第三十七回
「まだ血のにおいがする。アラビアじゅうの香料を残らず掻き集めても、こんなちっぽけな手すら、清められはしない」
シェイクスピア「マクベス」
第三楽章
広間のほぼ中央に、巨大な楕円形のテーブルが据えられている。
いかにも磨き抜かれた、マホガニー材の木目が隠れるのを厭うのか、テーブルクロスは用いられず、代わりにレースのマットが、ポイントごとに敷かれている。装飾に深紅の庚申薔薇が多用されているのは、花の重みで客人を圧死させたという、ローマの少年皇帝ヘリオガバルスの故事に倣うのか。
晩秋の陽はとっぷりと暮れ、天窓から洩れる残照も絶えた。間接照明の絶妙な組み合わせが、巨大な食卓ばかりを、周囲の闇から浮かび上がらせている。まるでいにしえの画家が描く、最後の晩餐図のように。
実際にこの食卓は楕円形と云いながら、奇妙に湾曲して横に長い。南北の壁を背に、両陣営が向き合って座る恰好となるだろう。
寝過ごした私もだいぶ遅れて入ったけれど、女帝、および皇女たちの姿はなかった。
入り口に背を向けて、ピアノのある東奥から、蒲良、堀川、京林が居並んでいる。三名に比べて、私の座席が隅に押しやられている感があるのは、気のせいではあるまい。目の前に、同様なポジションの空席があり、長篠明子が座るものと想像された。
三名ともスーツをきちんと着込み、堀川でさえ窮屈そうにネクタイで首を締め付けている。ダンガリーシャツの上から、麻のジャケットを羽織っただけの私を、かれはぎろりと見上げた。
「諸君、ジョージ・ハリスン氏を紹介しよう」
もはや、叱言を云う気にもならぬようだ。隣の京林は、ちょっと指で眼鏡を持ち上げたきり。堀川の頭の向こうで、蒲良がしきりに肩を揺すっていた。
「墓堀り人夫ですか。このまま立ち上がって左を向けば、私が司祭で先生が葬儀屋。必然的に京林くんは、死体になってもらわなくちゃなりませんな」
「そのまま墓場まで行進と洒落るとしよう」
奥の二人が無遠慮な笑い声を響かせ、うんざりしたように、京林は首を振った。
何のことはない。一九六九年にビートルズが発表したアルバム「アビー・ロード」のジャケットに関する、あまりにも有名な逸話である。スタジオのあったアビーロードの横断歩道を、メンバー四人が縦に並んで歩く。真横からのアングルで、先頭をきって純白のスーツのジョンが歩き、リンゴ、ポール、ジョージと続く。この写真から、蒲良が云ったような解釈が広まり、「ポール死亡説」まで発展した。
ジョージ・ハリスンだけスーツを着ておらず、デニムの上下。ポール・マッカートニーはスーツなのに裸足。しかも、かれの後ろに写り込んでいるフォルクスワーゲン「ビートル」のナンバーが「28IF」……ポールが「もし」生きていたら「二八」歳、と故事つけられたのだ。
ある意味、これもまた音楽による人殺しと云えるだろうか。
世界を揺るがせた怪物バンドによる、実質的な最後のレコーディングがこのアルバムだ。解散間際、瀕死の怪物の息づかいが、終焉する一つの時代の象徴として、世間の不安を煽ったのかもしれない。
いずれにせよ、酒も食い物もお預けにされ、手持ち無沙汰のあまりの戯れ言。そう解釈して、京林同様、苦笑しながら席についた。まさか晩餐が始まってから、あの忘れられない「音楽殺人談義」へ発展しようとは、夢にも思わずに。
「お待たせいたしました」
最初に入って来たのはメイドではなく、長篠明子だった。例によって深々と頭を下げたあと、奥まった席から順番に椅子を引いた。
ちょっと彼女らしからぬ、退廃的な、ぞろりと長いスカートが、まずもって私の目を釘付けにした。あれは有坂美月だと円香は云った。けれども、私が庭で目撃したのは、まさにこのスカートではなかったか。
覚えず京林の横顔を盗み見たが、銀縁のフレームの奥に、感情を読むことはできなかった。




