第19話 やっとひとつ
昨日は横になってからも、なかなか寝付けなかった。
なぜかといえば……〝自分の思考を追い越す〟──これが頭の中をグルグル回っていたからだ。ずっとワクワクしている。
だが待て……待つんだ、俺。いきなりそんな境地へなんて辿り着けるわけがないだろう? 落ち着け。〝自分の思考を追い越す〟という言葉は、胸の真ん中……そう、心の神棚に供えておこう。今はそれで十分なはずだ。まず目指すべきは半人前──〝考えているうちは半人前〟──の、自分だ。なぜなら俺はまだ、そこへすら到達してはいないのだから。
……と、この考えに至り、ようやく眠りにつくことができたのであった。
そういえば明日からの特訓は追加メニューがあるんだっ……グゥ…… スピー スピピー……
翌朝目覚めると、お初さんと爪はまだ眠っていた。起こさないように寝床をコソーリと抜け出し、外へ。日の出前の澄んだ空気をこれでもかと吸い込み、柔軟を念入りにしてから、いつもの日課に取り掛かる。昨日までのように、ただ我武者羅にではなく、一つ一つの動作に意味を見出しながら鍛錬するよう心掛けた。確か筋トレも、負荷をかけている箇所を意識することで、より一層マッスルがハッスルするとかなんとか……だった気がする。
そんな感じで朝練の十本を終え、しばらくすると、お初さんと爪が起きてきた。
「おはよう、はやいね──って、何やってんの!?」
「考えている」
──そう、俺は考えているのだ。オーギュスト・ロダン作の彫刻、〝考える人〟のポーズで。〝考えているうちは半人前〟を目指して。
「……空気椅子でその体勢はツラくない……?」
「ふふ、ツラい」
太腿はプルップルだ。
「で……しょうね……それで、考えているって……なにを?」
「模擬戦で、爪の動きにどう対処すればいいか……とか、今日からの追加特訓メニューは何かなー、とか……あと、他にも色々」
「ああ、そういえばメニュー増やすんだっけ。でも万超、ホントに無茶し過ぎないようにね。体を壊したら元も子もないんだから」
「ふふ、押っ忍」
「な、なんかそのキャラ、イラっとするわね……」
「そうか、キャラを作って相手をイラつかせるって戦法もアリ か……でも、そんな器用なこと、俺にできるか……?」
「なんの話?」
「ふふ、こっちの話」
「ムッキー!」
相手がお初さんなら、バッチリ効果があるな。逆に俺がイラつかないためには……うーん、考えることは、まだまだ山のようにありそうだ。
朝食の後、いつも通りに樹液も摂取。体が軽くなる。そういえば爪はずっと樹液だけなのに、元気ハツラツなんだよな……。この世界の猫にとっての完全栄養食なのだろうか?
「それでは、追加メニューの発表です」
「 バ バ ン !」
「効果音ありがとう、頼んでないけど。新たなメニューは八百万樹の〝根の上を走る〟と〝樹登り〟です!」
「ヤッホイ! ドンドンドン ピューイッピューイッ ……って、それだけ?」
「ふっふっふ、妙にやる気のバンチヨならそう言うと思ってたわ。けれどこの訓練をナメたらイカンぜよ」
──イカンぜよ?
「〝根の上を走る〟の別名は根上走り。根の上だから〝根上〟ね──それが転じて精神力や気力の〝根性〟──〝根性走り〟とも言われているの。それはその名の通り、ウネる根の上を、疲れて足がガクガクになっても根性で走る、私たち天魔導士の基礎トレーニングの一つ。そして〝樹登り〟は、全身の筋肉やバランス感覚、集中力、空間認識能力の向上が見込める侮れない訓練なのよ」
「おお……」
確かに、あれだけデカい樹の根なら、走るのは全然問題なさそうだ。……とはいっても、凄まじく波打っているので、あの上を駆けるとなると、ちょっとしたパルクールみたいになりそうだな。
樹登りはというと……八百万樹は直径十メートル越えの幹が何本も集まって大樹と成しているいるわけで、当然、普通のそれとは違う。樹登りというよりは岩壁登攀といった方が近そうだ。
「ちなみに爪刀は、既に毎日やっています」
「な、なんとぉ!」
「みぃー!」
八百万樹は……巨大なキャットタワーでもあったのか……。
「でもさ、御神木の上を走ったりよじ登ったりって……罰が当たったりしないだろうか」
「大丈夫じゃない?」
「軽い!」
「そりゃ、普通の樹木の──切ったり折ったりが出来てしまう──御神木だったら勿論やったらダメだよ。けれどこれは何といっても八百万樹──人の力ではどうやっても傷付けることなんて不可能な頑丈さなんだから。敬意を持って、胸を借りるつもりでいれば大丈夫。たぶん」
──たぶんって言ったぞ、この人。
「それに、今まで訓練で罰が当たった人って聞いたことないし」
「ああ、それを聞いて、ちょっと安心」
「だから万超が記念すべき第一号になるかもね」
「お 初 さ ん ?」
……てなわけで、新メニューは〝根性走り〟&〝樹登り〟である。
八百万樹は幹から五十メートルくらいまでなら、根の上だけを走りつつ周回することができる。
「ほらほら、爪刀の後に続いた続いた」
デカい根が目の前にある。海の波が複雑に入り乱れて固まったような見た目……迫力満点だ。
「ンナアァァァゴ!」
爪がムククして、一気に走り出した。
おお……スゲェなアイツ……凄まじい勢いで疾走していったぞ……。よぉし、俺だって……。
──二礼 『パンパン』 一礼……修行させてもらいます!
「ぃよっしゃ!」
勢いよく走り出す。いつもの丘登りダッシュは単調な動作だが、これはそれと明らかに違って、ちょっと楽しい。飛んだり跳ねたり、根の上から落ちないようにバランスを保ちながら走る。あ、これ楽しー! よし、爪の字のスピードに少しでも追いつけるように毎日頑張ろう。
とりあえず八百万樹を一周して、幹へ向かう。……これは、どこまで登ればいいんだ?
「お初さーん、これ、どこまで登ればいいんだーい」
「降りてこられるトコロまでー」
なるほど、至極ごもっとも。
八百万樹の幹は縦に凹凸があり、握力で登り、握力で降りる感じだ。
「ぃよいやさっ、ほりゃさっ」
うく……これはなかなかシンドイですぞ……。
「爪のヤツはどこまで登っ……」
見上げると、五階くらいの高さでシャリシャリとツメを研いでいる。
「お前、ちゃんと降りられるのかー?」
すると爪は俺を一瞥し、ヤレヤレといった様子でかぶりを振って、何を血迷ったのか突然飛び降りた。
「あ、バカ!」
──だが次の瞬間、俺が見たのは……長いシッポをヘリコプターのように高速で回転させて、ゆっくりと降下していく爪の姿だった……。
俺 真顔。 爪 ドヤ顔。
結局、初めての樹登りは無理をせずに、二階くらいの高さで終了、無事に降りることも出来た。
「ふいぃー」
「お疲れ、どーだった?」
「楽しかった。そして爪のヤツ、あんな技を習得していたとは」
「あれ、スゴいよね。私も最初見た時ビックリした」
「ニャッフッフ」
「で、どうする? 模擬戦?」
「いや、よほいの前に俺、確認したいことがあるんだけど」
「なに?」
「フトウフクツの呪い……倒れるというのは〝どの状態のことを指しているのか〟──ってことの確認をしたいんだ」
「ふむふむ?」
「例えば……手をついただけ、とか……膝をついた、とか、ブッ倒れる以外、どんな時に呪いが発動するのかを知っておきたい」
「おお、検証実験ってわけね。バンチヨってばちゃんと考えてるじゃない!」
「ふふ」
「……いや、そのポーズはもういいから」
そうして行った実験の結果はこうだ。
セーフ
・体制を崩し、手をつく。
・同じく膝をつく。
・尻もちをつく
アウト
・尻もちからゴロンと転がる。
・肩や胸、背中が地面についた体勢。
ここから考えるに、どうも頭の位置が高いほどセーフになりそうだ。……となると、爪の場合は四つ足歩行なので、リスクが高くなるのだろうか……?
「爪刀はシッポで堪えるのよ!」
「ニャアァー!」
「まあ、いざとなったらシッポで飛べるじゃん、爪の字」
「──! それだ! 爪ちゃん!」
「ニョー」
ニョーて。
検証実験の過程で俺と爪は、当然ながら何度も呪いを喰らった。
最初は身体が半分に縮む呪い。これはすでに経験済みで、一時間ほどで元に戻る。……が、その時は自分が破裂するような感覚がするのでおっかない。
身体が半分の状態で倒す、もしくは倒されると二頭身となる。この状態は、ア タ マ が も の ス ゴ く 重 い 。これはもー大変。重心ブレまくり。一回、お初さんに呼ばれて「なに?」って振り向いたらグキッって。首が。よくこんな状態で男爵と渡り合えたよな……やっぱりトンデモない人だぜ、お初さん。
ちなみに、二頭身からの復元には二時間を要し、身体中、限界を超えて引っ張られ、伸びきった後にじんわりと戻る──といった感覚……千切れるかと思った。コレもやっぱりおっかなかった。
そして最後の一頭身。コレはキツかった……。体感としては、無理やり体育座りをさせられ、膝を抱えた状態で、その上から布でグルグル巻きにされているようだった。ただ不思議なのは、自分の目で見ていないのに視界は良好……というか脳で直接視認しているという感じなのだ。話すのもそう。脳で喋る感覚。
総じて、脳波で操るロボットに乗っている……ようなものかもしれない。自分は体育座りでコックピットにいて、歩こうとすると──外側に生えている、小枝のような足が歩いてくれる……といった感じだ。前にお初さんが言っていた、〝強く意識して〟──というのは、こういうことなのだろう……と、思う。
一つだけ、納得のいかなかったことがある。それは──
『ブッ! ブッ!』
一頭身になった俺の足音が、完全に 〝屁〟 なのである。
「…………ふ……くっ……ぷっ、あははははははははっ!」
お初さん、 大 爆 笑 。
『ブッ!』
「待って あははははははははははははははっ!」
『ブ ッ ! ブ ! ブ ー ! ブ ブ ー ッ !』
「あははははははははははっ! はーっ はーっ なによそれ あはははははははは! もーダメ お腹イタイ お腹イタイ!」
『プニッ プニッ』
「この音は……爪の字! お前ってヤツはそんな可愛らしい足音させて──」
……そこには、お初さんや俺のように一頭身で、福笑いのような目、鼻、口、ヒゲ、そして耳が浮き上がり、直 立 歩 行 する爪刀の姿があった。
「ニャ?」
「……ふ……あはははははははっ! 二本足で立ってる! スラリと! あははははははははっ!」
「あはははははははははっ! アンタ達! もう! これ以上私を! あははははははははっ! 」
「ニャー?」
『プニッ』
『ブッ!』
『キュピッ』
「「 あははははははははははははっ! 」」
散々笑って、三時間ほど経つとようやく身体が元に戻った。その時の感覚は、全身が液体になって広がっていくみたいで、これが一番おっかなくなかった。
「意外だね、一頭身から戻るのが一番コワくないなんて。最もイヤな負荷がかかりそうなのに……。ねぇねぇ、液体になるみたいってどんな感じ? もっと詳しく教えて!」
「えぇと……うーん……筋肉とか骨とか、そういうものの制約が一切なくなって、ぐでーって広がっていく感じ……かな?」
「そっかそっかぁ、良かったー。ひょっとしたら一頭身の呪いだけは特別で、元には戻れなくなるんじゃないかって心配だったんだ」
お初さんは我が事のように喜んでくれる。が、最後に──
「……いいなぁ」
──と、ほとんど聞こえないくらいの声で、ポツリと呟いた。
「…………っ」
そうだよ……お初さんは五年もずっと……。
それを考えると俺は、なにも言えなかった……。かける言葉が……見つからなかった……。
「みぃー」
爪が子猫姿でそっと寄り添う。お初さんは目を細め、どこか淋しげに……優しく撫でていた。
行動あるのみ。 俺は決意を新たにする。
それからは、以前にも増して修行に明け暮れる日々。
模擬戦では何度爪に負けたかわからない。けれどさすがに動きは見えるようになってきた……のに、体の反応が遅い。もっと鍛えるんだ。
日課の数を増やし、根性走りの速度を上げて、樹登りは五階相当までは行けるようになった。
問題は模擬戦だ。シャドウボクシングならぬ、シャドウ体術。考えて……考えて……こう来る、こう動く……こう来たらこう……身体に叩き込め! こうで……こう……。
そんな日々が、あっという間に三ヶ月ほど過ぎたある日のこと──
今日は朝から不思議な感覚だった。妙に心が静かで、頭の中もシンとしている。
そして模擬戦。
「はっけよほぉぉぉい! のこほった!」
爪の突進がいつにも増して速く感じる。しかし俺は、爪の動きを目で追うことはせず、けれども視界からは外さず、見るともなく見ていた。
すぐそこまで間合いを詰めて来た。いつもならここで、フェイントからの急激な方向転換、そしてシッポによる足払い、もしくはドロップキックならぬドロップニッキュで俺を倒しにかかる。
──が、初めて何の小細工もなしで真っ直ぐに跳躍し、両の前足を突き出して躍りかかってきた。
そこで初めて爪と目が合った。俺の両手は爪の伸ばした前足のさらに内へ……掌を外側へ向けつつ両足に触れた瞬間──右手は三時から六時の方向へ、左手は九時から十二時の方向へ──身体を左へ半歩入れ替えながら、風車のようにグルンと回した。
爪がクルクルと回転し…………地面へ…………綺麗に……着地した。
え? 着地した?
俺と爪は互いに目が点になって一瞬見つめ合ったが、次の瞬間にはドロップニッキュが顔面に炸裂していた。
「ぷげーっ」
しかし、手をつくだけでなんとか堪えることができた。──っぶねー。
「おお……おおーっ! バンチヨ惜しい! 今のはいい感じだったよ! スッゴく洗練された動きだった!」
「なんか……よく覚えてない……」
「爪刀もビックリしたんじゃない?」
「ニィャ……ッフン」
爪がプイとソッポを向く。
「もー、拗ねないの」
「でも……確かに今のは、いい感じだった……気がする」
「うんうん! 結果としては爪刀が一枚上手だったけど、こういう成功体験の積み重ねが大事なんだよ!」
両の掌を見つめる。
「成功体験か……ははっ……やっとひとつ……やっと」
そして、拳をグッと握りしめた。
──その時だった。
ズウゥン……ズウゥン……
地響きだ……。
「……なんだ? また大陸移動かな?」
「いえ……違うわ……」
お初さんの表情が硬い……。
「フシャーッ」
爪まで……、一体どうした?
「〝巨裂牟〟……」
「────!?」
お初さんの視線の先……巨大なモノがこちらへと向かって来ていた……。
ズ ウ ゥ ゥ ン …… ズ ウ ゥ ゥ ン ……
あれが……巨裂牟……




