第102話 黒の正方形
「王都陥落……具体的な日時は分かるかい?」
エリックの静かな問いかけに、ユラはこめかみを押さえた。
頭の中に溢れる記憶の残滓から、必要な情報だけを慎重に手繰り寄せるように口を開く。
「……次の、新月」
「明後日か。時間がないな」
エリックが小さく息を吐いた。
「根回しの時間がないね。何としても事が起こる前に、ネームレスでルードを押さえる」
彼は即座に決断を下し、素早く指示を飛ばし始めた。
「クリス、各ギルドに協力を要請してくれ。モンスターが大量召喚された場合に備えて、冒険者は王都で待機するようにと。各所への配置や防衛作戦は君に任せる」
「分かったわ」
クリスが真剣な表情で頷く。
「僕は騎士団に直接掛け合ってみるよ。僕らの言うことで動いてくれるかは分からないけどね」
テントの出口へ向かおうとするエリックの背中に、俺は思わず声を張り上げた。
「エリックさん! 俺も連れて行ってください!」
一瞬、テント内の空気がピタリと固まった。
ネームレスのメンバー全員の視線が、俺の一点に突き刺さる。
「君とユラがルードへ確執を持っているのは知っているよ。でも、悪いけど無理だ」
エリックは振り返り、冷徹な瞳で俺を見据えた。
「足手まといがいると、僕たちまで危険になる。君を庇いながら戦える相手じゃない」
(エリックの言うことは、完全に正しい。当然の言い分だ。それでも……!)
「……なら、俺の実力を試して下さい。足手まといかどうかは、それから決めてください」
「ほう、面白い」
これまで腕を組んで黙っていたカートが、低い声で喉を鳴らした。
「表に出ろ」
「……はい」
大剣を背負い直してテントを出ていくカートの背中を、俺は追う。
「ちょっとカート! エリック、本当にいいの?」
クリスが慌ててエリックの袖を引く。
「まあ、手加減はするだろう。納得させるにはちょうどいい」
エリックは静かにそう答え、クリスと共に俺たちの後へ続いた。
「タケル……」
ユラが不安げに俺の背中を見つめる。
「大丈夫、ここで待ってて」
俺は小さく笑いかけて、テントの外へと出た。
◇ ◇ ◇
王都地下、大空洞の広場。
周囲にはまだ、他のパーティの冒険者たちが大勢行き交っている。
「ここだと他の冒険者も居て、迷惑になりませんか?」
「問題ない」
カートが短く答えた瞬間。
彼の足元から、地面が黒く染まり始めた。
(なんだ? 足元が……)
黒い染みは一瞬で広がり、周囲の景色を飲み込んでいく。
(地面だけじゃない! 空間が……黒く塗り替わっていく!?)
周囲の冒険者たちの姿も、喧騒も消え去った。
残されたのは俺とカート、そしてエリックとクリスだけ。
上下左右、どこまでも続く無機質な黒一色の空間に隔離されていた。
「うわあ、カートの馬鹿。使っちゃったよ」
クリスが呆れたようにため息をつく。
「こんなところで切り札を見せるなよ」
エリックもやれやれといった様子で肩をすくめた。
「突入するのは明後日だ。それまでにクールタイムは解消される」
カートは背中の大剣をゆっくりと引き抜き、俺に向けた。
「かかってこい。この空間では、外部からの干渉は一切受けない。周囲への被害も気にする必要はない」
(どういうスキルなんだ?)
認識した相手だけ閉じ込めてるのか?
おそらく本来の使い方は、標的を逃がさないためのもの。
確実に1対1で仕留めるための。
自分の実力に絶対の自信がなければ、絶対に使えないスキルだ。
(出し惜しみはなしだ。今の俺にできることを見せるしかない)
俺は灰の古剣にマナを流し込む。
刀身が淡く明滅し、威力を増していく。
「剣を抜いた?」
後方で見ていたエリックが、意外そうに眉を上げた。
(杖を使わなくても、魔法は撃てる!)
〈ファイヤー・アロー〉
俺は左手の指先から火の矢を3発連続で発射する。
カートの視界を塞ぐように牽制を入れる。
そのまま低い姿勢で一気に踏み込んだ。
マナを吸って加速した灰の古剣で、渾身の袈裟斬りを放つ。
カートは表情一つ変えず、俺の全力の剣撃を大剣で受け止めた。
「器用なことを」
カートが感心したように呟く。
「あの子、本当に剣も使えるんだ」
クリスが目を見張る声が聞こえた。
(……反応が速い!)
あの巨体なのに、俺よりも確実に速い。
少し小細工した程度じゃ、あっさりと対応されてしまう。
(それなら!)
〈ステルス〉
俺はスキルの効果で自身の気配と姿を遮断する。
カートの側面へ素早く回り込んだ。
〈フィジカル・ブースト〉
さらに身体能力を限界まで引き上げる。
渾身の力で剣を振り下ろした。
「はあぁッ!」
カートが、自身を中心とした全方位への衝撃波を発生させた。
俺の剣が届くより早く、爆発的な圧力が全身を打ち据える。
「ぐっ……!」
俺は簡単に吹き飛ばされた。
黒い床を数メートル転がってなんとか体勢を立て直した。
(くそっ! 今のは何のスキルだ?)
俺の〈ステルス〉を看破せずに対応してきた。
「……〈剣マスタリー〉を取っているな?」
カートが、冷ややかな声で静かに問いかけてきた。
(戦っただけで、そこまで分かるのか?)
「……はい」
「それは選択ミス、と言わざるを得ないね」
エリックが首を横に振る。
「タケル、君の本来の適性は魔法だろう? それなら魔法のスキルボードにSPを集中させるべきだった。剣も魔法もと欲張って、スキル構成を失敗してきた冒険者を、僕は何人も見てきたよ」
エリックの言葉は、この世界の常識に照らし合わせれば完全に正しいんだろうな。
「君が悪いんじゃない。正しい知識を教える指導者がいなかっただけだ」
「……まだ、俺は全てを見せていません」
俺は立ち上がり、剣を鞘に収める。
代わりに、ベルトから杖を抜き放った。
「カートさん、この結界みたいな空間を壊したら、元の世界に影響しますか?」
「壊す? 俺の『黒の正方形』は、あの勇者ラクレスでも壊せはしない。まだ何かあるなら見せてみろ、受けてやる」
カートが大剣を肩に担ぎ、余裕の態度で挑発してくる。
「受けるのは、きっと無理です。あなたを殺したくありません」
俺が真顔でそう告げると、カートが驚いたように目を見開いた。
次の瞬間。
「くっ、はははっは!」
カートが腹の底から楽しそうに笑い出した。
(見下したり、馬鹿にした笑いじゃない。本当に、喜んでいるような顔だ)
「カートの魔法防御の高さは、僕が一番よく分かっている。なのに、ハッタリに聞こえないのは何故だろうね?」
エリックが目を細め、面白そうに口元を歪めた。
「いいよ、僕が囮を出すから。それに撃ってみなよ」
エリックが地面に触れると、魔法陣から黒い影の戦士が召喚された。
「この辺りでいいかい?」
「はい」
(座標を、あの囮に――)
俺は目を閉じる。
火のマナと水のマナを極限まで圧縮させる。
二つの相反する属性を融合させる。
静かに杖の先を囮へ向けた。
〈スチーム・バースト〉
次の瞬間。
まるで小さな星が膨張したように眩しく光り輝いた。
やや遅れて、空気を切り裂くような破裂音が黒い空間に響き渡る。
轟音とともに、高圧の白い蒸気が爆発的に広がる。
囮は一瞬にして消し飛んだ。
カートの作った黒い世界が、白い蒸気に飲み込まれた。
「……こんな規格外の力を、よく今まで隠せていたね」
「くくく。本当に、こんなイカれた奴が現れるなんてな」
蒸気が晴れた後。
エリックとカートが信じられないものを見たように笑っていた。
「この熱量、水の圧力……これが水魔法なの? あり得ないわ、こんな魔法は……」
水魔法の専門家であるクリスが、完全に言葉を失って呆然と立ち尽くしている。
「いいだろう。タケル、君の力を認めよう」
エリックが俺の元へ歩み寄り、はっきりと告げた。
「明後日の深層突入、僕のパーティで戦ってもらう」
「……はい」




