【XIII】#3 Seeker/annihilatioN
日が明け、朝の時間になったホロウは一足先にギルドへと足を運ぶ。
一階には宿屋の女将が不機嫌そうに此方を睨んでいたが、カネは払っているし、物は壊していない。
何かを言われる筋合いなど無い、と判断したホロウは笑顔で挨拶し、宿を後にする。
口汚い言葉を吐き捨てられると覚悟していたのだから、笑顔で挨拶したって問題はない。
歩いて数分の所にあるギルドにそろりと入ると、やはり探索者は多くは居なかった。
「基本的に皆夜行性だもんね。そこは種が違ってもおんなじなんだ」
「そういうアンタは早いじゃない、おはよう。ホロウ」
ギルドの中へと足を運んだ際に、ホロウに声を掛けたのはヨハンネだった。
昨日と同じく、妖艶な格好に身を包んでいるが、外見とは裏腹に朝早くから仕事をしているらしい。
意外そうな表情でヨハンネを見ていたのだろうか、ヨハンネは少し不機嫌そうになる。
「なんだい、あたしがこんな格好で仕事してるからって、サボったことはないからね」
「あはは……そんな事思ってませんよ。早速どんな仕事があるのかなって見に来ただけなので」
ふん、と鼻を鳴らすと、おもむろに一冊の本のようなものを取り出す。
これは……、とホロウが戸惑っていると、ヨハンネはあぁ、と声を漏らす。
「そうか、他の区域ではこんな感じじゃないんだね。これは失礼した。最新情報の依頼一覧だ」
「それを今取り出したってことは、私が今日の初めての探索者だったって事ですね」
ホロウがくすりと笑うと、ヨハンネは眠たげな声で伸びをして見せる。
「そうなるね。揃いも揃って不摂生ばっかりだよ、ここの輩は。あんたはそうならないでくれよ?」
「善処しますね……えーと、これは……」
ホロウは渡された依頼一覧を見て、瞳を曇らせる。思っていたのと違ったのだ。
此処に記されているのは、大半が『人間種の謀反者』だったり、『お尋ね者』ばかりだった。
ホロウの想いが顔に出ていたのだろう。ヨハンネはふっと息を吐くように声を漏らす。
「醜い依頼ばかりだろう?此処ではこんなものばっかりさ。害獣駆除なんて誰も頼みやしない」
「……誰も攫われたりしなかったり、赫に害獣や魔物が出ない訳じゃないんですね」
ヨハンネは髪先を弄りながら、何処か遠くを見るような顔になる。
その表情を見るだけで、赫の区域というものがどんな場所かを言い表しているようだった。
「そうさね、あたしも一応は亜人種に類する生物だ。だから特別人間種に思い入れはない」
けど、とヨハンネは言葉を続ける。カウンターに立て肘ついて話す様子は様になっている。
二人の距離はとても近い。けれど、今はなんだか随分と遠い場所に居る気がしてしまう。
ホロウは自ら捨て去ったが、彼女は違う、元から違ったのだ。
「けれど、この区域は異常だ。自分を害した人間種を依頼してまで排除しようとする」
「……そう、なんですね。だから依頼リストの大半が人間なんだ……」
「まぁ、理由はそれだけじゃないよ。この頁を見てみな。高額レートの依頼だ」
「…………」
一人や二人じゃない。夥しい量の名前と顔が一覧に載せられている。
高額レート帯には区域長や中央管理局の職員らしき存在も点在している。正気なのだろうか。
更には見知った顔──宵紫蜜柑、宵紫柚斗、『背反』などにはバツ印がつけられている。
死んだ者はリストからは消えず、死亡済みと書かれているだけ。記録からは消えないらしい。
あまりにも常軌を逸しているものを見せられたホロウは何も言えずにいる。
「何も言えなくなる気持ちはわかるよ。だが、此処の輩が受けるのはもっと下のものだ」
「……酷い。こんなの復讐代行じゃないですか。みんながそれを望んでるんですか!?」
「さてね。だが、此処でも魔獣や魔物の討伐依頼も出る。比率は他と逆転してるだろうけど」
「ならその依頼は……」
縋るような声を出したホロウに、ヨハンネは首をただ横に振る。
「人気なんだ、この区域ではね。だからこうして人間殺しの依頼ばかり残る。そして」
大抵、こういうのはルーキーの仕事として斡旋されるとヨハンネは簡潔に言った。
要するに、人間を殺すことがこの区域の探索者が最初に通る道なのだと。
「しかしまぁ、あんた程の階級じゃ、そこらの雑魚じゃ相手にならないだろうけどね」
「とんでもない。私は最弱ですから」
ホロウは伏し目がちにそう言うと、ヨハンネはホロウの顔をそっちへと向けさせる。
意志のこもった強い目で見られると、どうしても少しだけ萎縮してしまう。
「辞めときな。あたしは気にしないが、その卑下は此処じゃ相手を逆上させるんだ」
「……肝に銘じます」
ホロウが素直に謝ると、きっと上がったツリ目が緩んでいくのが分かる。
怒りの鉾をおさめてくれたのを確認すると、ホロウは先程の話を続ける。
「ちなみになんですけど、今ある依頼は人間殺しの依頼しか無いってことですか?」
「別に絶対に殺す必要は無いけどね。証として両腕か、首が必要ってだけさ」
両腕を討伐の証として差し出した人間が、その先、普通の生活など送れる筈もない。
依頼の中身も見ても、大半は私怨ばかりだ。法で裁けないのなら、探索者にと。
(狂ってる。白でも蒼でもこういった依頼が全く無かったとは言わないけれど)
探索者の本来の務めは、力を持たない民草が安心して暮らせるように周囲の障害を取り除く。
困っている人を助けるために力を振るい、手が届かない所に手を伸ばす。
ホロウはそう思っていた。だから、こんな依頼しか残されていない此処に深い絶望感を抱く。
「実際に此処の探索者は首と両腕、どっちを持ってくることが多いんですか?」
自分でも想像していなかった低い呻き声のような喋り方に、ヨハンネは目を瞑って答える。
「大半、いや、殆どの野郎どもは首を持ってくる。腕を持ってきたのはほぼ居ないかな」
「……そうなんですね」
「酷いと思うかい?あたしはその実、そこまで酷いとは思わないんだけど」
「どうしてですか?死は救済だとでも言いたいんですか?」
ホロウの言葉に驚いたような仕草を見せたヨハンネは、ふふっと笑う。
何がおかしいんだ、と言及したかったが、ぐっと堪えてヨハンネの言葉を待つ。
「死を救済だとは思わないさ。それにここの依頼の異常さには正直、不快感が際立つよ」
「じゃあ……」
同じじゃないですか、なんて言おうとした。共感してくれるんだって、少しホッとした。
けれど、ヨハンネから出てきた言葉はそんなものじゃなかった。
「だが、それは標的が違うだけで、同じ事を他の区域でもしていることに変わりないんだ」
「えっ……?」
ホロウは頭をぐわんと揺さぶられた感覚に陥る。
大地の上にちゃんと二本の足で立っているはずなのに、立っていないのでは、と思ってしまう。
脳が理解を拒んでいる、そう気づいたホロウはどういう意味かと尋ねると、ヨハンネは薄く笑う。
「簡単な話さ。ホロウは魔物を殺せと言って、両腕だけ残して逃がしたりする?」
「……しません。ちゃんと息の根を止めたのを確認して、指定されたものを持ち帰ります」
ヨハンネの顔は至って冷静だ。涼しい顔でこちらを諭すような言い方で話している。
そんな彼女の表情からは、一切の誂いや巫山戯た様子は見られない。
「そうだよね。じゃあ重ねて聞くけどその魔物のバックボーンなんて、気にしたことはある?」
「……無いです。誰かがその魔物の死を望んだから、報酬のために殺してきました」
実際にそんな事を気にしたことなど無い。一年やそこらを白の区域で探索者として生きてきた。
その生活の中で、もしかしたらこの魔物が悪さをしていないのかも知れない、などと思ったことは一度も無い。
殺すべき対象としてしか、見てこなかった。実際に討伐に向かい、こちらを攻撃したから殺した。
たったそれだけのことだ。生きるために他者の命を奪うことに今更、何の躊躇いなど無い。
「そうだよね。じゃあ、誰かがその人間種の死を望んだから、報酬のために殺すことはおかしい?」
「……理論的にはおかしくはないんでしょうね。前提条件がある以上は」
ホロウは唇を噛み締め、ヨハンネの問に首を縦に振る。
筋は通っている。何もおかしいことはないし、言っていることは何一つ間違っていない。
だからこそ、受け入れ難いのだ。受け入れたくない。
人の身を捨てていても、他者を思いやる心も、人並みの倫理観は残っている。
「ホロウは賢いね。そう、その通り。だから此処では人間種の殺害依頼が多数揃えられている」
「筋は通ってます……でも、それでも殺せない人だって多いんじゃ」
ヨハンネは黙って頷く。しーんと静かなギルドの中には二人しか居ない。
声を絞って喋っても、よく響く。感情が籠っていれば、尚更の事だろう。
「だからこの手の依頼は多く残ってるんだよ。合法だとはいえ、嫌がる輩が多いからね」
「……っ。そうですか、良く分かりました。少し考えさせて下さい」
開いていた依頼一覧をパタリと閉じて、ホロウはヨハンネに礼をする。
そのまま、そそくさと立ち去ろうとすると、ヨハンネは「ホロウっ!」と呼び止める。
「君にとっての正義が一体何なのか。良く考えておきな。後からどんどん苦しくなるから」
「忠言ありがとうございます。また来ます」
ホロウは振り返らずにそう返すと、ギルドを後にする。
そのままの足で、宿屋の自室に戻ると、ベッドにダイブして再び眠りについた。
思考がこんがらがったままだと、何も話が進まない。こういう時は寝るに限る。
「正義なんて、私から一番遠い単語じゃん」