5.宿の一室にて
「危なかったねツバキ。魔法剣って、魔法が中々出せないって悩む人はいるけど、いきなりあんな威力で使う人なんていたんだ」
フランは少し離れたところで笑っていたくせに。まったく。
この紅炎刀、魔力が多いうえに、炎が出るタイミングが分からない。いや、今のはマグレとか誤作動だったとしても、気を抜いている時に発火したら私が灰塵と化す。使い方を覚えないと、あっさり自滅する危険性大だ。
「驚きましたよ。握っただけで魔法が発動するってどういう事ですか」
「いや、そんなはずないんだけどな。どうなってんだろ」
ロルが代わりに紅炎刀を手に取り、注意深く鞘から刀を抜いた。そして更に、軽く素振りをしている。
私はまだ間近で見る気にはなれないので、数歩下がってフランの陰に隠れたが、今度はさっきみたいな大炎上は起こさない。静かな物だ。
「……炎、出ませんね」
「出してみるか」
ロルはそう言い、柄を握る手に力を込める。
するとたちまち、刃を覆う様に火炎が渦巻き辺りを照らし出した。熱波がここまで届いてくる。暴走ではなく、ロルの意志に従っている炎は、大きさを変える事も簡単なようだった。
炎を消し、鞘に戻す。
「ふぅん、特に変なところはないけどな。ま、それも練習の内だろ。別の剣にしてもいいけどどうする?」
「えっと……」
迷う。炎の出る刀は魅力的だが、まだ他にも使えそうな剣は山ほどある。
ふと視線を落とすと、下からフランの大きく澄んだ瞳が私を見つめていた。私の袖をちょこっと握り、期待に満ち満ちた眼差しが真っ直ぐに向けられている。
「……それにします」
「ツバキの剣、決まったね! 手続きしよう!」
フランが紅炎刀を抱え、先に行ってしまう。フランが全ての主導権を握っている様な気がするが、普段からあの調子が普通なのかも知れない。どっちにしろ私は、それに逆らう理由もない。
扉の傍で待っていた女性に声をかけ、手続きがあるので受付へ。武器の貸し出し手続きと、チームの再編成も今日中に終えておかねばならなかった。
受付の人に、書類にサインをと言われるがままに名前を記入する。書いた文字は、受付の人も何なく読めた。とりあえず、言語で障害はないという事だ。
「ツバキ・クジン様。個人ランクはC級。武器の貸し出しを許可します。そして、ローレンス様のチームに編入ですね。チームでなら、B級までのクエストを引き受ける事が可能です。更に説明が必要でしょうか?」
「いえ、結構です」
もう結構疲れてるんで。
かしこまりました、と言われ、面倒な手続き系はまず終わった。
明日は多分、フランが選んだリス討伐のクエストに出る事になる。
「ツバキ、疲れただろ。部屋をとってあるから、ゆっくり寝ていいぞ」
「えぇ、もう立ったまま眠りそうですよ」
「ベッドが柔らかくてふかふかだよ。机もね、とても綺麗なの」
鞘で静かな紅炎刀を抱えて、部屋に行く為に階段を上がる。
この世界に来て、ようやく安息が得られるのだ。柔らかなベッドを思うだけで、眠気が襲ってくる。
* * *
窓から見える町の景色はすっかり闇に沈んだ。
夕方この部屋に帰るなり、竹刀を放り出したツバキは、ベッドで死んだように眠り目を覚まさない。ロルは最初、本当に死んだかと思ったが、規則正しい寝息は立てているので安心だ。
急に現れたツバキ。異様な落ち着きぶりには驚いたが、やはりとても疲弊していた様だ。
フランが横に座り、短い呪文を囁く。すると、柔らかい緑の光がツバキを優しく包み込んだ。温かい魔力が、ロルにも届いてくる。
「回復魔法か」
「精神も体力も癒してあげないと可哀相だよ。私の所為だから」
優しく、ツバキの顔にかかる前髪を撫でる。疲れが出ていたツバキの表情は、少しだけ安らかな物になった。きっと、朝まで起きる事はないだろう。
フランは回復魔法についてはほぼ全てを網羅している。ロルが負ってきた傷も全て完治させ、傷跡はほぼ残っていない。実戦では、薬よりも頼りになるのだ。
そんな彼女が召喚魔法の呪文を間違ったのは、勉強中だったから起きたケアレスミスである。まさか、こんな事態を引き起こす重大なミスになるとは、フランだとて予想していなかったのだ。
フランはベッドを降り、一冊の本を手にとってソファへと座った。開いたのは精霊召喚魔法の説明が載っている魔導書。
「……駄目かも。呼び出す魔法は詳しく載っているけど、還す魔法はどこにもない。この本で異世界について触れる文章も見当たらない」
「どう呪文を間違ったら、異世界から人間を出せるんだよ。そもそも、ここと違う世界なんてのは存在するのか?」
「私には、否定も肯定も出来ないよ。並行世界とかの考え方はあるけど、明確な証明はされていないし」
突然現れた少女。
異なる世界からこの世界へ、起こり得ない事故で迷い込んでしまった人間。
無事に元の世界へ還す事は、不可能だと思われる。
「やっぱりツバキはフェンリルなんじゃないかな?」
「んな訳ないだろ」