現状の把握、現実把握
しまった。やってしまった。と後悔しても時間は帰ってこない。
「にぃ…抱っこして!」
「ああ、うん、いいぞ?」
「仲直りしたみたいで嬉しいわ〜」
簡潔にいうと妹が俺に依存してしまった。しかも結構べったりである。今までの天使→クール→魔王少女の流れでどうしてそうなったのか、原因はわかるがこの有様はないだろう。というかデレすぎだろ、別人レベルだよ?
ぎゅっと押し付けられている柔らかで繊細な体をどうにも壊れそうなその身体を繊細なガラス細工でも扱うように持たなければならない、彼女を傷つければこれ幸いにと世界の修正力が俺を殺すかもしれないしそうで無くとも精霊との命をかけた(一方通行な)契約によって即死するかもしれない、だが、デパートの時のように魔力を解放することもなくいつも通り枷をはめている為に本気で魔力強化されればギリギリ負けそうなこの状況で彼女の要求を断るのは精神衛生的な意味で良くないし、そもそも俺のせいなのかは少し微妙だが俺が居る所為で彼女の心に非常に高い負荷を変えたのはいうまでもない事実だ。
お?チョロインかよお前、とも思ったがその瞳の中に昏い何かを感じる。ヤンデレではないと信じて居るがあいにく前世での経験値が足りない為にそうかどうかの判別はできない、だが俺が一人になろうとするのを極度に嫌がり同時に自分も一人になろうとしない、きっともう彼女の脳裏には心の奥底には傷つく俺の姿と血にまみれて来たこの国の影、そしてその殺意と狂気が刻まれ離れないのだろう。
そしてお母さんは高校生と中学生の距離じゃないのを注意してほしい…マジで無駄に女子女子した柔らかさが妹とかそういうのを貫通して俺の心を蝕みまくってるんだが!?
「にへへ〜」
だがそれでも振り払えないのは緩みきった彼女の笑顔がとても大切な物なのだと、俺が守るべきものなのだという事を兄として、彼女の英雄として、世界に拒まれた俺を求めてくれる数少ない人として…俺の為に、俺の心の平穏と平和のために守るべき俺の一部なのだと認識して居るからだ。
そして飯を食い終わって思った。幼児退行してるだけじゃね…と。
夜、流石に正気に戻ったのか、それともあんな甘えっぷりを見せておきながらも恥じらいがあるのか彼女はさすがに一緒に寝るなんて寝言は言わず俺も一人の時間ができた。
「母さん、少し公園で運動して来ます。」
「あら?危ないから庭にしときなさい、あと春休みだからって運動してないと鈍っちゃうわよ〜?」
「わかってるよ。」
俺は裏口、というより庭に面した廊下のような部分から窓を開けてスリッパを履いて外に出る。
「うーん、」
体を軽くほぐし周囲に結界を張り強化する。その上で魔力を解放しその後魔力を全て吐き出す。
「ッヴ…」
反動により風景は肉肉しいものが蠢く地獄となり魔力無しではあり得ない密度の筋肉と強度の骨が久方ぶりの過度な重力に悲鳴をあげる。
異世界であるせいか、そもそも天体として別のものなのかそもそも魔力による肉体強化があるからかこの世界の重力は地球のそれと比べて大きい、赤子の頃から魔力無しの状態にしていたのが幸いしてか普通に暮らして居る人間よりは肉体的に強靭に成長したが最近はそういう機会がなかったので少し心配していた。が…まあ、案の定鈍っていた。内臓が下に押しつぶされそうになりそうだがそこまでではない、少しすれば慣れてくる。
「く…ふぅ…」
目と口から血が出ていたが問題ない、拭ってから筋トレとうろ覚えの技の復習をする。技といっても高校時代齧っていた空手もどきと護身術として習っていた柔術の技を思い出しつつの物なため正確なものでは無いかもしれない、だがこの世界のものよりは確実に洗練された技術の粋である。思い出さないで忘れるという選択肢はないのだ。
この世界は魔法というズルがあるからか肉体を真面目に鍛えたり素の身体能力を使った格闘技や拳術、所謂技術の発展があまり無い、肉体的鍛錬は非効率的な物が多く無闇に重いものを振り回したりして居るのを見たことがある。それ故にこの世界で戦士や騎士は大体の場合大柄であったり体格的に恵まれていなくてもボディビルダーのような巨大な筋肉を備えて居る。また、武器も切るというよりは叩き潰すというものが多い、まあ魔物は装甲が厚く斬撃がいまいち効かないという事から効率的になっていくにつれて斬撃の使用価値がなくなっていったのだろうが…
「勿体無いなぁ…」
俺は自身の体重を使ってできる腕立て伏せやスクワット、腹筋などに加え予め用意しておいた軽い重りを何百何千と上げ下げし、持ち上げたままにして固定したりと筋持久力を鍛えていく。
そのあとは我流剣術もどきの鍛錬として棒切れを振って居る。
空手のそれと同じようにつま先から腰までの全関節と上半身のすべての関節その動きと上下の力の流れを一振り一振り、一回一回意識して構え、息を整え、振る。
剣道の授業でやったが剣道では左手が重要である。なぜ重要なのかはあまりよく知らないが武器が手から離れるというのは致命的であるし両の手で構え振り下ろすのだ左手と右手の間にある空間の分力が入る。また手首のスナップというのはボクシングにも通ずる重要なものだ。空手も先端の操作など極めればそれのみでも凶器となり得る物があるが…武術、武道というのは奥深いものだ。
別段求道者というような気質ではないが世界が敵である以上俺が本当に信じられるのは己の技量と肉体のみだ。
「はぁ…」
気がつけば夜から夜中に、月は真上どころか沈みかけ空がしらんで来ていた。
「不味いな。」
俺はついでに足元を見る。雑草がミステリーサークル的な形に禿げ、枝を振っていただけのはずが結界の一部に切り裂かれた跡があった。
俺はそれらを直そうとも思ったが、ふと母親が草むしりをしていたのを思い出しついでとばかりに庭の草を全て毟り取りついでに耕すように根っこを土と混ぜておいた。これでガーデニングも捗るだろう。俺はシャワーを浴びて部屋のベッドで眠った。
「はぁ…退屈ね。」
深窓の令嬢という奴だろうか、金髪碧眼の絵に描いたような、まるで西洋人形のような少女が窓の外から街を見ていた。
「お休みが終わったら学園…どうせ低俗な魔法が使えるだけの人や平民よりタチの悪い特権階級の魔法使いばかり…いえ、今年は『勇者様』やその従者がいるんでしたっけ?」
そう言いながら彼女は『勇者様』として祭り上げられる予定のマリア、数多の宮廷魔導師を輩出して来た名家の様子を見るためかそれともただの暇つぶしか遠見の魔法を発動させた。
だがその眼が注目したのはもっと別のものだった。
「…あら?」
遠見の魔法が作用しない、正方形に切り取られた高密の魔力の箱が彼女の視界を切り取っていた。だがもっと異様なのはその中にいた人物だった。
「…魔力が…ない?」
この世界の森羅万象全てに宿りその魂の根幹にあるはずの魔力、それが無い、それは死体と同義でありもしそれが動いているのだというのなら…
「異世界人!異界の人間だわ!?」
あまりの感動に感情が揺れる。揺れた感情は魔力に伝播し彼女の属性が顕現する。それは揺らぎのようでもあり、波のようでもある。そしてそれが水面にできるのではなく空間上に突如出現していた。そこを起点に周りのものが巻き込まれ壊れていく。
それは揺らぎでも波でもなく『捩れ』、あるいは『歪み』、
「あは!あははは!あはははははは!『イレギュラー』『異物』、そう、彼のことだったのね!愉快で痛快で…気持ちがいいわ!」
恍惚とした表情は深窓の令嬢めいた清楚で上品な美しさに相反する淫靡さを醸し出し、退廃的な美しさと狂気を上塗りする高笑いは衝撃波と捩れの拡大を巻き起こし破壊を撒き散らす。
だが部屋は一向に破壊されず逆に破壊されたものは次々に再生されていく。
「あー、ダメね、やっぱり内側からじゃ壊れないわ。」
そう言いながら窓に発動させていた遠見の魔法を解除した。まるで仮面をかぶるように貴族令嬢らしい笑みを貼り付けてしかし滲み出る狂気のままに声を出す。
「楽しみね…貴方に会うためだけに、私は生きて来たのかもしれないわ?独りぼっちのイレギュラー…いいえ、深見陸くん?」
彼女は再び窓のそばに座る。魔力によって動く車椅子に乗った盲目の令嬢は魔導の深淵より呼び出された天上の神に最も近い義眼である目を細めた。
「替わりの私を慰めてね?」
青白く輝く幾何学模様と非幾何学模様の螺旋はあらゆる物を持ち主に犠牲を強いながら見せつける。
「お嬢様…」
「わかってるわ、本物の『裁定の魔眼』保持者が見つかったんでしょう?」
「…申し訳ございません、始末するに至りませんでした。」
「いいのよ、紛い物よりも本物の方が勇者様も喜ぶでしょう?」
彼女は儚げに微笑む。
「それよりも、爺、私、学園の最低クラスに入ってみたいの、それくらい、お願いしてもいいでしょう?」
「…お嬢様の御心のままに…」
鍛錬と言うのは自らを内側に成長させるための儀式であり手段だ。
故に外からの視線と言うのには気が向きにくい、俺がチリチリとした焦燥感のような、地味子達影の騎士団の持つ狂信的な忠誠心と狂人めいた殺意のような、期待のようなものを感じたのは学園に入学した初日のことだった。
「ねぇ、貴方…」
車椅子の彼女は俺よりも小柄で、今も腰ほどから見上げるようにこちらをみている。だが、それだと言うのに俺はその『瞳』から、目から視線を外せなかった。
「魔眼…じゃあ、ないな。」
「ええ、これは模造品、一目で見抜くなんてお目が高いのはいいけど…」
急加速した車椅子は俺の爪先に車輪をめり込ませる。せっかくの革靴がすり減るのとは別に俺はまるで金縛りにでもあったように動けなくなる。
魔力が他社の魔力に干渉されてうちからその動きを阻害している。拘束系の魔法を込めた魔眼なのか、それとももっと別のものか、俺は痛覚を遮断し無理矢理魔力を放出して拘束から逃れ再生する。痛覚がないことで生じる違和感は遮断率を下げることや今までの慣れで補正する。
俺が立ち上がる前に彼女はこちらを見下ろして言う。
「せっかくの学園生活でせっかく一緒のクラスなんですのよ?自己紹介の一つでもしてから…お話ししましょう?」
その瞳は俺を映してはいたもののその焦点はどこにあるか定まらず。俺をどうにか認識しているが視覚的には見えていないのだろう。だがその身に宿す暗い、昏い狂気めいた執着を俺に叩きつけてきている。
「ねぇ、フカミリク、異世界の魂を持ったイレギュラーさん?」
その時俺の背筋が粟立つを通り越して凍りついた。
認識と思考とそれを制御する何かが致命的な混乱をきたし、目の前のそれが何故その文字列を口走ったのか、急速に警戒が高まり枷が外れそうになる。
「私はエリン、エリン・ジルバニア対外的にはこの国の大貴族の一人娘だけれど…私、個人的に貴方に興味があるの、さぁ、立って、オトモダチになりましょう?」
権力とは圧倒的な力である。魔力も、魔法も、戦闘力も、一騎当千の騎士も片手前に処刑できるような残酷で確実な力はこの世にこれ以外に存在しないと言える。
そしてそう名乗った相手に対して唯人が出来ることと言うのは…
「アビス、アビス・ランドウォーカー…です。」
「そう、じゃあすぐにテラスに行きましょう。ああ、安心して、私たち以外誰もいないから、爺も帰って、彼に車椅子を押してもらうわ。」
「…お嬢様の御心のままに…」
この金髪碧眼で黙っていれば深窓の令嬢と言われそうな絵に描いたようなお嬢様の形をした狂人に対しての抵抗を止めること位だ。