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僕はヒーロー  作者: 緋色の石碑
第零章 遠く遠く、喪失と忘却の彼方に始まりはあった
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水の英雄 コロウ①

「水は、条件によっていろいろ姿を変える――熱い水、冷たい水……。気がついたらドロドロ手にまとわりついて、これは、なに?」

 ニーナさんの埋葬が終わった。ダグラさんは、焼け焦げた小さな家屋のそばにニーナさんを埋めながら、静かに涙を流し続けた。エアは大声をあげて泣き、私も、ほんの少しだけ、泣いた。


 ただ一人、ニュクスだけが、厳しい顔つきで虚空を睨み付けている。


「もう泣くな、エア」


 あの後、クライムは無様にも退散した。ニーナさんの埋葬が終わったら、ニュクスはすぐにでもあいつにとどめを刺すつもりだった。でも、私には不安がある。


 ネクロ―は、本当に封印されているのだろうか?


 小夜嵐の言うことを信じるなら、美海さんを殺しかけた時にネクロ―は封印された。だけどあの世界で炸人さんが言っていたように、あれほどの実力者がそれで終わるとも思えない。とはいえ、私の仮説には確証なんてない。女の勘、いや、ニュクスの《影》の勘だと言っていいかもしれない。


 多分、ニュクスだって、薄々感づいているはずだ。あの男はどこかで生きている。何か、手を打たないと――。


「ねえ、――」


「しっ! 何かが、何かが近づいて来るでごさる!」


 最初に異変に気が付いたのは、ホクスイだった。この闇の力――ネクロ―だ!


「ニュクス!」


「ネクロ―だろうがクライムだろうが同じことだ――私がケリをつける」


ニュクスの眼は異常なほどに燃え盛っていた。完全に冷静さを欠いている。危険だ。


「今のニュクス、力の制御が出来てない。さっきのダグラさんと同じだわ! やめて、今は逃げましょう」


 私の提案に、ニュクスは痺れを切らして吐き捨てた。


「ヘメラ! 今は悠長なことをしている場合じゃない! 早くしないと、奴はシーボルスのように世界を恐怖に陥れてしまうぞ!」


「クライムがまたやってきてもみんなで戦えば勝てる! ネクロ―はニュクスが動かなければ手荒な真似はしないわ! 今の私は敵なんかよりあなたの方が心配なの」


「手荒な真似はしない、だって? 現に奴は炸人さんや美海さんを手にかけたじゃないか!」


「そ、それは……」


 ニュクスの言うことは正しかった。やはり戦うしかないのだろうか。私はもううんざりだった。みんな優しかったあの日々に戻りたい。


「弱気になるな、ヘメラ。私とエアでかかれば倒せる。絶対だ」


 決定しかけた戦闘に反対したのは、ダグラさんだった。


「やめたほうがいい」


「ダグラ! お前も物わかりの悪い奴だなぁ!」


「もう一人……もう一人いたんだ」


「え?」


ダグラさんがこぶしを握った。拳も、唇も激しく震えている。


「お前たちが到着する前、俺の家を燃やし、俺たちの子どもを殺した人物――クライムという男には、もう一人仲間がいる」


「なんだと?」


「何か嫌な予感がする――ニュクスだったな。ここは退け。あと、年長者には礼儀正しくするものだぞ」


「あんたの意見には賛成できないな。私はケリをつけるぞ、いますぐに」


 闇の力が迫ってきていた。これ以上口論している時間はなさそうだった。


「どうするの?」


「ここは退きましょう。ニュクス殿、どうか承知してくれませぬか。拙者らの隠れ里へ案内いたそう」


「わかったわ、ホクスイ。ありがとう」


「待て! 私は納得してないぞ!」


「お母さん、行こう」


 エアが静かに、でも力強く言った。有無を言わせない語気だった。少し悔しそうにしたあと、ニュクスはやっとのことで従った。


「ちっ……わかったよ」



 「ねえ、ホクスイさんは水の能力者なんでしょ?」


 水の国にあるホクスイの隠れ里にいく途中、エアが訊いた。エアの背中には、ダグラさんと炸亜も乗っている。


「左様。水の英雄、コロウ殿に修行をつけてもらい申した」


「コロウさんって、どんな人だったの?」


「拙者より、ダグラ殿のほうがよく知っているのでは?」


「あいつは、寡黙で自分に厳しく、孤独な奴だったよ――死ぬときさえもな。本当にあいつらしい死に方だった」



*******************************************************************

 「新婚旅行?」


 炎の国、炸人と美海の住む小さな家を訪れた時、俺は耳を疑った。


「ええ、シーボルスを倒した記念に、って。おかしいよね、もう一年も前なのにさ」


 クスクスと笑う美海に、俺は見惚(みと)れてしまう。だが、心配なことはいくつもあった。


「新婚旅行だって? シーボルスを倒したとはいえ、まだ世界中に残党どもがうろついてるんだぞ? そんなうかれた気持ちで行くのは危険すぎる」


「そうね」


美海は、俺の言うことを素直に認めた。そこだ、そういうところだ。炸人なら、俺の言うことにはなんでも反発して、「いいじゃねえか」とか言うに決まっているのに、なぜお前は聞き分けがいいんだ。そして、分かっていても行くんだろう? 俺の言うことを理解しているのに、なのに炸人を選ぶのだろう?


「旅行先で力を使うつもりじゃないんだろう?」


「そうね、新婚旅行だもの。平和に行きたいわ」


「平和、か……」


 シーボルスが没して1年。確かに俺たちの住む世界は平和になった。だがそれはあくまで表向きの話だ。シーボルスに仕えていた下っ端たちが、まだいたるところに潜んでいる。


「どこへ行くんだ」


「植物の国よ。気候もいいし、草花が綺麗だし、ちょっと旅行に行って、良かったら植物の国に移住しようと思ってるの」


「移住……なるほどな」


 美海は考え込む俺を、体をかがめて上目遣いで見た。その水晶のようにきれいな瞳に、吸い込まれそうになる。なぜ、なぜ俺はこの女にここまで惹かれるのだろう。


「反対、って顔してるわ」


「そりゃあな」


「コロウの言ってること、分かるわ。まだまだこの世界は、本当の意味で平和じゃない。だけど、いつまでも動かないでいたってつまらないもの。せっかく魔王を倒したんだから、幸せを享受したっていいわ」


「植物の国に行くんだな。怪しい奴がいないか視察してきてやる」


「え?」


 きょとんとした美海の顔。この生娘(きむすめ)は、出会った時から全く変わらない輝きを放ち続けている。その白くきめ細やかな肌。豊満な胸。細くすらりとした脚。俺は《冷静》以外の感情など、いらないもの、戦闘において邪魔なものだと思っていた。だが今は、激しい感情に囚われて身動きができないでいる。


「あのバカはどうしてる」


「炸人なら、光の国でラグラムさんとダグラとお酒を飲んでるわ。ラグレムさんがいいお酒を買ったんだって」


「あのバカ……。」


 俺は心の中で舌打ちをしてから、美海に背を向けて歩き出した。


「え、帰っちゃうの? 炸人なら、夜には帰って来るわ」


お前に会いに来たんだよ、という言葉を呑み込み、俺は右手を上げた。



 「で、なんで私を呼んだの」


 ふくれっ面で不平を言う少女。美海と異なり、こいつは褐色だ。だが、子どもらしい純真な煌めきは、こいつとて持っている。


「仕方ないだろ、植物の国の知り合いなんて、俺にはお前しかいないんだ」


「ガイドブックとか、人に訊くとか、いろいろあるじゃん! 私今日はお友達と遊ぶ約束してたのになぁ」


「友達? 能力者か」


「違うよ! 学校の子」


 学校。懐かしい響きに俺は危うく卒倒しかけた。フロスト軍に入るまでの数年間しか、俺は学校に行っていない。おそらくラグレムもそうだろう。炸人は赤ん坊の時にこっちに来たと聞いたから、ほとんど学はないはずだ。


 それに引き換え――別に嫉妬なんかじゃないが――平和な時代を生きる子供たちには、学校という居場所があるんだな。それに、能力を持たない人間と能力者が共存できているなんて――。


 「ちょっと、聞いてるの?」


「すまない、なんだって?」


「もー、知らない!」


「すまなかったな、とにかく頼むぞ、ニーナ」



「ねぇ」


「なんだ」


 人気のない森を歩き始めて少し経った頃、ニーナが口を開いた。


「私を呼んだのって、寂しかったからでしょ?」


無視する。


「ねぇ」


無視する。


「ねぇ!」


「なんだ!」


 いらいらして振り返ってしまった。大きな瞳が、俺を捉えて離さない。


「コロウって、美海のこと好き? 私は――炸人のこと好きだよ」


 無視しようとしていた。だが、その言葉は無視することができない。かといって、答えることもできなかった。その時。


 「なに、この気配!?」


「睨んだ通りまだ大物が潜んでいたみたいだぜ――ニーナ、お前はここに残ってろ」


読んでいただきありがとうございました。まーた話数が増えた……。余計な会話をそぎ落とそうと努力したのですが、本当にすみません!

次回、「水の英雄 コロウ②」。お楽しみに!

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