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【XIII】#9 Unexpectedness/greeD


 「いや、なに、君の力に助けられたよ。流石「万物記録(アカシック・レコード)」と呼ばれているだけのことはある」

 「フン。別に世辞を言われても何も出ないぞ」


 そう言った禍津は何処からか、温かい珈琲が入ったカップを自身の前に差し出す。

 彼が所謂「ツンデレ」と呼ばれるものなのは、パンドラや「カサンドラ」より聞いてはいたが、よもや此処までとは思わなかった。

 苦笑を交えつつも、来訪者は差し出された珈琲に口を付ける。随分と酸っぱいなと素直に思った。

 苦みよりも酸味の強いそれは、人を選ぶが、好む者にはとことん刺さる味だろう。

 

 (彼は酸味の強い珈琲が好きなのだろうか……では今度の土産は豆が良さそうだ)


 来訪者はカップを置き、ふむと考える。普段こういった事を考えたことがない故に慣れていない。

 だが、そういった未経験の出来事が少しずつ自分を変えていくことだってある。

 人との関わりを避けては来たが、今となってこうして行動を起こすのも悪くないなとは思う。


 「ねーねー。禍津おじ様、あの人はおじ様の家族かなにかっすか?」

 「……はぁ。どうしてそう思う?」


 青色の髪の少女──件の指名手配犯を殺して蘇生した別人格「アズール」と禍津が呼んでいる少女が禍津の服の袖を引っ張り、自分との関係を聞いている。

 どうやら絶望郷で生きていた時と身体のギャップがあるとのことで、見た目よりも幼い喋り方をしているが、武具を作る腕前は一級品だ。

 同じ紫色の髪をしていることから、兄弟かなにかだと勘違いされているようだが、甚だ迷惑な話だ。

 来訪者が二人の会話を見守っていると、視線のあった禍津が随分と気まずそうな顔で此方を見る。


 (こんなに困っている彼の顔を見るのは久方振りだ、あとでパンドラあたりに話してしまおう)


 悪い顔をしてしまっていただろうか。禍津は眼光をキッと光らせると、眉を下げて「アズール」を見る。

 普段はキリリと引き締まった顔を見せるのに、何故か彼女の前だけはそういった面を見せない。

 

 「だって!髪がおんなじだし、雰囲気も似てるっすよ。お姉さんすか?」 

 「待った、アズール殿。貴公は禍津よりも私が歳上だと思ったのかな?」


 「アズール」は知らないものを見るような目で、首を縦に振る。

 隣で禍津が声を殺して肩を震わせているが、後で絶対に痛い目に遭わせてやると強い意志を抱く。

 流石に此処で腐敗魔術を使用してしまうと、後が大変だし、可愛いお嬢さんまで被害を受ける。


 「え?そうっすね、見た目もそうっすけど、何ていうか話し方が大人〜って感じがするっす!」

 「だそうだ。此度は俺の私室に来て頂き、感謝致しますぞ、ご令姉様?」


 あはっははと禍津の笑い声が、来訪者の怒りの呼び水となり、ついうっかり魔術を詠唱してしまう。

 怒りで頭が沸騰しており、気づいた頃には、既に発動の一歩手前まで来てしまい、止めることも出来なかった。

 魔導陣から生物を殺すべく産まれた物が部屋中に漂い始めようとするその刹那、詠唱途中だった魔導陣が構造式ごと崩れ去っていく。

 ガラスのように砕け散っていく魔導陣を、来訪者は信じられないものを見るような目で眺める。

 全てが砕け散った物を確認すると、また仲間を殺してしまうのではないかと、自責の念に駆られた来訪者はへなへなと地面にへたり込む。


 「「詠唱中断(キャンセラ)」だったか。お前も使えるんだな、「アズール」」

 「えぇ、まぁ。この身体じゃ初めてだったっすけど。むしろやりやすいぐらいっすね」


 自分の魔術が幼子一人に簡単に看破されたことにも、驚きは隠せないが、彼女の表情からは先程までの事態が上手く理解できていないような表情をしていた。

 自分が使用しようとした物は、下手をすれば「アズール」は勿論、禍津までもが死に至っていた可能性があるものだ。

 

 (それをあんなあっさり、しかも的確に魔導陣を破壊した。解析速度が早すぎる)


 ホロウやイズも「詠唱中断」を使用できることは知っていたが、よもや此処までとは思わなかった。

 相手の魔術の構造式を完全に読み取り、一番弱い場所を狙って詠唱を書き換えて、破壊する。

 詠唱が早ければ早いほど、「詠唱中断」は使用するのが困難なのだが、来訪者の詠唱もかなり早い。

 

 (10秒も掛からないうちに構造式を理解して的確に破壊した……?信じられない)

 

 よろよろと立ち上がり、先程まで座っていた椅子に再度腰を掛ける。

 蒼く長い髪を二つに纏めている少女はどうみても十代半ばだ。

 年相応の話し方ではないが、それでも身の熟しはそこまで武人じみていない。

 

 「……済まない。取り乱してしまったようだ」 

 「うちはなんともないっすけど、禍津おじ様は大丈夫っすか?腰とか」

 「お前の余計な一言で一気に悪くなった。腹切って贖え」


 何を〜!何だと〜!と対岸の席で禍津と「アズール」が喧嘩を始める。

 まるで親子喧嘩のようなそれは、久方振りに朗らかな人間関係を見ている気分になる。

 つい、来訪者は笑みを零す。その事を本人は気づいていないのだが、他の二人は見ていた。



 _____________



 「さて、改めてだ。大体の事情は聞いている。お前の聞きたいことは?」

 「あぁ。魔導具「血まみれの手記」についてだ。あれについて詳しく知りたい」


 此方の説明文が足りなかったのか、禍津の眉間に皺が寄る。

 彼はいつだって説明が足りていないとこうして露骨に機嫌と態度が悪くなる。

 深く息を吐いた後に、禍津は一冊の本を取り出す。表紙には「壊惑の手記」と記されている。

 

 「恐らくお前の言っている「血まみれの手記」は「壊惑の手記」と呼ばれる魔導具のことだろう」

 「ふむ……して、その「壊惑の手記」とは一体どういうものなんだ?」


 禍津は頁をパラパラと捲り、来訪者と「アズール」にも見えるようにテーブルの上に置く。

 

 「……特定の人物を誘い込み、自分の思い描いた物語を読ませる。それだけか?」

 「元々はそうだったようだが、どうやら持ち主本人が少し改竄したようでな。お気に入り機能や巻き戻し機能なども搭載しているらしい。これは中々に厄介な代物だ」


 そうだろう?と禍津は誰も居ない方向を見る。

「アズール」と来訪者が何をしているのかと、訝しげな表情で見ていると、何処から声がする。


 「流石、伊達に世界の咎を名乗るだけの事はありますわね。禍津様?」

 「わっ、いきなり人……?みたいなのが出てきたっす!なんすかあれ!?」 


 「アズール」が驚くのも無理はない。この館に普通の人間種が辿り着くのは概ね不可能。

 金髪の巻き髪はあまりに特徴的で記憶に残りやすい。それに、来訪者は散々見てきたのだ。

 彼女は肉体を持たない精神生命体(エクトプラズマー)。身体は最悪なくとも意思疎通位は出来る。

 眼の前に現れた彼女は、肉体を人形のように操り、歪な笑みを顔に貼り付けている。

 禍津も実際に見たことがなかったのか、長い紫髪を掻き上げ、目を見開いて彼女を見ている。

 

 「海棠氷空(かいどうそら)……。貴公、生きていたのか」

 「あら、久方振りですわね、ゆかな。まさか貴方が大罪人として居るなんて思ってませんでしたわ」


 感じるのは軽蔑の視線、受けたのは侮蔑の言霊。彼女の一挙手一投足が来訪者を嘲笑している。

 金髪ドリルツインテールが似合う話し口調の彼女は海棠氷空。

 「被妄曲馬團(パラノイド・サーカス)」と「緋色の烏スカーレット・レイヴン」の二足の草鞋を履いていた上に、最終的にはどちらも裏切って失踪した女だ。

 何故此処に来れたのか、と考えた際に気づいた。自分も魔導具に補足されていたの可能性がある。

 どの口が言うんだ、と言い返してやりたかった。けれど、それは出来なかった。

 唇を噛んで、言葉を返さずに居ると、禍津が自分と氷空の間に割って入る。


 「此処は俺の私室だ。招かれざる客にはお帰り願おうか」

 「おや、では貴方が「禍津」様……ですわね?」


 部屋の主を認識した氷空はスカートの端を抓み、優雅な礼をする。


 「お初にお目に掛かります。海棠氷空と申します。見知り置き願いましょうか」

 「断る。貴様のことなど歯牙にも掛けぬ。疾く失せろ」


 禍津が氷空の言葉を聞くや否や、魔術を詠唱する。聞き慣れたその詠唱はすぐに終わる。

 何かを言おうとしていた氷空の言葉も聞こえることもなく、即座にその場から消え去った。


 「無事か?アティス。随分と取り乱していたが……」

 「……大丈夫だ、助力に感謝する。だが、私が此処に居るのは不味いようだ」


 このままでは、また氷空が此処に来るのも時間の問題だろう。

 すぐさま、館から出るべく、指輪に魔力を込めようとしたその刹那だった、禍津が来訪者──アティスの腕を掴む。

 いきなり触れられたことに、体を震わせるアティスを見て禍津は急いで手を離す。


 「悪い。お前を怯えさせるつもりはなかったんだが。一旦出るのは止めておけ」

 「しかし……私が此処に居る限り、奴はまた現れる」

 

 表情にも出ていたのだろうか。いつもはツンケンしていたはずの禍津の声がどうにも優しい。

 

「だから今、本を読む。あいつが此処に現れずに済む方法をな。その間に現れた時は撃退を頼む」 

「読破までに時間どれぐらい掛かるんすか〜?」


 禍津は既に本をペラペラと読み進めていたが、一言だけだったが、簡潔にこう言った。

 

 「一分あれば充分だ。別に殺す方法を知りたい訳じゃないからな」


 禍津が本を読み進めている間の一分間、終ぞ彼女が現れることはなかった。

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