↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/42

第二十六話 不釣り合い1

──蝶子──


 ふと氷雪に呼ばれた気がして、蝶子は顔を上げた。氷雪が飛びたってから一週間が過ぎようとしていた。


 蝶子は、おもむろに立ち上がり、縁側に立った。瓦を叩きつける、激しい土砂降りの雨は、庭の土をも削り、茶色く濁らせ、幾つもの水溜まりを生んでいた。雨はすでに一週間降り続いている。蝶子のいた村の人々は、この雨を恵みだと喜んでいるだろうか。それとも、続く雨に嘆いているのかは、わからない。


 ここいら一帯の雨を降らせることは、氷雪の任務だと童子から聞いた。


 元来、神様の仕事は、人間の願いを聞くのでは無く。ただ、穢れた大地を浄化するものだと言っていた。

 蝶子は、弾かれる雨音を聞いて俯いてしまう。


「寂しい……の、かな」


 煙るほどの雨を見ながら、蝶子は呟いた。

 どうも氷雪が近くにいないと違和感がする。声が聞こえない。体温を感じ無い。部屋のなかがガラリと広くなった気がしてならなかった。


「怪我をされていないかしら」


 蝶子は頭を振る。

 心がソワソワして右手の甲を鼻に近づける。すうっと嗅ぐと、甘い香りがしてホッとした。

 勿体ないが氷雪から頂いた練り香水を、少量塗っていた。


「ちちち」


 土砂降りの雨のなか、青雀が何かを咥えて屋敷に入ってきた。そういえば朝から見かけなかった。雨の日は、屋敷にいるようだったが、今日は紅雀がずっと、そわそわしている気がした。青雀を心配して、あっちこちと部屋のなかを飛び回っていたことに気が付く。案の定、青雀が部屋に入って来るなり、紅雀は飛んで来て、叱りつけている様子だった。蝶子はくすりと笑って手布を出して青雀を軽く拭いてやった。


「ちちち」


 青雀は、羽をぶるぶるとして水気を飛ばすと、とんとん、と三度ほど廊下を飛び跳ね、口に咥えている物を蝶子に差し出した。


「なぁに。くれるの? まぁ綺麗な白牡丹ね」


 小さいけれど、水にしっとり濡れた花だった。このところ、蝶子の元気が無かったのを見て、青雀が花を摘んできたようだ。


 白牡丹は蝶子にとって、特別な花だ。嬉しい。笑みがこぼれた。

 そういえば、こんな風に落ち込んでいたとき、あの人が花をくれたことがあった。


「懐かしいな。去年、啓太に貰った花なんだよ」


『綺麗な花だったから』と啓太が摘んでくれた白牡丹。村で唯一、親切にしてくれた男の子の、はにかんだ笑顔を思い出す。


「元気にしているかな。啓太」


 花嫁として生贄にされるとき、逃げようと言ってくれた男の子。

 喰われると思っていたから、少し、連れ出してくれようとしたことが嬉しかった。


「蝶子」


 背後から、不安げな、童子の小さな声が聞こえた。


「えっと。さんね。ちゃんだったかしら」


 さんねは、コクリと頷いた。着物の裾をぎゅっと握り締めている。


「蝶子は、雪のこと、どう思っているの?」

「どう? とは」


 唐突な質問に蝶子は首を傾げた。さんねは、可愛らしいお顔を不満げにさせて、蝶子を見上げた。


「好き。嫌い」

「……好きだと思います」

「どんなところが」


 蝶子は、しばし考える。


「自立されているところ、とか」

「それから」

「子供たちにも好かれているところ、とか」

「それから」

「他の神様からも信頼されているところ、とか」

「それは、恋として」


 恋? 何か違う気もする。

 蝶子は意味も無く、目を泳がせた。さんねは、それが気に食わなかったのか、目に涙を溜めて、地団駄を踏んだ。


「蝶子は雪のこと好きじゃなきゃダメなの」


 急に癇癪を起こしだして蝶子は、おろおろとした。


「雪は絶対に、蝶子の嫌がることしないよ」


 さんねは訴える。


「蝶子は雪を受け入れてよ」


 受け入れる?

 蝶子はすでに氷雪を受け入れているつもりだが、さんねは、蝶子にしがみつき、ポカポカと股を叩いた。


「蝶子が受け入れないと、このままだと、雪が、ボロボロになっちゃうよ」

「えっ」


 さんねは急に、しまったっと顔をして、蝶子から離れると口を押さえた。

 不安が過ぎる。


「ボロボロにとは、受け入れるとは」


 蝶子の質問に、さんねは、首をふるふると振った。涙がホロリと流れ、蝶子を見据えた。


 今まで童子たちのこんな姿を見たことがなかった。蝶子の知らないところで、氷雪の身になにか起きている。そう感じた。

 さんねは泣きながら蝶子を見上げ聞いた。


「蝶子にとって、白牡丹は啓太との思い出しか浮かばないの。啓太のが雪より大事。啓太のことが好き?」

「……」


 考えたこともなかった。この質問と氷雪の身に起きていることとの関連性が見いだせない。


(ここでの好きとは、恋愛対象よね)


 首を傾げながらも、蝶子は、その問いを考えた。啓太は、幼馴染みでしかない。それ以上でも、それ以下でもない。


 好き?

 蝶子は恋を知らない。愛とはいったいなんなのか、わからない。困惑して言葉に詰まっていると、雷が近くで落ちた。


「きゃっ」


 一閃が走り抜け、眩しさに目が眩む。激怒するかのように地が地響きし、震動で心が乱れた。雷鳴がする。雨音が激しくなる。


 そこに、ドンと壁になにかが当たる音がして、蝶子は振り返った。


 「氷雪様」


 何時からいたのか、氷雪が壁に支えられながら立っていた。息遣いも荒く、体にうまく力が入らないのか、どこか、だらりとしていた。


「雪」


 わらわらと童子たちが、心配げに駆け寄ってくる。氷雪の瞳孔は細く、獣じみて蝶子だけを見据えている。


「啓太とやらが、なんだって」


 どこまでも低い声がして、蝶子の唇が震えた。

 どうやら、さんねとの会話を聞かれ、怒っているようだ。とは言え、激怒する会話などあっただろうか。


 啓太が好きかどうかなど、氷雪には、どうでもいいことだろう。


 氷雪は片腕をぐっと掴みながら、ふらりとし、一歩、蝶子に近づいた。袖から素肌が見え、蝶子はぎょっとする。


 氷雪の腕が、疎らに銀色の蛇の鱗になっていた。首も。顔もだ。


「俺が怖いか」


 蝶子は首を振る。足が勝手に震えた。

 氷雪の身になにかが起きているようだが、怒りは蝶子に向けられているようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。