公爵令嬢のお気に入り
シェイザードに誘われて進んでいると、中庭が見えてきた。迷いなくそちらへ進むシェイザードに、ラルセーナは問いかける。
「……先程の侍女は、乳母とルーヴェルス様の動向が読めないと言っていたけれど、ルーヴェルス様は乳母の居場所がお分かりになるのかしら?」
するとシェイザードはにこりと微笑んだ。
「大体は分かりますよ。あの方のものの考え方が少し分かってきましたので……」
ほら、あそこです。とシェイザードにつられて中庭へ出ると——。
「シャル、もうちょっと右!」
先程ラズウェルの前を走っていた少年だ。何やら真剣に指示を出している。
「ねえシャル、危ないわよ。クロウに頼めばいいのに……」
「ティアってば、シャルの方が背は高いじゃない」
「違うだろリア。食い意地張ってるって言う——いてっ!僕に落とすなよ!」
「ぼさっとすんなサフィ。シセル、ほら!」
「うわっ、ちゃんと落とせよ!」
「シャル、気をつけてね!」
「ミルーはもう少し下がってた方がいい」
「殿下も下がって下さい!」
「レヴェリーは心配性だな……」
「そういう事じゃないですからっ!」
わいわい騒ぐ子供達が取り囲んでいるのは、中庭にある果樹。少し上の方を見ると、ラルセーナとアルラが遭遇した男装の女性がいた。
「「……」」
果樹に、登っていた。シェイザードは呆気に取られる二人から離れて子供達に近づき、果樹を見上げる。
「シャル、何をしているんですか?」
声をかけると明るい笑顔と楽しそうな声が降ってきた。
「何って、実をもいでるんだよ。ほら!」
かけ声とともにシェイザードに果実が投げられる。反射的に受け取ると、食事でも日常的に出てくる手の平程の果実だった。どうしてこんなものを自らもいでいるのかと、首を傾げていると、子供達から歓声が上がった。シャーリルがさらに上へと登ったのだ。
「シャル! 危ないですよ!」
慌てて果樹の下へ走り寄るが、シャーリルはろくにこちらも見ないで答える。
「平気だって。これくらい」
シャーリルが果実をもぐと、下にいるクロウが大きな袋にそれをキャッチしている。何個かもぐとクロウが頷いた。
「よし! もういいぞ、シャル!」
「おう!」
枝に掴まったままくるりと身を翻すので、シェイザードは次の行動を予測して動いた。躊躇いなく飛び降りるシャーリルを、さも当たり前のように受け止める。子供達からにわかに歓声が上がった。
「うわっ!」
受け止められたシャーリルはびっくりしている。シェイザードの腕に座るような形になり、その肩に両手をついてバランスをとった。
「危ない、と言った筈ですよ?」
「ちゃんと着地出来るって。大げさなんだよシェイは!」
その腕からもひょいと降り立ち、さあ行くぞと言おうとして、シャーリルは初めてラルセーナとアルラが目に入った。他の子供達も気付いて、慌てて片膝をついて礼を取る。
「ラルセーナ様!」
「「「「「「え?」」」」」」
シャーリル達六人は首を傾げ、
「姉上……」
シセルは冷や汗を垂らし、
「……」
ラズウェルは瞬きした。そんな状況でシェイザードはにこりと微笑えむ。
「ラルセーナ様、こちらの女性が乳母役のシャーリルです。シャル、レヴァイン陛下の御側室で、エーセル公爵令嬢のラルセーナ様です。シセルの姉君でいらっしゃいます」
シャーリルはどう反応していいのか分からず、黙ってその人を見つめた。側室だとか、公爵令嬢だとか言われても困る。だから、感じた事をそのまま言ってみた。
「すごい美人だな……」
瞬間、ラルセーナは目を丸くし、アルラが叫んだ。
「ララ様の前ですのに——なんて礼儀知らずな!」
どこか既視感のある台詞を耳にして、シャーリルは不愉快そうに首を傾げる。そして、にこりと笑って言った。
「まあともかく、シセルの姉さんって言うんなら、一緒に休憩しようぜ」
「「え?」」
そのまますたすたとシャーリルが歩き出すと、すぐにリアとミルーが続く。そうすると当然、ティアとサフィも続いて、クロウがちらりとラルセーナ達を一瞥して続く。
その自然すぎる行動に呆気に取られていると、シェイザードが他の子供達を促した。
「さあさあ、遊んで疲れたでしょう? 休憩にしますよ」
そう促されるとそれが自然な事のような気がして、子供達はシャーリル達の後に続いて行く。シセルは動けず、その隣でラズウェルも様子を伺っていた。レヴェリーは躊躇いつつも皆の後に続いて行った。シェイザードは残った者達を見守る事にしたようだ。
「「……」」
ラルセーナとアルラが呆然と見送っていると、ラズウェルが静かに声をかける。
「今からあのもいだ果実を食べるのだが、貴方も来られるか?」
問われたラルセーナは驚いて扇を口元へ広げる。そして、優雅に腰を折って一礼した。
「お久しぶりでございます、殿下。……あれを……食すのですか? わざわざもがずとも、日常的に卓へ運ばれるものではありませんか」
そう言うと、ラズウェルが僅かに笑った。それに目を見張る。王妃を亡くしてからついに見られなかった表情だ。
「もぎたてが格別においしいのだそうだ。特に、自然に育ったものの方が、味が単調でなくて良いらしい」
「まあ……」
野蛮な、とアルラが呟いた。正直、ラルセーナも少しそう思う。美味しくなるよう管理された果実の方が美味しいだろうに。それも、あんな風に樹に登ってもぎとるだなんて。
「殿下……あのような者とあまり親しくなさらないよう、お願い申し上げます」
ラズウェルの顔から僅かにあった柔らかさが消えた。傷つけただろうと、ラルセーナは目を伏せる。それでも彼は王子だ。自分の身分や負う責任を考えなければならないのだ。
「楽しみが増えるのは、とても良い事だと存じます。ですが、下民の習わしをそのまま受け入れるのはお止め頂けませんでしょうか」
「……」
ふと押し黙ったラズウェルの横で、思いがけずシセルが叫んだ。
「姉上! シャルは確かに下民ですが、人として見下すような事は一切ありません!」
びっくりしてラズウェルはシセルを凝視してしまった。
「まあ、シセル様!」
驚いてアルラがたしなめるが、シセルはきっと姉を見据えて言い放つ。
「……御同席下さい。一緒にいれば分かります」
ラルセーナは口元を扇で隠しながら思いを巡らせていた。シセルの離宮での楽しみがこういう事だったとは——。
あんなはしたない女が乳母で……あろうことか子供達だけでなく殿下もシェイザードまでも入れ込むだなんて、大事だ。そして——あのシセルが、こうも真っ向から自分に挑んできたのは初めての事だ。
くすり、とラルセーナは微笑んだ。扇に隠されたそれに気付いたのは、アルラだけだ。
「分かったわ、シセル。しばらく乳母殿を見させてもらいましょう」
「……では、こちらへどうぞ」
むすっとした顔のまま、シセルは姉とラズウェルを誘う。その後ろでは、シェイザードが微笑んで見守っていた。
案内され、離宮の二階——テラスのある部屋へと足を踏み入れる。するとすぐさまシャーリルが笑いかけてきた。
「ああ、来たか! ほらこっち!」
子供達はすでに席についており、テーブルの上には先程もいだ果実が器に盛ってある。その周りには紅茶と、焼き菓子が用意されていた。
当然のようにラズウェルやシェイザードが席につき、ラルセーナとアルラは目を見張った。そして、さらに驚愕する言葉をシャーリルが発した。
「あれ? ルヴィスは?」
ぽとり、と扇を取り落としたのにラルセーナもアルラも気付かない。
「ルヴィスはこういうのは苦手なんだ。これだけ大勢いると……さすがにな」
ラズウェルが苦笑しながらそう言う。そんな表情もここ五年見られなかった。
「それもありますが、あまり表立って殿下のお側にいると、行動を予測されやすいですからね。いざという時に困ります」
「ふーん……ちょっと残念だな」
残念、という言葉にラルセーナとアルラは頭が真っ白になった。子息達もわずかに動揺したようだ。
「あっ、そう突っ立ってないで座ったら?」
「「!」」
ラルセーナとアルラはもはや言葉を失った。なんだろうこの女性は。全てが常識の範囲外だ。平然と非礼も無礼も働いてくる。子息達も若干そわそわしていた。
「姉上、こちらへどうぞ」
シセルの言葉が助け舟だと思ったのは今日が初めてだ。ラルセーナは気力を振り絞って微笑んだ。
「ええ、失礼するわ」
腰掛けると同時にシャーリルがアルラに声をかけた。
「あんたも座りなよ」
「!?」
一瞬口を開いて固まったアルラだったが、慌てて首を振った。
「と、とんでもない! 何を考えているのですか貴方は! 私はララ様の侍女です! 立場が違うのです!」
「侍女さんなのは分かってるけどさ、それと座るのは別だろ」
「な、何を!?」
アルラはシャーリルの頭の中を疑った。どうしたらこんな考え方がさらっと出てくるのだろう。絶句するアルラに、シェイザードが笑いかけた。
「アルラ。シャルの前では身分はあまり関係ない。食事は皆で頂くのが当たり前だ」
「……! そんなっ……そんな横暴が許されているのですか……!」
どうしていいか分からないアルラを横目で見つつ、ラルセーナは小首を傾げた。
「そう言えば先程、バレル様も同席されるような言い方でしたわね。普段からバレル様もご一緒に座られるのかしら?」
「……バレルって誰だっけ?」
「!?」
小首を傾げられた。そんなシャーリルにリアが囁く。
「ルヴィスさんの事だよ」
「ああ!」
ぽん、と手を打ち合わせて頷き、笑う。
「けどあの人、油断するといなくなってるんだよな。もうちょっとゆっくりしてればいいのにさ」
分かった、とラルセーナは納得した。この女性は非礼だの無礼だのと思っていない。無知なのだ。そして、それを気にしていない。
「ゆっくり……は出来ないのではない?」
「え?」
きょとんとするシャーリルに、シェイザードが笑って言う。
「ルヴィスは護衛騎士ですからね。侍従とは違い、姿を常に晒しているというわけにはいかないのですよ」
「え、なんで?」
なおも首を傾げるシャーリルに、護衛対象であるラズウェルが答えた。
「……では聞くが、私の命を狙うものがいるとする。そしてルヴィスが常に私の隣にいるとして、しかしやむを得ない事情でルヴィスが側を離れた時、どうなると思う?」
「そりゃあ……お前を殺す良い機会だよな……」
「で、殿下をなんとお呼びしているのです!? 無礼にも程があります!」
青ざめて叫ぶアルラの側で、ラルセーナの表情も険しくなる。が、当のラズウェルはそれには何も言わず、話を続けた。
「そうだろう。そうなると私を護れる者はいなくなる。と、なると護衛騎士の意味がなくなる」
「うーん……なるほどなぁ……」
シャーリルはよくよく頷いた後、ふとラズウェルの頭に手を伸ばして、そっとその髪を撫でた。
「結構大変だな、お前。よく頑張ってるよ」
「……!」
ふわりと柔らかい笑顔に目を惹きつけられ、ラズウェルは思わずじっと見つめてしまった。そっと撫でられる感覚も心地よい。そのままぼんやりしていると、くすりとシェイザードが笑う気配がして振り向いた。
「シャルは“兄”のようだと皆言っていましたが、こうしてみると“母”のようですね」
シェイザードは褒めたつもりだったのだが、シャーリルはぴくりと眉根を上げた。
「誰が“兄”だって言ってたって?」
「「「「「!」」」」」
ぎくっ、と一気に五人が慌てた。すぐに動揺を隠そうとしたのだが、それを見逃すシャーリルではない。
「お前らそこへなおれ!」
「「「「「はいっ」」」」」
がたっ、と五人が壁際へ横列で並ぶ。そこへシャーリルが立つ。と、くすくすと愛らしい忍び笑いが聞こえてきた。耳慣れない声に視線を彷徨わせると、ラルセーナが扇で口元を隠して肩を震わせていた。
「姉様……!」
シセルが驚いて姉を凝視していると、同じくアルラも主人を見つめていた。そして、ラルセーナが笑いを抑えて言った。
「あ、“兄”だなんて……! 面白いわ……!」
目尻にほんのり涙が浮かんでいる。呆気に取られる周囲などには目もくれず、ラルセーナはシャーリルに笑いかけた。
「気に入ったわ! まさかこんな方にお目にかかれるなんて」
すっと席を立つと、ラルセーナはシャーリルの側へ寄った。
「今一度お名前を伺ってよろしいかしら?」
今まで接した事のない、正真正銘の“お嬢様”に微笑まれて、シャーリルはたじろいだ。
「あ、えっと……シャーリルだ。シャルって呼ばれてる」
ぎこちなくもそう答えると、ラルセーナはにこりと微笑んだ。
「シャルね。わたくしはラルセーナ。ララと呼んで」
「……あ、ああ……どうも」
(シャルが“お嬢様”にたじたじになってる……)
壁際に並んだ五人はまじまじと二人を見比べた。そして、それ以外の者達は皆驚いていた。ラルセーナ……エーセル公爵令嬢が、下民の乳母を認めた事に——。
後宮に戻ると、ラルセーナはわざとシャーリルを気に入っている事を話して回った。そうすると他の側室達も、その後ろにいる権力者達もラズウェルとシャーリルの様子が気になって仕方ないだろう。
「ですがララ様。そうなればあの娘、いえ、殿下までも……危険にさらされる事にはなりませんか?」
不安気に問いかけてくる侍女に、ラルセーナは不敵に笑った。
「あら、それはシャルが腑抜けだった場合でしょう?」
腑抜け、という言葉にアルラが若干眉根を寄せた。主人は時々、良くない言葉を使う。
「わたくしの見た限り、シャルは少々粗雑だけれど、頭は悪くないわ。それに、殿下の批評や命がかかっているとなれば、きっと守るでしょう」
きっぱりと言う主人を見つめ、アルラはしぶしぶ頷いた。
「ララ様がそうおっしゃるのでしたら……良いのかも知れませんが……」
「……しばらくは、様子見ね」
ぱらりと扇を広げて口元を隠す。ラルセーナには間違いなく、威厳と気品が備わっている。
「わたくしも、一度会っただけで彼女を全面的に信頼する程、浅はかではないわ」
その横顔を見て、やはりこの方が一番王妃の座に相応しい、とアルラは思ったのだった。




