第71話 距離感
部屋を出た俺たちは、そのまま一階の食堂へ向かった。
もうかなり遅い時間だったけど、受付で聞いた通り夕食には間に合ったらしい。
食堂にはまだ何組か客が残っていた。
旅人らしい大荷物を足元に置いた獣人。
仕事帰りなのか、酒を片手に大声で笑っている男たち。
奥の席では家族らしき一団が食卓を囲んでいる。
耳も尻尾も、見渡せば形は様々だ。
今更珍しいわけでもないのに、改めてここが獣人の国なんだと実感する。
「適当に座っていいのかな」
「空いている」
セレーネが指差した。
「じゃあ、あそこにしようか」
窓際の席へ三人で座る。
外を見ると、夜になったカグラの街が見えた。
軒先に吊るされた提灯。
行き交う獣人たち。
まだ祭りが始まってもいないのに、通りにはかなりの人がいる。
遠くから聞こえる笑い声に、何かを焼く香ばしい匂い。
なんというか。
「すごい街だな」
「気に入ったのか?」
向かいに座ったシウンが聞いてくる。
「うん。なんか落ち着く」
「初めて来たのだろう?」
「初めてなんだけどさ」
建物も。
食べ物も。
街の雰囲気も。
日本そのものじゃない。
よく見れば全部違う。
それでも王都ルイにいた頃より、ずっと見覚えのあるものが多かった。
「俺のいたところに少し似てるんだよ」
「朝陽の故郷?」
セレーネ。
「うん」
「こんな感じ?」
「場所によるけどね。こういう建物とか、提灯とか……あと畳も」
「そう」
セレーネが窓の外を見る。
ほんの少しだけ興味深そうに。
「だから、さっきから嬉しそうだったのか」
「そんなに出てた?」
「出てた」
「まじか」
「子供みたいだったぞ」
シウンまで笑う。
「ほっとけよ」
そうしているうちに、料理が運ばれてきた。
「おお……」
思わず声が出た。
焼き魚。
煮物。
汁物。
それから。
「米だ……」
湯気の立つ白い米。
見た瞬間、なんとも言えない気持ちになった。
「朝陽?」
「いや……ちょっと感動してる」
「これにか?」
シウンが自分の茶碗を見る。
「俺のいたところじゃ、ほとんど毎日食べてたんだよ」
「ほう」
この世界に来てから半年以上。
別に食事に困っていたわけじゃない。
王都ルイでも色々な料理を食べた。
旅に出てからは、その土地ごとのものも食べた。
どれもうまかった。
だけど。
こうして目の前に並べられると。
なんだか、懐かしい。
「いただきます」
手を合わせる。
一口。
「…………」
噛む。
「……うま」
普通の米だ。
たぶん。
日本で食べていたものと比べれば、細かい違いはあるのかもしれない。
それでも。
今はやたらとうまかった。
「朝陽、嬉しそう」
「分かる?」
「うん」
セレーネも一口食べる。
「おいしい」
「だろ?」
「朝陽が作ったわけじゃない」
「分かってるよ」
なんで俺が誇らしげになってるんだ。
「この魚もうまいぞ」
シウンが焼き魚を器用に箸でほぐしている。
「お前、箸使うの上手いよな」
「そうか?」
「うん」
「昔から使っているからな」
「ああ、そうなんだ」
シウンの服装もそうだけど。
龍族の里にはカグラと似た文化があるのかもしれない。
「朝陽」
「ん?」
「これは食べないのか?」
シウンが俺の皿を見ている。
「食べるよ」
「そうか」
「なんで残念そうなんだよ」
「残念ではない」
視線は俺の焼き魚に向いたまま。
「……食べる?」
「よいのか?」
「やっぱ狙ってたじゃん」
「朝陽」
今度は隣から。
「なに?」
「わたしも」
セレーネまで焼き魚を見ていた。
「お前も!?」
「駄目?」
「……半分ずつな」
二人の皿へ分ける。
俺の焼き魚がほとんど消えた。
「…………」
「朝陽?」
「いや。いいよ」
米がある。
今日はそれだけでいい。
「酒はないのか?」
シウンが食堂を見回す。
「まだ飲むの?」
「まだ一滴も飲んでいないぞ」
「ああ、そうだった」
「一杯くらいなら問題ないだろう?」
「今日はやめとけって。昨日から寝てないんだぞ」
「酒を飲めばよく眠れる」
「その理屈は絶対駄目なやつだから」
「そうなのか?」
「少なくとも俺はおすすめしない」
「……仕方ないな」
ものすごく残念そうだ。
「明日飲めばいいだろ」
「朝陽も付き合うか?」
「酒は飲まないよ」
「なぜだ?」
「俺のいたところじゃ、まだ飲めない歳だったから」
「そうなのか」
「だから別に飲みたいとも思わないかな」
「もったいないな」
「何がだよ」
「酒はよいぞ」
「はいはい」
「本当だぞ?」
「分かったって」
シウンは納得していないようだったけど、酒の話はそこで終わった。
食べる。
話す。
また食べる。
途中でシウンが俺の煮物まで狙い始めて。
セレーネが何も言わず俺の茶碗から一口取って。
「お前ら自分の食べろよ」
なんて言いながら。
気づけば、ほとんど全部なくなっていた。
「……腹いっぱい」
「おいしかった」
「酒があればなおよかったのだが」
「まだ言ってる」
でも。
悪くない。
ずっと歩き続けて。
戦って。
知らない街へ着いて。
こうして三人で飯を食べている。
少し前まで、俺とセレーネの二人だったのに。
今はシウンがいる。
ギルドでは三人で《メモリア》として登録した。
なんだか不思議だ。
「朝陽?」
「ん?」
「ぼーっとしてる」
「ちょっと眠くて」
「戻る?」
「うん」
立ち上がる。
「シウン」
「なんだ?」
「寝るぞ」
「分かっている」
「酒探しに行くなよ」
「行かない」
「ほんとに?」
「朝陽はわたしを何だと思っているのだ」
「酒好き」
「間違ってはいないな」
「否定してくれよ」
そんなことを話しながら、俺たちは部屋へ戻った。
◇
「…………」
扉を開ける。
視界に入る。
巨大な寝床。
「…………」
そうだった。
これがあった。
「朝陽?」
「なんでもない」
今は考えない。
眠る時に考えよう。
「風呂入って寝よ」
荷物から着替えを取り出す。
「俺、先に入っていい?」
「いいよ」
「構わないぞ」
「じゃ、お先」
客室の奥へ向かう。
戸を開ければ。
夜空の下。
白い湯気が立っていた。
◇
「はぁぁぁぁ……」
肩まで湯に沈める。
声が出た。
いや。
これは仕方ない。
「……最高」
身体中から力が抜けていく。
昨日からまともに寝ていない。
温泉地を出て。
夜通し進んで。
途中で魔物と戦って。
シウンが龍族だと知って。
ようやくカグラへ着いて。
そのままギルド。
パーティー登録。
ミニムス。
宿探し。
「濃い一日だったな……」
石造りの縁へ頭を預ける。
夜風が頬を撫でる。
湯は熱すぎず、ぬるすぎず。
ちょうどいい。
周囲は高い囲いで隠されているけど、上を見れば夜空が広がっている。
遠くから、まだカグラの街の音が聞こえてくる。
笑い声。
楽器。
何かを呼び込む店員の声。
「…………」
祭りはまだ始まってないんだよな。
これで。
大祭になったらどうなるんだ。
少し楽しみだ。
「ミニムス、色々知ってそうだったな」
あいつに聞けば、面白い場所も教えてくれるんだろうか。
でも。
もう会わないかもしれない。
広い街だ。
案内人と客。
普通なら、一度きりでもおかしくない。
「…………」
目を閉じる。
眠い。
やばい。
このまま寝そう。
「あとちょっとだけ……」
もう少し温まったら出よう。
そう思った。
その時。
ガラッ。
「ん?」
後ろで戸が開いた。
セレーネ?
何か用でも――。
「…………」
振り返る。
「おお。よい湯ではないか」
「…………」
止まった。
思考が。
完全に。
シウンだった。
いつもの服は着ていない。
何かで身体を隠す様子もない。
それが当然であるかのように。
普段とまったく変わらない顔で、こっちへ歩いてくる。
「――っ!?」
俺は勢いよく顔を背けた。
「シ、シウン!?」
「なんだ?」
「なんだじゃない!」
「どうした?」
「どうしたって……!」
一瞬だった。
本当に一瞬。
なのに。
普段の和装では意識したこともなかったシウンの身体つきが、嫌でも目に入った。
思っていた以上に大人びていて。
女性らしい。
頭から追い出そうとする。
無理。
「朝陽?」
「待って! ちょっと待って!」
「何をだ?」
「なんで入ってきた!?」
「風呂に入るためだが?」
「俺いるだろ!」
「ああ」
「ああ、じゃない!」
「知っているぞ?」
「知ってて入ってきたの!?」
「そうだが」
「なんで!?」
「風呂だからだ」
「…………」
駄目だ。
会話が成立しない。
「普通こういう時は聞くだろ!」
「何を?」
「入っていいかとか!」
「なぜだ?」
「男が入ってるから!」
「それがどうした?」
「それが……!」
説明しようとして。
止まる。
どう説明すればいいんだ。
「朝陽?」
「と、とにかく!」
背後で湯が揺れた。
「……え?」
「うむ。気持ちよいな」
「入ったの!?」
「風呂だからな」
「だからそうじゃなくて!」
振り返れない。
絶対に。
さっきの一瞬だけでも十分すぎる。
「顔が赤いぞ」
「風呂だから!」
「先ほどまではそこまで赤くなかったぞ?」
「気のせい!」
「そうか?」
「そう!」
違う。
全然違う。
心臓がうるさい。
頭も熱い。
落ち着け。
相手はシウン。
仲間。
旅仲間。
それだけ。
それだけだから。
「…………」
無理。
「俺、出る!」
「もう出るのか?」
「出る!」
「入ったばかりではないのか?」
「出たい気分になったの!」
「変な奴だな」
「誰のせいだよ!」
俺はシウンに背を向けたまま立ち上がる。
「シウン!」
「なんだ?」
「そっち向いてて!」
「なぜだ?」
「いいから!」
「朝陽は先ほどから注文が多いな」
「頼むから!」
「仕方ない」
背後で動く気配。
「これでよいか?」
「そのまま!」
振り返らない。
絶対に。
急いで湯船から上がる。
「朝陽」
「何!?」
「滑るぞ」
「分かってる!」
濡れた石の上を急ぐ。
でも、走るわけにもいかない。
足元に気をつけながら、それでも可能な限り早く戸へ向かう。
とにかく。
ここから出たい。
戸に手をかける。
開ける。
「――っ」
出た。
助かった。
そう思った。
「…………」
「…………」
目の前に。
セレーネがいた。
「…………」
最悪のタイミングだった。
着替えでも取りに来たのか。
俺を見る。
何も言わない。
ただ。
その視線が。
一度、俺の顔から下へ落ちる。
「…………」
嫌な沈黙。
「ち、違う」
反射的に言った。
セレーネがゆっくり顔を上げる。
目が合う。
冷たい。
というより。
完全に引いている。
「……最低」
「待って!」
「何?」
「違うから!」
「何が?」
「俺は普通に風呂入ってただけ!」
「そう」
「そこにシウンが勝手に入ってきて!」
「朝陽」
後ろから声がする。
「どうした?」
「今は出てこないで!」
「なぜだ?」
「いいから!」
セレーネの視線がさらに冷たくなった。
「……一緒に入ってたんだ」
「違う!」
「違うのか?」
「シウンは黙ってて!」
「先ほどからなぜ怒っている?」
「怒ってない!」
「朝陽は怒っているようだが」
「お前のせいだよ!」
「わたしか?」
「お前だよ!」
セレーネが俺を見る。
「楽しそう」
「どこが!?」
「仲良さそう」
「この状況見てそう思う!?」
「…………」
「なんで黙るんだよ!」
「別に」
「セレーネ!」
「知らない」
「待ってって!」
踵を返す。
「本当に違うからな!」
「何が違うの?」
「だから……!」
言えない。
というか。
何を説明してるんだ、俺。
「とにかく事故!」
「ふーん」
「その反応やめろ!」
セレーネはそのまま部屋の方へ戻っていった。
「…………」
理不尽すぎる。
「朝陽」
風呂からシウンの声。
「なんだよ……」
「わたしはもうそちらを向いてもよいか?」
「好きにして……」
「そうか」
もう疲れた。
本当に。
◇
少しして。
俺は部屋へ戻った。
「…………」
「…………」
気まずい。
セレーネは寝床の端に座っている。
俺を見ない。
シウンはまだ風呂。
とりあえず着替えを済ませる。
「セレーネ」
「何?」
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「絶対怒ってるだろ」
「怒ってない」
「じゃあこっち見て」
「嫌」
「怒ってんじゃん!」
「うるさい」
「……ごめん」
なんで謝ったんだ。
俺悪くないよな?
たぶん。
いや。
絶対悪くない。
「俺、本当に何もしてないからな」
「聞いてない」
「でも」
「聞いてない」
「……はい」
これ以上はやめよう。
しばらくして。
戸が開く。
「よい湯だった」
シウンが戻ってきた。
「お前は満喫したみたいでよかったよ……」
「朝陽は随分慌ただしかったな」
「誰のせいだと思ってるの?」
「わたしか?」
「そうだよ」
「なぜだ?」
「そこから説明するの?」
シウンが首を傾げる。
どうやら本気らしい。
「シウン」
「なんだ?」
「人間の男と女は、普通一緒に風呂入らないんだよ」
「そうなのか?」
「少なくとも俺のいたところではね」
「ふむ」
シウンが少し考える。
「温泉地でも分かれていただろ?」
「あれはそういう決まりなのだと思っていた」
「まあ……間違ってはいないけど」
「龍族は違うの?」
「場合によるな。皆で入ることもある」
「……なるほど」
やっぱり。
シウンにとっては、本当に何もおかしくなかったらしい。
「だから俺がいるところに普通に入ってきたの?」
「ああ」
「恥ずかしくないの?」
「何がだ?」
「……いや」
聞いた俺が悪かった。
「別にわたしは朝陽に見られても気にしないぞ」
「俺が気にするんだよ!」
「そういうものか?」
「そういうもの!」
「難しいな」
「難しくない!」
「朝陽」
セレーネ。
「うるさい」
「……ごめん」
また謝った。
シウンがセレーネを見る。
「セレーネはなぜ怒っているのだ?」
「怒ってない」
「いや、怒ってるだろ」
「朝陽」
「はい」
黙ろう。
「しかし」
シウンが俺を見る。
「これで朝陽がなぜあれほど慌てていたのかは分かった」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ次からは――」
「入る前に聞けばよいのだな?」
「そう!」
やっと。
やっと分かってくれた。
「頼むからそうして」
「分かった」
「よかった……」
「すまなかったな」
「いや、分かってくれたならいいよ」
悪気がなかったのは分かっている。
常識が違った。
それだけだ。
これから覚えていけばいい。
「ただ」
「ん?」
「朝陽」
「何?」
「先ほどは本当に顔が赤かったぞ」
「シウン」
「なんだ?」
「その話は終わり」
「なぜだ?」
「終わり!」
「変な奴だな」
「お前にだけは言われたくないよ!」
「朝陽」
「はい」
セレーネ怖い。
俺は黙った。
◇
「じゃあ」
セレーネが立ち上がる。
「わたしも入ってくる」
「ああ」
そういえば。
セレーネはまだ風呂に入っていなかった。
着替えを持って、客室露天風呂へ向かう。
そして。
戸の前で止まった。
「朝陽」
「ん?」
振り返る。
「…………」
セレーネが俺をじっと見ている。
「なに?」
「絶対入ってこないで」
「…………」
一瞬。
意味を理解するのが遅れた。
「いや、入らないよ!?」
「絶対」
「分かってるって!」
「覗くのも駄目」
「しない!」
なんで俺が注意されてるんだ。
「さっきの俺見てただろ!? 被害者だからな!?」
「でも見た」
「一瞬だよ!」
「見たんだ」
「……あ」
しまった。
セレーネの目がまた冷たくなる。
「最低」
「誘導尋問だろ今の!」
「何の話をしている?」
シウンが首を傾げる。
「お前は黙ってて!」
「なぜだ?」
「ややこしくなるから!」
「朝陽」
「なに!?」
セレーネがもう一度念を押す。
「絶対だから」
「分かったよ! 絶対行かない!」
「うん」
ようやく納得したらしい。
戸の向こうへ消えていく。
ぴしゃり。
しっかり閉められた。
「…………」
信用なさすぎだろ。
「朝陽」
「なに?」
「入らないのか?」
「入るわけないだろ!」
「先ほどはわたしと入っていたではないか」
「お前が勝手に入ってきたんだよ!」
「そうだったな」
「頼むよ……」
机に突っ伏す。
眠い。
疲れた。
でも。
なぜか寝る前に疲労が増えている気がする。
「人間は大変なのだな」
「お前が自由すぎるんだよ……」
「そうか?」
「そうだよ」
しばらく。
静かな時間が流れた。
風呂から聞こえる湯の音。
時々吹き込む夜風。
外から聞こえる街の喧騒。
俺は机に突っ伏したまま、ぼんやり目を閉じる。
「…………」
眠い。
このまま寝られる。
「朝陽」
「んー……?」
「寝るなら布団で寝た方がよいぞ」
「分かってる……」
「なら起きろ」
「あとちょっと……」
「仕方ないな」
シウンの声が遠くなる。
そのまま本当に眠りかけた時。
ガラッ。
戸の開く音。
「…………」
顔を上げる。
風呂上がりのセレーネが戻ってきた。
濡れた髪を布で拭きながら、こっちを見る。
「…………」
「何?」
「いや」
「何?」
「なんでもない」
さっきあれだけ警戒された手前。
見ているだけで怒られそうな気がする。
「ちゃんと入ってこなかった」
「当たり前だろ」
「えらい」
「子供扱いすんな!」
セレーネの口元がほんの少し緩んだ。
「冗談」
「お前……」
絶対さっきの仕返しだ。
「セレーネ」
シウンが声をかける。
「なに?」
「よい湯だっただろう?」
「うん」
「三人でも十分入れそうだったな」
「シウン」
「なんだ?」
「もうその話やめよう」
「なぜだ?」
「朝陽がうるさいから」
「俺!?」
また俺なのか。
「もう寝る」
セレーネが寝床へ向かう。
「逃げた」
「眠いだけ」
「はいはい」
シウンも立ち上がる。
「わたしも寝るか」
「そうしてくれ」
「朝陽は?」
「寝るよ」
三人の視線が。
同時に。
巨大な寝床へ向いた。
「…………」
風呂のせいで忘れてた。
今日最後の問題。
◇
どう見ても。
三人で使うことを前提にした大きな寝床。
「…………」
でかい。
本当にでかい。
三人で寝ても十分余裕はある。
問題は。
そういうことじゃない。
「では、おやすみ」
シウンが何の迷いもなく入る。
「早っ」
「眠いからな」
「お前は本当に気にしないな……」
「何をだ?」
「なんでもない」
説明するだけ無駄だ。
セレーネも反対側から寝床へ入る。
布団を引き寄せる。
残されたのは俺。
「…………」
さて。
どこで寝よう。
「朝陽」
「ん?」
「早くして」
「あ、うん」
仕方ない。
寝床自体はかなり広い。
端へ行けばいい。
俺も布団へ入ろうとする。
「朝陽」
「今度は何?」
セレーネが布団の中から俺を見ている。
「変なことしないで」
「しないよ!」
「絶対」
「するわけないだろ!」
「…………」
「なんで黙るの!?」
「今日の朝陽、信用ないから」
「俺が何したんだよ!」
「風呂」
「あれ俺悪くないだろ!?」
「でも見た」
「事故!」
「ふーん」
「その反応やめろって!」
なんで被害者の俺がここまで疑われなきゃならないんだ。
「それと」
「まだあるの?」
「こっち見ないで」
「寝るだけだろ!?」
「だから」
「分かったよ! 見ない!」
「絶対?」
「絶対!」
俺は宣言するように言って、セレーネとは反対側を向いた。
「これでいいだろ」
「うん」
「ったく……」
今日一日で俺の信用はどこまで落ちたんだ。
布団を被る。
「…………」
これで寝られる。
そう思った直後。
「朝陽」
「今度は何!?」
「近い」
「俺動いてないよ!?」
「…………」
「確認してから言ってくれ!」
「そう」
「そう、じゃない!」
小さな声が聞こえた。
「ふふっ」
「笑っただろ!」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
「うるさい」
「理不尽すぎる……」
反対側からシウンの声。
「二人は仲がよいな」
「どこを見たらそうなるんだよ」
「ずっと話しているではないか」
「これはそういうんじゃない」
「そうなのか?」
「そう」
セレーネまで答える。
「ふむ」
シウンは少し考えて。
「人間というのは難しいな」
「お前のせいでこうなってるんだけどな……」
「わたしか?」
「もういいよ」
疲れた。
本当に。
俺は目を閉じる。
セレーネに背を向けたまま。
「…………」
少しずつ。
部屋が静かになる。
遠くから聞こえてくるカグラの夜の音。
祭りはまだ始まっていない。
それでも街は遅くまで賑やかで、時折どこかから笑い声が届く。
こうして横になっていると。
今日一日のことが頭の中に浮かんでくる。
カグラに着いた。
三人でギルドへ行った。
《メモリア》を登録した。
ミニムスと出会った。
変な宿を紹介された。
でも。
飯はうまかった。
風呂もよかった。
部屋だって――ちょっと問題はあるけど、悪くない。
明日は。
何をしよう。
せっかくカグラまで来たんだ。
街を見たい。
昼間に見かけた店も。
ミニムスが話していた場所も。
祭りが始まる前の街も。
「…………」
そういえば。
あいつとはまた会うんだろうか。
広い街だ。
案内人と客。
今日会っただけ。
普通なら、もう会わなくてもおかしくない。
「朝陽」
小さな声。
「……なに?」
セレーネだった。
「こっち向いてない?」
「向いてないよ!」
「ならいい」
「……信用なさすぎだろ」
「おやすみ」
「聞けよ」
返事はない。
「…………」
もう寝たのか?
早すぎるだろ。
「セレーネ?」
「…………」
返事なし。
「シウン?」
「…………」
こっちも。
「……寝るの早」
まあ。
俺も人のことは言えない。
身体はとっくに限界だった。
「……おやすみ」
誰に言うでもなく呟く。
目を閉じる。
さっきまであれだけ騒いでいたのに。
意識は。
あっという間に沈んでいった。




