エピローグ
Last day UNLIMITED GOLD RACE(大会最終日 アンリミテッド ゴールドレース 結果発表)
1. エドワード・R・エドワーズ
2. ジャック・イェーガー
3. リチャード・ボング
4. 雑賀忍
5. ジョン・ランダース
6. ピエール・クロステルマン
7. ライル・ダンダス
8. ジョニー・ジョンソン
リノ・エアレース アンリミテッドクラス
総合優勝者:エドワード・R・エドワーズ
地平線に差し掛かる夕日が、大地を赤く染める。
一日の終わりを告げるそんな情景が、レースは終わったのだという実感を否応もなく忍に与えた。
表彰台に立つ栄えあるパイロットたちを、その脇から眺める。
リノ・エアレースの閉会式が始まっていた。
イタリア系アメリカ人の陽気な司会が、各クラスの優勝者たちをユーモアを交えながら紹介していく。優勝者には賞金も出ることは出るのだが、そんなものは機体の改造費を考えれば雀の涙といったところ。ここに集まるパイロットたちは、みな世界最速のパイロットとしての栄誉を得るために空を飛んでいる。
湧き上がる優勝チームの歓声と、それを褒め称える温かい拍手。いい光景だ。
そして司会がいよいよアンリミテッドクラスの紹介を始める。
メインイベントということもあり、アンリミテッド・ゴールドレースの参加者に限っては全員が紹介されることになっていた。8位から順番に紹介が始まり、いよいよ忍に順番が回ってくる。過激な格好のコンパニオンに先導され、4位から5位の三人で表彰台の前に立つ。
「……そして惜しくも表彰台を逃したのはこのリノ・エアレース・アンリミテッドの歴史において初のアジア人参加選手であるシノブ・サイカだ! 東洋の神秘、ジャパニーズニンジャは、隠し玉の機体『シンデン』を駆って鮮烈なデビューを果たしてくれた! ブロンズクラスから上位を狙ってひたひたと順位を上げていく姿はまさにニンジャ! みんな、彼の健闘を称える盛大な拍手を送ってくれ!」
司会の煽りに、ノリのいいアメリカ人たちは一斉に声を上げる。
ニンジャ、ジャパニーズニンジャの連呼。
恥ずかしいことこの上ないが、片手を振ってそれに応える。
もう、完全にニンジャで定着してしまったことに肩の力が抜けそうになる。
そしてこの絶大な宣伝効果を目にしたスポンサー・シニアが、これ以後の改名を許してくれることなどおそらくありえない。忍はこれからもニンジャの名のもとに空を飛ぶことになるはずだ。というか、今朝起きて震電を見に行ったら、いつのまにか機首と胴体側面に『忍』の漢字が入っていた。おやっさんたちの仕業に違いない。ちょっとレーナの前では口には出せないような品のない単語を吐き出したくもなろう。
唯一の救いは、レーナとマコトが我が事のように嬉しそうに手を叩いてくれていることぐらいか。
レーナ。彼女とは出走前に話したきりだったが、彼女を見るだけで気分が高揚する。
ふと視線がぶつかって、思わず目をそらしてしまった。子供じゃあるまいし。
だが、その一瞬、彼女も同じように目をそらしたように見えたのは、気のせいだっただろうか?
「……さあ、いよいよ1位の発表だ! といっても、みんなもう知ってるだろ? キングオブアメリカ! エディ・ジュニアことエドワード・R・エドワーズだ! 愛機『Naughty Cat』は今回も他を寄せ付けない圧倒的な飛行を見せつけてくれた! さあみんな、もう一度だけ手を叩け! 声を上げろ! 彼の栄光と、彼をぶっ倒す未来のチャンピオンの到来を願って!」
一際大きい歓声と拍手。
同時に、このタイミングを計って飛来した二機のエアロバティックス機が空に大きなハートを描く。
仕上げにもう一機がハートの中心を真っ直ぐに貫き『ハートを貫く矢』を見事に描き出した。
いつまでも絶えない拍手と歓声に合わせ、忍も手が痛くなるまで叩き続ける。
ヒゲ面に満面の笑みを浮かべたエディは両手を浮かべてそれに応えている。
「……そして、大会スポンサーの一人であるご存じエディ・シニアからは、閉会式の後に『ある発表』があるそうだ。まあ、みんな内容は何となく分かってるだろ? 気になる奴は、このままここに残っていてくれ。それじゃ、ここにリノ・エアレースの閉会を宣言するぜ! 全ての空を愛する野郎ども、来年もまたここで会おうぜ! グッバイ、アディオス、アデュー、サヨナラ!」
各国語でさようならを並べて壇上を降りる司会の男に、笑いと温かい拍手が送られる。
例年ならばそれで散会となるのだが、今年は当然のことながら誰もその場を動こうとしなかった。
高まる期待感の中、エディ・シニアが車椅子を押されて姿を現すと、親しみを込めた調子で「シニア」「少佐」の名が呼ばれる。当の本人は素っ気ない敬礼を返すだけだが、みんなそれが彼の照れ隠しであることはもう分かっているので、会場は和やかな雰囲気に包まれる。
発表は、そんな雰囲気の中で始まった。
大戦機復元プロジェクトの新たな一機『震電』の概要と今後の一般販売予定。
そしてレーナたち『R.S.S』が『ライトニングフライヤ』の傘下に入りつつも存続すること。
淡々とした、事務的とさえも言える口調でそれを語り終えたシニアが、自分で車椅子を操って退場しようと車輪の手すりに力を込めた、その時。
「待ってくれ、俺からも話したいことがある」
割って入ったのは、エディだった。
会場がざわめく中、壇上に上がってマイクを手に取ったエディは、ちらりと忍に目をやる。
ふと、大会五日目にレースが終わった後にエディと交わした会話を思い出す。
珍しく歯切れ悪い口調で、彼は『最終日に話す』とだけ言っていた。
何となく、そのことについてだろうと直感する。
「あー、その、なんだ……」
何から話したものか、といった風情で頭を掻くエディ。
シニアと違って、口の上手くない彼はこういう場を苦手とする。
そんな彼をパイロット仲間たちが軽く囃し立てると、それに緊張を解かれた様子でようやく話し出す。
「まあ、結論から行こうか。……俺は、今年を限りにエアレースを引退する」
ぼそぼそと呟くように発された言葉は、静かに波紋を広げていった。
今、彼は何と言った?
誰もが、聞こえた言葉が信じられないと言うように周りの人間と囁きかわす。
そして、囁きは徐々にどよめきと驚愕の叫びに変わっていく。
なぜだ、理由を言え。そんな叫びを受けて、エディがまあまあ、というポーズを取る。
どよめきが収まったのを受け、再び口を開く。
「……ありがとな。引退を惜しんでくれるのは嬉しいよ。けど、もう俺も歳だしな、後進に道を譲ってやらないと、って、思ったんだが……」
言葉は、湧き上がる怒号でかき消された。
ふざけんな、勝ち逃げする気か、俺が引導を渡してやるからそれまで飛べ、等々。
忍も、同感だった。
やっと、同じ場に立てたと思ったのに。
いつか、抜き去ってやるつもりだったのに。
その機会を、自分から永遠に奪い去るつもりなのか。
熊が困ったような様子のエディに、もどかしいような気持ちを抱く。
「…………あー。これは、言わずにおこうと思ったんだが、すまん、やっぱり隠すのは良くないよな。……あのな、実は医者に言われちまったんだよ。もう飛ぶなって。……目の病気なんだと。高Gのかかるエアレースで飛び続けたら失明するんだとさ」
ちょっと困ったことになった、といった軽い調子でエディが言うと、会場は途端に静まる。
目の病気?
初耳もいいところだった。
エディがそんな素振りを見せたことは一度もない。
隠していたのか。ちくしょう。なぜ相談してくれなかった。
一人で抱え込んでいたエディと、気付けなかった自分の両方に腹が立つ。
そんな忍の想いを知ってか知らずか、飄々とした様子でエディは続ける。
「ほらな? だから言いたくなかったんだよ。ま、というわけでエディさんは今日を限りにレースを止める。と言っても、飛行機と関わること自体を止めるつもりはないんだ。明日からはパイロットじゃなく、メカニックのエディさんってことで、みんなよろしく頼むぜ。みんな知ってるだろうが、うちのレーサーどもは早いぞ?」
エディの言葉で、自然と注目が忍とレーナに集まる。
急に視線を集めたことで戸惑っていると、側にレーナが寄ってきた。
「ほら。私たちも行きましょう?」
「え、どこに」
「間抜けなこと言わないで。壇上に決まってるじゃない」
レーナはそう言うと、忍の腕を掴んで壇上へ歩を進める。
その途中で、あまりに情けない構図であることに気付く。
慌てて前へ出るが、もう遅い。
口笛と冷やかしが飛び交う中、エディの隣に二人で並んで立つ羽目になる。
くそう、アメリカ人どもめ。なんなのだこれは。
「というわけで紹介に預かりましたレジーナ・J・ミッチェルと……」
名前ぐらい自分で言え、という視線が横顔に刺さる。
「……シノブ・サイカです」
渋々告げる忍に一睨みくれると、レーナはにこやかな表情で群衆に向き直る。
「エディ・シニアの発表にあった通り、私たち『R.S.S』は今日から『ライトニングフライヤ』のヨーロッパ支部として活動することになります。シニアの好意により、チーム名もそのまま残してもらえることになりましたので、これまでと変わらないご厚情を頂ければと存じます」
レーナはそこでいったん言葉を切る。
「エディ・ジュニアの引退はとても残念なことです。しかし私たち二人は、彼の遺志を継ぎ、誇りあるチームの名を汚さぬよう、これからも皆さまに素晴らしい飛行をお魅せする所存です。……一つの時代の終わりと、新しき時代の始まりを祝して、どうか皆さまに置かれましては彼の決断を寛大な心で受け入れては頂けないでしょうか?」
イギリス人らしい堅苦しさと、切々と訴えかける内容、そして何より可愛らしい外見は不思議と調和し、その場にいた全員の心を打った。打ち合わせも何もなしにそれをやってのけるレーナに舌を巻く。色々な意味で彼女には敵わないと、改めて思う。
半ば殺気立つようだった会場のムードは、徐々にあきらめと寂しさ、そしてエディの成した数々の業績を褒め称えねぎらうような、そんな雰囲気に満たされていった。三人で一緒に壇上を降り、旧知のパイロット仲間たちと抱擁を交わし語り合うエディの側で、レーナと一緒に話しかけてくるパイロットや航空関係者たちの応対に追われる。
なにかに呼ばれたような気がして、ふと、空を眺める。
そこには、真っ直ぐに伸びる三本の飛行機雲。
その航跡の先、蒼天の遥か彼方。
忍はそこに、エディやレーナと共に天駆ける自らの震電を幻視した。




