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第三十二回

「好い女じゃないですか。なかなか好い」

 姿勢好く一礼して、彼女が去るのを見届けてから、蒲良が云った。辺り憚らない大声は、メイドにも聞こえたに違いない。反対に私は声を潜めた。

「少々、個性が強過ぎるようですが」

「いやいや、女は何とやらと申しますが、あれほどの愛嬌のなさを、一挙手一投足の美しさが補って余りある。紅茶を煎れる様子をご覧になりましたか? 一つも無駄な動きがない、まるで一種の舞踏を見るようでしたよ」

 より猥雑な感想を蒲良が口にしかけたところで、妖怪文士の大声が広間に響いた。

「酒井くん、毎度のことながら、きみの非社交性には感動すら覚えるよ。昼飯は喰ったのかね?」

 さっきの蒲良といい、周囲の男どもは、なぜか私の飯の心配ばかりする。よほど喰えていない印象に映るのは、否定できないけれど。

 堀川は、英国製の三つ揃いのスーツを着た上で、相変わらずネクタイをだらしなく緩めている。太すぎる首を持て余すのだろう。そんな自身は棚に上げて、案の定、かれは上から下まで私の「非社交性」を眺めて口を入れた。

「髪を切ったヒッピーか、風呂に入ったルンペンといったところか。よくそれで、メイドに門前払いを喰わされなかったな」

「歓迎されているようにも、見えませんでしたがね」

 遊びをしましょう。

 出水円香の妖しげな笑顔が、また浮かんで消えた。野兎を想わせる愛くるしい顔立ちのどこに、あれほど魔的なインパクトが潜むのか。いや、欧州のお伽話の中では、兎もまた魔女の化身……堀川は鼻を鳴らした。

「ふん、やさぐれたジャーナリストの戯画みたいで、案外、好印象かもしれんて」

「京林くんは、まだ庭に見惚れていますか」

 使用するのがもったいないような、アールヌーボー調の灰皿で煙草を揉み消しながら、蒲良が尋ねた。

「たしかに、面白い庭だった。アルンハイムの地所とまではゆかないが、京林くんはいつかエッセイで、ボマルツォの怪物庭園への愛を縷々と述べていただろう。どこかあれと通じ合うような、幼児退行的魅力があるね。それが有坂苫江のセンスなら、女帝の心理を探る上でも興味深いが。もしくは庭師任せだとしたら、よほど風変わりなやつを雇っているよ。酒井くんも見ておくといい」

「泥棒猫みたく、摘まみ出されるのでなければ」

「身元は保証しよう」

 肩を竦めると、私は独り、広間を抜け出した。

 広すぎる部屋に、かえって息苦しさを感じてもいた。化粧漆喰のポーチから階段を三つ降りて、右脇へ逸れる恰好。どうしても無理に忍び込むような経路をとらなければ、庭へ入れないらしい。

 ハイドパークへは行ったことがないが、そこはまさに「隠された庭」だった。植え込みによって、周囲から巧みに隔離され、明らかに意図された迷路の様相を呈していた。

 現在は奇麗に剪定されているが、季節が来れば、ここは薔薇の迷路と化すのだろう。

 私が駒込に寓居を構えたのは、薔薇園として有名な旧古河庭園が近くにあるからに他ならない。どうしようもない俗物である私は、この気難しい美女のような、色も香りもコントラストの強い花に憧れた。手が届かないゆえの、空想にも似た憧れ。しかもたった百五十円の入館料を払えば、花ざかりの庭をまるで自分の地所のように散歩できた。

 北鎌倉の丘の上に、だから、隔離された「薔薇迷宮」を見つけたときの驚きはひとしお。むしろ花の季節でなかったことが、幾分、私を落ち着かせたと云える。色と香りのシンフォニーに幻惑されて、戻れなくなるかもしれないから。

「……ぼくは、いけないことをしましたか」

 不意に、しめやかな話し声が、耳に飛び込んできた。

 身を縮めるようにして、覚えず生け垣に身を寄せた。休眠中の植物の棘が、私の二の腕を咎めるように、ちくりと刺した。

 声の主は京林に違いなく、相手は誰なのか判らない。一定の間隔を置いて幽かに聴こえてくるのは、かれの声ばかりなので、じつは京林の前には誰もおらず、ある種の奇怪な一人芝居を演じているのではないかとさえ、疑われた。

 乱歩の名作、「人でなしの恋」のように!

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