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14.俺の天職は異世界の歌姫? その1

 昼の日差しが差し込む学長室で、リッカは椅子に座って鼻歌を奏でている。


「ご機嫌ですね、リッカさん」


 ハクアは、やや呆れ混じりに苦笑して声をかけた。

 リッカの眼が輝く。


「そりゃご機嫌にもなるわよ~。この国一と歌われた大道場との交流戦。年齢制限がありとはいえ我がアカデミー組が五人抜きしたのよ~。話題にもなるし、入学希望者も増えるって寸法よ~」


「来年もこうことが運べば良いのですが。タケルくん達はともかく、アオちゃん達は舞姫として各地に赴任してしまうでしょう?」


「今回の評判でまた粒ぞろいの生徒が集まってくるわよ~。初年度に才能のある生徒が集まるっていうのも天の采配ね。私の日頃の行いのおかげかしら」


 どこまでが本気なのやら。ハクアは苦笑するしかない。

 しかし、この前行われた交流戦がアカデミーの評判を大きく上げたのは確かだろう。遠方から剣術の上達を目的にやってくる生徒も今年より多く見込めるかもしれない。何かと色々考えている人なのだ。


「しかし、アオちゃんとミヤビちゃんは例外ですよー。ジンさん、重点的に育ててるみたいだから」


「来年は来年で、才能がある子を見つけたら重点的に育てるように言ってあります」


 ハクアは目を丸くする。


「全ては、宣伝効果を見越して?」


 リッカは、ハクアの反応に満足気に唇の片端を持ち上げた。


「何が目的でも、舞姫科へ入りたいと志願する生徒が増えるのは良いことだからね~」


「はあ、流石は知のフクノですね」


「相手がこっちを甘く見て、交流戦に出てくることまで計算づくよ~。ここまでは私の描いた絵の通り進んでいる。アオちゃんっていうイレギュラーもあったけれどね」


「あの子は……帰れるんですかねえ。本当は男の子なんでしたっけ」


「呼ばれたってことは、帰る道筋も用意されているってことだと私は思うけれどね~」


「まあ、目当ての物をそう簡単に見つけられたら、私もジンさんも国を頼ったりはしていませんか」


 ハクアは、不老不死の呪いにかかっている。異常な神術の力はその副産物だ。それを解くアイテムの捜索を、国に頼っている。そういう意味では、ジンのお仲間なのだ。


「まあ、元気づけるためにもまたアオの奴を褒めてやろうかな~。ちょっと呼んできてくれる?」


「ああ、その話で来たんですよ」


 リッカが、意表を突かれたような表情になる。


「ハクちゃんから、アオちゃんが外に出たようだって話を聞かされまして」


 リッカが脱力したような表情になる。


「最初にそれを言いなさいよ~。まったく、私の周囲にはのんびりさんが多いわね~」


 リッカは勢い良く立ち上がった。


「捜索するわよ。前回の例もある。マリさんにも連絡を入れるように兵に命令して」


「了解しました。伝達役はお任せ下さい」


 そう言って、ハクアは駆け出す。

 アカデミーに来てからというもの、自分のやっていることは使い走りのようだなとハクアは思う。

 けれども、自分で鍛えて得た身体能力を活かせるのは今の状況だろう。

 ハクアは、現状に満足していた。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 町の大通り、酒場の前で、青は立ち止まった。周囲は人で混雑している。川の流れのように、それは青の背をたまに押した。

 そのうち、背中に、剣の柄が突きつけられる感触がした。


「騒ぐなよ、お前が口を開くのと、俺が……」


 背後の男が喋り始める。それに被せるように、青は口を開いた。


「あんたが剣を抜くのと、俺が魔術を発動させるのと、どちらが速いだろうな」


「……お前の魔術は不完全品だ。範囲は広いが上手く扱えない。周囲の人間を巻き込むぞ」


「大体の範囲なら把握した。地中から天に伸ばすようにランス型の魔術を発動させれば、精々巻き込まれるのはあんただけだろうよ。体のどれだけの範囲が焼けるかは保証できかねるがな」


 剣の柄が、青の背から離れる。


「……変わったな。死地をくぐり抜けてきたような変わりぶりだ」


「まあ、そんなとこ。あっちの世界で一戦してね。戦闘で一人で魔術を使っても森を焼かなかったのが自信になった」


 沈黙が、二人の間に漂う。


「まあ、飯でも食うか」


 沈黙を破ったのは、背後の男、ニテツだった。彼は酒場の扉を開け、青もその後に続く。そして、店の端の席に向かい合わせに座った。


「この前と同じの、お願い」


「あいよ」


 女主人が、店の奥に引っ込んでいく。そしてニテツは、青の顔を見据えた。目に見えて、不機嫌な表情だった。


「悪かったとは思ってるよ。せっかく戻れる品をくれたのに無駄にしちまって。けど、女の体のまま戻っても仕方がないんだよな」


「どうして戻れた。あの品は一回使えるのが精々だったはずだ」


「それは、有能な友人がいてな。後から聞いた話ではかなり無茶させたらしい。悪いことをしたと思っているよ」


「なるほど、これも天命かね」


「姐さん」


 青の懐から声がした。

 小人サイズの男二人が、懐からテーブルへと抜け出てくる。


「なんですか、この男」


「物騒な言い合いにきこえたけどよ」


「気にしないでいいよ。お前らは引っ込んでろ」


 そう言って、青は苦笑して二人の頭を小突く。二人は渋い顔をしたが、青の懐へと戻って行った。


「……なんだ、それは」


 ニテツは、気味が悪そうな表情だ。


「こっちに来てから付きまとわれてる。俺を呼び出した奴の副産物らしい。んで、どうする? 殺しあうか?」


 耳に痛い静寂が場に広がった。青の視線と、ニテツの視線が絡み合う。

 その状態を崩したのは、気だるげなニテツの声だった。


「やめとく。俺はジンに嫌がらせできれば良かったんだ。お前に恨みはねえからな」


「旅人を斬り殺して身分証を奪い取った奴の言葉とは思えないな」


「私闘だよ。こうやって会うのもこれが最後だろう。門の三つは閉じてるし、一人の旅客に対するチェックが厳しくなっている。今回入りこんだのも、出入りの商人の護衛役を偽ってだ」


「なんの用で呼び出したんだ」


 青としては、拍子抜けする思いだった。再度のニテツからの呼び出し。それは、暗殺を目的としたものか、新たなアイテムを用意してのものだと思っていたからだ。


「こっちも前回命懸けで潜入したんだ。恨み言の一つも言えなきゃ割に合わんと思ってな」


「そのためにまた命懸けで潜入する。あんた、割に合わないことしてるぜ」


「うるせーよ。まったく贅沢な奴だぜ。五体満足で実家に帰れたっていうのによ」


 本当に、愚痴を言うためだけに呼び出したらしい。青としては、拍子抜けする他ない。


「あんた、話してみると普通の人にしか見えないな。ジン先生に斬られたっていうのは、そんなに良い親父さんだったのか?」


 ニテツが捻くれた笑みを顔に浮かべた。


「親としては最低の部類に入ると思うぜ。寝ても暮れても剣ばっかり。弟子をとっていたのも観察して自分の腕に活かすためだ。最後には腕を磨くとほざいて旅に出ちまった。しかも夢に描いていたのは血で血を洗う戦乱の世だったときたもんだ」


「わっかんねえなあ。なら、なんでジン先生に固執する」


 ニテツは、寂しげな表情になった。


「……当人にしかわからん気持ちってのもあるって話だ。わけのわからん親父だったが、親父は親父だからな」


「ふうん……。なあ、あんた、アカデミー側に鞍替えしないか?」


 ニテツは苦い表情になる。


「今の話を聞いてて、どうしてそうなる」


「ジン先生と実際に話してみれば解決する問題のように思えるんだよな。あんた、親父さんを好きでもなんでもないんだろう? なら……」


「当人にしかわからん問題もあるということだ」


 鞘から、剣の刀身が覗いた音がした。

 ニテツの眼が、鋭く細められる。


「うかつに人の心の中に踏み入ろうとしないことだな。大人はややこしいんだ、お嬢ちゃん」


 青は、怯んだ。けれども、ニテツを味方にできるチャンスは今しかないと思った。


「あんたのそれは、思春期の子供のもやもやに似ていると思うけれどな。ややこしくしているのはあんただ」


「言うね」


 ニテツが、唇の片端を持ち上げた。

 その時、料理を持った女主人が戻って来た。剣が鞘に収まる音がする。


「食おう。食べる時にいがみあってるのは食事に失礼だ」


「……そうだな」


 そして、青は目の前に盛られた料理の量にうんざりとする。これはまた、完食できそうにない。

 食事を進めながら、青は再確認する。

 この男は、上手くすれば味方にできるのではないかと。

 話してみると普通の人間だし、その感情は恨みというにはどうにも曖昧だ。


「なあ、考えてみてくれよ。アカデミーで働くの」


「そうだな。ジンを不意打ちするためにアカデミーに勤めるのも良いかもしれんな」


 予想外の一言に、青はフォークを進める手を止める。

 ニテツは、フォークを振って皮肉っぽく微笑んで口を開いた。


「大人の世界はややこしいと言っただろう、お嬢ちゃん。子供みたいに、仲直りしてさあ解決だとはいかない。皆、そういう考え方をする。そもそも、天下のフクノ家に牙を剥いた時点で俺はお尋ね者だ」


 青は、なんだかこの男が哀れになってきた。


「……あんた、自分を窮地に追い込んでるみたいだ。もっと、自分の幸せについてとか考えたほうが良いんじゃないかな」


「ジンを斬らないと俺は前に進めない」


 ニテツは、断言した。

 そして、青は自分の考えが甘かったことを実感する。この男を味方にするなんて、そもそもが無理な話だったのだ。


「なら、またあんたとは敵同士だな」


 青は、深々と溜息を吐いた。


「残念かい、お嬢ちゃん」


「残念は残念だが、拗らせたオッサンになびくつもりはないぞ」


「俺も、せっかく人が苦労して届けたプレゼントを台無しにするお嬢ちゃんの相手役はごめんだ」


「お嬢ちゃんお嬢ちゃんと言うが、俺は男だ」


「そういえばそうだったな。けど、可愛い顔してるぜ。売り飛ばせば高値が付きそうだ」


「そう簡単に売り飛ばせると思うなよな」


「姐さん」


 懐から、声がする。


「なんだ?」


 青は、憂鬱に思いながら声をかける。敵としてのニテツも脅威だが、この小人達も青の頭痛の種なのだ。


「外出したの、バレたみたいですぜ。今、ハク様が探知の魔術を使いました」


「ここまで、か」


 そう言って、ニテツがフォークをテーブルに置いて立ち上がった。

 その視線が、青を捉える。


「お前に恨みはない。恨みはないが、ここで斬り殺せば終わりというのも事実だな……そっちのが面倒臭くはない」


 青は背筋が寒くなるのを感じる。この男、人を殺すのをなんとも思ってないようだ。事実、思っていないのだろう。彼の旅は、彼をそういう人間に育て上げた。それを裏付けているのが、彼が複数持っているという身分証だ。

 青は、心の中の門に風を送り込むイメージを持つ。いつでも瞬時に魔術を発動できるように。


「少々今回は分が悪いか。元の世界に送って成長させただけとは、損をしたものだな」


 そう言って苦笑すると、ニテツは去って行ってしまった。その苦笑顔は、青の心の深い部分に残った。


(そうやって普通の顔して普通に喋ってれば、敵も味方もなしに普通の人間じゃんか、あんた……)


 青は頬杖をついて、彼の出て行った出入り口を眺めて足を前後に振る。

 そして、足の動きを止めて、目の前の料理に視線を落とした。

 一人分でも無理な量なのに、彼の皿の料理は半分しか食べられていない。

 一刻も早くアカデミーに帰らなければ大騒ぎになるだろう。

 青は、板挟みの状況にあった。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「まったく、貴女は重要人物としての自覚がないというかこりないというか~」


 リッカが渋い顔で酒場の料理を平らげていく。

 青はその向かいで、小さくなっていた。傍には、ジンが怖い顔で立っている。


「また、前の世界へ戻れるアイテムを貰えるかもしれないと思ったんです。それで、つい……」


「姐さんは、敵を味方につけようと交渉してたんだぜ」


「そうだそうだ。今回は外交のために独自判断で動いたんだ」


 青の懐から、小人二人が抜け出てきて喚き散らす。

 リッカが、疑わしげな眼で青を見ていた。


「その子達はそう言ってるけれど、そうなの?」


「余計なことを言うな」


 青は、小人二人の頭を小突いて、懐へ押し戻す。

 リッカは、深々と溜息を吐いた。


「アオ。ニテツは危険人物です。生かしておけばどれだけの人間が脅威に晒されるかわからない。前回の戦いでも、シホさんが危ないところだったでしょう」


「はい……」


 それを言われると、青は小さくなるしかない。


「だから、次に呼び出しを受けたら真っ先に私に知らせなさい」


「どうするんで?」


「マリさんとジンさんに頼んで斬り殺してもらいます。彼らなら、イッテツさんの息子の顔は間違わないでしょう」


 リッカにとって、ニテツは既に排除する対象なのだ。それが、青には寂しくてならなかった。

 相手だって、生きているのだ。生きている限り、交渉の余地はあるのではないかと青は思う。

 そう思うのは、元の世界に戻れるアイテムを受け取ったことを借りと感じているのかもしれない。


「貴方は甘いというか、危機管理能力が低いわね~。この世界で育った私達との、大きな違いかもしれないわね。危ないと思ったらやられる前にやる。基本よ~」


「そんな物騒な基本、嫌ですよ」


「嫌でも覚えてもらわないといけないわ。さて、次の話に移る前に……その料理、どうするの?」


 青の目の前には、盛られた料理の乗った皿が置いてある。その半分は青が咀嚼したが、半分は残ったままだ。


「もう、お腹一杯です」


「仕方がないわねえ。ジンくん」


「了解」


 ジンは青の手からフォークを受け取ると、皿を手に持って料理を食べ始めた。


「で、次の話とは?」


 リッカはしばらく渋い顔で青を見つめていたが、そのうち諦めたように溜息を吐いて、苦笑を顔に浮かべた。


「そこの小人達が熱望していたアオのコンサート。開催日が決定しました」


「本当ですか!」


「やったぜ!」


 小人達が青の懐からテーブルに下りてガッツポーズをする。

 青は、頬が熱くなるのを感じた。


「また、大勢の前で歌うんですか……」


「貴方を呼んだ人はそれが必要だと思ったんでしょう? だから、その小人二人をつけた」


「はい、姐さんのためになることです」


「俺達はそれをフォローするために作られました」


「大仰だなあ……」


 青は思わず溜息を吐く。生活がかかっている状態でもないのに、集団の前で歌うのは、抵抗があった。


「対外試合に勝ったことを祝って、第二回学園祭を開こうと思うのよ~。そこで、アオには歌ってもらうわ」


「うわあ、人一杯来ますね」


「やりがいがあるでしょう~?」


「恥ずかしいです」


「私が歌が上手だったら代わってあげたいぐらいだわ~」


「代わってください」


「歌が上手だったらって言ったよね~? 言葉わかんないかな?」


 リッカの言葉にはどこか毒がある。青が一人で抜け出たことを、内心まだ怒っているのだろう。


「そのために用意してほしいものがあるんです!」


 小人の一人が叫んで、リッカが目を丸くする。


「用意してほしいもの?」


「姐さんと仲が良い子を、二、三人」


「ええ、大丈夫だけれど。どうするの?」


「それは、見てみてのお楽しみって奴でさあ」


 青と仲が良い子を二、三人。すると、導き出される答えは見えている気がした青だった。

 果たして、その通りになった。

 場所は闘技場に移動して、その場にはミチル、ミサト、ミヤビが呼び出されていた。


「なんの用事でしょう?」


「アオちゃん絡みだとろくなことなさそー」


「オキタアオ絡みだと、面倒事でしょうね」


「好き勝手言ってくれるよな、お前ら……」


 青は項垂れるが、面倒事になるのは避けられそうにないので仕方がない。


「これでいい?」


 リッカが、地面に立っている小人二人を見下ろして言う。


「願ったり叶ったりですよ!」


「見ていてください!」


 小人二人を、煙が包んだ。すると、次の瞬間、その場にはヴァイオリンとそれに使う弓が三対並んでいた。

 楽器に化けたのだと、直感的にわかった。


「ええ……もしかして私達に弾けって言うの?」


「もしかしなくても人数分あるよね」


 戸惑うミチルに、鋭い指摘を入れるミサトだった。


「けど、私、弾いたことないよー? どっかのミヤビさんはあるだろうけーれーどー」


「言われなくても、その程度の教養ぐらいあります」


「私も、弾いたことない……お祭りとかで見たことはあるけれど」


「大丈夫!」


 楽器が喋った。その異様な状況に、場にいた面々が目を丸くする。


「俺達は持った人間の心に共鳴して音を奏でます」


「弾きたいと思った音を自由に弾くことができますよ!」


「これで、姐さんの歌を盛り上げてください!」


 各々、顔を見合わせる。

 そのうち、沈黙を破ったのはリッカだった。


「まあ~、それが必要だっていうんだから、やってもらうしかないわよね」


 学長にそう言われてしまえば仕方がない。ミヤビは瞬時に、ミサトは緩慢に、ミチルは恐る恐る楽器を手にとった。


「まずはアオに曲を教えてもらわなければ弾きようがありませんわ。アオ、歌いなさい」


「ええ、歌うのか……」


「前は私が反対しても、酒場で歌い手してたじゃない」


「あれは食費がかかっていたからで」


「つべこべ言わずに歌いなさい~。諦めなさいな」


 リッカはまだ、内心不機嫌なようだ。発言に容赦がない。

 こうなってしまえば、退路はない。

 青は息を大きく吸うと、歌い始めた。体全身を楽器と思って、音色を奏でていく。その歌声が、人のいない闘技場に響き渡った。


「アオ、体魔術を使いなさい」


 リッカが、指摘する。


「今は人がいないから声が響くけれど~、人で満席になったらそうもいかないわ。体魔術を応用して声量を増しなさい」


 そんな器用な真似できるだろうか。そうは思うのだが、リッカの目はやれと言っている。

 青は心の中の門に風を送り込み、それを留めるイメージを持つ。青の声が、爆発的に大きくなった。

 心の中で、安堵の息を吐く青だった。


「とりあえずは今の曲の練習をしましょうか~。本番までには、何曲も覚えてもらうからね~」


「何曲も、ですか」


「一曲で解散、だったら、お客さんも興ざめでしょ~」


 言われてみれば尤もだ。


「それじゃ、次は楽器を交えてやってみましょうか~」


 ミチルが肩を強張らせて、ミサトはヴァイオリンの弓の先を興味なさげにいじりながら、ミヤビは準備万端で、頷く。

 そして、青は再び歌い始めた。そこに、ヴァイオリンの三つの音色が重なっていく。二つは主旋律を模倣していたが、一つは他の旋律を奏でていた。その他の旋律が、主旋律と上手く交じり合っていく。


 その交じり具合に、言いようのない快感を覚えている青がいた。

 しかし、リッカは難しい顔だ。


「ちょっと待ってくださいまし!」


 ミヤビの叫び声が響き渡って、音が止まった。


「私達は伴奏ですのよ。主旋律を模倣してどうするつもりなの?」


「って言われてもなあ」


「私とミサトちゃんは、アドリブで他の旋律を生み出すような経験ないんだよ……」


「楽器も楽器です! ヴァイオリンが三対って。ヴィオラとかチェロにはなれないの?」


「な、なれます」


「ご用命とあれば今すぐに!」


 ミヤビとミサトの楽器が姿を変える。


「仕方がありませんね」


 ミヤビが、大きく息を吸った。


「私が楽譜を書きます。なので二人はそれに合わせて演奏するように」


「楽譜なんて読めないよ?」


「私もー」


「私が曲を書き終えるまでに勉強なさい。リッカさん、音楽の本はありますわよね」


「あるわよ~」


 リッカは楽しげな表情になっている。上手い具合に回り始めたぞ、とでも言いたげだ。


「それじゃあ今日は今のアオの歌を覚えて、解散して楽譜を読む勉強をしましょう。大丈夫、当日までには間に合いますわ」


「楽譜を読むようになるなんて……」


「思った以上の面倒事だね、これは」


 ミチルとミサトは頭を抱えてしまっている。


「それじゃあ、私は伴奏の曲を作ってきます」


 そう言って、ミヤビは楽器を置くと、早足で去って行ってしまった。


「お父さんが跡継ぎにするか迷ったのもわかるわね~。あの子、思った以上に多才よ」


 リッカは何が楽しいのか微笑んでいる。

 目の前の課題は山積みだった。

 その日の夜、ミチルは遅くまで音楽の本を読んでいた。


「ドってどんな音?」


「こんな音ですよ、姐さん」


 弦楽器の音が、小人の声から吐き出される。

 そんな調子で、その日の夜は過ぎていった。


 大変なのはミチル達だけではない。青もだ。

 青は、歌に合わせて舞うことになったのだ。


「舞姫科の催しなんだから、歌だけって言うのはちょっとね~」


 と言うのは、リッカの談だ。

 舞の教師のハクアがつきっきりで、青の舞を作り出していった。

 歌う曲は五曲。覚える舞もその分だけ。頭が混乱しそうになる。


 なので、苦戦しているミチル達に同情する間もない。


「せっかく徹夜で楽譜を書いてきたのに、どうして読めないんですの?」


 初音合せの翌日、目の下に隈を作ったミヤビが闘技場で叫ぶ。


「一朝一夕で楽譜が読めるようになるか!」


「ミサトちゃんと同感……音楽、難しいよう」


 そんな感じで、日々は過ぎて行った。

 俺、何をしてるんだろう。そんな風に感じることが、増えた。青の目的は、魔法陣を見つけて男の体に戻って元の世界に戻ること。次の目的は、ミチル達と仲良く過ごすこと。

 必死に本を読んでいるミチルの横では、そのどちらも果たせそうにない。


「大変だね~」


 昼の休憩時間に座った目で本を読んでいるミチルに、サクヤはからかうように言った。

 関係のない身の上としては、気楽なものである。

 彼女達は彼女達で学園祭の準備があるのだが、青達ほど難易度は高くない。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


「やりましたわね」


「終わったー」


 ミサトが両手を伸ばす。


「終わりじゃありませんわ。まだ一曲目ですわよ」


 結局、通しで一曲奏でられるようになったのは一週間も経ってのことだった。


「それも、音のタイミングが合っていません。曲の流れを感じていれば、タイミングはわかるはずですわ」


「譜面を読むだけで精一杯……」


 ミチルは意気消沈してしまっている。


「読めてないからタイミングがずれてるんじゃなくって」


「痛いところを突くなあ」


「まあ、とりあえず二曲目に行くか」


「駄目よ~」


 頭上から声が降ってきた。

 いつの間にか、闘技場の観客席にリッカが立っていた。


「完璧に一曲仕上げられるまで、二曲目はお預け」


「そんなこと言ってたら、永久に終わりませんよ」


 青はげんなりとして、そう口答えしていた。

 しかし、リッカは涼しい顔だ。


「ちぐはぐな曲を五曲流されても、お客さんは困るわよ~。さ、もう一回」


 まるで、無限地獄のようだった。

 ミチルのヴァイオリンの旋律から始まるその曲を、延々と繰り返す。そのうち、微妙に旋律のタイミングがずれた演奏が脳内で乱反射しているような気分になってくる。二十回も繰り返した頃だろうか。青は、気分が悪くなってきて座り込んだ。


「どうしたの、アオちゃん」


 ミチルが楽器を置いて駆け寄ってくる。


「あー、いや、ちょっと音に酔っただけ……」


「時間的にも、ここまでですわね」


 ミヤビが、溜息混じりに言う。


「このままじゃ、当日まで、間に合いませんわ」


 ミヤビの言葉が、静かな闘技場に虚しく響き渡った。


「しっかりしてくださいまし」


 沈黙に耐えかねたかのように、ミヤビは楽器を置いて去って行ってしまった。


「好きでやってるわけじゃないっつの」


 悪態をついて、ミサトも楽器を持って去って行ってしまう。

 後には、青とミチルの二人だけが残された。


「アオちゃん、なんか、嫌だ、私」


 ミチルが、呟くように言っていた。


「四人でやってるのに、皆バラバラみたい。なんだか凄く、気持ち悪いの。この、タイミングがずれた演奏みたいに」


 青は黙って、ミチルの肩を抱いた。青も、まったく同じ気持だったのだ。

 その夜、青とミチルは同じベッドで寝ころがった。体が触れ合っているだけで、疲労が少しだけ癒されるような気持ちになった。


「大丈夫ですか?」


 小人が一人、顔を覗き込んでくる。


「今はお前の顔も見たくない……」


 青は、ぼやくように言って体を起こした。

 そして、ふと気がつく。頭数が足りていない。小人が一人しかいないのだ。


「もう一人は何処行ったんだ?」


「貸出中ですね」


「貸出中?」


 小人が、ベッドを下りる。そして、扉へと歩き始めた。

 青は、大人しくその後に続く。背後を見ると、ミチルもついて来ていた。

 辿り着いたのは、アカデミーの裏庭。そこから、旋律が聞こえてきていた。


 楽器を弾いているのは、ミサトだ。

 一心不乱に弓を動かしている。

 そして、満足したように動きを止めた。


「一人ならまだ、聞ける曲になるのになあ……」


「そう言われても、皆で重ねなければ曲にはなりませんぜ」


「わかってるよ。私一人だけじゃ、曲の断片だ」


 ミサトは、楽器と会話して、小さく溜息を吐く。

 それを見ていて、青は、思うところがあった。


「音を楽しむ、って書くんだ……」


「音を、楽しむ?」


 ミチルが、不思議そうな表情になる。


「俺の世界では、音を楽しむと書いて音楽って書くんだ。数学は学ぶと書くんだけれど、音楽だけは楽しむと書くんだ。俺達、音を楽しんでたかな?」


「……目の前のことに必死で、楽譜に合わせるのに必死で、楽しむって発想なんてなかったな」


「皆、曲の流れは頭に入った。今なら、音を楽しめるんじゃないかな? 音で、遊べるんじゃないかな?」


「遊ぶ、か……」


 ミチルが、噛みしめるように言った。

 ミサトが、再び曲を奏で始める。


「ミサトにも、伝えに行こう」


「そうだね、それがいいよ。ちょっと今までと違う気持ちで、合わせてみよう」


 三人は、闘技場に移動した。


「音で遊ぶ、か。本当にそんなこと、できるのかな?」


「最初に歌った時、音の重なりを心地良いって思ったんだ。その心地良いって感覚を突き詰めて行く方向に、路線を変えれば良いんじゃないかな」


「結局、上手いと楽しいって奴じゃないか」


 ミサトが、拗ねたように言う。


「けど、今なら曲の流れは皆覚えてる。楽しめるよ、きっと、音を」


「夜にまでよくやりますわね」


 そう言って照れくさげに闘技場にやって来たのは、寝巻き姿のミヤビだ。

 ミサトの様子を、彼女も見ていたのかもしれない。


「やってみようぜ、ミヤビ。俺達、努力してきた。きっと楽しんで演奏できると思うんだ」


「まあ、二人とも硬くなっている部分があったのは確かですからね。意識を変えれば、自然と腕も動くかもしれません」


 小人二人が、楽器へと変わる。各々の楽器を、三人は手にする。


「やろうか」


「やろう」


「精々頑張るよ」


「今度こそ、合わせましょう」


 ミチルがヴァイオリンを奏で始める。それに先導されて、青が歌い始める。低音が重なってくる。音が溶け合っていく。

 前の練習が嘘のようだ。

 心地良い、と青は思った。

 欲しいところに、欲しい音がやってくる。それらの旋律は融け合って、一つになっていく。それを表現するように、自然と青の舞も冴える。

 そして、最後の音の余韻を残して、静けさが周囲に戻った。

 楽器が、小人へと戻った。


「やったよ!」


 ミチルが、青に抱きついてくる。


「やりましたわね」


 ミヤビが、歩み寄ってくる。


「まあ、悪くはなかったんじゃない?」


 ミサトは、安堵したような表情だ。


「楽しかった。私達の音、重なってた!」


 ミチルが、興奮したように言う。


「だから最初から言ったでしょう。音を重ねて楽しむものだと」


「言ってなかった!」


「あんたがやったのは駄目出しだけさね」


「そうでしたかしら」


「じゃあ、次の曲もやってみようか」


 青の提案に、ミチルとミサトが肩を強張らせる。


「旋律、まだ覚えてないよ……」


「右に同じ」


「貴女達ときたら……」


 ミヤビが、溜息を吐く。だが、その表情は微笑み顔だった。


「けれども、当日には間に合いそうですわね」


「おう!」


 青の元気の良い声が、闘技場に響き渡った。


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