誘拐
ある日、シレナといつものように森を散策していた。もはや慣れたもので我が庭のように……とまではいかないが見知った場所も多く、どの辺りまでが安全で、危険なことが何なのかもかなりわかってきた。
自分のおぼろげな知識と、おっさんとシレナの警告をあわせて安全を第一に、けれどもより多く知識を得られるようにいろんなものを日々見て回っている。
シレナものこのこついて来るだけあって運動神経はそれなりにあるようだ。目も良いようで遠くの獣にも気づくのが早い。それと彼女の能力、主に小動物、我々に攻撃的でない生物に限るがそれが彼女によく懐く。
警戒心の強い飼いならされていない野生動物が人に懐くというのは本来考えられない。野鳥だけでなくウサギのようなただでさえ臆病な生き物までが彼女に、まるで友人のように寄ってくる。
彼女は昔からこうなのだと言うが、それも父親と森に通うなかで気づいていったのだとか。
魔術師らしい父親が彼女にどのような知恵を授けたのか、非常に興味深いがそれをシレナが言語化することは出来ないようだ。
またシレナは毎夜ある夢を見るのだとか。
森の中を飛び回る夢。
子供らしい、空想に溢れたものなのだが彼女は決まって訪れるのはこの森らしい。夢の中ではまるで現実のよう、あるいはそれ以上に森の呼吸、木々の息づかい雨の音などが聞こえてくるという。彼女はそこで森の生き物たちと仲良くなって、それが現実でも同様になっているのだとか。
一笑に付してしまいたくなるが彼女の言葉には妙に「リアリティ」がある。それに実際に生き物と言の葉を交わすように触れ合っているのを見るとまるきり嘘にも思えなくなってくる。
その話を聞いているなかで一つ、気になることがあった。
シレナは夢の中でも両親の言いつけを守って森の奥には行っていないらしい。なのだが一箇所、一方向にのみ暗闇があるという。
夢の中の森は常に明るく、青空のもとで光り輝いている。それなのに一、二年前からなぜか影の指すところがあるらしい。それもただの暗闇ではなく、近づくのも躊躇われるほどの強い嫌悪感があるとか。
今日はそれを確認、他にやることもないので様子を見に行くことにした。深くに入ることはないがなにか気づくことでもあるかと思ったのだ。
そもそもが少女の空想、夢に見たことなのだから聞き流してもいいのだが、話す時のシレナがかなり怯えた様子であったので安心させる意図もある。
以前に出会った凶暴な生物も警戒し、地面などを念入りに確認しながら歩みを進める。今のところこれといった痕跡もなく、小さな足跡やフンなどがいくつかあるだけだ。
ついでなので木のみなどを集めながら調査をしていく。シレナは後ろからおっかなびっくりついてくる。時折落ち着かせるように声をかけ、それに彼女がはにかんで返す。
「どう? 変わった気配は感じるかな」
「……よくわからない」
シレナが小首を傾げながら言う。それもそうだろう、自分も特段気になることはない。肩透かしかと思いながらもう少しだけ歩いていくと、急に違和感を覚えた。
ある位置を超えたときから地面の痕跡がぱったりと途絶えた。不自然なほどになにもない。よくよく観察すればそれは「意図的に」消されているようだ。
シレナにはまだ言わない。いたずらに怖がらせることもない、自分もまだ確信は得ていない。けれどもわずかとはいえ異常を見つけたからには長居すべきではない。しかしこれがどういう意味なのか、危険性の高さはいかほどか。場合によっては村の人達に伝えるべきではないだろうか。
足を止めて思案する。緊張が伝わったのかシレナが不安そうにしている。その顔を見て、一旦引き返すべきだと決心した。今の自分では十分に彼女を守りきれないだろう。絶対の自信がないのであれば危険は犯すべきではない、少なくとも現時点ではリスクを負う必要はない。あとでおっさんに伝えようとも思ったが、実際に何かを見たわけではない。感覚的な違和感だけでは彼もどうしようもないだろう。
そう考えながら翻した時、空気の変化を感じ取った。
「シレナ」
「え?」
彼女を自分の近くに引き寄せる。木々の合間に、その影に紛れるように動くものがある。四足動物ではない、気のせいでもない。「人間」の姿だ。村の人間ではない、狩りにしても動きがおかしい。何かから隠れるような、人目を気にするような。帰り道の方向に二つ、だが気配はそれだけではない、後ろ――。
「きゃあ!」
振り返るとシレナの横にローブを纏った男の姿があった。
「誰だ!」
「……」
返事はない、肩に手を置かれたシレナがぐったりとしている。この一瞬でなにをしたのだろうか、薬物の類か。
男の横にもう一人現れた。直ぐ側にいただろうに気づかなかった、いるのはわかっていたのに「興味がわかなかった」。異常なことが続き冷や汗が流れる。
現れたのはシルエットからすると女、男と同じくゆったりとした灰色のローブを身にまとっているため体格などはよくわからない。だが立ち方などから格闘術や武器を持っている風ではないが、自分が子どもであることを思い出し警戒されていないのかもしれない。ならば不意を付けば……。
「――」
女の口元が動く、何を言っているかわからない。音でもなく、言葉でもない。奇妙な行動に気を取られていると手に持ったものをこちらに向けてきた。二十センチほどのいびつな棒、ねじれたまるで「指」のようなそれを差し向けてくる。
なぜだかそれから目が離せない、嫌悪感と吐き気が襲ってきた。たまらずうずくまるとこちらに近づいてくる。めまいがするなかで「相棒」が視界を正常にしようと働きかける。少しではあるが回復し、掴む手を払い除け距離を取る。気配は四つ、前に二つで後ろにも二つ。撤退すべきではあると脳は命じているが心が拒否する。彼女をおいていく訳にはいかない。
奴らは目配せをした後、まとまって移動しだす。撤退することにしたようだ。自分を捕縛するのは面倒だと感じたのか、一人で十分だと判断したのか。
追いかけたいが未だ歪む視界は戻りきらない、膝をついていると奴らの姿はすぐに見えなくなった。
「くそっ」
怒りから吐き捨てるが後悔している時間はない。十数分もすると動ける程度には回復した。先には敵のねぐらがあるだろう、数も不明だ。だが逃げることは出来ない、なんとしても彼女を助け出す。覚悟を決め森の深くへと足を踏み入れる。




