第五話 成長
へメラさんを助ける。それが僕に課せられた、次の指令。
もし本当に、僕のおじいさんが英雄、神寺宮炸人だとしたら、僕も彼と同じ属性の魔法――炎の魔法が使えるかもしれない。
でも――なんの練習もなしにいきなり実践だなんてきつすぎる。ニュクスはへメラさんを非力だと言ったけれど、僕はもっと非力なんだ。
「確かに練習はちてまちぇん。けど、やり方ならちゃんとあたちが書いたでちゅ」
かなり耳障りな、しかし憎めない甲高い声。今は彼女の登場すら頼もしかった。
「エア!」
「まったく‥‥‥ちゃんとあたちの魔法の教科書を読んだでちか? 説明も聞かない、本も読まない、なにができるでちか?」
‥‥‥推定年齢5歳の幼女に、こうも煽られると頭に血が上りそうになる。
「お、すこしパワーが上がったでちよ」
そんな僕の思惑をよそに、エアは軽口を叩いた。
「え?」
「ちょっとおこってるでちか? 炎属性の《感情》のキーは、《情熱》でちゅ」
「《情熱》――」
エアは、歌でも歌うかのように、流れるように語った。
「『誰かを守りたい――そのために敵を滅する』。そんな心意気が《情熱》を高め、炎の魔法を発現させるでち」
「誰かを守りたい――」
「あ、ちなみに今のは英雄しゃんのおじいさんの言葉でちゅ」
僕のおじいさんが、そんなことを言っていたのか。
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「ハーノタシア星に行って魔王を倒してほしいんです!」
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「お願いしまちゅでちゅ、英雄しゃん!」
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僕は、この星のことをまだ何も知らない。《悪魔》だとか風の妖精だとか時の魔王だとか、正直くだらなくて馬鹿らしい存在とさえ考えている。
でもただ1つ確かなことは、俺は二人からお願いをされたんだ。お願いされたからには、逃げる訳にはいかない。それに――。
闇魔族とずっとしていたネトゲ――僕はあの世界にずっと憧れを抱いていたんじゃなかったか? 《悪魔》や、風の妖精や、時の魔王に一度でも会ってみたいと、そう心の中で感じていたんじゃなかったか?
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「嫉妬しないでね、お兄ちゃん!」
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僕は3年前の、妹の言葉を思い出す。
「嫉妬なんかしないよ――僕、少し楽しみだ」
その瞬間、僕の両手が紅く燃え上がった。
「うわっ!」
「火傷の心配はないでちゅよ。新米でも英雄しゃんは炎の能力者でちゅから」
「そ、そうか」
「両足も同じように点火してるでちゅ。これでジェット飛行が可能でち」
そこまで説明すると、エアは僕の高揚感に呼応したのか、ニヤつきながら僕を見送った。
「その力で、へメラを助けて下さいでちゅ。英雄しゃんなら、きっとできるでち!」
「ああ!」
大きく1歩を踏み出す。一瞬、バイクのエンジンのような低い音がしたかと思うと、僕の体は宙に浮いていた。
「とどめだ!」
黒タイツが黒いモヤをへメラさんにぶつけようとする。僕――俺は両手の炎を横に引き延ばして、バリアを作った。
「なんだ貴様は‥‥‥あつっ!」
黒マスクのモヤは消え去り、彼の右手は黒焦げになっていた。
「貴様は――炎系能力者か!」
「へメラさん、遅れました」
俺がへメラさんに駆け寄ると、へメラさんは胸をなでおろしたようだった。
「はー‥‥‥あと2秒遅かったら、私は呑まれていたわ」
呑まれる――?
「さて、もう一人もお願いできるかしら?」
へメラさんのいたずらっぽい笑み。明里さんに本当にそっくりだ。
「ああ、もちろん!」
**
「そう、だな」
私は、正直なところ腑に落ちないでいた。しかし、ネクローにはネクローの葛藤があったのだろう。私や、私の仲間たちにはわからないような悩みや苦しみ、そして⦅絶望⦆が。
「私は、《絶望》の使徒と化したのです。方法は何でも良かった。時の魔王でなくともね」
「‥‥‥」
私は、悲しげに語るネクローの言葉の続きを待った。
「水にしてもミルクにしても涙にしても、失ったものはかえってこない――そんなことなら、子供だってわかります。その意味で言うなら、私たちは常に時の魔王の呪縛に囚われている」
「しかし、あれは――ネクス、君との日々は――誰にも邪魔されない、僕たち二人だけの、平和で普通の日々だったはずだ」
砕けた話し方をするネクローの両目には、涙が浮かんでいた。
「君は僕みたいに――異質になる必要なんてなかった。いたいけな少女を《悪魔》に変えた、神寺宮炸人こそが悪魔なんだ」
いたいけな少女、か。私が《悪魔》でなかった頃――ニュクスではなく、ネクスだった頃のことを、私はもう忘れかけている。しかしネクローは、彼の時は――60年前から1ミリたりとも動いていない。
「そんな時代もあったな。私が無能であった頃が」
私が自嘲的に言うと、ネクローはすぐさまそれを否定した。
「能力を持つこと――それが是とされるのは野蛮な戦争時代です。あなたはその世代ではなかった。《力》を見出した僕はともかく、――あなたには、美しい未来と輝きが待っていたはずなのです。そんな――そんな悲痛な姿にならずともね」
ネクローはもはや、流れる涙を止めようとはしなかった。
「美しい未来と輝き。そのために、へメラがいるんだ」
私は、ネクローの作り出した触手を指の先でつついた。
「私たちは闇を糧とし、《絶望》の混沌を好む――しかし反対に、光属性は光を糧とし、愚直とも言うべき《希望》の閃光を信じる――光の《感情》、それが人々が《希望》と名づけたものだ」
「そう、ですね」
ネクローは力なくうつむくと、ロッドに巻き付いていた触手を消滅させた。
「!?」
「興が削がれました。今回はここまでにしましょう」
両手を高く上げ、お手上げのポーズをしたネクローは、深く息を吐いた。
「――どうか、ごきげんよう。また、すぐに会いましょう」
そして奴は、瞬間移動で忽然と消え去った。
**
「手加減はしません。一度きりの勝負です」
**
私は、奴の言葉を反芻する。
「昔から、嘘ばかりつく男だったな」
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「へっ、このガキがどうなってもいいのか?」
「しまった!」
俺が一人目の黒タイツと闘っている隙に、2人目はエアを人質にとっていた。
「うええん、こわいでち~」
「くそ! 汚いぞ!」
「突然割り込んで傷めつける貴様のほうが汚いのだ」
「2人がかりで女性をいじめるお前らのほうがひどいだろ」
「うるさい! このガキが殺されたくなかったら、おとなしく投降しろ!」
くそ――へメラは闘える状態じゃないし、これじゃあ俺も手が出せない。状況は最悪だ。
「エア、お前成長できないのか、俺の家でやったみたいに!」
「無理でち~。あれは英雄しゃんの身体の一部に触れていなければできないでちゅ」
エアの小さな体は、汗と涙とよだれでベタベタになっていた。
「朔くん」
へメラが、僕に囁く。
「私が奴の眼をくらませるわ。その一瞬の間にエアを助け出して」
「えっ、でも大丈夫なんですか? 身体は――」
「心配しないで、それより、あなたの今の足でも、チャンスは一瞬――逃さないで」
疲労を身体いっぱいに溜め込んだへメラの髪を汗が伝った。その汗は水晶玉のようにキラキラと輝いていた。
「はっ!」
突如、俺達の周りが光り輝く。強い光を背に受けながら、俺は発進する。
「う、うわ! なんだ!?」
「英雄しゃん!」
間に合え――。
その瞬間、黒タイツがニヤリと笑った。
「なんてな。小僧、俺が闇属性で残念だったな! 光の魔法を遮れるのだ!」
見ると、黒タイツは眼に黒いゴーグルのようなものをしていた。おそらく具現化したのだろう。
ダメか。
「死ねぇーっ!」
今度は具現化した大鎌。まっすぐに僕に振り下ろされる。
――くそ、俺の英雄伝はここまでか――。
俺は、自分の指が、エアの赤髪の先に触れていることに気が付いた。でも、もう遅い。こんな訳の分からないところで、俺は――。
その瞬間、俺の目の前を一迅の風が吹き抜けた。それは俺の肩に乗り、姿勢を低くしたかと思うと――思い切り、跳んだ。
幼女の頃より随分大きくなったツインテイルの輪っかを、俺は一瞬だけ、眺めることができた。
俺のジェット飛行よりずっと速い。これが、エアの《力》――。
「がっ!」
エアは小さな風の渦を黒タイツの喉に発生させ、絞めて気絶させた。
「よっ、と」
推定年齢15歳の少女は、緑の髪を揺らしながら戻ってきた。
「風の《感情》のキー――それは風が吹き抜けるのを待ち続ける《信念》――私、英雄さんのこと信じてたよ。ありがと」
その微笑みは、どこかニュクスに似ていた。
※校正(16/1/12)
・アスタリスク校正
・段落校正
・《》関係校正
・朔の一人称変更。「俺」の状態で「ヘメラさん」と呼ぶのは最初の1回だけ
・俺は、自分の指が、エアの赤髪の先に触れていることに気が付いた。でも、もう遅い。こんな訳の分からないところで、俺は――。 を追加。
(朔がエアに触れた描写がない)
※校正(17.1.30)
・段落校正
・《》関係校正
・朔の一人称変更




