剣を最後まで振らず途中で止めた。


 案の定、棍が中央へ持ち替えられる。


 そのまま剣を受けるつもりだったらしい。


 なら。


 振りかけた右腕を引くのと同時に左手を突き出す。


「《ウォーターボール》!」


「うわっ!」


 水球がゴクウの胸元で弾けた。


 直撃――とはいかなかった。


 棍から片手を離し、腕で顔を庇いながら身体を捻ったことで、まともに受けたのは肩から胸の一部だけ。それでも勢いまでは殺せず、濡れた服を翻しながら二歩、三歩と後ろへ下がった。


 そこへ追いつく。


 今度は行く。


 剣を振る。


 ゴクウが棍で受ける。


 止められるのは分かっていた。


 だから、ぶつかった瞬間に剣を引き、すぐさま逆方向から振り直す。


 二度目も棍が間に入った。


 なら三度目――ではなく、左手。


 ゴクウの目がそちらへ動く。


 魔法を警戒している。


 撃たない。


 左手を向けたまま足を踏み込み、右の剣を突き出した。


「おっ」


 初めて、ゴクウの反応が僅かに遅れた。


 身体を横へ逃がしたものの、切っ先が服の脇腹を掠める。


 今度はさっきより深い。


 それでも身体には届いていない。


 でも。


 通じる。


 剣だけなら棍に止められる。


 魔法だけでも対応される。


 だったら二つを同時に意識させればいい。


 ゴクウが何をしてくるのか全部読む必要なんてない。ほんの一瞬でも迷わせれば、そこへ剣を通せる。


「なるほどなあ」


 距離を取り直したゴクウが、濡れた肩を見ながら呟いた。


「何が?」


「いや。さっきより面倒になったなって」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる褒めてる」


「適当だな」


「ほんとだって」


 ゴクウが棍を一度回す。


 俺も剣を構え直した。


 今度はこっちから仕掛ける。


 左手を向けると、ゴクウの視線が僅かに動いた。


「《ロックショット》!」


 撃ち出した石礫は一つじゃない。


 真っ直ぐゴクウへ向かうものと、その左右へ散らしたもの。全部を当てる必要はなく、避ける場所を減らせればいい。


 ゴクウが棍を振る。


 正面の一つが砕け、細かな石片が宙へ散った。


 二つ目は身体を傾けて避ける。


 右。


 そこへ走り込む。


 棍の先端がこちらを向いた。


 突き。


 今度は見える。


 剣を斜めに当てて外へ流し、棍の横を抜けるように距離を詰めた。


 ゴクウの前側の手が柄を滑る。


 さっきと同じ。


 通り過ぎた先端が戻ってくる。


 それより先に身体を沈める。


 棍が頭上を通った。


 今なら剣が届く。


 踏み込む。


 ゴクウが下がった。


 逃がさない。


 さらに一歩。


 剣を振り上げたところで、ゴクウの口元が僅かに吊り上がった。


 その笑みを見た瞬間、準決勝の光景が頭を過ぎる。


 ジンが追った。


 ゴクウが下がった。


 そして――。


 踏み出しかけた足を止めた。


 直後、目の前を細い何かが横切った。


「……は?」


 地面すれすれに張られた紐が、俺とゴクウの間で小さく揺れている。


 あと半歩。


 そのまま追っていれば、確実に足を取られていた。


「止まったか」


 ゴクウが残念そうに言った。


「……いつ置いた?」


「何を?」


「これだよ」


 剣先で紐を示す。


 ゴクウは俺が何を言っているのか分からないという顔で首を傾げた。


「知らないなあ」


「お前以外に誰がいるんだよ」


「元からあったんじゃね?」


「試合場に?」


「たまにはあるだろ」


「ないだろ」


 言い返しながらも、視線は紐から離せなかった。


 いつだ。


 さっきまで何度もこの辺りを動いていたのに、こんなものには気づかなかった。


 ゴクウが俺を投げた時か。


 火球が弾けた時。


 それとも水球を避けた時。


 思い返してみても分からない。


 分からないまま、別の言葉が頭に浮かんだ。


『あいつは、強ぇ奴ほど嵌めるのが上手い』


 ジンが言っていた。


『自分から勝ちに行くな』


 さっき俺は、剣と魔法を組み合わせれば通じると思った。


 実際、二度も服へ刃が触れた。


 だから追った。


 今ならいけると、自分から一歩深く踏み込んだ。


 その場所に、罠があった。


 偶然じゃない。


 少なくともゴクウは、俺が追ってくることを分かっていた。


 だったら――。


「朝陽」


 呼ばれて顔を上げる。


 紐の向こうで、ゴクウが棍を構えていた。


「考え事終わった?」


「……おかげさまで」


「じゃあ続きな」


 笑っている。


 俺も剣を持ち直した。


 ジンの言葉の意味が、少しだけ見えた気がする。


 でも、まだ答えにするには早い。


 ゴクウと戦い始めて、まだほんの少ししか経っていない。


 だったらもっと見ればいい。


 次は、罠だけじゃなく。


 この男が何を見て、どうやって俺をそこへ連れていくのか。


 俺は紐を避けるように横へ踏み出し、もう一度ゴクウとの間合いへ入った。


 今度は、すぐには剣を振らなかった。


 間合いへ踏み込めば、ゴクウの棍が先に届く。それはもう分かっている。だからといって外から魔法を撃ち続けたところで、さっきの《ファイアボール》みたいに叩き落とされるか、避けられるだけだろう。


 なら、どちらか一つに決める必要はない。


 剣を下段に構えたまま、左手へ魔力を集める。


 その動きを見て、ゴクウの棍が僅かに持ち上がった。


 魔法を警戒した。


 たぶん。


「《ウィンドカッター》!」


 放った風の刃は、ゴクウ本人ではなく足元を狙った。


 地面が抉れ、砂が大きく巻き上がる。


 ゴクウの姿がその向こうへ霞んだ瞬間、俺は自分から土煙の中へ飛び込んだ。


 さっきはゴクウに見えないところから来られた。


 今度は俺がやる。


 剣を身体の横へ引きつけ、煙の向こうに浮かんだ人影へ斬り込もうとしたところで、右の頬を何かが掠めた。


 考えるより先に首を傾ける。


 直後、細い金属の先端が目の前を走り抜けた。


 棍だ。


 俺からはほとんど見えていない。


 それなのに向こうからは、迷いなく俺の顔を狙ってきた。


 足を止めると次が来る。


 そう判断して、棍が引き戻されるより先に煙の中を駆け抜ける。ぼんやりと見えていたゴクウの輪郭が近づき、今度こそ剣を振り上げた。


 その時、足元で砂を踏む音がした。


 ゴクウが一歩、横へ動く。


 輪郭がずれる。


 追って剣の軌道を変えたところへ、煙の中から棍の中央部分が現れた。


 刃を受け止められる。


 金属音が響いた。


 けれど、今度は押さない。


 接触した瞬間に剣を引き、左手をゴクウへ向ける。


 近い。


「《イグニス》!」


 掌に灯った炎をそのまま突き出すと、ゴクウは顔を背けながら棍を強く押し込んできた。


 剣ごと身体を押される。


 足が砂を削る。


 それでも炎を消さずに前へ出ると、さすがに熱かったのか、ゴクウの方から棍を外して横へ逃げた。


 追いかけようとして、やめる。


 さっきと同じことはしない。


 代わりに左手を振った。


 小さな炎が弧を描いて飛び、ゴクウが逃げた先の地面へ落ちる。


「そこ!」


 炎そのものを当てるつもりはなかった。


 足を止めるか、進む方向を変えさせればいい。


 ゴクウは炎を避けるため、こちらへ身体を返した。


 その瞬間にはもう踏み込んでいる。


 剣を振り下ろす。


 ゴクウが棍を横にして受けた。


 狙い通り。


 今度はそのまま力を掛ける。


 ゴクウの両手が棍を支え、俺の剣と正面から押し合う形になった。


 右。


 左。


 どっちへ逃げる。


 俺がゴクウの足元へ視線を落とした瞬間、目の前から棍が消えた。


 剣を押し返していた力まで一緒になくなる。


「しまっ――」


 前へ崩れた俺の顔のすぐ横を、ゴクウの頭が通り過ぎた。


 身体を入れ替えられた。


 振り返ろうとした背中へ何かが触れる。


 棍。


 打たれる。


 咄嗟に横へ飛んだ。


 間に合わない。


 脇腹へ鈍い衝撃が食い込み、身体が横へ持っていかれる。


「ぐっ……!」


 地面へ倒れそうになるのを剣で支え、どうにか片膝で止まった。


 痛みが遅れて広がる。


 まともに入った。


 さっきまでのように刃で受けてもいない。


 息を吸うと脇腹が痛んだ。


「大丈夫?」


「……殴った本人が聞く?」


「結構いいの入ったから」


「分かってるよ……!」


 痛む脇腹を押さえながら立ち上がる。


 ゴクウは追ってこなかった。


 まただ。


 こいつは、攻める時と止まる時が妙に極端だ。


 今だって追えば、少なくとも俺は簡単には反撃できなかったはずなのに。


 なのに来ない。


 俺が立つのを待っているようにさえ見える。


 ――待っている?


 その考えが浮かんだ瞬間、自分で否定する。


 違う。


 待っているんじゃない。


 たぶん、見ている。


 俺がどうするのか。


 立ち上がった俺が距離を取るのか、怒って飛び込むのか、それとも魔法を使うのか。


 ゴクウは次の攻撃を決めるより先に、それを見ようとしている。


 だったら。


 俺は剣を構えたまま動かなかった。


 ゴクウも動かない。


 数秒。


 大獣技場を埋める歓声の中で、俺たちの間だけが妙に静かになった。


「……来ないの?」


 先に口を開いたのはゴクウだった。


「そっちこそ」


「オレはどっちでもいいよ」


「じゃあ俺も」


「真似すんなよ」


「別にいいだろ」


 ゴクウが少しだけ笑う。


 その直後、肩が動いた。


 来る。


 俺は反射的に剣を上げかけた。


 けれど棍は来ない。


 ゴクウが動かしたのは肩だけだった。


「あ」


 声が漏れた。


 ゴクウの笑みが深くなる。


「今、反応したな」


「……性格悪いな、お前」


「褒めんなって」


「褒めてない」


 今ので、少し分かった。


 こいつは技だけを見ているんじゃない。


 俺が何を怖がっているのかまで見ている。


 棍の突きを警戒しているなら、それらしい動きを見せる。


 近づかれるのを嫌がっているなら、そこへ意識を向けさせる。


 そして俺が反応した瞬間に、本当にやりたいことへ繋げる。


 だから外から見ていると、相手が勝手に罠へ入っているように見えたんだ。


 ゴクウが全部を操っているわけじゃない。


 相手が自分から選んだ動きを、少しだけ都合のいい方向へ押している。


 俺が考えている間に、ゴクウの姿勢が変わった。


 今度はさっきみたいな偽物じゃない。


 踏み込みと同時に棍が伸びる。


 胸元を狙う軌道が見えた。


 剣を合わせる。


 その直前で思い直した。


 ゴクウは、俺が棍を受けると思っている。


 なら。


 身体を横へ投げ出すようにして避けた。


 棍の先端が服を掠める。


 そのまま横へ走る。


 正面から入らない。


 円を描くようにゴクウの側面へ回りながら左手を向けた。


「《ヴァイン》!」


 地面から伸びた蔓が、ゴクウの足元へ絡みつく。


「うおっ!?」


 初めて、はっきりと驚いた声が聞こえた。


 蔓は片足を捉えたものの、完全には止められない。ゴクウは棍を地面へ突き、身体を浮かせることで強引に足を引き抜こうとする。


 でも、その一瞬で十分だった。


 地面を蹴る。


 今度は俺が、ゴクウの動ける方向を決める。


 片足を取られた状態で、棍を支えにして身体を浮かせた。


 なら逃げる方向は上しかない。


 剣を振り上げる。


 ゴクウの身体が宙へ浮いた。


 届く。


 刃が迫る。


 それでも、ゴクウの顔から笑みは消えなかった。


 空中で棍を握る手の位置が変わる。


 嫌な予感がした。


 俺が剣を止めるより早く、地面へ突き立てられていた棍が大きくしなった。


 反動を使ったゴクウの身体が、俺の予想よりさらに高く跳ね上がる。


 剣が空を切った。


「そんなのありかよ!」


「あるからやってんだろ!」


 頭上から声が落ちてくる。


 見上げた時には、ゴクウが身体を捻っていた。


 棍を両手で握り直し、落下の勢いごと俺へ叩きつけようとしている。


 避ける。


 横へ飛び退いた直後、棍が地面を打った。


 轟音とともに砂が弾ける。


 その衝撃に足元が揺れた。


 着地したゴクウへ、俺はすぐに左手を向ける。


「《ウォーターボール》!」


 水球が飛ぶ。


 今度は棍で弾かせない。


 着地したばかりのゴクウが棍を持ち上げようとするより早く、続けてもう一発を撃った。


 一つ目を身体を捻って避けた先へ、二つ目が迫る。


 ゴクウの目が見開かれた。


 水球が肩へぶつかり、大きく弾ける。


「よし!」


 初めて、まともに入った。


 水に押されたゴクウが体勢を崩し、その足が地面を滑る。


 ここで追えば。


 頭に浮かんだ瞬間、足が前へ出かけた。


 でも止める。


 違う。


 さっきそれで罠に入った。


 俺は追わず、剣を構えたままゴクウを見る。


 濡れた髪から水を滴らせながら、ゴクウがゆっくり顔を上げた。


 目が合う。


 そして。


「……来ないの?」


「行かない」


「なんで?」


「行ってほしそうだから」


 一瞬の沈黙。


 ゴクウが吹き出した。


「ははっ!」


「何だよ」


「いや。面白くなってきた」


 棍を肩へ担ぎ直し、濡れた顔を手の甲で拭う。


 俺も息を整えながら剣を握り直した。


 ようやく一発。


 魔法をまともに当てただけだ。


 それでも、最初とは少し違う。


 ゴクウが何をしてくるか分かったわけじゃない。


 罠を全部見抜けるようになったわけでもない。


 ただ、こいつの動きだけを追うんじゃなく、その前に俺自身が何を選ばされているのかを見る必要がある。


 それだけは分かってきた。


 でも。


 ゴクウの笑い方を見る限り、たぶん向こうも同じだ。


 俺がそこに気づいたことまで、もう見られている。


「朝陽」


「何?」


「次から、もうちょい意地悪するわ」


「今までのは?」


「普通」


「嘘つけ」


 ゴクウが笑いながら棍を構える。


 その姿を見て、俺も剣先を持ち上げた。


 次に同じ手は通じない。


 それは俺だけじゃなく、向こうも同じ。


 だったらまた考えるしかない。


 目の前で変わり続けるこいつを見ながら。


 俺が一歩踏み出すと、ゴクウも同時に地面を蹴った。


 俺たちの足が、ほとんど同時に地面を離れた。


 正面から距離が潰れる。


 先に動いたのはゴクウの棍だった。胸元へ伸びてきた先端を剣で外側へ弾き、そのまま懐へ潜ろうとする。


 けれど、ゴクウは引かない。


 むしろ一歩、前へ出てきた。


「っ!」


 予想より早く互いの身体が近づく。


 長い棍を持っている以上、近距離は嫌がる。


 どこかでそう思っていた。


 でも、ゴクウは棍の中央へ両手を滑らせると、まるで別の武器に持ち替えたみたいに短く扱い始めた。


 右から来た先端を剣で受ける。


 その直後、反対側が脇腹へ跳ね上がった。


 身体を引いて躱すと、今度は頭上から棍の中央が落ちてくる。刃を横にして受け止めた瞬間、ゴクウは棍を押しつけたまま俺の横へ回り込んだ。


 力で押し切るつもりじゃない。


 俺の剣を動かせないようにしている。


 だったら。


 左手へ魔力を集める。


 それを見たゴクウがすぐに棍を離し、後ろへ跳んだ。


「《アクア》!」


 追うように水を放つ。


 ゴクウは身体を捻って避け、そのまま棍を長く持ち直した。


 近づけば短く。


 離れれば長く。


 分かっていたはずなのに、実際に目の前で切り替えられると厄介さがまるで違う。


 剣が有利になる距離まで入ったと思った瞬間、その距離に合った使い方へ変えられる。


 俺が剣と魔法を使い分けているのと同じように、ゴクウは一本の棍だけで間合いそのものを変えている。


「ほんと器用だな……!」


「だろ?」


「自分で言うのかよ!」


 返事と同時に、ゴクウが棍を突き出す。


 今度は最初から受けない。


 半歩だけ左へずらし、先端を身体の横へ通す。


 そのまま踏み込む――と見せて、止まった。


 ゴクウの手が動く。


 やっぱり。


 通り過ぎた棍を戻してくるつもりだ。


 だったら、その瞬間を狙う。


 左手を向けた。


「《ロックショット》!」


 石礫が飛ぶ。


 棍を引き戻しかけていたゴクウは、身体を横へ倒すようにしてそれを避けた。


 そこへ剣を振る。


 刃が肩口へ迫る。


 ゴクウはまだ体勢を戻せていない。


 今度こそ――。


 そう思った瞬間、ゴクウの片足が棍へ掛かった。


「え?」


 手ではない。


 棍を足で引っ掛け、そのまま跳ね上げた。


 俺の剣と棍がぶつかる。


 軌道を逸らされた刃が肩の横を抜け、空を切った。


 次の瞬間には、地面すれすれまで倒れていたはずのゴクウが片手をつき、身体を回転させている。


 踵が飛んできた。


 腕を上げる。


 蹴りがぶつかり、身体が横へ流された。


 その隙にゴクウは棍を拾い直し、何事もなかったみたいに立ち上がる。


「……棍、足でも使うのか」


「使えるもんは使うだろ」


「普通そういう意味じゃないと思う」


「細けえなあ」


 軽口を叩きながらも、目はゴクウの全身を追っていた。


 棍だけを見ていたら駄目だ。


 手も、足も、身体の向きも。


 こいつにとって棍は武器だけど、棍だけで戦っているわけじゃない。


 ジンとの試合でもそうだった。


 シウンとの試合でも。


 棍で攻撃していると思ったら、それを支点に身体を飛ばす。相手が棍を警戒すれば蹴る。逃げたと思わせて罠へ誘い、追わなければ自分から仕掛ける。


 何をしてくるかじゃない。


 何でもしてくると思った方がいい。


 ゴクウが動く。


 今度は追わず、俺は左手を地面へ向けた。


「《アースウォール》!」


 土の壁がせり上がり、俺とゴクウの間を遮った。


「お?」


 壁の向こうから声がする。


 これで一度、正面からの棍は切れる。


 俺は壁の左側へ回り込む。


 ゴクウがどちらから来るか分からないなら、こっちから位置を変える。


 左端へ近づいたところで足を止め、あえて姿を出さずに耳を澄ませた。


 足音。


 右。


 壁の反対側へ回っている。


 なら、こっちは左から。


 壁を挟んだまま互いに逆方向へ動く。


 俺が端を抜ける。


 ゴクウはいない。


 予想通り右へ行った。


 背後を取れる。


 壁沿いに走り出した、その時。


 頭上から小石が落ちてきた。


「……ん?」


 見上げる。


 土壁の上に、ゴクウがいた。


「よっ」


「なんでそこにいるんだよ!」


 ゴクウが笑いながら飛び降りる。


 同時に棍が振り下ろされた。


 横へ転がって避ける。


 棍が地面を叩き、砂と土が跳ね上がった。


 立ち上がりながら剣を振ると、ゴクウは棍を地面についたまま身体を持ち上げる。刃がその下を通り過ぎ、俺の頭上をゴクウの身体が越えていった。


 背後。


 振り向く。


 もう棍が来ている。


 剣で受けた。


 衝撃。


 すぐに反対。


 今度は身体を沈めて避ける。


 そのまま左手を突き出す。


「《ファイアボール》!」


 至近距離から放った火球に、ゴクウは棍を横から叩きつけた。


 炎が弾ける。


 視界が赤く染まる。


 さっきと同じ。


 でも、同じなら分かる。


 ゴクウはこの中でも来る。


 俺は炎の向こうへ剣を振らなかった。


 代わりに一歩下がる。


 直後、赤い炎を突き破って棍の先端が現れた。


 胸の前を通り過ぎる。


「――そこ!」


 棍ではなく、その奥へ左手を向ける。


「《ウィンドボール》!」


「おっと!」


 風の塊が炎ごと吹き飛ばした。


 赤い火の粉が渦を巻いて散り、その向こうにいたゴクウの身体まで後ろへ押される。


 体勢が崩れた。


 追う。


 今度は迷わなかった。


 罠があるかもしれない。


 追わせようとしているのかもしれない。


 それでも、何もかも疑って止まっていたら攻撃なんてできない。


 だったら、追いながら見る。


 剣を右へ引き、ゴクウとの距離を詰める。


 足元。


 何もない。


 ゴクウの手。


 棍を握っている。


 腰。


 少し落ちている。


 逃げるのか。


 違う。


 俺が剣を振るより先に、ゴクウがこちらへ踏み込んできた。


 長い棍を持ったまま。


 その動きが予想外で、反応が僅かに遅れた。


 振り始めていた剣の内側へゴクウが潜り込む。


 近すぎる。


 剣を振れない。


 ゴクウの肩が胸へぶつかった。


「ぐっ!」


 息が詰まる。


 さらに足を掛けられる。


 身体が傾いた。


 また投げられる。


 今度は分かっている。


 倒される方向へ自分から踏み込み、足を掛けられたまま身体を回す。


 ゴクウの肩から逃れた。


 着地。


 ほとんど同時に振り返る。


 ゴクウも振り返っていた。


 近い。


 剣は使いづらい。


 でも左手は空いている。


「《ストーン》!」


 掌の前に生まれた石を、そのままぶつける。


「うわっ!」


 ゴクウが顔を横へ逸らした。


 石は頬を掠めただけ。


 それでも初めて、ゴクウの顔から笑みが消えた。


 俺は剣を引き戻し、今度こそ斬り込む。


 ゴクウが棍を立てる。


 刃とぶつかる。


 すぐに離す。


 左手。


 ゴクウが見る。


 魔法――は使わない。


 視線が左へ向いた一瞬に、もう一度剣を振る。


 ゴクウが身体を反らす。


 刃が服を掠めた。


 そのまま踏み込む。


 逃げる足。


 追う。


 棍が横から戻ってくる。


 剣を立てて受け、衝撃を外へ流しながら左へ回る。


 ゴクウも回る。


 互いの位置が入れ替わる。


 さっき作った土壁が視界の端へ入った。


 その瞬間、ゴクウの目がほんの少しだけそちらへ向いた。


 壁。


 何かするつもりか。


 俺は反射的に壁から距離を取った。


 ゴクウが笑った。


「そっち気にする?」


「――っ」


 しまった。


 意識を壁へ向けられた。


 気づいた時には、棍が下から迫っている。


 剣を戻す。


 間に合った。


 けれど、受けた瞬間に腕が大きく跳ね上げられた。


 胸が空く。


 ゴクウの足が地面を蹴る。


 来る。


 咄嗟に左腕を胸の前へ入れた。


 蹴りがぶつかった。


 骨まで響く衝撃に身体が後ろへ飛ばされ、何度か足をもつれさせながら、それでも倒れずに踏み止まる。


「っ……痛ぇ……!」


 左腕が痺れている。


 指を握る。


 動く。


 折れてはいない。


 顔を上げると、ゴクウは追ってきていなかった。


 また少し離れた場所で棍を構えている。


「……やっぱ、お前すげえな」


 思わず口から出た。


「急に何?」


「いや、戦ってみたら分かる。見てた時よりずっとやりにくい」


「それ褒めてる?」


「褒めてるよ」


「じゃあもっと言っていいぞ」


「調子乗るからやめとく」


「なんだよ」


 笑いながら返してくる。


 俺も少しだけ笑った。


 息が上がっている。


 脇腹も、左腕も痛い。


 俺の攻撃だって何度かゴクウへ届きかけているのに、まともに通ったと言えるのはさっきの水球くらいだ。


 それでも、不思議と焦りはなかった。


 勝ちたい。


 もちろんそう思っている。


 ここまで来たなら優勝したい。


 でも、それ以上に。


 もっと戦っていたいと思っている自分がいた。


 次は何をしてくる。


 今のはどうやった。


 なら、こっちはどうする。


 答えを一つ見つけても、その次にはもう違う問題が目の前へ出てくる。


 アルベルトと戦った時とも、セレーネと戦った時とも違う。


 ゴクウは何か一つが圧倒的だから強いんじゃない。


 棍も、身体の使い方も、罠も、相手を見る目も。


 全部を繋げて戦っている。


 だから、こっちも一つだけ見ていたら追いつけない。


「……よし」


 小さく息を吐く。


 剣を握る右手から余計な力を抜いた。


 左腕はまだ痺れている。


 それでも動く。


 魔力も問題ない。


 まだ戦える。


 ゴクウが棍の先をこちらへ向けた。


「まだ来る?」


「当たり前だろ」


「いいね」


 その顔に、また笑みが浮かぶ。


 俺は剣を構えながら、ゴクウの足、腰、肩、両手、そして棍の先端までを視界へ入れた。


 全部を完璧に見るなんて無理だ。


 だったら、見落とした時にどうするかまで考える。


 騙されないことだけを考えるんじゃない。


 騙されても、その先で立て直せばいい。


 俺が踏み込む。


 ゴクウも棍を引いた。


 剣と棍がぶつかり、金属音が響く。


 離れるより先に魔法を放ち、ゴクウがそれを避けながら棍を返す。


 身体を捻って躱し、また剣を振る。


 止められる。


 それでも次へ繋ぐ。


 今度は俺が下がり、追ってきたゴクウへ魔法を向ける。


 ゴクウが止まり、笑う。


 俺も止まらず、もう一度距離を詰める。


 観客の歓声は、もうほとんど聞こえていなかった。


 目の前の男がどう動くのか。


 自分がそれにどう返すのか。


 今は、それだけで頭の中が埋まっていた。

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