第85話 縁起物の亀
再びヘグムを動かすために、住民たちは慌ただしく準備にかかっていた。
致命的な被害もなかったようで、大きな混乱もなく作業が進められている。
一通り指示を終えて一息ついているガナウィに、俺は歩み寄って問いかけてみた。
「気のせいかもしれませんが、プロガノリュウが出た時に喜んでいたように見えたんですけど」
「それはお恥ずかしい。いえ、かのモンスターは縁起物でしてね」
ガナウィは照れくさそうに頭をかき、ウサギの長い耳をパタパタと揺らした。
「縁起物?」
「そうだ。だからこそ俺は研究していたのだ!」
横から、ホクホク顔のジャックが口を挟んできた。
「あの甲羅で作った装備は壊れない。昔はそれを狙って乱獲され、その数が激減したのだ」
「強力なモンスターです。討伐の度に死傷者も多く出ていました」
ガナウィがジャックの言葉を補足するように静かに頷く。
「あれは災害みたいなものですが、一部では『見た者に幸運が訪れる』とも言われているのです。まあ、数が減って珍しくなっただけなのでしょうがね」
(それで縁起物のカメになったのか)
「それに私のように、あの見た目が好きって人も結構居るんですよ」
ガナウィがふわりと微笑む。
その屈強な肉体に似合わず、瞳は少年のように輝いていた。
(ウサギとカメか)
相性がいいのかな?
あれってどんな話だっけな。
「ちなみに、眠っている時は火が付いてないから甲羅を削れるのだぞ」
ジャックが得意げに鼻を鳴らす。
「へえ……」
(どうでもいい知識が増えた)
前回の「亀への投資」って、このプロガノリュウの甲羅ビジネスのことだったのか。
シェーレ鋼と、その加工技術が発見されてからは、危険を冒してまで甲羅を狙う人が激減したらしい。
しかし、一度減った数はなかなか増えない。
ジャックは、プロガノリュウを養殖して一儲けできないかと考えていたみたいだった。
「とにかく、ダリアン草のキャンドルは売れるはずだ。知ってるか? 王都の人間は虫が苦手なんだよ」
ジャックはダリアン草のサンプルを手に取り、高らかに笑う。
「虫なんて、王都の人間じゃなくてもみんな苦手でしょ」
ユラが呆れたように尻尾を揺らす。
「これで一山当ててやるぞ! 忘れるなよタケル、王都へ来たら必ず会いに来るのだぞ!」
「あ、はい。お気をつけて」
ジャックは、お付きの魔法使いルネと共に意気揚々と王都へ向けて出発していった。
その背中は、これ以上ないほど満足そうに見えた。
「思ってた貴族と違ったわね。なんだか商人みたい」
遠ざかる背中を見送りながら、ユラが苦笑する。
「たしかに」
「みんな、お金、欲しい、のか?」
ラクンが不思議そうに首を傾げる。
「生きていく上で、大事な物ではあるかな」
俺は空っぽに近い自分のエナックの残高を思い浮かべ、少しだけ遠い目をした。
◇ ◇ ◇
ヘグムの平原には、プロガノリュウが吐いた炎の焼け跡が黒々と残っていた。
「消火は済みましたけど、かなり大規模に焼けてしまいましたね」
「あれと遭遇して、怪我人が出なかっただけでも奇跡です。タケルさんには本当に助けられました」
ガナウィが深く頭を下げる。
「メスター、ご飯、なくなった、か?」
ラクンが黒焦げになった大地を見て、心配そうに眉を下げる。
「この平原はマナ結晶によって生まれているので、すぐに再生します。ご安心を」
ガナウィが穏やかに微笑んで答えた。
「マナ結晶!?」
「おや? ご存じなかったですか?」
驚く俺を見て、ガナウィが不思議そうに目を丸くする。
「すみません。俺、そういった情報に疎くて……」
(たしか、レベックでチャールズたちも「教科書に載ってる」って言ってたよな)
ヘグムのような大平原がマナ結晶の恩恵によるものだというのは、この世界では常識だったのかもしれない。
ホント、こういう基本情報には弱いな俺。
「無限に草原を作るといっても、いきなり草花が生い茂るわけではありません。芽が出て、通常の期間を経て成長していくのです」
「それで、成長した草花をメスターに食べさせるために、ヘグムは移動していたのね」
ユラが納得したように手をポンと叩く。
「その通りです。ヘグムは、止まらない都市ではなく、"止まれない"都市なのですよ」
ガナウィは誇らしげに、広大な草原を見渡した。
(メスターと共に生きると決めた街、か)
「そういう生き方もあるのね。移動しながら定住するのって、ちょっと素敵かも」
「そうだね」
(ユラは、故郷に帰り辛いと思っている)
だからこそ、場所に縛られないヘグムのような遊牧生活に、どこか憧れを抱くのかもしれない。
「家が動く。音も、流れる、のか?」
ラクンは風に揺れる巨大な家々を見上げながら、独り言のように呟いている。
(ラクンなりに、ヘグムの生き方を理解しようとしてるのかな)
ずっと静かな洞窟暮らしだったからな。
最初に見た外の生活が、こんなスケールの大きい遊牧都市というのも、なかなか理解するのが大変そうだ。
「町によって、色んな生活があるみたいだよ」
俺がそっとラクンの頭を撫でると、彼女は心地よさそうに目を細めた。
「そうか」
ラクンの言葉に、俺とユラも自然と笑顔になる。
止まれない都市ヘグムは、再びゆっくりと大地を削りながら進み始めた。
俺たちもまた、足を止めることなく王都への旅路を再開する。
「行くよ、トラベル」
愛馬トラベルに荷物を預ける。
「ねえ、あとどれくらいなの?」
「平原抜けたらすぐって言ってたよ」
ラクンは、流れる雲を目で追いながら、鼻歌を歌っている。




