ラフィスとクロウの授業風景
「シャル。昨日近衛騎士のオルドに会ったそうですね?」
「あ……おう」
朝食を済ませてクレイヴの屋敷へ向かう途中、朝からどこか表情の固かったシェイザードがそう言ってきた。そう言えば見慣れない人物がきたら誰か呼ぶようにいわれていたのだ。相手が自分ごときの投擲で昏倒していたし、別段悪い印象も受けなかったから、まぁいいかと思っていたのだが。
すんなり返事をしたものの、なぜそう問われたのか思い当たってちょっと縮こまる。
大体オルドもこっそり来るくらいなら言わなければバレなかったのに。
シャーリルの反応に、わずかに鋭かったシェイザードの目が少し和らいだ。
「一言でいいですから、どうか我々に教えてください」
「う……ゴメンナサイ」
素直にぺこりと頭を下げる。するとくすりと笑われた。
「今度からは絶対ですよ」
「ん。絶対言う」
「それから、不審人物に攻撃するなど以ての外です」
「ん……で、でもさ! 逃げちまうだろ」
素直に頷いたシャーリルだったが、はっと言われた言葉を呑み込んで顔を上げる。
「追うのも捕らえるのも我々の仕事です。シャルは兵でも騎士でもないのですから……」
「逃げちまったらマズいだろ?」
「シャルに何かあるほうが困ります」
「そこはちゃんと逃げるから……」
「相手は素人でない可能性が大きい。シャルは本当に逃げ切れるのですか?」
「う……」
シェイザードの目の鋭さから、本当に命に関わる危険性があるのだと思い知らされる。仕方なくシャーリルは降参した。
「分かった。誰か呼ぶ。絶対攻撃しない」
「シャル」
「はい」
にっこり笑ってシェイザードが念を押した。
「絶対ですよ」
「……ハイ」
そんな笑顔が脅しだと思ったのは、今回が初めてだった。
一方、クロウはラフィスの屋敷へと来ていた。
「失礼いたします、ご当主」
始めに教えられた通り、屋敷へ入ってフェルセイル家の当主へ挨拶する。驚いたことにラフィスは養子なんだそうだ。当主は義理の祖父で、母親は婿を取らなかったらしい。
「ああ、今日はどうする?」
「クロウは飲み込みが早く、もう最低限の行儀作法は覚えていますから、復習を兼ねつつ武術でも教えようかと思っております」
どっしりとした体付きの男性が書類を見ながらラフィスに訊ねた。あくまで仕事を優先しているが、話しかけると必ず視線を寄越してくれる。ラフィスの言動はこの人の影響が大きいのだろうと察した。なんだかんだと言いつつも他人の意見を聞く姿勢があるのは、この人の側にいれば自然と身に付くことだろう。
「武術か。やったことは?」
「……あんまり」
「あまり、だ」
「……あまり、ありません」
武術、と言われて嫌な予感がする。ああ、こんな時にシャーリルがいればな、と縋りそうになる自分に呆れてきてしまう。護身術くらいならいいのだが。いやきっとそうだろう。下民の子供に、しかも乳母についてきただけの、一時だけ関わりを持つような子供に本格的に教えようとはしまい。
「では裏庭を使うと良い。獲物は何にする?」
「剣を。あとは素手ですね」
「持っていかせよう。ヴォード」
「はっ、畏まりました」
一声で従僕が動き、ラフィスが歩き出すので当主に一礼をしてからついていく。この屋敷の雰囲気にもすぐ慣れてしまった。広いが、なんとなく下町の家に似ているからだろうか。
「型は分かるか?」
「えっ、そんなのわかんねぇよ」
こんなしゃべり方でも二人の時は許してくれている。始めの一週間はそれすら駄目だったが、意地で習得したらすぐに許してくれた。意外に心が広いらしい。
裏庭へつくとすでに木剣が二つ用意してあった。
「まずは持ってみろ」
言われて突き出された木剣の柄を握る。ラフィスも木剣を手に取り、軽く構えてみせた。
「これは基本的に片手で扱う剣だ。こう、回してみろ」
「……なんで俺が剣を習うの?」
不思議に思って聞いてみると、ラフィスは至極当然のようにさらりと答えた。
「襲撃に対応出来る人間は多い方がいい。例え子供でも、怯えるしか出来ないよりはいいだろう」
「俺に教えるよりシャルに教えた方が良くないか?」
言ってみるともの凄く嫌そうな顔をされた。
「兵でもない女に武術を教えるなど、よほどの変わり者だ」
「ってことは女の兵がいるんだ?」
「ああ、わずかだがな。さあ、もういいだろう」
睨まれ、急かされて剣を振るう。
右手で持ち、肘を少し曲げて、剣先を前へ少し傾ける。足は肩幅よりも少し大きめに開き、腰を落とす。左手は少し後方へ引いて邪魔にならないようにバランスを取る。そうして構えてから、手首を回して八の字を描いた。
「重いか?」
「いや、大丈夫」
こうして気遣うラフィスをこっそり笑ってしまう。離宮で会うとシャーリルがいるから、敵意むき出しで苛々しているところしか見ていないからだ。
「子供にしてはよく鍛えている」
「まーな。ひょっとしたらシャルより鍛えられてるかも」
もちろん遊びで。ラフィスはそれを聞いてさらに指導を進めた。
「では一通り型を教える」
「了解」
クロウはすぐに型を覚えた。いや覚えていないかも知れないが出来た。貴族や上民の子供と違って身体を使うことに慣れているようだとラフィスは思う。もしかしたら見習い兵士くらいには身体の基礎が出来ているようだ。
「筋がいいな。では打ち合ってみるか」
「……おう」
とは言いつつも、ラフィスは腕に力を抜いて振りかざすだけだ。対格差があるから全く同じようにとはいかないが、クロウもそう力を入れずに打ち込み、受ける。
「この程度は軽いようだな」
「なんか、すげぇガキだと思ってないか?」
「そうか? ……子供に教えたことがないのでな」
「じゃあなんで俺に教えようとしてんだ?」
「普段の動きを見ていたら、鍛えてみたくなってな」
「え?」
思わず構えを解いてしまった。ラフィスも木剣を下げて首を傾げる。
「おかしいか?」
「……」
(この人って……たまに衝動的だよな)
思ってもみないところで心に素直な気がする。黙り込んだクロウにもう一度首を捻って、ラフィスはすぐに木剣を構えなおした。
「もう少し力を入れるぞ。型を忘れるな」
「おう」
今度は少し重くなる。ひゅん、と小さく音がする程度には。それを受けて、避けて、打ち込んで、としているうちにクロウは段々楽しくなってきた。シャーリルたちとめちゃくちゃに遊ぶのとは違う楽しさだ。
どれくらいやっていただろうか。気付けば腕がしびれるくらい打ち合っていて、二人とも軽く汗をかいていた。
「やはり、なかなか筋がいいな」
「……そりゃ、どうも」
ちょうど従僕が汗を拭くための布を持ってきてくれて、離宮へ戻る前に汗を流すように言われた。しぶると指導が飛んできた。曰く、女性の前へ出る時は汗を流すものらしい。
「でもシャルとかティアとかだぞ?」
「侍女たちもいる。身内であろうが最低限の作法だ」
「……めんどくせ」
「クロウ」
「分かったよ、分かった」
ああだこうだと言ったところでラフィスが折れるわけがないのだ。ラフィスにこれ以上なにか言われないように、やや早足で風呂を借りることになったのだった。
「え、なにクロウ、なんか良い匂いする!」
「えっ、なになに!?」
「どうしたのクロウ!」
「やだクロウ、なに気にしてるの!?」
「だぁああ寄るなうっとおしい!」
離宮へ戻ったと思ったらリアたちに囲まれた。揃いも揃って人の匂いを嗅ごうとぐいぐい迫ってくるので、たまらず走り出す。
「「「「待ってよ!」」」」
「嗅ぐなら待たねぇ!」
夢中で打ち合いをしていたため、離宮に戻った時はすでに昼食が終わっていたので腹ぺこだったのだが、仕方がない。
「「「「クロウってばー!」」」」
「うるせー!」
猛然と走り去る子供たちの後ろから、クロウを送ってきたラフィスの怒声が飛んでいった。
「離宮内を走るなと言っているだろう!」
怒鳴るラフィスを少し離れたところから見ていたシェイザードとシャーリルは、思わず顔を見合わせて忍び笑いしてしまった。あんな風に怒鳴るなんて、少し前のラフィスなら絶対にしなかっただろう。場所だの、誰の前だのを気にしていたラフィスがこんな風になるとは。おそらく気付いていないのだろう。
「あいつって案外面倒見いいよな?」
「そうですね。まあ怒ることの方が多いですが、単に気に入らないから、というわけではありませんからね」
とかなんとか言っていたら、シセルたちにまで追われてクロウが戻ってきた。もう皆匂いなどどうでもよく、完全にノリで追いかけているのだがクロウは必死だ。
そろそろ止めてやるか、とシャーリルは息を吸い込んだのだが——。
「クロウ!」
「っ!?」
思いがけず、ラフィスの一声でクロウが止まった。それに驚いて皆の視線が二人に集まる。しぃん、と静まり返った廊下でクロウが小さく頭を下げ、それにシャーリルたちは唖然とした。クロウが縮こまるところなんて、シャーリル以外で見たことがなかったのだ。
「スミマセンでした……」
「お前たちもだ」
「申しわけありませんでした!」
睨まれてシセルたちも慌てて頭を下げた。それに頷き、ラフィスは用は済んだとばかりに離宮を去って行く。
「ラフィスさんってさ……」
ぽつりと呟いたサフィの言葉に、ティアがこっそり続けた。
「“お父さん”みたい」
「ぷっ」
聞いていたリアが笑い出す。シャーリルは必死に声を抑えて、ついでにお腹も抱えて笑っている。そんな中、クロウやシセルたちは思っていた。
あんな父親がいてたまるか、と。




