【XII】#15 赫と黑の五月雨模様
赫の悲劇まで残り一日。ホロウの自由に動ける時間はあまり残されていない。
旅先案内人は既に居なくなった。味方と呼べる味方はこの世界の何処にも居ない。
「どうしたもんかなぁ。明日世界が終わるならどうする?って状況だよね、これ」
気楽に街をブラブラしながら、ホロウはあの時、里乃が食べていた温泉饅頭を頬張る。
思ったよりも思い詰めていない様子で街を歩いているが、何かに気づいたのか、目的地を変更する。
(まぁ、時間に余裕はあるし、私に用があるなら聞こうかな。けど、誰だろ?)
正直、氷空の友人関係は一切把握できていないので、ストーキングしている人物に心当たりがない。
元々はあの華美な図書館で、現実世界では読めなくなってしまった本でも読もうかと思っていたのだが、どうやら来客対応を先にしなければいけないらしい。
襲うにはもってこいのルートを通り、此方へ食って掛かるのを待つ。裏路地で人気は一切無い。
レーヴァを巡っていて自分が襲撃を仕掛けるならば、此処だろうという場所で仁王立ちする。
けれど、いつまで経っても姿を表さないストーカー相手に痺れを切らしたホロウは声を荒げる。
「話があるならさっさと姿現したら?年頃の女の子をストーカーしちゃ駄目だよ」
「……隠密作戦にはそれなりに自信あるんだけど、いつから気づいてた?」
聞き覚えのある声に、ホロウの心臓は鼓動音を喧しく鳴らし始める。
警告音?それともときめき?複雑な感情がぐちゃぐちゃに織り交ぜられながら、ホロウは眼の前の人物に視線を向ける。
格好も雰囲気も全然違うが、それ以外の全部が同じだ。あの日、手を離してから。
この世界に居ることも、レーヴァでは昨日から姿を見かけることも知っていた。
だが、今の私は「海棠氷空」の身体を借りている「ホロウ・ブランシュ」だ。
どう言葉を紡ごうかと考えていると、あちら側から口火を切ってきた。
「……君は誰だ?」
「誰か分からない人の後をつけてたの?私、そんなに怪しかったかな?」
彼の言葉の意図が理解できない。普通、つけてた相手に名前を聞くか?
黒咲臨。かつて、共に行動をしていた仲間──今となっては元仲間と呼んだほうが良いかもしれない。
そんな彼の平行世界線上の存在。別世界における彼とは初対面だが、やはり同じ人間だからか、類似点が多い。
(そんな臨が君は誰?って聞くのも、私が誰か分かっていなくてつけるのも考えにくい)
臨には、虚華と同じく特異体質を持っており、他人の嘘を見破ることが出来る。
そのせいで、昔から臨には頭が上がらなかったのだが、もし、その力を彼も持っていたとすれば?
(そう考えたら合点がいくか。海棠氷空って答えたら、その時点で終わるもんね)
彼の特異体質「【真言看破】」がどう判断するかは分からないが、それでも無駄なリスクを負いたくはない。
問題はこの場を如何に切り抜け、如何に彼からの情報を引き出すことが出来るかだ。
物語上であれど、油断は禁物だ。此処で逃げて、仮に死んだとしたらどうする?
そもそも物語上に閉じ込められるなど、どう考えても魔導具や術者の影響が関係している。
つまり、このやり取りを第三者が見ている可能性だってある。
それらを鑑みて、この場を切り抜ける必要がある。ホロウだって多少なりは成長している。
「なんとか言ったらどうだい?それとも、君には名前もないのか?」
ホロウが何も言わずにいると、あちらから煽りのお言葉を頂いてしまった。
格好は随分とレーヴァに馴染んでいる物を着込んでいるが、顔だけはしっかり隠している。
どうしたものか、まさかあちらから催促されるものだとは思っていなかった。
それに、どうみても服の膨らみ的にも短剣をそこかしこに仕込んでいるのは見てとれる。
「名前ね……。知ってどうするの?別に呼称ぐらいだって何だって良いじゃない」
「……ふぅん。じゃあ良いよ。それで、どうして君は此処に居るの?」
完全に此方側が臨の異能を把握していない前提で情報収集しようとしている。
名前も知らない相手がどうしてこの場所に居るかを答えてどうするというのか。
……暫く様子を見ようか。なんだか、自分の知っている臨より数段アホかもしれない。
「君が私をつけているのに気づいたからだよ。この先ずっと追いかけられても気分悪いし」
「……そう。それは悪かった。ボクは君と話がしたかったんだ」
「名前も知らない相手に?……あ、何か私が落とし物したとか?」
「いや。そうじゃないんだ。……率直に言おう。君は海棠氷空だよね?」
本当に単刀直入に来た。この質問をされれば普通はY/Nで答えることが殆どだが、黒咲臨という存在を知っているホロウは、素直には情報を吐くつもりなどない。
冷静さの裏に焦りを隠している臨を前に、ホロウは努めて冷静さを失わずに臨を睥睨する。
今、このやり取り全てを第三者が見ているつもりで話を進める。ホロウからすれば、パンドラに見られているのと、そう違いは無いので、気にもせずに話を続ける。
「君がそう思うなら、それでいいと思うよ」
「どうして曖昧な答えしかしないんだい?ボクは名前を聞いているだけなのに」
「怪し過ぎる事、自覚ない?長話する時間はないから、悪いけどもう良いかな?」
「いいや。良くない。それにボクは怪しい者じゃない」
聞くに耐えない言葉を言葉で此方を誘う臨を見たくないホロウは、思わず目を逸らしてしまう。
自分が大人になったのか、この時十二歳だった臨が幼すぎるのか。
二つに一つの答えを聞くまでもなく、彼は年相応のやり取りしか出来ないようだ。
自身の能力によって、優位に状況を進めようとするも、相手が対策を取っているばかりに、事がうまく進まない。
その事実に苛立ちが隠せずに、更にボロが出る。何処かで見たことのある光景だ。
(昔の私とおんなじことしてる。その結果、沢山のものを失ったんだよね)
かつてのホロウも「“嘘”」という部分的現実改変能力に頼り切ったせいで多くの仲間を失った。
この世界で言ってしまえば、本当の意味での仲間は出灰依音の一人だけになる。
彼も話によれば、緋浦雪奈を殺してからはずっと一人でフィーアを彷徨っていたと言うではないか。
同情する余地もあるのだろうか、とホロウが言葉に悩んでいると、苛立ちを隠しきれなくなった臨がホロウの服の襟を掴み上げる。
しかし、未だ十二歳の少年の体では幻影義体を持ち上げることは叶わない。
「お……重い。お前人間じゃないのか……?」
「酷い言われようだなぁ。キミ、乙女心が分かってないみたいだね」
本音を隠すために、敢えて怒っている雰囲気を醸し出し、袖元に隠していた簡易魔術紙に魔力を注ぎ込み、小さな炎を周囲に漂わせる。
火球に驚いた臨は距離を取るべく、ホロウを乱雑に投げ、バックステップでその場を離れる。
そのせいで尻餅をついたホロウは、引きつった笑みで臨目掛けて火球をけしかける。
「うわっ、攻撃する気?ボクが何かしたかな?」
「その惚け方はキザってより痴呆症だよ。何?鈍感系主人公でも気取るつもり?」
ホロウの言葉に臨は青筋を浮かべ、懐からナイフを取り出し、こちらへと切っ先を向ける。
あまりにも分かりやすい行動に、ホロウは苦笑を浮かべて臨の動きを観察する。
「さっきから黙って聞いてれば、好き勝手言いやがって……」
「何ていうか……、子どもは子どもなんだなって思っちゃうね……あはは」
火に油を注いだ事に気づいていないホロウもホロウなのだが、臨も臨だ。
形振り構わず刃を振り回しながら此方へ向かってくる臨を見て、ホロウは微笑みを浮かべる。
「あああああああっ!!」
「火と風を組み合わせると……こうなるんだよね。温度がちょうどいいと便利だけど」
普段用いる温度よりも数段火力を上昇、風速も人が吹き飛ぶレベルに調整すると、凄まじい熱風に身を包まれて、最終的にその場には骨すらなくなる事になる。
流石に殺すのはいたたまれない上に、そこまでの火力はこの身体では出せない。出力できる魔力の兼ね合いでこの身体では、出来て深度レベルⅡぐらいが関の山だろう。
それでもこの場を切り抜けるためには、多少は痛い目に見て貰おう。
「熱風波!!」
「……ちっ」
熱風波の効果範囲から逃れるために、臨はこの場から立ち去っていった。
ホロウはその隙を見て、直ぐに図書館へと駆け込むべく走り出す。
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追手らしき臨も振り払い、相変わらず煌めいている図書館の中に入る。
此処は現実には無い場所だ。もし何かあるのなら、此処だろうとホロウは踏んでいた。
中は外観よりも広く感じる程度ではあるが、視界一面に本がぎっしり本棚に収納されている。
しかし、人は誰も居ない上に、人の気配すら感じない。
「やっぱりおかしいのは此処っぽいね。さて、何が出るかな」
ホロウは本の表紙を流し見しながら、だだっ広い図書館を見て回る。
本はあまり読むタイプではないが、「喪失」や「七つの罪源」のメンバーの中では読む方だ。
魔術の修練は今も欠かしていないが、館に籠もっていた頃、空いている時間があれば様々な本を読んでいた。
他には禍津も読んでいるが、基本的に本の話が出来るのはイズ位なものだ。
もし、持ち帰れるのなら数冊程度は持って帰ってイズに渡したいが、それは叶わない事だ。
「すんごい数……でも、多分……」
此処にはあるはずだ、この世界の歴史に関する書物が。
暫くの間、図書館を彷徨っていると、背表紙に気になる文言が書かれているものを見つけた。
「「海棠家の歴史と変遷」……ね」
ホロウは徐ろにその本を取り出し、近くにあった椅子に腰掛け、読み始めることにした。
読み終える頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。
まだやれることはあるはず。会いに行かないといけない者の元へと足を運ぶ。
「ちょっとだけ眠いけど、やれることは全部やっておかなきゃ。後悔はしたくないし」
眠い目を擦るその様は、本当にただの年頃の少女にしか見えていなかった。
この世界へと迷い込んだ少女は覚悟を決めるべく、一度破ることの出来なかった扉の前に立つ。
赫の悲劇まで、もう幾許の時間すらない。