第十七話 どんぐりの心
「ええと……、」
何を言うつもりだったっけと記憶を探る。気後れした様子で隣を歩く彼女を意識しながら。
「あの、ありがとう。」
彼女がサッとこちらを向いた。高校に入ってから、何度も彼女が驚く顔を見てきたなあ……なんて、頭の隅で思いながら続ける。
「俺のこと、ずっと見捨てないでいてくれて。」
笑顔を向けても、彼女は困ったような表情のまま。
「あのときにどんぐりからのメールが来なかったら、俺、どうなっていたかわからない。投げやりになって暴力振るってたか、学校に行かなくなってたか……、とにかく、今とは全然違ってたと思う。今の俺は、どんぐりがいてくれたからあるんだ。本当に感謝してる。ありがとう。」
お礼を言うと、彼女は「そんなこと……」と言って下を向いてしまった。少し泣きそうになってしまったらしい。そんな彼女に、俺も切なくなってしまう。それを振り払って、次の言葉を続ける。
「それで……、それであの……」
軽く咳払いをして覚悟を決め直す。立ち止まり、視線をまっすぐに彼女に向ける。
「俺は、久野樹のことが好きだ。」
彼女の肩が緊張で固まった。それからゆっくりと顔を上げる。その瞳を見返して。
「それを今日、どんぐりに会ったら言おうと思ってた。どんなに反対されても気持ちは変えられないって。だけど……。」
そこでまた恥ずかしさがぶり返した。思わず下を向きながら手で頭を掻いてみたりして。
「もう知ってるよな? あんなにメールに書いたんだから。」
言いながら、ますます恥ずかしくなる。相手が本人だとは知らずに、どれほど思いのたけを書いたことか。でも、それは仕方ない。好きで好きでしょうがないんだから。
照れくささをごまかすために歩き出すと、彼女もためらいがちに歩き始めた。
「あの……。」
隣から声がかかる。
「あたしのこと、怒らないの……?」
「え? どうして?」
「だって、だましてたから……。」
自分を隠したこと?
「だましてたんじゃないよ。黙ってそばにいてくれたんだ。そうだろ? 俺にとってはそうだったよ。」
「でも……。」
彼女は納得できないらしい。
「俺は、どんぐりが久野樹で良かったって思ってるよ。」
久野樹に笑ってほしくて、明るく言ってみる。
「……そう?」
「うん。だって、会うって決めてからずっと、栗木に何て言って断ったらいいのかって考えどおしだったんだから。くくっ。」
あんなに悩んだことを思い出すと、自分で笑わずにはいられない。
「栗木くん……? さっきも栗ちゃんのこと言ってたよね? ……あ! もしかして、どんぐりは栗ちゃんだと思ってたの?」
「ん? ああ、そうなんだ。ふふっ。」
くすくす笑い続ける俺を久野樹が怪訝そうな顔で見上げる。
「断るって、何を?」
「いやその、何て言うか、横谷がね。」
「横谷くん? 横谷くんに話したの?」
「あ、うん、そうなんだ。それであいつが、くふ。」
「横谷くんが何て言ったの?」
「え? いや、それが……。」
言うかどうか迷う俺を、久野樹はじっと見つめて待っている。
「ええと……、栗木が、まあ、俺のことを好きなんじゃないかって――」
「えぇっ!? なんで!?」
「いや、まあ、あのメールがさ、久野樹のことでやきもち妬いてるみたいだって。」
「うそっ!?」
驚いた彼女が立ち止まる。
「そんなつもりじゃなかったのに!」
彼女の驚きようが気の毒な反面、可笑しくて、真面目な顔をしようと思ってもできなかった。
「今はわかるよ。でも、あのときはさ、どうしてどんぐりがあんなに反対するのかわからなかったんだよ。……あ。」
俺が気付くのと同時に彼女もハッとした様子で俺を見つめた。嫌な予感が頭をよぎる。何秒間かの沈黙のあと、ようやく問いを絞り出した。
「久野樹……、もしかして俺のこと、好きになれないの、かな?」
深刻になり過ぎない言葉と表情を装う。
「だから俺にあきらめさせようとした? あれはそういう意味?」
「あ……、あれは……。」
また彼女が申し訳なさそうな顔に戻ってしまった。
「あたし……卑怯な気がして。」
「卑怯って……?」
「だって、山根はなんでもメールで話してくれてたでしょ? なのにあたしは自分のことは隠したままで……、そんなのずるいでしょ? 図々しいよ。」
その答えに俺の緊張が解けた。
「だから、俺にふさわしくないって書いた?」
「それだけじゃなくて……。」
下を向いた久野樹が、答えるのを避けるように歩き出した。
「久野樹?」
追い付いて呼びかけると、歩きながらちらりと俺を見る。そのまま黙って隣を歩いていたら、彼女が小さくため息をついた。
「……あたし、自信がないの。」
「自信?」
「そう。だって、山根はスポーツが得意で勉強だってできるでしょう? でも、あたしは愚図でぼんやりで強情っぱりで。山根にはもっと――」
「でも、やさしいよ。」
久野樹の言葉を遮った。
「いつも俺の気持ちを考えてくれた。俺を断ろうとするのも、そういうことなんだろ?」
今の言葉を聞いてよくわかった。久野樹はいつも、俺のためにどうすれば良いかと考えてくれている。
だからこそ、ますます。
「俺、久野樹のこと好きだ。俺には久野樹しか考えられない。」
彼女は何かを言おうとしたけれど、言葉は出て来なかった。
「ねえ、久野樹。」
そっと、ゆっくり問いかける。
「俺のこと、好きになれないかな? 友だちじゃなくて、もっと。」
俺はきっと、今までの人生で一番やさしくて、そして気弱な顔をしているはずだ。だって、彼女を想う気持ちで体中がいっぱいで、同時に答えを聞くのが怖いから。
「俺、久野樹と一緒にいるのがすごく楽しい。久野樹は……違う?」
「あたし……」
彼女が困ったように視線をさまよわせる。一瞬、ちらりと俺を見て。
「メールだけじゃなくて、リアルの久野樹にいてほしい。」
俺の視線を受けて、彼女がまばたきをした。それから。
「あたしもね……、」
恥ずかしげに微笑む。
「山根と話すようになって思った。メールよりも、直接話す方がずっと楽しいな、って。」
「今も?」
「……うん。今も。」
(やった!)
意見が一致した! 気持ちもきっと同じだ。
「ありがとう。」
晴々とした気分。思わず合唱部で練習中の歌を歌い出しそうになった。でも、さすがにそれは恥ずかしいので我慢して、少し大股で歩いてみる。しばらくそうやって並んで歩いていると、やがて彼女は肩の力を抜き、静かに微笑んで俺を見上げた。
「あのときね、あたし、すごく悔しかったの。」
「あのとき?」
「うん。初めてメールを出したとき。小学校のころは元気いっぱいあたしとやり合ってた山根があんなふうにターゲットにされるなんて本当に悔しかった。絶対に負けてほしくなかった。」
その悔しさを思い出したのか、少し厳しい表情をする久野樹。
「ありがとう。」
もう一度お礼を言うと、彼女の表情がやわらいだ。やさしい表情は彼女に一番似合う。ずっと見ていたい。
「だけど、」
気になることが。
「俺のアドレス、よく知ってたな。」
「ああ、やっぱり忘れてるんだ。」
彼女がニヤッと笑った。
「小学校の卒業式の日にみんなに配ったじゃない。たくさんメモに書いてきて。」
「え……? あ!」
そうだった! スマホを買ってもらったことが嬉しくて。
「最後の方は口を利かなかったけど、クラスのみんなと同じように渡してもらえてほっとした。それを使う日が来るとは思わなかったけど。」
「そうだよなあ。」
あんな小さなメモを取っておいてくれた。そのこともまた嬉しい。
「本当に久野樹で良かった。」
しみじみと満足感を味わう。ついでにもう一つ、尋ねてみたくなった。
「どうして<どんぐり>だったんだ?」
「え、だって、」
まっすぐに俺を見る久野樹。そのぱっちりした目が可愛くて楽しくなる。
「山根だから。」
「は?」
「ほら、あるでしょ、宮沢賢治の。」
「え?」
もしかして、宮沢賢治の作品名……?
「あれは<山猫>だろ!? 『どんぐりと山猫』!」
「山根と山猫、似てるじゃない。」
「そうだけど……。」
いい加減な! あの名前が、どんぐりが栗木だと思った根拠の一つでもあったのに。
「それに、あたしの名前、『くのぎ』でしょ?」
「ああ。」
「『くぬぎ』と似てるでしょ? クヌギの木にもどんぐりがなるんだよね。」
「ああ……。」
そんな適当な連想じゃあ、どんぐりの正体がわからなかったのも無理はない。まあ、彼女は自分を隠したかったわけだから、それは成功したんだけど。
「ねえ、山根?」
「ん?」
「もう<どんぐり>は要らないよね?」
彼女がそっと言った。見返す俺にやさしく微笑む。
「横谷くんがいるもんね? どんぐりのことを話せるくらい仲良くなったんでしょう?」
「うん。」
それには迷わずうなずくことができる。そう。俺には新しい親友がいる。
「でも、久野樹は要るよ。」
隣の手を握って、二人の間で持ち上げる。
「メールだけじゃなくて、生身の久野樹。ナマ久野樹。」
「なんかそれ、変な言い方だね。」
「そう? あはは。」
「じゃあ、山根はナマ山根? あはは、早口言葉みたい!」
「たしかに。しかも、なんだか気持ち悪いし。ナマヤマネ。ぷふ。」
くだらない会話で笑う。こんなテンポの良い楽しさは、メールでは味わえない!
「なあ、今度、動物園にヤマネを見に行こうぜ。」
「あ、そうだね。うん、行きたい。」
やっと素直にうなずいてくれた。明るく笑う彼女が大好きだ!
「それから、朝は駅の改札口で待ち合わせよう。」
「改札口? ホームじゃなくて?」
「うん。少しでも長く一緒にいたいから。」
ほわっと彼女が頬を染めた。それから軽く肩をぶつけてくる。
そんな反応を楽しみながら、心の片隅に小さな罪悪感が。
(たまには一緒に満員電車に乗るのも楽しいし。)
いつかの朝を思い出して、胸がドキドキしてしまう。
(うーん、一週間に一回じゃ多いかな……。)
何も知らずに隣を歩く彼女。
(もちろん、そのときには俺がしっかりとガードをするからな!)
思い出と想像で頭の中がいっぱいになって、気付いたら久野樹を真剣に見つめていて――。
「な、なに?」
思いっきり引かれてしまった。
--------- おしまい ----------
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
謎を抱えたまま物語を進めるのは初めての挑戦でした。
気付いてしまったお客様には面白くないかも知れない…と不安でいっぱいでした。
気付いても気付かなくても、楽しんでいただけていたらよいのですが。
完結から復活させたおはなし集『Love Letters』はこれで本当の終了です。
最後に一つお手紙を載せようかと思っていたのですが、ハッピーエンドにならないのでやめました。いつかどこかで使えるかも?
今回も、読みに来てくださったみなさまのおかげで、無事に完結させることができました。
ブックマークやポイントを入れてくださったみなさま、日々お立ち寄りくださったみなさまに、心からお礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
次は社会人を主人公にしたおはなしを予定しています。
またご縁がありましたら、お会いしましょう。
では、みなさまにも、楽しく、HAPPYなことがたくさんありますように!
虹色