【XIII】#1 Psychoanalysis/disordeR
長い時間、相手に伝わるよう、必死に考えた言葉と稚拙な身振り手振りで里乃とイズへの説明を終えたホロウはふぅっと大きな息を吐いていた。
人に自分が見たものを的確に伝えるのは至難の業だ。
だから映像保存系の魔術が発展したのも頷ける。そんな物使えないから記憶と言葉を振り絞って里乃とイズに説明したが、伝わっているだろうか。
話した内容は『赫の悲劇の真相』──そう書かれていた魔導具へと吸い込まれてホロウが経験した一部始終の話。
精神生命体である海棠氷空の身体を借りて五日間を過ごすゲームのようなもの。
行動制限があるとは言われたものの、結局は破っても問題なく物語は進行した。
そんな文字通りの夢物語を語ると、二人は神妙な顔で互いの顔を見やっていた。
「色々脚色はされてるけど、概ねは史実と同じなんだね〜どう思う?妹ちゃん」
「同意見だわ。けれど、史実では海棠氷空は……」
どうして「赫の悲劇」の史実をディストピア出身のイズが知っているのだろうか。
本が大好きな本の虫になりつつあるイズが居れば、もう自分なんて要らないような気もするが、ホロウは黙って二人の会話を傾聴する。
アティスやパンドラ達に無事を報告した後に、セエレに会うべくして向かった白の区域で手痛い裏切り行為を目の当たりにしたホロウは再度、心の奥底の汚泥の層が厚くなっていることを実感していた。
どんどんと溜まるそれは、徐々に心を蝕んでいるのを自覚できている。
(どうしたらこの汚いものを捨てられるのやら)
今は平然としていられたとしても、いつかはそうも行かなくなる時が来る筈だ。
──その時は誰が自分の人生に終止符を打ってくれるのかな?
イズか?里乃か?パンドラか?それとも「喪失」の面々だろうか?
既に人としての何かを失ったホロウが次に失うものは何なのだろうか。
信じたかったものに裏切られる事がこんなに悲しいことだなんて久々に実感した。
「ちょっとお姉ちゃん、聞いてるのかしら?」
「えっ?あぁ、ごめんごめん。ちょっとボーっとしてた」
恐らくだが、もう解説はあらかた終わってしまっているのだろう。
後で聞き返さなきゃな、なんて事を思いながら、舌をちょっとだけ出して薄く笑う。
(上手く笑えてるのかな。どうなんだろう。自信ないなぁ)
ちょっと外の空気を吸ってくるね、とホロウは窓を開けてバルコニーへと向かう。
少しだけ一人になりたかった。別に疑っているわけではない。それでも少しだけ怖かった。
冷たい夜風に吹かれながら、ホロウは一人で欠けた月を何も言わずにただ眺めていた。
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「ちょっと。ノイン」
「なぁに?妹ちゃぁ〜ん」
ホロウがバルコニーへと至る窓を締めた後でイズは里乃に声を掛ける。
ホロウのあの顔を見て、今も尚笑っている里乃に静かに怒りの炎を燃やしていたのだ。
あんなに悲しそうな顔は久しぶりに見た。勿論、何があったかのおおよその検討はついている。
きっと、白の区域で手酷い仕打ちを受けたのだろう、と。あの区域で今何が起きているのかホロウは知らなかった筈。
「どうしてあの子が白に行くのを止めなかったの?貴方は知ってた筈よ」
「え〜?何をかなぁ?「終わらない英雄譚」を滅ぼした「喪失」のリーダーが人間族じゃなかったことを、同じ「喪失」のメンバーがバラしてリーダーを無理矢理降板させたって話?」
イズは感情が爆発しそうになり、里乃の胸元を強く握りしめる。
やっぱりこの女は知っていたのだ。あの時、彼女が白へと向かうことの危険性を。
普段は緩めのツリ目がキッと吊り上がる。どうにもこの女とは馬が合わないらしい。
「貴方ッ」
「別にわたしがどうこうした訳じゃないじゃん?何怒ってんのさ〜?それに、憎むべき相手間違ってるんじゃない〜?」
「確かに、憎むべきはあの子を指名手配した「出来損ない」でしょうけど。それでも、止めたって良かったじゃない!」
「止めても無駄に決まってるじゃん?魔弾ちゃんは割と自分の意志で行動してるしね〜」
どれだけイズが詰め寄っても、里乃は平然とした表情でヘラヘラしている。
其の実、彼女の言っていることは何一つとして間違っていない。
きっと、里乃が警告した所で、ホロウは止まらなかった。
里乃は言葉にしないが、これはイズの八つ当たりに過ぎない。正しい行動を取らずに、ホロウが傷ついたことがどうにも堪えることが出来なかった。
先程も、里乃と会話している間にチラチラとホロウの方を見ていたが、何やら別のことを考えていたのだろう。ぼんやりとしており、こちらの会話を聞いているようには見えなかった。
見ていて心苦しいにも程がある。心此処に非ずといった彼女の顔には悲しみ以外映っていなかった。
「ま、最悪魔弾ちゃんは館に戻って貰えば良いよ。わたし達はあの子の望む「赫の悲劇の真相」って奴を調べれば良いんだし。多分だけど、魔弾ちゃんが気にしているのって、作中に出てきた「海棠氷空」と「想坂木槿」って子でしょ?」
「……まぁそうね。ホロウの話し口からして、特に「想坂木槿」の事が気になってるんでしょう。けど……」
イズは伏し目がちに言葉を淀ませる。それを察した里乃はニマニマと気持ちの悪い笑みを浮かべ、イズの方へと顔を近づける。
愉悦愉悦と言わんばかりの表情は、見る人を不快にさせる才能がこれでもかと詰め込まれている。
「悔しいんでしょ〜?自分以外の女の子を気にしてるなんて!って!」
「違うわよ……。そもそも作中内に出てきた人物がこちらを認知している訳がない」
つまり、会っても無駄。こちらの事など知っている筈がない。
じゃあ何のために会うのか?という自問自答に答えが見いだせないのだ。
一体、あの物語に何が描かれていたのか、何を体験したのか。
あまりに近い里乃の顔を手で押し遣り、嫌そうな顔であっかんべーをする。
「わっ、妹ちゃんってそんな可愛い顔するんだ〜♡」
「……はぁ。私の話聞いてたかしら?」
「聞いてたよ〜?。史実ベースの話だろうけど、実際の登場人物に会う意味はないって事だね」
「それはそれでムカつくのよね……全く」
イズが深いため息を吐いていると、ホロウがバルコニーから戻って来る。
此処からは先程の話の続きをする必要がある。あくまで、今までの話はオフレコだ。
「おかえり。頭は冷えた?」
「うん、お陰様で。……ごめんね、心配かけて」
相変わらず、ホロウはかなりしおらしい。それをニマニマと見ている里乃は腹立たしい。
イズは、そっとホロウに近寄って抱きしめる。あんな顔は見ていられない。
涙を流すのなら、せめて自分の背中で。涙なんて似合わないのだから。
イズの行動に驚いたホロウは里乃の方を見ると、ヒューヒューと囃し立てている。後で仕置が必要だ。
「えっと……もう大丈夫だよ?ありがとう、イズ」
「べ、別にお礼を言われることなんてしてないわよ。それより!これからどうするのかしら?」
イズの言葉に、ホロウはあー、と言葉に悩むような素振りを見せてから、言葉を紡ぎ始める。
「ひとまずだけど、情報収集からかな。この本、どうにも気になるんだ」
「気になるって〜?作者とか?それとも作中の女の子に恋しちゃった?」
里乃の言葉に、イズが飲んでいた飲み物を窓の方へ吹き出してしまう。
イズの反応に戸惑ったホロウは、あわあわとしながら、首を振って否定の意を示す。
「違うけど……でも、ちょっとだけ気になったのも事実かな。ゆかなさん──アティスさんの過去も垣間見たことだし、興味は湧いたかも」
「あ〜?ミステリアスレディの過去が気になっちゃったんだ?でも分かるなぁ〜わたしも同じだし!」
ホーローウ?と背後から黒い炎がメラメラと燃え上がっているのを見たときは流石に肝が冷えた。
冷や汗を流しながら、ホロウは手をパンパンと叩く。ぶっちゃけて言えばただの誤魔化しだ。
「この区域でまずやることは「海棠氷空」と「想坂木槿」の消息の確認。あとは魔導具の創り手が居るかどうか!それでおっけー!?」
「お、おっけー……」
「おけまるまる〜!楽しい旅になりそうだねぇ、わたしワクワクしてきたなぁ」
ひとまずは情報が集う場所といえばで、探索者ギルドへ向かうことになった。
つい最近、ギルドで酷い目にあっていたホロウではあったが、それでも逃げるつもりはない。
レーヴァで借りている宿から少し離れているギルドへとホロウは聞き逃した部分を再確認しながら、三人で歩き始めた。
※初めてレーヴァに訪れた際は、人間族だからと無闇矢鱈に襲いかかってきた赫の民ですが、
二回目以降は想像以上のやり手だと判明したことから、余程の者以外は噛みつかなくなりました。