35話:白竜に捧ぐ我が紅血の唄
「──ここに、【法】があるのか?」
子供の静かな問いの後。砂埃を含んだ生温い風が洞室の隙間から流れ、子供の金糸をさらりと揺らす。
「……恐らくは」
実際のところ、そんな話は俺にはまるで分からない。だが、後から来れるように制作側が作ったもんなら、きっとそうなんじゃないか?レメにゆすられ続けていたヨーリアも、わざわざ目を合わせ軽く頷いてくる。嘘八丁、虚勢を適当に張る程度なら得意なもんだ。
だが、どうしてそんなことを知りたがったのか。
俺の言葉を受けた子供はゆっくりと歩みを進め、岩壁の前に辿り着く。どうしたのかと問うことすらできない。
ぞくりと、肌が泡立つ程の気配が少年からは溢れていた。零落しても王族ということか。空気に呑まれる。
壁前で戯れあっていた二人も、思わずといった仕草で一歩、二歩と後ずさっていた。
ぺたりと、小さな手のひらが岩壁に沿う。
俺の幻が消えた今、そこはただの壁が広がるばかりだが、その先ではあの豪奢な部屋が広がっているのだろう。城暮らしだった彼には、もしかしたらそちらの方が馴染みは深いのかもしれない。
「カル。余はこの先の部屋こそ、こたびのまもののぼうそうの元きょうと考えるが、貴様の意見はどうだ。──聞かせてみよ」
子どもは背を向けている。その背は俺の腰ほどしかない程小さく、頼りない。儚く、簡単に折れてしまいそうな程細い腕が、袖口から覗いている。
だというのに、そこには圧倒的な存在感があった。一挙手一投足が、正しく洗練された佇まいがあった。
それは排斥をされども曲がりなりに王族として、教育を受けてきたからか。それとも正しい教育を受けさせられていたであろう兄の背を、見つめ続けていたからだろうか。
目が引き寄せられる。決して離せない。
逆らえない。逆らいたくもない。
「……ああ、私も同じ意見だ。あの部屋の何かは関わってるだろうな」
恐らく、床から生えてる手の先に落ちていたモノ。あれが落ちたことで、何かのスイッチが作動したとかではないだろうか。俺の【鑑定】では何であるかは全く探れなかったのだけれども。
沈黙が落ちる。誰もが固唾を飲んで、この子どもの次の言葉を待っていた。
「余はもう、一つのぎむをはたせなくなった」
声変わりなんてまだまだ程遠い。幼い声がポツリと呟く。
「やらねばならぬものだった。しかし、余の弱さゆえにはたすことはできず………いや、今なら分かる。本当はそれをはたすことを、求められたことすらなかったのであろう」
きっと、余が真に求められていたのは……と、小さく項垂れる姿はあまりに哀れだ。この子の兄が語っていた言葉を思い出す。
「──母から、死ぬことだけを望まれていました」、と。
こんなにも幼い子どもが、もしそのことを理解してしまったのだとしたら。なんて恐ろしく悲しい話だろう。王族として、民を守ることを志していたであろう良い子を潰す世界を、俺は呪ってしまいたい。
「……であるとしても、だ」
だが、彼は強かった。
くるりとこちらに振り向いて見せた時。その時には項垂れ、弱さを見せていた姿はない。
鮮血のように濁りのない真っ赤な瞳には、強い意志が宿っていた。
「余は、すべての民草をまもろう」
少年は足元へカンテラを置くと、ゆったり。気品を持って、その小さな両の手を天へと掲げる。
そうしてすうっ……と、小さく息を吸った。
「天穹の彼方におわす、白き竜よ──」
朗々と、言葉が語られはじめていく。
いつの間にか、少年の手には真っ白なナイフが握られていた。彼はゆっくり、真白い刃先を手に押し当てる。
つ──と、真っ白な腕に赤い筋が引かれていった。
鮮血が、彼の腕から零れ落ちる。真っ赤なソレが地面に触れた瞬間、巨大な魔法陣が足元に展開された。
「我が血を汝の杯へ、我が命を汝の鎖へ
我らが父アルフレッドの名において、今ここに願う」
子どもの朗々とした声に合わせ、何色にも輝く眩い光が派手に魔法陣から浮かび上がる。光は赤、黄、青、緑、水色と──暗い洞窟の中、幻想的に変わっていった。
「──その者の指先より零れる命を断て
その者の吐息に宿る言霊を断て
その者の魂を巡る魔力の奔流を断て」
光に導かれるようにふわりと浮いた子どもの大きな赤い瞳の中へ、真っ白な魔法陣が浮かぶ。複雑な紋様を描きながら、くるくると形を変え続けるそれは、きっと床に現れたものと同じもの。
「白竜よ、汝が翼にて天を覆え
汝が鱗にて魔を退け
汝が牙にて世界の【法】を噛み砕け
我が血を鍵とし、汝の名を門とし、
この地に満ちるすべての魔よ──沈黙せよ」
何かの圧が大気に満ちる。俺の目には輝く光しか見えないのに、何も存在していないというのに。
子供の語る"竜"が、今まさかにここに顕現をしているかのように。
「炎よ眠れ、
水よ澱め、
風よ止め、
土よ砕け、
雷よ跪け、
氷よ溶け、
木よ枯れ、
光よ、その輝きを閉ざせ」
唱えられる言葉に合わせ、炎で赤い光が、水で青い光が──足元の魔法陣から浮かび上がっていた光が色を失われていく。最後に残るのは真っ白な輝きだけ。
そこへ、少年の真っ赤な鮮血が滴り落ち、混ざる。
「汝が魔を振るう限り、
我が血は汝の鎖となり
汝が【法】を愚弄する限り、
白竜は汝を閉ざす門となる
この刻より、
汝の魔法は世界に届かない
汝の祈りは天に届かない
汝の【法】は―白竜の翼を越えられない」
ゆったり背後へ振り向いた少年の目前にある岩壁。
俺の【幻式】を当てれば、向こうの豪奢な空間が垣間見えるのだろう。
彼は手を翳す。
「【白竜式】──紅血の唄!」
──パキ
軽い音が響いた。
直後、視界が光の洪水で埋め尽くされる。だがそれは痛みを伴うようなものではなく、まるで母なる海に還る時のような──あたたかな感覚。決して裏切ることのない己の絶対的な味方に包まれ、何に怯えることもなく眠りにつくように酔いしれる程の安心感があった。
パキ、パキ
微かに、何か軽いものが割れていくような音が響く。視界は光に呑まれ、何も分からない。
しかしその音に紛れ、呻き声が聞こえた。
「う”……、ぐ、」
と伏して抑えるようなこの声は、間違いなくあの子のものだった。
「──ヨーリア!!」
戻らない視界。だがこんな俺でも、掠れ声のする方向だけは分かる。
傍に行かない理由はなかった。
だからその音を頼りに彼のいる場所へと向かう。するとたった一歩足を踏み出すだけで、光は牙をむいた。手のひらや腕を突き抜ける程の強い光が視界を焼きつくす。冷や汗が噴き出た。見えない圧に押しつぶされそうになる。
だけれども、
先ほどまで、すっかり覇気に呑まれていた。が、あそこにいるのはただ一人の少年である。その出自で色眼鏡をかけるなんて、俺らしくない。見えない視界の先で、子供はきっと一人で立っている。
こんな大仰なスキル……きっと、何の代償もなしに使えるようなものじゃない。MPが足りないのか、それだけで済んでいるのか。悪い想像が頭を過り、踏み出す足に力が入る。
近づくほど、光の洪水がどんどんと勢いを増していく。
先ほどまでは間違いなく暖かく心地よいものであったのに。立ち向かおうとする今は、僅かに近づこうとするだけで鋭い爪で体を切り裂かれてしまうような。頭を垂れ、その場に縫い付けられてしまいそうな圧が襲い掛かる。
だけれども、
苦し気な声が洞穴に響く。
このスキルはきっと、王族の何らかのスキルなんだろう。ソーリャに教えて貰ったブリア王国の国旗にも、中央に竜は描かれていた。
きっと特別な力に違いない。
──彼に才能がなかった力でも、あったのだろう。
ぴしゃり、とまるで吐血したかのような音。
彼はきっと今、抑えきれないスキルに振り回されて苦しんでいる。齢僅かの幼い子供が、たった一人で孤独に【法】へと立ち向かって。
部外者の俺には【法】の偉大さは分からないが、きっと絶対的な教えに逆らっていくようなものなんだ。
「……カ、ル──くる、な……」
だから、こんな途切れ途切れのか細い声で。
「断るっ──!」
俺を止められると思わないことだ。
ほんの少しも慣れないまま、白い光の強さに目が焼かれる。白もここまでくれば毒となるもんだ。
だが少年を探すために突き出していた手が、岩壁に触れた。と同時に小さな少年もとん──、と懐に飛び込んでくる。
触れた肌は、氷のように冷たかった。
「──おい、大丈夫なのかこれはっ!?」
おおよそ生きている人間のものとは思えないほどの冷たさに、思わず声も裏返る。
逃れようとしてか、僅かに振られる顔をしっかり捕まえた。
「余……、のこと──は、よい……か、ら……あの、かべの先をっ……はや、く」
げぼっ、ごほっ……と苦し気な音が響く。
「良くない!」と、彼をこの場から引き離すことができたら良かったのに。ぞくりと冷えた子どもの体は、全くと言っていい程動かない。何かの力で、宙に打ち付けられているかのように。
「くそがっ……!!」
クール男子の仮面は剥がれた。汚く吐き捨てた言葉と共に、見えない視界の中で壁を手探る。
ヨーリアの使ったスキルがどのようなものであるかは、正確には分からない。だが察するに【法】に対して、何かの手を出せるようなスキルなのだろう。
ならば、探すしかない。割れているかもしれない隙間を、この壁の先の空間を。
きっと、その先にあるこの騒動の元凶である”何か”を。
がんがん、がんがん!!
きっと赤く腫れあがっているほどの強い力で、岩壁を叩く。HPバーが視界の端で減っていった。
耳からはすぐ傍にいる子供だけでなく、残りの子供たちの苦しむ声が聞こえてくる。そういえば鳥には強い光が苦手な種類もいたはずだし、そうでなくともこの強い光は毒だろう。手のひらで目を覆ったとしても、突き抜けてくるほどの光だ。
早く、皆のためにも事態を収束させねばならない。
この魔物騒動ごと、全てを。
がん!!
と、ある一点を叩いた時のことだった。
パキリ、と音が響く。
先ほど、あの子がスキルを唱え終えた後にも、鳴った音だ。
ここか!
見えない中だが、おおよその目測をつけ腕を振りかぶる。
「あ、……が…ぐ、」
子どもの呻き。それに合わせ、光がちらちらと明滅を始める。なんとなく、先ほどより光量が弱くなっているように感じた。MPが尽きかけているのか、それとも別の何かが進行しているのか。
だがどちらでも、いい予感はしない。
早く、事態を収めなければ。
持てる力全てを込めて叩きつけた壁は、パキン──と音を立てた。
俺のがぐっと減ったHPバー。それが減る勢いと同じくらいの勢いで、俺の腕はその先へと飲まれる。
何もない空間。
だがきっと、【法】を抜けた。
「【幻式】──!!」
ほんの僅かに回復した視界の中で、幻をあたりにぶつける。殆ど見えない。光に焼かれた目は、ぼんやりともやがかかっているかのようだ。
先は、なんだろう。豪華な部屋があるはずだったのに、もはやそれを理解できない。形だけがうすぼんやりと視覚の先に広がる。
何かの家具、照明、床、そこから生えた腕。
そうして──その前に転がっていた四角い”何か”。
俺の手が届きそうなのは、その”何か”だけだった。この箱が魔物の気を狂わせていたものなのかは、全然分からないけれど。なにせ【鑑定】は【法】に阻まれてか、何も映さない。
伸ばす、伸ばす、指の先までぎりぎりと。
腕の付け根が岩壁に引っかかる程に伸ばして、でもたぶんあと少しが足りない。
中指が宙をかいた。くそ、ここまで来て!!
脳裏には、様々な諦めが過っていく。
アナウンスこそないがこのイベント──明らかに、今の適正レベルを超えている。
【法】に、こんな開始早々打ち勝つことなんて、想定されているのだろうか。そこまでして、得なければならない報酬なのだろうか。そもそも、あんな風に床に放置されている”何か”ではなく、家具の中に丁寧にしまわれているものの中にこそ、探し物はあるんじゃないのか。
こんなことをしている間にも、ヨーリアはどんどんと危機的に状況に陥ってるのではないだろう。もしそうなら、彼を預けてくれたアルに申し訳が立たない。今からでも、あの子を昏倒でもさせた方が良いんじゃないか。
諦める理由だけは、いくらでも思いつく。
何度指を動かしても、腕をぐいと押しこめても、”何か”にはあと一歩が足りない。家庭用ゲーム機の主人公じゃない俺には、きっと足らないのだ。
この大掛かりな【式】を今すぐやめさせることも、せめてあの子の願う冒険者の義務を果たさせてやることも、どちらもきっと。
はしたなく、舌打ちが飛び出す。
無力な己への苛立ちだった。
だが、
らん、らんら………らん、ら……
そんな時に飛び込んできたのは、不協和音であった。
そうだそもそも、最初に岩壁の裏から聞こえてきたのはこの──魔王グリムが背負っていたBGMだ。
だが、あの真っ白な子供がここに?
いまだまともに機能しない視界の中で、彼を視認するのは困難を極める。
俺には何故か友好的だったが、魔王というのならば。本来は敵として振る舞ってくるのではないか。あの時、襲ってきたプレイヤーを頭容易く倒したように。
それとも、まだ味方のように振る舞ってくれるのだろうか。
どちらにせよ。事態が好転するかどうかは……
眩さで殆ど何も分からない世界の中。何かが動いたのが目に入った。
腕だ。地面から生えていたあの腕。
からころり。
そうして小さな音がした。何か固いものが、指先まで転がって当たる。まさか、と必死に掴んだ。
腕を壁から引き抜く。
掴んだ手のひらの中には、固い感触がする。まさにこれは、地面に落ちていたあの"何か"ではなかろうか。
手が転がしてくれたのか?しかし、どうして。
分からないが掴めただけ、良しとしよう。詳しいことを考え込むのは、今は後だ。
「取れたぞ!!」
振り向いて叫ぶ。
その瞬間、
「まこと、か……?」
光が唐突に消え失せる。チカチカとくらむ視界の先。目に飛び込んだのは、必死に目を庇うように伏せた三人の子供たちの姿と、力を失ったかのように地へ倒れ込もうとするヨーリアの小さな体であった。
「危ないっ……」
駆けてなんとか、その肢体が転がる前に腕を差し入れる。ずさっと腕が擦れた気がしたが、おかげでこの子の頭が地面に直撃する、なんてことは起こらなかった。ならよし。
だが、抱えた少年の体からはくたりと力が抜けている。顔色も悪く、目も開かない。
……まさか、
「……大丈夫だよ。これはHPも無理やりMPに変換していたせいで、倒れただけみたいだから」
でも後もう少しスキルを使い続けていたら、危なかったかも。と、地面に杖をついて這って近近付いてきたソーリャが呟く。
【過集中】とかも使っていたのかな、と診断を下しながら回復スキルを何回か使っていくと、頬に僅かに赤みが戻っていった。
ほぅ……と吐息が思わず漏れる。
ちらっと、ソーリャの瞳が"何か"を見る。
「ボクの【審美眼】でも何にも分からないや。随分とおかしいものだね」
彼すらか。
本当に何なんだろうな……考え込んでいると、そろそろレメとウカも近づいてきた。特にウカは、真っ黒な目を何度もしばたたかせている。鳥によっては強い光に弱い子もいるらしいし、かなり心配だ。
声をかければ、にこりと「大丈夫だよ」と笑い返される。本当に平気か?
とはいえここで見えないと言われても、どうにもできないし、早くこんな洞窟からは出よう。もう、用はない。
"何か"はアイテムボックスにしまい、本は浮かせ、ヨーリアを抱え上げる。残りの三人も近付いてきたことを確認し、
「【脱出】」
早々に、こんな薄暗い場所からは逃げてしまおう。
ところでこの"何か"を転がしてくれたのは、いったい何だったのだろう。
……鳴っていたBGMはやんだ。だから、きっと。
でも、どうしてだ?
誰もいなくなった洞室の奥。魔物の姿だって、一匹も見当たらない。
消えた岩壁の先にて、白い腕が動く。
ふらふら、ふらふら。
ゆらゆら、ゆらゆら。
どこからか、独特な不協和音を奏でる音楽が流れ出す。子供の歓声と悲鳴と歌声が混じる協奏曲。
ゆらり。真白い子供は、そこにいた。
いつのまにか、幽霊のように。
たくさんの子供の腕でできあがった椅子の上で、ゆうらり。
小さな体を揺らす。
薄手の白いベールも合わせて揺れて、血の気のない唇が露わになった。
「おにいさん、おにいさんやくそくね」
「ちゃんと、ワタシが手伝ってあげたんだから」
「おてつだいしたんだから、おねがいきいてね」
朗々と、歌うように掠れた声が響く。
一人きりなのに、まるで誰かとお話ををしているかのように。声は連鎖する。
贅がつくされた黄金の部屋の中。
真っ白な少年は満面の笑みを浮かべる。
その時、声に釣られてか。
洞窟の横穴の中から、小さな子蛇が顔を出す。
きっと先の戦闘で母や兄弟を失った、哀れな子供だ。
にょろ、にょろり。
穴から這い出て床へと落ちようとして。
ばちん
その姿は真っ赤に染まり、粒子となって消えていった。
大地には真白く細い腕が、まるで模倣をするかのように、くたりくたりとのたうつばかり。
カラカラ、子供は笑う。
首から下げられたナイフが揺れた。
ぱらぱらぱら。
赤錆が粉となって、真っ白な服を汚していく。
「やくそくだよ、おにいさん」
一つの喉で、二つの音が奏でられる。
そうして次の瞬間には、子供の姿は消えていた。
洞窟の奥には何の変哲もない。
岩壁だけが広がっている。
ここには何もない。
もう、なにものもない。
実は一度データが消えました。
保存はこまめに!




