【XIII】#11 Temptation/mortaL
「バベル」の「統括塔主」と呼ばれる男性──眼の前に居るディアウスは、次女が持ってきた紅茶を音を立てずにこくりと飲む。
スメラは部屋の内装や、ディアウスのことを観察していた。
それなりに広い執務室の中で一言も言葉を発していない今しか、観察に時間を割くことが出来ない。
白を基調にした室内の雰囲気は非常に厳かで、誰かが常日頃から此処で活動しているようには見えない。
それどころか、彼は本当に此処の塔主なのだろうか、と心のなかで疑ってしまう程だ。
(「統括塔主」の名前って確か伏せられていた筈。それがどうして私達には教えるのか)
そういう点では今回の呼び出しも異質過ぎる。なぜいつものアーティアではなく、わざわざ彼が呼び出しているのか。
疑問は他にも沢山あるが、彼が「統括塔主」であることを決定づけるものは何一つとしてない。
(彼は本当に「統括塔主」なのか?でもこの威圧感は確かに凄まじいけど……)
スメラは念の為、差し出された紅茶には手を付けずに様子を窺う。
この場に呼び出されている時点で罠だとしたらもう終わりだが、出来る限りの警戒はしておきたい。
肝心のイドルがこうなのだ、こういう時ぐらい彼女の力になってあげたい。
状況分析をしていたスメラの時間は刻一刻と奪われ、遂にはディアウスが口を開く。
「様子見はもう充分かい?満足したら私の話を聞いて頂きたい所だが」
「……貴方は自信が疑われていることを理解した上で、そう仰るのですね」
スメラが低い声でそう答えると、ディアウスは瞳を細めて、声も出さずに微笑を称える。
どこからその余裕が湧いてくるのだろうか。やはり本物なのか、と心が揺さぶられる。
「無論だ。調べられて困ることもない。身の潔白の為ならば、答えられることは答えよう」
「では……此度の呼び出しの要件は?」
スメラは単刀直入にそう訪ねた。鳩が豆鉄砲を食らったような表情を一瞬見せたが、ディアウスはすぐに表情を穏やかなものに戻し、紅茶を一口、口に含む。
「随分と実直な方だ。……要件は三つ。一つは「七罪源捜索課」である君たちの報告を直接聞きたかった。二つ目は……。その報告を聞いてからどう答えるかを考えるつもりだ。三つ目はただの質問だ。これも最後の最後で答えてくれれば良い」
「はぁ……では最初のお話からお願いいたします」
疑問符が頭上に浮かぶのはしょうがない。要するに「七罪源捜索課」としての活動の報告を直接聞きたいとのことだが、基本的にそういう物は各塔主が報告書として纏め上げたものを彼──「統括塔主」が目を通すのが通常だ。
そうでもしなかれば、この世界で起きていることを全て直接報告など受ける時間など、常人にはない。
だからこうして呼び出されているこの状況が理解できていないのだが、説明されていない以上、相手を警戒しながら話を進めるしか無い。
(彼が「七罪源」の一人の可能性だってある。確か「虚飾」は姿を思い通りに変えれたはず)
相手の一挙手一投足を見逃さないように、スメラは大きく息を吐き、一つ目の話題に問をぶつける。
「直近の報告は全てランディル課長が報告書として纏め上げ、上に報告されている筈です。どちらまで把握されていらっしゃいますか?」
「……ふむ。実を言うとだ。恐らく君の課長が提出した物は此方には届いていないんだ」
は?と思わず声が漏れそうになるのを懸命に抑える。彼は何を言っているのか理解できなかった。
眉を下げ、困り顔のディアウスはスメラの前に数百頁に上るであろう紙の束をぽんと投げる。
「これが此処に届いた報告書だ。読んでみたまえ」
「……失礼致します」
ディアウスが置いた紙の束をスメラはペラペラと捲る。──すぐに顔を顰める。
随分と杜撰でお粗末な報告書であるとしか言えないそれは、間違いなく課長が書いたものではない。
スメラの表情で大体のことを理解できたと判断したのだろう、ディアウスはため息を吐く。
「オルテア・ランディルという男の事はある程度把握している。彼が面倒臭がりで雑で仕事が適当でやる気のない男なのは重々と把握している。……だが」
「……だが?」
スメラはディアウスの言葉を鸚鵡返しする。ディアウスは目を瞑り、何かを想起している。
その表情は清々しいもので、彼の顔は懐かしい友を思い出すようなものだった。
「それでもやるべきことはキチンとこなす男だ。それに彼は私の事を知っている。実在することを知った上でこのような愚行を働く男ではないんだ」
「お知り合いだったのですか」
旧知の仲だ、今は彼も忙しいだろうから呼ばなかったが、と照れくさそうな顔をしている。
そう考えると、確かランディルは三十代と言っていたが、いつかの付き合いなのかは気になるところだ。
今はそんな事考えている余裕はないが、無事に帰れたらオルテアに聞いてみよう。
「つまりだ。彼の文章は改竄されている可能性があると思い、直接聞きたくて呼んだ次第だ」
「なるほど……。それらの文章にも目を通しているにも関わらず、一冊の報告書に違和感を覚えて、直接聞くために呼び出すとは恐れ入りました」
スメラは丁寧な礼で、非礼を詫びる。どうやらイドルが危惧していた事態にはならなそうだ。
そっと胸を撫で下ろしていると、先程まで死体も同然だったイドルがのそりと起き上がる。
「ボクは殺される訳じゃないって事だね、あー。安心した」
「御機嫌よう。フィルレイス殿、気分はどうだい?」
あくびをし、伸びをしている彼女の態度はとても「統括塔主」の前とは思えない愚行だ。
顔を真っ青にしたスメラがイドルの頭を掴んで、強めに下げさせる。
「も、申し訳ありませんっ。此度のフィルレイスの愚行をお許し頂ければと存じます……」
「構わないよ。彼女のこともあちこちから聞いている。むしろ先程までが違和感だった程だ」
「随分と懐が深いみたい。はじめまして、ディアウス「統括塔主」?」
にこやかに笑うディアウスを不敵な笑顔で見つめ返しているイドル。
二人の視線の間には火花が散っているが、収まる気配はなさそうだ。
暫くの間、二人の舌戦を聞きながら、スメラは再度部屋の中の観察を続けることにする。
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どれぐらいの時間が経っただろうか。この部屋には窓がなく、時計の類もない。
そのせいか、時間の経過が非常に曖昧に感じてしまう。スメラが欠伸をした頃に、隣から荒い息が聞こえてくる。
まだやっていたのか、とスメラは彼らの会話に耳を傾ける。
「なかなかやるね……「統括塔主」」
「貴殿もだよ。噂や報告以上の逸材と言えるだろう。いつでも此処に来なさい。歓迎するよ」
「気が向いたらね。此処に居たら、取り残されるでしょ?」
「誰かと接している時だけは少し進んでいる気もするがね」
ディアウスは小さく笑う。先程までとは打って変わって随分打ち解けているようにも見える。
そういう点では、本当に彼が「統括塔主」なのか疑わしい所だが、もう今はいいだろう。
お互い清々しい笑顔で、腕と腕をぶつけているが半分以上聞いていないスメラには意味不明だった。
半目で二人の方を見ていると、ディアウスが咳払いをする。
「長話失礼。ある程度の報告はフィルレイス殿から聞いている。……そして仇敵とも呼べる組織が新しい面々を加えて活動していることも聞いたよ」
「「虚妄」のヴァール、「 」のイズ、「零楼」のノインの三名のことですか。此処一年で新規加入した三名ですが、実力は折り紙付きです」
スメラは持参しているメモ帳をパラパラと捲り、新規加入の三名の欄へと目を向ける。




