第24話 知らない動き
昨日は結局、討伐依頼を選んだ。
怖くなくなったわけじゃない。
むしろ逆だった。
一度、人が死ぬところを見てしまったせいで、以前なら気にも留めなかったことまで考えるようになった。
林の奥から聞こえる物音。
足元に残った跡。
見通しの悪い茂み。
少しでも怪しいと思えば足が止まる。
「朝陽」
「ん?」
「後ろばっか気にしすぎだ」
前を歩いていたガイウスが振り返った。
「だって、前は後ろから来たじゃん」
「だからって後ろしか見なくなったら、今度は前から食われるぞ」
「分かってるけど……」
言いながら、また後ろを見る。
何もいない。
今日の依頼は、グラシア地方に出た魔物の討伐。
ガイウスたち《ブレイヴ》と俺で受けた。
Dランクになって最初の依頼だった。
別に、討伐を選ぶ必要はなかった。
採取でも運搬でもよかった。
それでも俺は、もう一度戦う方を選んだ。
昨日、自分で決めたからだ。
怖い。
でも、やめたくない。
だったら怖いまま進むしかない。
「怖がるのはいい」
ガイウスが言った。
「でも、怖がり方を間違えんな」
「怖がり方?」
「昨日のことばっか見て、今日目の前にあるもん見落としたら意味ねえだろ」
「…………」
何も言い返せなかった。
「忘れろとは言わねえよ」
ガイウスは前へ向き直る。
「忘れんな。だからこそ、今を見ろ」
「……うん」
昨日死んだ人も。
たぶん、そうしていたんだと思う。
怖くなかったわけじゃない。
それでも依頼へ出て。
戦って。
帰っていた。
昨日だけ。
帰れなかった。
大剣の柄を握り直す。
今を見る。
俺は自分に言い聞かせるように、前を向いた。
◇
少しして、ガイウスが足を止めた。
俺たちも止まる。
「いるな」
声が小さくなる。
前方には林が広がっている。
最初は何も分からなかった。
でも、よく見る。
枝。
葉。
影。
その向こう。
何かが動いた。
「……いた」
「見えたか?」
「うん」
青灰色の身体。
狼に似た姿。
ハウンドウルフとは色が違う。
「蒼牙狼だ」
ガイウスが大剣へ手をかけた。
俺も名前は知っていた。
図書館で読んだ。
ハウンドウルフの亜種。
危険度はDランク。
噛みついた場所を凍らせる。
俺と同じ。
D。
そう考えた瞬間。
「朝陽」
「分かってる」
先に言う。
「ランクが同じだからって、一人でやろうとはしない」
「ならいい」
「何回言われたと思ってんだよ」
「何回言っても忘れる奴がいるからな」
「俺?」
「さあな」
「絶対俺じゃん」
少し笑えた。
それだけで肩の力が抜ける。
蒼牙狼は一匹。
でも、周囲に他の個体がいないとは限らない。
《ブレイヴ》が左右へ広がる。
俺は前へ出すぎない。
ガイウスより少し後ろ。
いつもの位置。
蒼牙狼がこちらに気づいた。
身体を低くする。
「来るぞ」
速い。
ハウンドウルフより明らかに速かった。
真っ直ぐガイウスへ向かう。
ガイウスは動かない。
ぎりぎりまで引きつける。
蒼牙狼が跳ぶ。
大剣が振られた。
だが。
「っ!」
蒼牙狼が空中で身体を捻った。
避けた。
「速っ……!」
着地。
すぐに方向を変える。
今度は俺。
「朝陽!」
「見えてる!」
大剣を構える。
来る。
真正面。
噛まれたらまずい。
横へ。
避ける。
蒼牙狼が通り過ぎる。
「よし」
できる。
ハウンドウルフより速い。
でも。
見えないわけじゃない。
「追うな!」
「分かってる!」
振り返る。
相手もこっちを見ている。
周り。
《ブレイヴ》。
ガイウス。
位置を確認。
大丈夫。
戦える。
蒼牙狼が再び走り出す。
今度は横へ。
俺を狙っていない。
「そっち!」
声を出す。
仲間が反応する。
蒼牙狼が跳ぶ。
剣で受ける。
弾く。
「今!」
ガイウスが踏み込む。
大剣。
蒼牙狼は後ろへ跳んだ。
「ちょこまかしやがる」
「ガイウスでも当たらないの?」
「一発目から何でも当てられりゃ苦労しねえよ」
「そりゃそうか」
「朝陽、魔法!」
「うん!」
右手を向ける。
火球を作る。
蒼牙狼は動いている。
直接当てようとしない。
進む先。
「《ファイアボール》!」
火球が飛ぶ。
蒼牙狼が進路を変えた。
「そっち!」
《ブレイヴ》の一人が待っている。
攻撃。
浅い。
でも当たった。
「よし!」
俺は大剣を構え直した。
いける。
ちゃんと見れば。
今までと同じだ。
相手を見て。
考えて。
できることをやる。
それでいい。
そう思った。
◇
蒼牙狼が大きく距離を取った。
俺たちも追わない。
負傷している。
逃げるなら無理に追う必要は――
「来る!」
蒼牙狼が地面を蹴った。
俺じゃない。
横。
《ブレイヴ》の一人へ向かう。
その人が武器を構える。
大丈夫。
見えている。
対応できる。
そう思った。
その瞬間。
昨日の光景が重なった。
茂み。
飛び出した魔物。
振り返った仲間。
鈍い音。
地面へ叩きつけられた身体。
「――っ」
息が止まった。
今。
目の前にいるのは別の人だ。
分かっている。
魔物も違う。
場所も違う。
昨日じゃない。
分かっているのに。
身体が動かなかった。
「朝陽!」
声。
誰の。
蒼牙狼が進路を変えた。
なぜ。
俺。
こっちへ来る。
見えている。
速い。
避けろ。
分かってる。
避けろ。
足が。
動かない。
「朝陽!!」
蒼牙狼が跳んだ。
牙。
青白い冷気。
近い。
まずい。
死――
そう思った瞬間だった。
視界が。
急に。
遠くなった。
◇
何をしたのか。
分からなかった。
気づいた時には、蒼牙狼の牙が俺の頬の横を通り過ぎていた。
「……え?」
身体が低い。
右足が一歩前。
大剣は。
構えていない。
刃が。
蒼牙狼の身体の下へ滑り込んでいる。
どうして。
考えるより先に。
身体が動いた。
大剣の柄を引く。
違う。
俺は。
引こうとしてない。
腰が回る。
足が踏み込む。
大剣の重さが。
邪魔じゃない。
軽いわけでもない。
ただ。
どこへ動かせばいいのか。
身体が知っている。
「――っ!」
刃が跳ね上がった。
蒼牙狼の身体が浮く。
そのまま。
左へ。
一歩。
踏む。
大剣を返す。
「朝陽!?」
ガイウスの声。
聞こえた。
でも。
俺は何も考えていなかった。
振り下ろす。
蒼牙狼が地面へ叩きつけられた。
動きが止まる。
「…………」
静かになった。
俺は。
大剣を握ったまま立っていた。
「……え?」
自分の声だった。
何が。
起きた。
「朝陽!」
ガイウスが駆け寄ってくる。
「おい!」
「……ガイウス」
「怪我は!?」
「え?」
「噛まれてねえか!」
頬を触る。
血。
ない。
腕。
脚。
大丈夫。
「……してない」
「本当か?」
「うん」
ガイウスが俺の身体を確認する。
その間も。
俺は。
自分の手を見ていた。
震えていた。
「…………」
今の。
何だ。
俺は避けようとした。
でも。
動けなかった。
あの人が死んだ時のことを思い出して。
完全に。
固まっていた。
なのに。
「……俺」
「あ?」
「今、何した?」
ガイウスが止まった。
「何って……」
「分からない」
「…………」
「俺、何した?」
聞いている自分がおかしい。
俺がやった。
俺の身体が動いた。
俺の手が大剣を振った。
それなのに。
何をしたのか。
説明できない。
ガイウスが倒れた蒼牙狼を見る。
それから。
俺を見る。
「お前……」
「何?」
「今の動き、どこで覚えた?」
「…………」
やっぱり。
おかしい。
「知らない」
「知らないって何だよ」
「分からないんだって」
「俺が教えた動きじゃねえぞ」
「…………」
胸の奥が。
冷たくなる。
怖い。
蒼牙狼じゃない。
自分が。
少し。
怖い。
「朝陽」
「……うん」
「一回座れ」
「でも依頼」
「いいから座れ」
いつもより強い声だった。
言われた通り、大剣を置いて座る。
手を見る。
まだ震えている。
さっきの動きを思い出そうとする。
蒼牙狼。
牙。
死ぬ。
そこまでは覚えている。
そのあと。
「…………」
分からない。
身体だけが。
勝手に。
「火事場の馬鹿力……とか?」
「俺に聞くな」
「だよね」
「ただ」
ガイウスが腕を組む。
「お前、前から覚えは早かったけどな」
「うん」
「今のは、そういう感じじゃなかったぞ」
「…………」
言わないでほしかった。
俺も。
そう思っていたから。
◇
依頼を終えて王都へ戻っても、違和感は消えなかった。
むしろ。
時間が経つほど大きくなった。
ギルドへ戻る。
報告をする。
報酬を受け取る。
いつも通り。
でも。
ずっと。
自分の手を見てしまう。
「朝陽」
「ん?」
ガイウス。
「今日はもう帰れ」
「……うん」
「あと」
「何?」
「一人で変な練習すんなよ」
「何で分かったの?」
「お前、絶対やるだろ」
「…………」
「やる気だったな?」
「ちょっとだけ」
「やめとけ」
「でも確認したい」
「何を」
「さっきの動き」
「できんのか?」
「……分からない」
「なら今日はやめろ」
正しい。
たぶん。
「分かった」
「本当だな?」
「今日はやらない」
「今日は、って付けんな」
「だって気になるじゃん」
「分かるけどな」
ガイウスも少し考える。
「明日やるなら俺も見る」
「いいの?」
「俺も気になる」
「……そっか」
「ただし、今日は寝ろ」
「はい」
「飯も食え」
「はい」
「あと――」
「お母さん?」
「殴るぞ」
少し笑った。
ガイウスも笑った。
それで。
ほんの少しだけ。
怖さが薄れた。
◇
宿へ戻る。
大剣を置く。
手を洗う。
飯を食う。
いつも通り。
でも。
頭の中では。
何度も。
あの瞬間を繰り返していた。
ベッドへ座る。
右手を見る。
「…………」
試さない。
今日は。
ガイウスと約束した。
それでも。
考えるくらいはいいだろう。
最初。
蒼牙狼が来た。
俺は固まった。
避けられなかった。
そこから。
「……何したんだ、俺」
分からない。
大剣の使い方はガイウスに教わった。
足。
腰。
重心。
間合い。
何度も練習した。
でも。
今日のあれは。
違う。
ガイウスも言った。
教えていない。
だったら。
どこで覚えた。
「…………」
覚えた?
違う。
覚えた記憶なんてない。
「たまたま……だよな」
死にかけた。
必死だった。
だから。
偶然。
身体が動いた。
そういうことだ。
たぶん。
「……異世界だし」
口にして。
自分でも雑だと思った。
でも。
他に説明できない。
ベッドへ倒れる。
天井を見る。
少しして。
目を閉じる。
すると。
蒼牙狼が飛びかかってきた瞬間が浮かんだ。
その次に。
昨日の光景。
倒れた仲間。
そして。
知らない動きをした。
自分の身体。
「…………」
眠れない。
目を開ける。
「気になる……」
明日。
ガイウスと確認する。
それで。
もう一度できなければ。
ただの偶然。
できたら。
「…………」
そこから先は。
考えないことにした。
分からないものを。
分からないまま怖がっても仕方ない。
見る。
試す。
考える。
いつも通り。
それでいい。
ただ。
あの瞬間。
確かに。
俺は。
自分の身体なのに。
自分ではない何かに動かされたような。
そんな。
気持ちの悪い感覚だけが。
いつまでも。
手の中に残っていた。




