【XII】#17 眠り微睡む夜明けの前に
木槿の元を後にしたホロウはその足で、とある場所へと向かう。
分からないことが非常に多い。それがどうしようもなくホロウの心を蝕むが、逃げるつもりはない。
夜も更け、時間で言うと深夜二時か、三時頃だろうか。普段であれば眠っている時間だが、今日だけはそうもいかない。
目的地へと足早に向かい、辿り着いたホロウの前には、会いたかった人物が既に待っていた。
「おう、虚華か。こんな夜更けにどうした?オレらが明日……や、今日か。なにするか知ってんだろ?」
「うん。知ってる。けどそれでも、そんな時だからこそ……話したいことがあってさ」
ホロウが目の前の人物──白髪の悪鬼こと、アズラの目を見て話す。
彼女に何かが響いたのか、アズラは無言で顎をしゃくり、ホロウを中へと案内する。
中には初めて入る。そもそも、この場所もアズラが教えてくれていなければ、辿り着くことすら困難だった。
僻地も僻地、「被妄曲馬團」はそれなりにレーヴァからも近かったが、此処は完全にレーヴァから出ており、アジトとしては満点かもしれないが、アクセスは零点だった。
おまけに、中もあまり綺麗にはされていない。あくまで短期的に滞在する用のアジトに見えた。
最低限の機能しか有していないのならば、確かに不便なところに置いておくが合理的である。
「此処なら落ち着いて話できるだろ。ま、座れよ。飲み物は茶でもいいか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
座るのを促されたのも、座られた形跡が見られない小綺麗な椅子だった。
誰も此処を頻繁に利用していないのだろう。人や生き物が住んでいる場所に発する気配や匂いがしない。
ホロウはアズラがお茶を淹れている間に、あたりをキョロキョロと見回す。
天然の洞窟を流用したのか、自分で此処まで掘り進めたのかのどちらかだと思われる無骨さに、一抹のおしゃれさすら求めていない徹底した合理性が、いかにも彼女達が用意したものだと分かる。
「おう、待たせたな。お前の口に合うかは分からねーが……。ま、物は試しってやつだな」
「ありがとう。頂くね」
アズラより渡されたお茶は、独特の香りがするが、毒物特有の香りではなさそうだ。
アズラが先に飲んでいるのを見て、急いでホロウも淹れられたお茶に一口こくりと飲む。
お茶の中ではだいぶ甘い部類だ。この辺りでは甘い食べ物や飲み物が多いが、お茶も甘いのか、とホロウはレーヴァでの食文化に少しだけ興味を抱いている。
初めて飲んだものではあるが、飲んだもので近いのは、糖類の多いイネ科のヒゲを用いたお茶にかなり近い。
お茶とジュースの中間に位置するこの飲み物に出会えたことに感謝しながら、ホロウはアズラの方を見る。
案の定、微笑ましそうな表情で此方を見ていたアズラの顔から視線を逸らす。
「そんな風に見ないでよ。恥ずかしい」
「おっと、わりぃわりぃ。お前がこのゼアを気に入ったなら、オレも嬉しくてな。なんせ、あの機械仕掛けの天使様は飲み物も、食事も必要じゃないしな」
そうなのか、とホロウは自身の頭の中にあるメモ帳に情報を追記する。
前に一度、ソラの家で邂逅した際は、料理を食べていたような気がしたのだが、あれはほんの気まぐれ、娯楽感覚で食べていただけ、という事なのだろうか。
つくづく彼女──イスラが自分達とは格の違う上位存在であることを思い知らされる。
可能であれば戦闘はおろか、敵対するのも避けたい所だ。
前回、生き残ることが出来たのは本当に僥倖だったのだろう。思えば出会いは、宵紫蜜柑との出会いにまで遡るのだから、それなりに時間が経っている気がする。
あの時は本当に命の危険を覚えたのだが、今はこうして別世界ではあるものの、話ができているのだから、感謝してもしきれない。
「で、だ。この時間に来るってことは、何か言い残すことでもあんのか?」
オレしかいなくて悪いな、とこの場にイスラが居ないことを詫びながら、アズラはこの場の空気を一気にひりつかせる。
先程までの暖かい空気は一気に凍りつき、この場に緊張感が走る。
彼女の言いたいことは分かる。作戦は『今日』行われるのだ。その点を踏まえた上で、ホロウがこの場に来ること自体が別れの挨拶だと思っているのだろう。
彼女には既に事情を話している。恐らくではあるが、この世界で「赫の悲劇」が起きた際には、この世界から脱することが出来るのだと。
この幻想義体はあくまでも借り物であること。この世界は幻想であること。
それを踏まえた上で、ホロウは一つの決断を下した。
「いえ。私を、結代虚華を明日だけ、アズラさん達に同行させて下さい。勿論、助力は惜しみません」
「へぇ……?それはオレらが勝つことを示唆でもしてんのか?」
そんなつもりはなかったが、「赫の悲劇」が起きればこの世界から脱せられると言っているのだから、今更掘り起こすものでもないとは思うのだが……。
現に、この世界を作り上げた作者は、結論を導き出している筈だ。
きっと作者も考えてはいない筈だというものが一つある。
それが、「赫の悲劇」を起こすとされている「緋色の烏」に主人公が加入すること。
(私は私なりのやり方で、この世界を見極めて見せる)
本当にもう残された時間はない。身体を休めている暇さえもう一秒だってないかもしれない。
それでも、足を止めるなんて選択肢は端から無い。後悔なんてしたくない。
ホロウは覚悟を決めた瞳で、アズラを捉える。思わずアズラが怯むほどの眼光でその場を輝かせる。
「勝つかどうかなんて分かりませんよ。今の私は貴方と同じで、この世界に生きている一人ですから。私が居ようと居まいと結果は変わらないでしょう。それでも一助にはなりたい。それだけです」
「ほう……?だが、お前にもオレらにもその行いはメリット無いと思うが?もし、オレがお前なら、今すぐにでもレーヴァを離れて、安全な場所で自分が死なないように祈るぞ?」
確かに、アズラの言う通り、自身の提案は双方にデメリットを齎すものだ。
ホロウ側は、アズライスラの二人の攻撃に巻き込まれる可能性だってある、アズライスラはホロウを味方にすることで、攻撃の幅を必然的に狭めてしまう。
だが、それでもホロウは隠れきることで逃げ切るなんてことはしたくなかった。
(折角の機会、そんな形でやり過ごすなんて絶対に嫌)
今は使えない力は多々あれど、培った技術までは失ってはいない。
この身体でも使える魔術は、ある程度把握できている。魔術の鍛錬をしていなければ、何も変わらずにただ銃と他者から預かり受けた異能だけに頼っていたあの頃の自分では、こうは出来なかった筈だ。
手元には沢山の簡易魔術紙や魔導具を携えている。その上で疲れを知らない幻想義体を組み合わせれれば、ある程度の難局であれば対応可能だと言えるだろう。
弱者であることを甘んじていた自分と決別したホロウは、敢えて茨の道を進む。
「そんな選択肢、私はごめんだよ。私は見届けたいの。仮に真実でも嘘だったとしても、誰かが物語を紡ぐ上で、絶対に何か伝えたいことがある筈だもん。それを知れないなんて嫌」
「はっ、我儘なお姫様なこった。わーったよ。イスラには再起動が終わり次第伝えておく。どうせあいつは快諾するだろうしな」
ケラケラと笑うアズラを横目に、ホロウはそっと胸を撫で下ろす。
此処までのルール違反を犯しても、どうやらこの魔導具は自分を追い出そうとしないらしい。
もうまもなく、悲劇は起こる。それも、ホロウの眼の前でだ。
かつて殺すべき相手を殺した異形が、今では隣で肩を並べ、談笑している。
その事実がどうしようもない程、自分が変わっていったことを示している。
(臨、雪奈……私、変われたかな。みんなに守られているだけの哀れな少女から)
その後、イスラが起きてくるまでの間、流石に少しは休んでおけとアズラから言われたホロウは、近くにある仮眠室にて少しの間、身体を休めることにした。
寝なくたって、横になり、目を瞑るだけでも体力は回復する。
一時的に同行できるからとは言え、自分に危険が及ばないとも限らない。
赫の悲劇は、もう目前に迫っている。