第58話 魔法の使い方
ユノハナで迎える二度目の朝は、昨日より少しだけゆっくりしていた。
窓を開ければ、今日も街のあちこちから白い湯気が昇っている。朝の冷たい空気に混じったそれが屋根の上を漂い、山の方へ流れていく。
朝食を終えた俺たちは、荷物をまとめて月見屋を出た。
名残惜しくないと言えば嘘になる。
温泉は気持ちよかったし、飯は美味かった。昨日の夜に歩いた湯けむり通りも、朝になるとまた違った顔を見せている。
「本当に出るのか?」
隣を歩いていたシウンが言った。
「なんだよ。まだいたいの?」
「そういうわけではない。ただ、昨日食べた団子をもう一度――」
「それ絶対まだいたいやつじゃん」
「旅立つ前の腹ごしらえだ」
「朝飯食ったばっかだろ」
「甘味は別だ」
堂々と言い切られた。
外の世界に出てきたばかりのはずなのに、変なところだけ順応が早い。
「寄ってく?」
セレーネが聞く。
「寄るの!?」
「わたしも食べたい」
「お前もかよ」
結局、俺たちは出発前にもう一度だけ寄り道することになった。
昨日訪れた茶屋で団子を買い、三人で食べながら街を出る。
最後までユノハナらしい旅立ちになった気がする。
湯けむり通りを抜けると、人通りは少しずつ減っていった。
振り返れば、建物の隙間からいくつもの湯気が立ち昇っている。
「また来たいな」
何気なく呟く。
「ああ」
シウンが答えた。
「次は、まだ食べていないものも食べねばならんな」
「結局そこなんだな」
「大事なことだろう?」
「否定はしないけどさ」
「朝陽」
前を歩いていたセレーネが足を止めた。
「ん?」
見ると、道の脇に小さな石の祠があった。
昨日見た湯守神社とは違う。本当に小さなもので、その前には古びた燭台が置かれている。
火は消えていた。
「火」
「ああ」
そういうことか。
俺は燭台へ手を向ける。
「《イグニス》」
指先に生まれた小さな炎を移すと、燭台の芯に火が灯った。
「便利なものだな」
シウンが感心したように眺めている。
「こういう時はな」
「料理にも使えるのではないか?」
「できると思うけど、火加減間違えたら全部炭になるぞ」
「それは困るな」
「だから普通に火を起こした方がいい」
「なるほど」
そんな話をしながら再び歩き出す。
しばらく進んだところで、不意にセレーネが口を開いた。
「朝陽」
「ん?」
「火属性だけ?」
思わず足が止まった。
「……え?」
「朝陽が使える魔法」
なんで急に。
「火だけだけど」
「ほんとに?」
「…………」
振り返る。
セレーネはいつも通りの顔で俺を見ている。
「ほんとほんと」
「朝陽」
「何だよ」
「今、間があった」
「…………」
妙なところで鋭い。
シウンが俺とセレーネを交互に見る。
「どういうことだ?」
「いや、別に大したことじゃ――」
「他にも使える?」
「…………ちょっとだけ」
「何?」
逃げられそうにない。
「……水」
「ほう」
シウンの眉が上がった。
「二属性使えるのか」
「まあ……一応」
「他は?」
「…………」
「朝陽」
「その聞き方ずるくない?」
「他は?」
「……土」
「三つか」
シウンが感心したように頷く。
「それは珍しいのではないか?」
「たぶん。俺もそう聞いてる」
「なら、なぜ隠す?」
「王都で魔法について調べた時にさ。複数の属性を使える人間は珍しいって知ったんだよ」
最初に使えたのは火だった。
《イグニス》が使えたことで、俺自身も周りも、俺には火属性の適性があると思っていた。
けれど王都の図書館で魔法について調べているうちに、ふと思った。
他の属性は本当に使えないのか、と。
試してみたら、使えた。
「わざわざ言い回って変に目立つのも嫌だったし。それからずっと、火しか使えないってことにしてた」
「なるほどな」
シウンはあっさり納得した。
セレーネはまだ俺を見ている。
「……何?」
「三つだけ?」
「…………」
「朝陽」
「三つ」
「ほんと?」
「ほんと」
そこは押し通す。
セレーネは数秒俺を見ていたが、それ以上は聞いてこなかった。
「そう」
助かった。
「ていうか、なんで急に聞いたんだよ」
「気になったから」
「いつから?」
「前から」
「前から!?」
「うん」
「だったらもっと早く聞けよ!」
「今聞きたくなった」
「自由だな、お前……」
シウンが小さく笑った。
その顔を見て、ふと思う。
「あ、そういえばシウンは?」
「わたしか?」
「俺が火、水、土だろ。シウンは何属性なんだ?」
「火と水、それから風だな」
「三つ!?」
「なぜ驚く?」
「いや、複数属性は珍しいって話をしてた直後だから!」
「そうなのか?」
「知らなかったの!?」
「外では珍しいのだな」
さらっと言われた。
なんだろう。
複数属性が珍しいという俺の知識の方が間違ってるような気がしてくる。
「……ちょっと待って」
俺は隣を見る。
「そういうセレーネは?」
「わたし?」
「人の属性だけ聞いといて、自分は言わないのずるくない?」
「…………」
珍しく、セレーネが黙った。
「ほら。今、間あったぞ」
「……火、水、土」
「同じじゃん!」
「そうだね」
「初めて聞いたんだけど!」
「言ってないから」
「そりゃ知らねえよ!」
なんだよ。
人のこと散々問い詰めておいて、自分も三属性使えるのか。
「なんで言わなかったんだ?」
「聞かれなかった」
「それで通るなら俺もさっきそれでよかっただろ!」
「朝陽は嘘ついた」
「ぐっ……」
何も言い返せない。
シウンが可笑しそうに笑った。
「似た者同士だな、お主たちは」
「一緒にしないでくれ」
「わたしも」
「そこだけ揃うなよ!」
◇
ユノハナから少し離れたところで、道の近くを流れていた川が大きく曲がっていた。
その河原に、人目につかなそうな開けた場所がある。
「少し休むか?」
シウンの言葉に、俺たちは足を止めた。
まだ歩き始めたばかりだけど、急ぐ旅でもない。
荷物を下ろし、適当な岩へ腰を下ろす。
シウンは川辺まで行って、水を覗き込んでいた。
「朝陽」
「ん?」
「さっきの」
「さっき?」
「水と土」
「ああ」
「どこまで使える?」
「どこまでって……初級くらい」
「見せて」
「ここで?」
周囲を見る。
街道から少し外れているし、人の姿もない。
「まあ、いいけど」
立ち上がり、川とは反対側へ向く。
まずは水。
右手へ魔力を集める。
「《ウォーターボール》」
水球が生まれ、そのまま前方の岩へ飛んだ。
弾けた水が周囲へ散る。
「次、土」
「《ロックショット》」
地面から浮かんだ石が飛び、別の岩へぶつかった。
「こんな感じ」
「…………」
「何その顔」
「変」
「は?」
「使い方が変」
「いきなり失礼だな!」
「誰に教わった?」
「誰にも」
「誰にも?」
「王都の図書館で調べて、自分で覚えた」
「…………」
「だからその顔やめろって!」
そんな珍しいものを見るみたいな目を向けなくてもいいだろ。
「火も?」
「最初の《イグニス》以外は、ほとんど自分で」
「よく使えてるね」
「それ褒めてる?」
「半分」
「残り半分は?」
「危なっかしい」
「やっぱ褒めてないじゃん」
セレーネが立ち上がり、俺の隣へ来た。
「もう一回、水」
「《ウォーターボール》」
もう一度、水球を撃つ。
「今、何した?」
「何って……ウォーターボール」
「その前」
「魔力集めた」
「そのあと」
「水にして……」
そこで止まる。
「……水にして?」
「うん」
「どうやって?」
「どうやってって……」
考えたこともなかった。
魔力を集める。
水をイメージする。
呪文を唱える。
すると水になる。
「……なんとなく?」
「それ」
「え?」
「そこが変」
「また変って言った!」
「朝陽は全部、感覚でやってる」
セレーネが片手を上げた。
「魔力は、そのままだと火でも水でも土でもない」
手のひらに、小さな炎が灯る。
炎が消える。
次に水が生まれ、それも消える。
最後に小さな石の塊が現れた。
「魔法を使う時、魔力を属性へ変える」
「属性へ……」
「朝陽もやってる。でも意識してない」
「そんなもん意識するの?」
「普通はする」
「知らなかった……」
「だから変」
「独学なんだから仕方ないだろ!」
「うん。だから――」
セレーネが俺を見る。
「教える」
「……え?」
「魔法」
少し意外だった。
セレーネが魔法を使うところは、これまでほとんど見たことがない。
獣人を助けた時に一度見たくらいで、どれくらい使えるのかも俺はよく知らなかった。
「……教えられるの?」
「教えられる」
即答だった。
そこまで言い切られると、逆に気になる。
「じゃあ……お願いしていい?」
「うん」
「よろしくお願いします、先生」
「先生」
セレーネが少しだけ目を丸くした。
「何?」
「別に」
「なんだよ」
「始める」
「切り替え早っ」
◇
最初にやらされたのは、魔法を撃つことじゃなかった。
「発動しないで」
「はい」
「魔力だけ集める」
「はい」
右手へ魔力を集める。
「次、火に変える」
「でも発動しない?」
「うん」
「難しくない?」
「やって」
「先生厳しいな……」
目を閉じる。
いつもなら、このまま《イグニス》を使えばいい。
でも今回は、その直前で止める。
魔力。
そこから火へ。
今まで一つの動作としてやっていたものを、無理やり分解していく。
「……分かんねえ」
「火を想像して」
「してる」
「熱だけじゃない」
「じゃあ何?」
「燃えるもの。広がり方。揺れ方」
「細かいな……」
「魔法だから」
言われた通りにする。
焚き火。
揺れる炎。
薪が燃える音。
熱。
光。
すると。
「……あ」
右手に集めた魔力の感覚が変わった。
火が出たわけじゃない。
でも、これから火になる。
なんとなく、それが分かる。
「今」
セレーネが言った。
「それが火への属性変換」
「これか……」
「覚えて」
「簡単に言うな」
「もう一回」
「はい」
何度も繰り返す。
火。
水。
土。
今まで全部、呪文と一緒にまとめてやっていた。
でも一つずつ意識すると、確かに違う。
火には火の感覚。
水には水の感覚。
土には土の感覚。
「水はもっと流れを意識して」
「流れ?」
「形を決めすぎない」
「ウォーターボールなのに?」
「球にするのはそのあと」
「ああ……」
なるほど。
俺は最初から水球を想像していた。
だから水への変換と、それを球状にする作業がごちゃ混ぜになっていたのか。
「土は?」
「重さ。硬さ。動かないもの」
「動かないのに飛ばすの?」
「それもそのあと」
「……今まで俺、全部一気にやってたんだな」
「うん」
「よく成功してたな」
「わたしもそう思う」
「そこは才能あるって言ってくれてもいいだろ」
「才能はある」
「お?」
「使い方が雑なだけ」
「結局そこに戻るのかよ」
少し離れたところから、シウンの笑い声が聞こえた。
◇
しばらく繰り返したあと、ようやく普通の魔法に戻った。
「《ファイアボール》!」
火球が飛ぶ。
岩に当たり、炎が弾けた。
「次」
「《ウォーターボール》!」
水球が岩へぶつかる。
「次」
「《ロックショット》!」
石礫が岩肌を叩いた。
三つ撃ち終えて、息を吐く。
「どう?」
「さっきよりいい」
「威力上がった?」
「少し。でも大事なのはそこじゃない」
「じゃあ何?」
「同じ魔力で、無駄が減った」
なるほど。
単純に大量の魔力を使えば強くなるわけじゃないらしい。
「じゃあ、高ランクの魔法って何が違うんだ?」
ずっと気になっていた。
「単純に使う魔力が増えるだけ?」
「それもある」
セレーネが地面にしゃがみ、指で小さな円を描く。
「《イグニス》なら、小さな火を出せばいい」
「うん」
「でも上に行くほど、起こす現象が大きくなる」
今度は、その外側へ大きな円を描いた。
「必要な魔力が増える。属性へ変換する量も増える。それを崩さず維持する力もいる」
「制御力か」
「うん。それと想像力」
「想像力?」
「何を起こしたいか分からないと、魔力も形にならない」
セレーネは少し考えてから続けた。
「大きい炎を出したい、だけじゃ足りない」
「どこまで広がるか。どう燃えるか。どれくらいの威力か……とか?」
「そう」
「めちゃくちゃ頭使うな」
「高ランクほど」
俺は自分の手を見る。
今まで強い魔法というのは、単純に強い技なんだと思っていた。
でも実際は違う。
より多くの魔力を扱って。
それを属性へ変えて。
崩さず制御して。
起こしたい現象を、頭の中で形にする。
だから難しい。
「魔力量だけ多くても駄目なんだな」
「うん」
「逆に想像できても魔力が足りなきゃ?」
「発動しない。途中で崩れることもある」
「制御に失敗したら?」
「暴発する」
「それ怖いな」
「だから、いきなり上はやらない」
なるほど。
独学で変なことをしなくてよかった。
いや、半年間ほとんど独学だったんだけど。
「じゃあさ」
もう一つ、気になった。
「複合魔法は?」
セレーネが俺を見る。
「興味ある?」
「そりゃあるだろ」
複数の属性を使えると分かってから、一度は考えたことがある。
火と水を一緒に使ったらどうなる。
水と土なら。
火と土なら。
ただ、よく分からないまま試すのも怖くて、実際には手を出していなかった。
「二つの属性を同時に使うんだろ?」
「それだけなら、同時に二つの魔法を使ってるだけ」
「ああ……そっか」
「複合は、二つを一つにする」
セレーネが両手を出した。
「別々の属性へ変換して、別々に制御する。その上で組み合わせて、一つの現象にする」
「……難易度跳ね上がってない?」
「跳ね上がる」
「やっぱり?」
「だから応用」
単属性ですら、今日初めてちゃんと仕組みを知ったばかりだ。
その状態で二つ同時。
しかも、ただ出すだけじゃなく組み合わせる。
「使ってみたいな」
「まだ駄目」
「まだ何もしてないぞ」
「顔に出てる」
「そんなに?」
「ああ、分かりやすい顔をしているぞ」
シウンまで頷いた。
「二人して俺を何だと思ってんだ」
「試したがる人」
「否定できねえ……」
「複合をやりたいなら、まず単属性」
セレーネが言う。
「どれくらい?」
「最低でも、使う属性全部でB級を安定させる」
「B級!?」
思わず声が出た。
B級魔法。
熟練した魔法使いが扱う領域だ。
「それが最低?」
「うん」
「複合魔法ってそんな難しいのか……」
「難しいよ」
でも。
無理とは言われなかった。
「じゃあ」
俺は少し考える。
「カグラに着くまでに、B級まで覚える」
「三つとも?」
「火、水、土。三つとも」
シウンが眉を上げた。
「随分と大きく出たな」
「言うだけならタダだからな」
「朝陽」
セレーネが俺を見る。
「何?」
「言ったからには、やるよ」
「……え?」
「カグラまで毎日」
「毎日?」
「三属性」
「待って。俺、旅しながらだぞ?」
「知ってる」
「魔物とか出るかもしれないし」
「実戦練習になる」
「逃げ道塞ぐの早くない?」
「B級まで行くんでしょ?」
「……言いました」
「ならやる」
しまった。
先生選びを間違えたかもしれない。
「仕方ないな」
シウンが腕を組んだ。
「わたしも付き合おう」
「シウンも?」
「ああ。旅の道中で倒れられても困るからな」
「何するの?」
「見ている」
「見てるだけかよ!」
「魔法は教えられんからな」
「三属性使えるんだろ!?」
「使えることと、教えられることは別だろう?」
「妙に説得力あるな……」
シウンが笑う。
セレーネもほんの少しだけ口元を緩めた。
俺も結局、つられて笑った。
ユノハナに来た時には、こんなことになるとは思っていなかった。
温泉に入って、美味いものを食って、シウンと出会った。
その最後に、自分が今までどれだけ感覚だけで魔法を使っていたのかまで知ることになった。
俺はもう一度、右手へ魔力を集める。
今度は呪文を唱えない。
ただ魔力を感じて、そこから火へ変わっていく感覚を追いかける。
「朝陽」
「ん?」
「そこ、また雑」
「今ちょっといい感じだっただろ!」
「最初から」
「マジかよ……」
カグラまでは、まだ遠い。
どうやらその道中は、思っていたよりずっと忙しくなりそうだった。




