15.舞姫の試練? その1
青が舞姫を目指した理由は、生活費の確保だ。それ以上でもそれ以下でもない。だが、剣と魔術の授業が面白くなって熱中しているのは確かだった。
ただ、それ以上に今はミチルや友人達と過ごす時間がほしい。そんな中に降って湧いた旅の話は、迷惑極まりなかった。
それが表情に出ていたのだろうか。ジンは皮肉っぽい表情で口を開いた。
「舞姫科の本来の目的をお前は覚えているか」
町の外の平原で、ジンが訊ねた。
「調律者との関係を良好にする仲立ち、でしたっけ」
言っていることはミチルの受け売りだ。
「正解。そして、人類が自然と上手くやっていこうという意思表明でもある」
「意思表明、ですか」
「そ、意思表明。意思を伝えるのは大事だろう。お前の舞じゃそれは果たせない可能性が大きいということが今回の旅の発端だ」
舞に欠点がある。そう言われると、舞姫科の青は従うしかない。
しかし、他の生徒にはない青だけの欠点とはどんなものなのだろうか。
「なるほど。で、何処へ行くんで?」
「まずは、調律者と会ってもらおうかと思っているよ」
「九十九さんですか」
イチヨウが口を挟む。
「そゆこと」
ジンは、淡々と頷く。
調律者。名前だけは聞いたことがあるが、実際は見たことがない存在だ。彼らは自然からのカウンター的な存在だと聞いている。人間の環境破壊を監視し、生態系を崩さぬように維持する存在だと。
「調律者って、そもそもどんな存在なんですか?」
「化物みたいなモンスターの形をとって人の数を減らすこともあれば、人型をとる時もある」
「まさか、化物みたいなのに会わせようってんじゃないでしょうね」
青は両手を顎元にやって身構える。青の腰には、鋼の剣がある。今回の旅のために用意されたものだ。
「正解」
ジンが、悪戯っぽく笑ったので、青は一歩後ろへと引いた。
「冗談だよ、じょーだん。九十九は話がわかる奴だ。酒を持ってかないと話にならんのが玉に瑕だけどな」
そう語るジンの足元には、彼の膝までの大きさの酒樽がある。
「それじゃあ、ハク、頼む」
黙って微笑んで話を聞いていたハクが、両手を地面に置く。そして、動きを止めた。
「アオにも召喚術を教えておいたほうがいいんじゃないかとハクは思う」
「召喚術、ねえ。流石に今回は離れた土地だ。死神達はついて来れないと思うが」
ジンはそう言って頬を掻く。
「ま、念には念を入れるのは大事か」
「召喚術、ですか」
思い起こされるのは、元の世界で見た、人の意志のままに舞う桜の花びらの数々だ。
「桜の花びらを操ったりできるようになるんですかね?」
「ばーか。桜の花びらを操っても戦力になりゃしないだろ」
青は黙りこむ。元の世界で戦った桜の使い手。あの桜の花びらは炎を防ぐこともできれば、人の体に痛打を与えることもできた。けれどもそれは、実際に見てみなければわからぬものだろう。
「召喚術には二種類がある」
ハクが解説を始める。
「まずは幻獣を召喚する召喚術。自分の魔力を魔物に変換すると考えてもらっていい。形を形成して自分の体から分離させることが非常に困難。体を形成しているのは召喚術師の魔力だから、魔力での回復が可能となる」
「ハクの得意技だな」
苦い過去を思い出すような表情でジンが言う。ハクは意にも介さず言葉を続ける。
「もう一つは、過去の世界の実在の人物を召喚する召喚術。召喚される対象は魔力的に困窮している状況にある。それと契約を結ぶことで現世に映し身を召喚する。その体を形成しているのは魔力だから、こちらも召喚術師の魔力での回復が可能となる。ただし、時間に干渉する魔術だから難易度は非常に高い上に、莫大な魔力の提供が必要となる」
「で、どうするんで?」
青は単刀直入に訊いてみた。
ハクはしばし考えこんで、首をひねった。
「やりかたは、自分の中で魔物を形成して、分離するイメージを持って魔力を放ってもらうだけ。実際にコツを掴んだらすぐにできるようになる」
「シホさんみたいに、そのコツを俺に魔力的に干渉して教えてもらうってことはできないんでしょうか」
「それは無理。私は魔力の塊で、蓄積した年月分の知識もある。だから、下手に干渉したら、干渉した相手が廃人になってしまう」
そうなのだ。この娘は魔力の塊なのだ。あのコンサート以来、魔力の臭覚での感知に敏感になった青は、この娘から魔力の匂いを常に嗅いでいる状態にある。部屋を隔てていても、伝わってくるのだ。
「実際にやってみるしかないってことだな」
ジンが、促すように言った。
「まずは、私が手本を見せる」
そう言ったハクの手から光が輝いた。次の瞬間、四人の目の前には巨大な竜が鎮座していた。
「竜族は倒すのに手間取るんだよな……」
ジンが、苦い顔で言う。
「戦わないから、大丈夫。ジンさん、戦闘に絡めて考えるのはやめてほしい」
ハクが立ち上がって、珍しく拗ねたように言う。
「やってみて。強い召喚獣を召喚しようと思えば、きっとアオの魔力なら強い魔物が召喚できる」
促されるままに、青は地面に両手をついた。そして、祈る。自分を守ってくれる、強い存在を召喚できますようにと。
しばらく、何も起きなかった。
「駄目じゃないか?」
「いきなりやれって言われてできるもんでもないですよね」
「うーん、私は生まれた時からできるよ?」
「魔術科の生徒は一応皆できてたな」
(集中力が散るなあ……)
青がそう思って、諦めて立ち上がろうとした時のことだった。地面から、手を鷲掴みにされたような感触があった。
(お前は、我が町の困窮を救ってくれるのか?)
強い念のこもった言葉だった。それが、直接頭に響いてくる。
(ならば、私は貴女に手を貸そう)
青の手から、光が放たれ始める。その眩い光の中から、人の体が徐々に浮かび上がり始めた。
光が消えた時、そこには静かな表情をした長髪の女性が立っていた。腰には、日本刀のような刀が二振り。着ている服も和装に近い。
その体からは、甘い匂いが放たれていた。
「時を越えた召喚に成功しちゃった……」
ハクが呆れたように言う。
「また、死神が五月蝿いんじゃないか?」
ジンが面倒臭げに言う。
「アオの魔力を侮っていた。規格外過ぎる。もしくは青は、時を操る魔術に長けているのかも」
女性は静かな表情で周囲を見回すと、ハクに視線を向けた。
「貴女が召喚術師と見受けします。大体の状況は推察しました。危機的状況にあり私の腕が必要とのこと。魔力を代償に私は貴女の剣となります」
「ううん、召喚したのはハクじゃない」
ハクは慌てて両手を振った。
「こっちだよ、こっち」
そう言って、ジンが青を指差す。
「……ハクさんも相当年少に見えますが、この魔力が混線している少女が私を召喚した、と?」
召喚された女性は、疑わしげに青を見る。
「そう」
ハクが頷く。
「それでは、契約を交わしましょう」
「ちょっと待った」
ジンが口を挟む。
「その前に、あんたの実力を見たい。魔力のただ食いになったら損だからな」
ジンの言い分に、女性は憤ることもなく頷いた。
「尤もな言い分でしょう。貴方を倒せば実力を証明したことになるでしょうか」
「打ち合える程度にはいってほしいもんだな」
女性は、やや不快感を覚えたようだった。眉間にしわがよっている。
「それは私を侮りすぎです。術師は強い存在を求めて私に行き当たった。私が強いということは本来は説明すら不要なはずです」
「あとは、これで語ろうや」
ジンが、腰の鞘から剣を抜く。楽しそうな、活き活きとした目をしていた。
「……いいでしょう」
女性も、腰の鞘から刀を抜く。そして、柄を両手で掴んで構えた。
風が吹く。沈黙が場を包む。
先に動いたのは、女性だった。刀を掲げて、駆け寄って切り下げる。それをジンは剣で受け流して、女性の首筋へと剣を走らせた。
それを女性は、瞬時にしゃがんで避けていた。同時に、女性の刀がジンの脇へと走る。
しかし、ジンは既にその対応を終えている。剣と刀がぶつかり合った。
そのまま、二人は剣を打ち合わせていく。それは終わりのない剣舞のようにも見えた。
ジンは戦いを楽しんでいるのではないかとたまに思う。
戦っている時のジンは、本当に活き活きとした表情をしているからだ。
そのうち、女性が数歩を引いた。そして、無念そうに項垂れた。
「……私の負けです。斬り殺す気ならば、斬り殺せるタイミングは今あったでしょう」
「いや、大したもんだと思うぜ。俺相手にここまで保つとは。ニテツより強いだろうな」
ジンが、横目で青を見る。
「こいつ、採用」
「はい」
師がそう言うなら、青は従うしかない。
「本当ですか!」
女性が目を輝かせる。
「故郷は凶作で困窮しているし、どうしようかと思っていたんですよ~」
そう言って、女性は泣きそうな顔で青の前に立った。
「では、契約を結ばせてもらいます」
「契約って、どうするんだ?」
「首筋、お借りしますね」
そう言って、女性は青に顔を近づけた。魔力のものとは違う甘い匂いが、青の鼻の匂いをくすぐる。
その次の瞬間、青の首筋に唾液の生ぬるい感触と、歯をたてられた痛みが走った。
血液を吸われている。その痛みに、思わずくぐもった声が漏れる。
「ん……っ」
青が痛がっても、女性は青の体をしっかりと掴んでいる。抗うこともできず、されるがままにするしかない。舌の感触が、青の首筋をなぞっていく。
そのうち、女性が体を離した。
「貴女の血液を一部頂いた。ありがとうございます。ここに契約は結ばれました」
「……次からさ、指先ちょっと切るから、それで勘弁してくんない?」
心底そう思った青だった。
「まあ、心強い仲間も増えたことだし、竜に乗って移動しようか。騒ぎになるから町の付近は避けて、高く飛んでくれよな」
「わかりました」
ジンの言葉に、ハクは淡々と頷く。
尻尾から、各々竜の背へと乗って行く。そのうち、竜は羽ばたいて飛び始めた。
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「しかし、大丈夫なんですかね。過去の人間に調律者の正体なんかが知れたら、歴史そのものが変わる可能性があるんじゃないですか?」
イチヨウが、カードを一枚場に置く。その下には、カードが山になっている。それが飛ばないように指で抑えているのはジンだ。
「それは大丈夫。彼女は魔力で形を得た幻影でしかない。その代わり、過去に飢餓で死んだはずの人が生き延びて些細な人口が変わる可能性はある。けれども、大筋は変わらないはず」
「はずっていうのが怪しいなあ」
イチヨウは難しい顔だ。
「迷惑がられても、召喚されてしまったものは仕方がありますまい」
女性は幸せそうな表情でカードを置いた。ジンが指で、またそれを抑える。
「結構調子のいい奴ですね、こいつ」
「人のこと言えた柄かなあ……」
イチヨウの言葉に、ジンが呆れたように言う。
「人には誰だって過去の過ちがあるものです」
「ハクに味方をしたのは、イチヨウにとって過ちなの?」
ハクが困ったように言う。
「いや、それはそういう意味ではなくてはだな……先生、上手く説明してください」
「やだよ、俺口が上手くない。青、お前の番だぞ」
青は促されて、カードを一枚場に置く。
他の四人の表情が緩んだ。
「はい、青減点な」
「このカードゲーム、ルールがいまいち把握できないんですけど」
「知らないのか? まあ、異世界人なら仕方がないな」
「森に着くよ」
ハクの言葉で、ジンがカードを集め始めた。各々、彼の手にカードを手渡していく。そして、彼はカードをポケットに仕舞った。
竜が降下していく。少し離れた場所に、小さな村があるのがわかった。
村まで歩くと、ジン達は歓迎された。どうやら、ジンにとっては馴染みの村らしい。すぐに村長の元へと案内される。村長は家の前に出て、ジンを出迎えてくれた。
「いやあ、ジン殿。困っておったところです。巨大な魔物が村の近くに下り立ったということで」
「ああ、いや、すまない。それは俺の仲間の召喚獣です」
「ああ、なるほど、召喚獣。調律者なんてものがいるんだ。召喚獣というものがあってもおかしくはないですな。それで、今日も森へ?」
「はい」
「作法は覚えておりましょうな?」
「もちろん。森の中では一切の殺生を禁止する。あとはこれ、でしょ?」
そう言って、ジンは微笑んで酒樽を持ち上げた。
村長は、苦笑して頷いた。
村を後にし、五人で森の中へと入っていく。
「聖域みたいなものなんですか? 一切の殺生を禁じられた森、とは」
「この森を治めているのは狐でな。人間が狩る量を定められてるんだよ。その代わり、その種の害になる生物も一定数狩る。一種の共生って奴だ」
「共生、ですか」
「狐の治める森、ですか。面妖な」
召喚された女性は、不可思議そうな表情をしている。
青も同じだった。動物が治める森というのが、想像できなかった。
そのうち、青達は森の開けた場所に辿り着いた。
そこに、妖艶な金髪の女性が一人座っていた。人間と違うのは、動物の耳と九本の尻尾が生えていることだ。
彼女は口の両端を持ち上げて、微笑んだ。
「今回も大人数じゃな、ジン」
「ああ、悪いな、九十九。けど酒は持ってきた。許せ」
金髪の女性は身を震わせて喜んでいるようだった。
「これほど嬉しいことはない。許す、許す。さ、はよう、はよう」
そう言って、ジンを自らの元へ手招きする。
そうして、始まったのは宴会だった。
どうやら、九十九と呼ばれている彼女が調律者らしい。耳と尻尾を除けば、人間と変わりない。豊満な体をした、妖艶な女性だ。
しかし、その体からは、魔力の甘い匂いが漂っていた。
「それにしても、前回はマリがおらず、今回はシホがおらぬのか。シホはどうした」
「旅はやめて、アカデミーで魔術を教えているよ。酒を覚えてな。その酒癖が大層悪い。お前と一緒だ」
「そうかそうか。今度一緒に飲みたいものじゃな。色々と面白い話が聞けそうじゃ」
そう言って、九十九は両手でコップを持って上品に酒を飲み干した。
「自虐史観はやめたのですか?」
「ちょっと前は、滅び行く種の管理人などやめて、次の代に託したいと愚痴ってましたよね」
ハクが微笑んで訊ね、イチヨウが言葉を続ける。
九十九は、少し苦い顔になった。
「少し前は、我々の種は最終的に人間に滅ぼされるものだと思っておった。けれども、調律者というくくりができて、風向きが変わってきた。何故自分のような変異種が現れたのか、理由もわからず森の管理人を続けておったが、どうやら生き延びられるという可能性が出てきたら心境も変わってきてのう」
九十九は、再び両手でコップを持って、上品に口を当てる。
「まあ、まだ信用しておるわけじゃないがの」
「調律者と協調していこうという方向に話が進んでいるのに、まだ信じられんか」
「それだけ、我々の種にとって人間は脅威ということじゃよ。だから我々の種に強者がいても、わしがどれだけ強い魔力を扱えようと、人間には挑まんじゃろう? わしは我々の種が作り出した、最終防衛ラインということじゃな。突破されれば、そこまでよ」
九十九が再び酒を飲み干して、コップを置く。
「しかし不思議じゃの。わしのように人語を解する調律者とわしは出会ったことがない。わしも調律者と会ったことがあったが、自らの種を繁栄させるという本能に従って暴れるただの獣じゃったぞ」
「初期は人語を解する、交渉で物事を解決しようとする調律者が多かった」
ハクが、少し気まずげに口を開いた。
「けれども、初期の調律者は大半が人間に殺されてしまった。それ以来、凶暴な、防衛本能の強い調律者が生まれるようになった」
「ふん、わしのような初期型は珍しいということか。無駄に長く生きておるものなあ」
九十九はそう言って、再び酒をコップに酌む。そして、上品に両手で持って飲み始めた。
人々がやる気を無くし、魔術も人類も衰退した失われた時代の中を、彼女は生きてきたということだろうか。
「はあ。早く次の代に託したいもんじゃ。わし一匹に重い荷物を背負わせてくれたものよな」
「またそれか、いい加減に諦めろよな」
「お前もわしの寿命の十分の一でも生きればわかるわい。それで、ジン。今回の目的はなんじゃ? また、魔法陣探しか?」
「いや、見てもらいたいものがあるんだ」
酒を飲んでいたジンが、青に顔を向けた。顔は赤く染まっている。
「青、舞え」
「え、ここでですか?」
黙って成り行きを見守っていた青は、戸惑った。調律者と会うとは聞いていたが、こんな大勢の前で舞を披露するとは聞いていない。
「そうだ。本番と思って舞うんだな。お前の舞は、調律者に気に入られるかが肝なんだ。九十九が気に入れば旅は終わりだ」
そう言われてしまうと、納得するしかない。
「何やら面白そうじゃのう」
九十九は、目を細めて微笑んでいる。その妖艶な瞳が、青を捉えている。
青は、こうなったら腹をくくるしかないと思った。
「それじゃ、踊ります」
「おう。場を盛り上げてくれい」
九十九が、そう言って、コップに再び酒を入れた。
青は舞い始める。習って何度も繰り返した動作を、再び繰り返す。調律者に気に入られるように、必死の祈りを込めて。
一つの舞が終わるたびに、イチヨウとハクと女性が拍手をする。そして、青は次の舞へと移る。
九十九はただ黙って、酒を飲み続けていた。
全ての舞が終わった。
青は、持ってきた大きな革袋の中から、水の入った革袋を取り出し水分補給する。
そして、祈るような思いで九十九を見た。
九十九は、妖艶に微笑んだ。
「洗練された舞じゃった。町で披露すれば金も貰えるんじゃないかのう、ジン」
「そうだろうなあ」
その言葉に、青は希望を見た。調律者に褒められた。旅は終わりだ。
「しかし、つまらんな。礼儀的に挨拶をされてもつまらんじゃろう? それと同じじゃ」
そう言って、九十九は再び酒を口に含んだ。
青は、落胆の底に叩き落とされた。
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「何が駄目だったんだろう」
イチヨウが、竜の背の上で首をひねる。
「私も、見事な舞だと思いましたよ」
女性が、青を励ますように言う。
「けれども、調律者の琴線に触れなければ意味がないんだなあ、これが」
ジンの言葉で、一同は黙りこむ。
「ジンさん、方角はあってる?」
ハクが、竜の背の先頭から振り返ってジンに尋ねる。
「さっき通り過ぎた町から察するに、方角はあってるはずなんだよな。ああ、見えてきた」
既に、周囲は夕暮れに染まっている。
遠くに沈みゆく夕日を、青は黙ってみていた。
礼儀的に挨拶をされたようなもので、つまらない舞。そう評されるとは思わなかった。
けれども、言われてみれば尤もだ。青はただ、綺麗に舞おうと思っただけだ。その綺麗というのは、あくまでも人間の尺度が生み出したものだ。他の種族の生物に、その綺麗さの何がわかる?
ならば、どうすれば良いというのだろう。青は、考えこんでしまった。
そのうち、竜が下降を始めた。
何処かの大農場の傍のようだ。
鎧を着て槍を持った兵隊達が、駆け寄ってくる。
「攻撃しないで!」
ハクの鋭い声が響き渡る。その次の瞬間、竜は消えていた。竜の背に乗っていた全員が、空中に放り出された形になる。
肩から落下するかと思った青だが、女性に抱き抱えられていた。
「あ、ありがとう」
「いえ、自らの仕事を果たしただけです」
女性は着地して誇らしげに微笑むと、そう言った。
「お前達、何者だ! 竜を使役するとは、只者ではあるまい!」
ジン達を取り囲む兵士達は、鎧を急いで着込んだらしく、肩で息をしていた。
「ハルカゼさんと話がしたい。ハルカゼさんを出してくれ」
ジンが、四人の先頭に立った。
「ハルカゼ様を狙って来たのか?」
「いやいや、そういう物騒な話じゃない。というか、狙われるほど重要な人じゃないだろうハルカゼさんって」
顔見知りのことを言っているのか、ジンの言葉には容赦がない。
結局、言い合いになって、事態は先に進まない。
そのうち、鎧を着て遅れてやってきた男の顔を見て、ジンは表情を綻ばせた。
「ハルカゼさん、俺ですよ。ジンです!」
「おお、ジンくんか」
遅れてやってきた男は、人の良い微笑みを浮かべてジンに駆け寄った。
「ジン?」
「五剣聖か?」
兵士達がざわめき始める。
「人が悪いじゃないか。旅であちこち行っているはずなのに、僕のところには中々顔を出しやしない」
「ハルカゼさんに人が悪いとは言われたくないですよ」
ジンはそう言って苦笑している。珍しく、ジンにとって目上の人間らしい。
「で、なんだい。僕でも役に立てることができたのかい?」
「ええ。二人ばかり、しばらく預かって欲しいんですよ」
「働かせてほしいということかい?」
ハルカゼが、戸惑ったような表情になる。
それは、青も同じだ。青は思わず、女性と顔を見合わせた。
「そういうことなんです。まあ、詳しい話は人のいないところで」
「いいだろう。久々に話すんだ。酒でもどうかな」
「いいですね。積もる話もあります」
そう言って、ジンとハルカゼは大農場へと歩き始めてしまった。
ハルカゼが、ふと気がついたように振り向く。
「彼らは客人だ。丁重にもてなしてくれ」
「はい!」
兵達が、声を揃えて返事をした。どうやら、人望はあるらしかった。
それにしても、また飲むのか。大人の付き合いというのも大変なものだと青は思う。
夕日が完全に沈んで、夜の闇が周囲を包み始めた頃、ジンが青達の案内された部屋にやってきた。
「イチヨウ、ハク、帰るぞ」
「俺はどうなるんです?」
青は思わず立ち上がっていた。
「居残りだ。ここの仕事を手伝え」
「授業は?」
「どうせここからの魔術の授業は何ヶ月もかかる。少しぐらい遅れても大丈夫という判断だ」
「そんな、少しぐらいって……」
予習と復習もかかさないマメな青だ。授業自体に出れないというのは少しもどかしかった。
現実世界の授業に出れないことに関してもどかしさを感じないのは、今生きていく上で必要がないからだろう。
「逆に、今ぐらいしかタイミングがないんだよ」
ジンは、渋い顔で言う。
「死神連中も兵力を失っている。授業も長いスパンのものに移る。今お前が舞姫として欠けたものを掴めなければ、お前は卒業できない」
「そんな……こんな場所で畑仕事をして何が変わるんです」
「実際にやってみてから言え」
ジンは、有無を言わさぬ口調だった。
青はそれで、反論の術はないことを悟った。絶望の淵に立たされたような気持ちだった。
「恨みますからね」
「今更一つ恨みが増えても堪えんな。俺は調律者を魔物として斬ったこともある大罪人だよ」
そう言って、ジンは部屋を出て行ってしまった。
「頑張って」
「先生のすることに、無駄なことはないよ」
ハクとイチヨウも、励ましの言葉を残して部屋を出て行く。
後には、青と女性だけが残った。
「本当に置いてかれた……」
青は、思わず座り込んでしまった。
放り出されたような思いがあった。
「綺麗な舞でしたよ」
女性が、フォローするように言う。
「けど、足りないんだってよ」
青は、深々と溜息を吐く。自分に欠けたものがなんなのか、それがわからない。あの、九十九を納得させる舞というのは、どうすれば生み出せるのだろう。
その夜、青は体力が尽きるまで舞の練習をした。しかし、同じことの繰り返しだ。振り付けを、完全に青は覚えてしまっている。今更何か変えるとしても、些細な違いだ。
「そろそろ、明日に響きますよ」
部屋の隅で正座し続けていた女性が、注意するように言う。
「わかってはいるんだけれどな……。明日から農作業か」
思わず、溜息が漏れた。アカデミーの授業とは全く関係がない内容ではないか。
「そんなに調律者? との仲介が大事なのですか」
「大事なんだと思うよ……」
そこまで言って、青は滑稽な気分になった。
「舞ってる俺がこんな心境じゃ、礼儀的な挨拶って言われても仕方ないか」
思わず、苦笑する。
心構えの問題だとしたら、これは難問だ。何せ、青はこの世界の人間ではない。この世界の危機に関して、実感がついて来ない。
青は考えるのを諦め、話題を変えることにした。
「そういや、あんた、名前を聞いてなかったな」
「はい。私は、アメと言います」
「降る雨か?」
「はい。農作物が育つようにと、アメと名付けられました」
「農家の出か」
「は」
「それにしては、剣が達者だなあ。俺より強いよな、あんた」
「恥ずかしながら、貧しい故郷が嫌で家出したのです。そして、才を見出されて師に付き剣の修練をしました」
「それなら、農作業はお手のものだな」
「はい。しかし、帰ってみると、今年の農作物のできは悪かった。魔力でなんとかしなくてはと思うほどに。私は祈りました。私の命を懸けるから、救いの手を差し伸べてくれと」
「それで、召喚されたってわけか」
「はい」
そう言って、女性は微笑む。素直そうな笑みだった。
「だから、ご主人様は私にとって恩人なわけです。一蓮托生の思いでいます」
ご主人様、という響きに青は戸惑った。自分はそんな立場ではないという思いとともに、謎の背徳感が背筋を駆けていったのだ。
「ご主人様ってのはやめてくれ」
「ご主人様のためなら、なんだってできますよ」
「じゃあまず、ご主人様呼びはやめてくれ」
「それでは、なんと呼びましょう?」
アメは、不思議そうな表情をしている。
「青でいい」
「じゃあ、アオ様と呼びます」
もどかしさと共に気恥ずかしさが背筋を駆け上っていく。
この子は純朴だ。頭にドがつくほどの。
「様つけんのやめて、話が進まない」
「はい、アオさん」
「とりあえず、これからしばらくは守ってもらう間柄だ。仲良くやろう」
「はい。それにしても、アオさんは何から狙われているのですか?」
青は語ることにした。自分の境遇を。
人を異世界から呼び出す魔法陣。それが発動して呼び出され、さらに女の体にされてしまった自分自身。国に依頼して探しているが一向に魔法陣は見つからないこと。魔法陣の発動に伴い、死神と呼ばれる連中が青を狙っていること。
「その死神の対策として私は呼ばれたというわけですか」
「死神だけじゃなく、ニテツという奴もいる。体魔術の使い手だ」
「体魔術ですか。中々に厄介ですね」
アメはしばし考えこむ。そしてそのうち、おずおずと口を開いた。
「アオさんは男だということでしたね」
「うん、そうだけど?」
「夜のお相手なども申し付けられるのでしょうか」
青は思わず、アメの頭をはたいていた。そのまま、腕を下げて胸ぐらを掴む。
「お前は俺をなんだと思ってるんだ? ああん?」
「いや、男の人で絶対服従だったらそういうのもあるのかなって」
「お前な、人を馬鹿にしてるだろ。実は俺のことを馬鹿にしてるだろ」
「いえ、してませんしてません。ごめんなさいごめんなさい」
「わかればよろしい」
青はアメの胸ぐらを離して、そして目線を逸らした。
アメは発育が良い。胸も大きくて掴み心地が良さそうだ。
(そういう煩悩は捨てよう。こいつのせいで生まれた煩悩だけれど)
ミチルの顔を頭に思い浮かべる。すると、不思議と心が穏やかな気持になった。
「寝よう。お前とは別室を頼んでくる」
「いえ。私は護衛ですから、同室で寝るのが自然かと」
「俺の精神衛生上悪いの」
「その隙、命取りになりますよ」
アメの声は、思いの外鋭かった。
「じゃあ夜に盛ってるのは命取りにならないのかよ」
青の指摘に、アメはしばし素直に考えこむような表情になった。
そして、照れくさげに苦笑した。
「それもそうですね。夜のお相手もできません」
(なんだか調子が狂う奴呼んじゃったなあ……)
明日から始まる慣れない農作業。どこか抜けた召喚獣。青は二重の意味で疲労を感じたのだった。




