過去の話1
この世界は科学の代わりに魔法があり、この世界の全ては魔力を持ち、そして全ては魔法と言う現象によって説明される。当たり前の様に五大元素によって区切られたこの世界に酸素をはじめとするすいへーリーベー僕の船と暗記させられた元素記号を持つ元素たちは存在しないし、火は風の含む魔力を受け取って大きく燃え、その根源は精霊と呼ばれる四大元素を司る神の如きものがある。
それが当たり前であり、それが当然であった。
だがその時まだ幼児だった(今もまだ子供なことには変わりないが)俺はそんなこの世界の常識を否定的な視点から、飽くまで異世界人であり科学というものがあった世界の人間としてこの世界の法則を否定しようとした。
結果、たしかに酸素の様なものはあったがそれは俺が魔力を使って生み出した架空元素であった。実験というにはあまりにもお粗末だったが俺はそれによってようやく真の意味でこの世界の法則を受け入れられた。なにせ捻くれているものでね…と、まあここまでで済めばこれは笑い話で終わったし受難なんて大層な事にはならなかった。そう、それは突然現れた『精霊』によるものだった。
幼児用ベッドの上から動ける様になったもののまだまだ其処で寝ることを強いられていた俺はその日も変わらずに眠ろうとしたがこの世界の住人の基本的な技能として身についた魔力の感知が明らかに俺の知る人物以外の魔力がこの部屋に、俺以外存在しないはずのこの部屋に紛れているという事実を知らせてきた。
この時俺は恥も外聞も無く見た目通りの幼子のように泣けばよかった。それで何と無く事態は解決できたのだ。だが新婚さんらしく毎日が酒池肉林(夜のみ)な二人に水を差すこともできなかった。許せ、童貞には空気を読むくらいしかできないのだ。
外は雨が降っていた。
「クフフ…君は愚かだねぇ?」
「ッ!」
それは突然俺の目の前に現れ、その馬鹿にするような口調とは裏腹にまるで母親の様に優しく俺の頬を撫でた。その瞳には慈愛があり、そして何処か超然とした精霊らしい怪物めいた闇があった。
「闇なんて酷いなぁ…僕はこれでも上位精霊、君ら人間の魔法使いが欲してやまない真理を知る知性ある精霊さ、ついでに言えば水精霊だよ?」
「(ケルピーか何かだろうか?)」
「あんな水死体を作るのしか能がないような馬と一緒にすんなし。」
残念ながら彼女は触れている相手の心が読める。この時の俺は彼女と契約していなかった為に読まれるばかりだったが今となっては以心伝心(物理)である。まあ、それがどういう状況かはまた今度だ。
今は彼女との出会いと…彼女との契約にまつわるあれこれである。
どうやら彼女は俺に用があってきたようだった。
「どうして私がここに来たのか分かる?」
その時の俺には全く思い当たる節はなかったがどうやら彼女は、いや彼女達精霊はどうやらこの世界の均衡と法則を司る者らしい、らしいというのは実際のところそれが正しいのかどうかわからないからだ。ただ一つ確かなのは彼女達精霊というのは人間やエルフやその他諸々からの願いが無ければその力を振るうこともできないほどにその力を振るえる範囲も何かに押さえつけられているかのように不自由だという事だ。
そして彼女の目的はそれらと全く関係がないと言うわけではなかった。
「(いいや、さっぱりわからない。生憎こんな幼児に何かできることも無いからね。)」
「クフフ…いいや、君はきっとわかっている。異界から来たんだろう?その瞳…闇を抱えているね?」
彼女はひどく美しく。ガラスのような透明さと深い海のような底しれなさがある。そしてついでに胸が大きい…美醜の判断が体の一部で決まると言うことはなく。総合的なものであると言うのは言うまでもないが男故に、雄であるがゆえに其処に視線が行くのは致し方ない事であり…
「邪念を感じるぞ?えい☆」
「(うぐああああ!?)」
1歳児にして母親以外の胸に埋もれると言う童貞だった精神に響く攻撃を放たれたが問題ない、幼児の体はまだまだ反応しないからな。
「うふふ…心臓がすごい速さで動いてるわよ?」
「(キノセイダヨ〜)」
「まあ、別にかまわないのだけどね…君はこの世界の法則を捻じ曲げようとしたでしょ?」
いきなり雰囲気が変わった。
恐ろしくも何処か優しい魔力が俺を包み込む。
「(…隣の部屋には)」
「無駄よ、もうここは私の、私たち妖精の世界、如何足掻いても逃げ出せないわ。」
彼女の魔力が俺を満たして行く。何をしているのかその時は分からなかったがこの時俺は彼女に殺されそうになっていた。
「あなたに選択肢は無いわ、残念でしょうけど…この世界は私達と愛しい子供達の物、異界から流れて来ただけのイレギュラーであるあなたがこの世界に齎すのは…混乱と破壊だけよ。」
俺の罪はこの世界に別世界の常識を押し付け歪ませた事、彼女は少し悲しそうにそしてさらに強く俺に魔力を押し込んだ。
彼女がしているのは魂の破壊、いや上書きとでも言うべきか、俺と言う危険な人格と記憶を真っ白に塗りつぶし消去する。魔力がなんであるかは今は語らないが一つ確実なのは流し込まれると言う表現からも分かる通り基本的に他者から受け取れるようなものでは無い、血液型の違う血のように流し込まれた方はそれなりにダメージを受ける。致死量の魔力を流し込まれるなんていうのは人間同士ならあり得ないが彼女のような精霊や未だ見たことのない竜などと戦えばそんなゴリ押しも成立してしまう。
だが残念なことに俺には効果がなかった。
「…どうして?」
「(少しばかり事情があってね。)」
魔力は魂に宿る。
というと語弊があるが体の中にある肉体では無い部分、其処にある器のようなところに人間の魔力は入っている。
だが俺はその部分がどうにも壊れているようでこの世界を受け入れるまでこのあまりにも現実離れした現実を受け入れるまでその器に魔力を入れることはなかった。
魔力とはこの世界の法則でありこの世界に生きるものにしか宿らない、魔力を持たないということはそれすなわち死んでいると言っても過言では無いほどにこの世界の生命と魔力は深く結びついている。
だが逆に言えばこの世界の法則を受け入れなければ魔力はこの身に意味を成さない、俺の特殊な体質というのはこの魔力に対しての、いやこの世界に対しての拒絶であった。
まあ、そうは言ってもこのころは切り替えが下手くそで拒絶するのはいいが受け入れの方がうまくいっていなかった。その状態で彼女の魔力の奔流を受けたために助かったという面もあるがやはり運が良かっただけだろう。
「(この身に魔力を受け入れようと思えばできるがやっぱりまだまだここを現実と認められないらしくてね…まあ、その体質が少し早くに立ったんだ。世界はうまくできていると思わないか?)」
「むむむ…でも物理的にあなたを殺すのは簡単よ?」
まあ、いくら魔力が効かなくとも物理は効く。なにせ殴れば死ぬというのはどんな世界でも共通の真理だからな!
だけれど俺にはまだ手札があった。いや手札ができたというべきか?
この世界には二種類の魔力があり、それは世界を流れるいわば世界自体の持つ魔力と精霊や命持つ全てが宿す個人の魔力だ。
世界の魔力は大気のように常に循環し風や水や命に乗って世界を淀むことなく循環している。
個人の魔力は個々人の知識や経験が染み込んだ世界の魔力から汲み出された淀みであり、いわば世界の魔力から出た塵のような物だ。
さて、そんな知識や経験の塊を押し込まれた1歳児(中身は成人)はどうなるでしょうか?
魔力の大半は拒絶してしまったがたしかにこの身体には彼女の魔力が流し込まれ、その経験や知識が流れ込んできた。
新しいおもちゃを得た時の気分というのはいつになっても爽快で、全能感溢れる一瞬だ。
「(ありがとう精霊様。)」
俺は周囲に散った彼女の魔力を俺のものでは無い経験と知識を持って自身の力とし、水精霊たる彼女が最も苦手な土の戒めを放つ。
「うぐぐ…ちょっと予想外、体質もそうだけど私の魔法を盗まれるなんて…」
「(もっと物理的に殺しに来られたらアウトだったよ…君が優しくてよかった。)」
俺は心の底からそう思った。
上位精霊を名乗るだけあり彼女の水を使うことに対する権能は神に勝るとも劣らないだろうが精霊であるがゆえに彼女には決定的で致命的な弱点がある。それは四大元素のうちの一つを司るものの宿命である。
つまるところ彼女らが互いに強弱があるために世界は均衡を保たれているのである。
もっと言えば彼女は非常に土に弱い、ナメクジに例えるのはあれかもしれないが彼らが塩や砂糖に弱いように彼女は土属性というものにさっぱり耐性がないのだった。
『クフフ…アビス君?人をナメクジ呼ばわりとは偉くなったねぇ?っうぎゃ!』
頭に彼女の声が響き凄まじい激痛が走る。ついでに俺の痛みは彼女の痛みなので彼女も痛みに喘ぐ。
「…何馬鹿なことをしてるんだよ、痛いじゃ無いか。」
『そっちこそ無駄に過去なんて振り返ったりなんかして…なぁに?私との劇的な出会いに感謝してるのぉ?』
自分にデコピンをすることで彼女を黙らせつつ記憶の整理を続ける。
まあなんだかんだで彼女は今も俺のそばにいるのだが、そのおかげでというべきか其の所為と言うべきか記憶や経験などの混濁がごく稀に起こるのだ。
たまたまそれが今日で宿題もご飯もお風呂も終わって寝るだけの今の時間にサクッと記憶の整理をしているのである。
『あーあー、痛いわー。全くもう、明日は色々用事があるんでしょう?早く寝ないと体がもたないわよ?』
…まあ、それもそうである。おっちょこちょいなダメっ子精霊(お姉さん風味)に言われた通りにするのは非常に遺憾だが…眠気には勝てなかった。
続きは明日にするとしよう。