まさかの失踪
ラルセーナが訪問した翌々日——。
朝早く離宮へやってきたラフィスは、足早に廊下を歩いていた。その勢いに気圧され、誰も声をかけられない。
(まったく気が気ではない……。シェイザードにしっかり監視してもらわなければ、何をするか分かったものではない)
ずんずん奥へと進んで行き、やがて離宮の隅にある食卓へと辿り着いた。
「あ、フェルセイル様……如何なさいましたか?」
侍女が気付いて声をかけてきた。どうやらシャーリル達の食事は済んでしまったようだ。
「シャーリル様はどこに?」
なんとなく険しい顔つきのラフィスに若干怯えながら、侍女は慌てて答えた。
「あ、朝餉がお済みになられてすぐ、御子らとご一緒にお部屋の方へお戻りになられたようですが……」
「部屋へ戻った?」
「は、はい……」
険しい顔つきのまま、ラフィスは足早にシャーリル達の部屋へと向かった。その背を、侍女達が見つめていた。
「福眼よね……!」
と、うっとりしながら。
「シャーリル様、いらっしゃいますか?」
足早にやってきて扉を叩く。が、しばらく待っても物音一つしない。
(ちっ。入れ違いか……)
「おや、ラフィス」
「!」
振り返るとシェイザードが不思議そうにしていた。
「どうした? 早いな」
「シャーリル様が暴れていないか不安でな」
どうも苛々しているラフィスを眺め、シェイザードは面白そうに顔を覗き込んだ。
「気になってよく眠れない、と?」
「まさか行動を把握していないというのではないだろうな」
苛々と睨みつけてくるラフィスを笑って、シェイザードは首を振った。
「私も今来たところで、はっきりとした所在は分からない」
「ならあの方の起床に合わせて来るんだな」
不機嫌に言いおいてラフィスは歩き出す。シェイザードもその後に続いた。
「何かあったか?」
「……側室方や貴族達から面会を求められている。どうもラルセーナ様が面白い乳母だと吹聴して回っているらしい」
「……!」
シェイザードから緩やかな雰囲気が消えた。
「それで?」
「陛下は面会を許可されていない」
「なら、まだいいか……貴族達の様子は?」
「早く乳母を懐柔するか、殿下や陛下を引きずり降ろす“鍵”として使いたいのだろうな。しつこくラルセーナ様や陛下、俺につきまとって情報を得ようとしている。浅慮な奴は強引に人を寄越すかも知れんぞ。そんな時にあの女が男装して走り回っている時に会ったらまずい。諭して手綱を握っておけ」
「……」
黙り込んだシェイザードを伺い見ると、どこか遠くを見て苦笑していた。
「なんだ?」
「確かにあまり良い印象にはならないだろうが……大人しく手綱を握らせてくれるだろうかと思って」
「何を言っているんだお前は! あんなじゃじゃ馬を好き勝手させていると見られてみろ、馬鹿な奴らが調子づくに決まっているだろう!」
激怒するラフィスに、シェイザードは困ったような諦めたような笑みで呟く。
「……それもそうだな」
その顔を見て、ラフィスはぎりりと奥歯を噛み締めた。
(あんな女に懐柔されつつあると言うのか!? クソ……あんな女に好きにされてたまるか!)
ラフィスは怒りを必死に抑えつつ、シェイザードと共にシャーリル達の姿を求めて離宮を彷徨いだした。
ラフィスとシェイザードが離宮を捜索する、少し前——。
朝食を食べながら、クロウがぽつりと呟いた。
「なーんかつまんねーなぁ……」
「何クロウ。急に」
隣に座るサフィが呆れたように言う。
「いや、だってさ。ここに来てからなんもスリルがないじゃん」
「……その方がいいじゃん」
サフィは静かに過ごすのが好きだ。読書をしたり、情報を集めたり。だがクロウは対照的だった。
「そうだ! シャル! 久しぶりにアレ行こうぜ、アレ!」
目をきらきら輝かせてそう訴えかけた。シャーリルはアレ、と言われてぴんときた。
「おう! アレな!」
「確かにここじゃやらないもんね、あんな事」
リアも期待を込めてシャーリルを見る。その隣に座ったティアの表情が若干固くなった。
「必要ないじゃない?」
「けどティアだって上手くなりたいって言ってただろ」
クロウが悪戯っぽく笑う。
「うっ。だけど……」
「ミルーも行きたいっ!」
「……」
元気よく手をあげたミルーを見て、ティアは困った。そんなにティアに、リアがにこりと微笑みかけた。
「それに、ティア。貴族くらいになれば運動の一環としてやるじゃない? 僕たち今は離宮にいるんだし、そういう遊びがあってもいいよね?」
そう言われて、ティアは観念して息を吐いた。
「……分かったわ。私も行きます」
「よかった!」
ミルーに嬉しそうに笑いかけられてしまうと、もう後には引けなくなった。
「よーし! じゃあ行くか! たまには出かけないとな!」
「「「「「おーっ!」」」」」
元気よく拳を突き上げた六人を見て、侍女達が驚いていた。
シャーリル達を探してシェイザードの心当たりを回っていると、午前の講義へ向かうラズウェルと遭遇した。もしやと思いラズウェルに心当たりを訊ねてみると、残念ながら首を傾げられた。
「……そう言えば今朝は姿を見ていないな」
ラズウェルがちらりとルヴィスを伺うと、ルヴィスも首を横に振った。
「シャル達に何か用か?」
聞かれてラフィスは不安になってきた。あのうるさい六人組の姿が朝食で消えているなんて。嫌な予感しかしない。本当なら眉間でも揉みほぐしたいところだが、殿下の前でそのような振る舞いは出来ないので、我慢だ。
「貴族達が乳母に非常に興味を持ち始めましたので、忠告に参った次第です」
「っ……!」
途端にラズウェルの表情が強ばる。目には拒絶の色が露だった。
(……まだまだ時間が必要か)
母である王妃が亡くなってから、国王とラズウェルは全く接触しなくなった。それに加えて正妃の座を争う側室や、王位後継者、果ては王位までも画策する貴族達に失望し、拒絶したのだ。
王位後継者としての振る舞いが出来なくなったラズウェルを、国王は無断で離宮へ移した。その行いにラズウェルが傷付いた事を、きっと国王は知らない。
「ご安心下さい。陛下はいまだ面会を禁止しております」
陛下、という言葉にラズウェルの瞳が揺れた。
「……そう、か……」
寂しげに言った口元には、歪んだ笑みが浮かんでいた。ラズウェルはきっと、国王がここへ自分を追いやったと思っている。そして混沌する気持ちをどうしていいか分からず、たまに授業から逃げ出して、まるで王位継承者であることを拒むようにしてみせるのだ。それがラズウェルの、精一杯の国王への抗議なのだろう。
重い沈黙を取り払うように、ラフィスの隣で様子を見ていたシェイザードが口を開いた。
「……そんな事より殿下、シャル達が行きそうな所にお心当たりはございませんか?」
「!?」
そんな事、と言われて驚いたラズウェルにシェイザードはにこりと笑んだ。
「シェイザード……」
あっけに取られるラズウェルを見て、ラフィスは慌ててシェイザードを睨む。そんな事、と軽く言ってしまえるような問題ではない。だが、シェイザードは笑みを止めなかった。
「……」
戸惑って、どんな意味で言ったのかと様子を伺うラズウェルは、シェイザードがじっと待っているので観念したようだ。小さく笑って頭を振った。
「……そうだな……行きそうな所か……」
息を吐いて力を抜くと、考えを巡らせる。
「……」
考えて、若干眉根を寄せた後、頭を振ってラズウェルは答えた。
「いや……」
「しかし殿下、今何かひっかかったのでは?」
「……ああ、まあ……な。大した事ではないと思うが……」
言いよどむラズウェルに、にこりと笑ってシェイザードは言った。
「どんな事でも手がかりと思い考えませんと、あの方の行動にはついていけません。是非、お教え下さい」
その台詞に、思わずくすりとラズウェルが笑った。
「確かに……そうだな。シャルは予想がつきにくいから」
「……」
(殿下が……笑った……?)
ラフィスは我が目を疑った。一瞬のうちで今はもう笑みは消えてしまっているが、確かに、確かにラズウェルが笑った。五年間人を拒絶していたラズウェルの笑顔は、衝撃を受けるに十分だった。シャーリル達が来るまで、誰も成し得なかったことだ。
「実はな……昨夜、皆で夕餉を食べている時に、離宮内で遊ぶだけでは刺激が足りない、と言っていたのだ。だから……でもまさか外へ行ったわけでは」
「行きましたね」
「え」
シェイザードの目がきらりと光ったような気がした。そんなシェイザードにラフィスは待ったをかける。ラフィスもルヴィスも、さすがにそれはないだろうと思う。
「まさか! 乳母が殿下を放って外へ……それも遊びに行くなど」
「ないと思うか? ラフィス。あのシャルが、今までとは全く違うこの離宮に来て、大人しく受け入れて、籠ってくれると?」
「……乳母になる事を了承して来たんだぞ? それに今までだって決して大人しくはしていない。しかし殿下を放って行くなど」
「ないと思うか?」
「……」
あり得る。ラフィスもラズウェルも、そう思ってしまった。
(あり得ん。いやあの女の取る行動としてはあり得るが、乳母としてはあり得ん!)
ふつふつと怒りが沸き上がる。もしもシャーリルが本当に外へ出ていたら、間違いなく手を挙げてしまうだろう。確実に。
「あの女……! 何故こうも問題ばかり起こすのだ!」
ラズウェルの前だというのに、ラフィスは頭を抱えて唸ってしまった。
シェイザードにシャーリルの捜索を頼み、ラフィスは離宮の正門と裏門を回って門番に言い聞かせておいた。
「いいか。今後は誰が訊ねてきても、あらかじめ殿下とシャーリル様から許可がない限りは絶対に入れるな。誰であろうとだ。しつこいようならお二人とも手が離せないと言っておけ」
「は、はっ! 心得ました!」
門番がしっかり頷いて敬礼すると、ラフィスは軽く頷き返して足早に離宮を去って行った。
国王の近衛騎士であるラフィスは、同じく近衛騎士であるシェイザードが抜けた分まで、仕事をこなしている。シャーリルに構っていられるほど暇ではないのだ。




