第6話 講堂
「フフフッ、ねぇあの人、ちょっと可愛くない?」
「って言うか、歳いくつなんだろうね。同い年くらいに見えるけど。」
大学の講堂にて、席の両側を女友達二人に挟まれる夏子。
特別講演会と言うから来てみたものの、壇上でマイクを握る講師は非常によく知った人間であり、その事に少し混乱した。
見事大学デビューを果たし絶賛彼氏募集中の女友達二人は、やって来た講師の予想外の若さとその外見に対して、きゃっきゃと盛り上がりを見せていたが、夏子としては頭が痛い限りであった。
そこに立っているまさかの兄。
一体どういう間違いでやってきたのか知らないが、あの頭が少しおかしい兄が何かやらかすのではないかと心配でしかたない。
と言うか、あの兄が学生相手に一体何を喋るというのか、普段の様子を見ている限り、まともではないのは確実だ。
「ねえ、夏子~、あんたどう思う?」
「え? 私?」
「夏子って、ああいうのタイプなんじゃないの?」
「へ? う~ん、まぁ顔はいいんじゃない?」
そう言うと、一層はしゃぐ友達は興味深々に身を乗り出して来たが、この自分とのテンションの違いに気怠さを感じる。
顔が良いだけの男なんてどこにでもいるし。
ましてやあれのどこがいいんだか。
夏子は机に両肘をつき、その手のひらに顔を乗っけた。
「まぁでもあれは、中身が駄目でしょ。」
「え!? 夏子知り合いなの!?」
「別に。」
「え~何それ気になる~!! って言うか紹介して~。」
「はぁ……。」
あれが兄だというの黙っておこう。
夏子は静かにノートを開いた。
「はい、え~、みなさんどうも。地下衛生管理局から来ました。志賀潤史朗と申します。え~さて、本日はですね、まぁ90分と言う短い時間ですが、最後まで聞いて頂いたけたら幸いかと思います。」
アクションカメラの男こと、彼こそが志賀潤史朗。
所属部署の関係もあり、このような講演を行うのは初めてではないが、何分大学生と言う歳の近い相手に対して、偉そうに教壇に立って喋るのは非常にやり辛いものだった。
中には自分より年上も何人かいるだろうに。
そして頼みの相棒クガマルも、今日は講堂の中央でプロジェクター装置としての役目に徹している。
あのクワガタムシ型高性能ドローンことクガマルは、投影装置をも内蔵しており、ロボットとしての汎用性の高さは一般家庭用のそれと比べて一線を画すが、そのロボットとしての能力の真髄は、搭載されているAIにある。
それはもはや、感動するどころか恐ろしさを感じずにはいられない。
その恐ろしいという言葉が示すところの意味は、性能的な事は勿論だが、それ以上にそれが計算して至り着く発想が、いささかバイオレンスであるのだ。
そういう訳で普段クガマルは、外で喋るのは自粛させられているのだが、正直反逆してきたら手に負えないと思う。
今日の様な講演も、じょう舌なクガマルにやらせれば楽なのだろうと思うが、色々な意味でそうはいかなかった。
「はい、じゃあ、まずは簡単に自己紹介という事で。」
潤史朗がそう言って、クガマルの方に目配せをすると、スクリーンに映るスライドは自動でページがめくられた。
「志賀潤史朗24歳です。地下衛生管理局中日本支部の情報課というところで働いていまして、主な業務は、そうですね、地下で発生した感染症や有害生物の大量発生などの情報を収集して、それを各機関に報告したり、市民の皆様に注意を促したりしています。またそれに基づいて衛生指導の指針を取り決めたりもしていますが、このように実際に足を運んでみなさんの前で広報活動をしたりと、様々な活動を行っていますね。」
と言うのが表向きの説明だが、情報収集という意味では嘘は言っていない。
あの巨大なゴキブリとて、害虫と言う括りには間違いない。
ただデカいだけだ。
「そして、また自分はですね、とある研究部の方とも兼務しておりまして、色んな衛生対策装置の開発にも携わってます。ホントはここの研究部長とかを呼べば自分よりもっといい話をしてくれるとは思うんですが、まぁ忙しいのでね。今日は私が色々説明していきたいと思うので、まぁ宜しくお願いしますと。」
そして再びスライドがめくられた。
「はい。それでは進めていきますが、はい、皆さんご存知の通り、我が国日本では地下社会が非常に発達していますね。それはどうしてでしょうか。」
スライドに映るのは日本列島の図と、それに加えてコミカルに描かれるキノコのイラストであった。
スライド上のキノコは時間経過とともにスクリーンの中に増殖し続け、そして最後には画面の全てをキノコが覆った。
「キノコですね、ドコデモダケって言うやつです。こちらのキノコ、つい今世紀に発見された新種のキノコなんですが、増殖力が凄まじいです。ご覧のとおり、もう日本全国キノコだらけですね。はい、それでこのドコデモダケの出す胞子、吸ったことある人みえますか?」
潤史朗はそう言うと、手を上げて会場を見渡して挙手を促した。
「はい、いませんね。よかったです。こちら胞子、吸ってしまいますと体内がキノコだらけになって、まぁ簡単に言うとゾンビみたいな状態になるんですね。」
「そうしまして、このやばいキノコ、日本中にその胞子をまき散らしまして、列島には人間の住処がなくなってしまいます。」
「はい、そうして計画された隔離都市構想。機械的な防護システムを有する都市を日本各地頑張って作った訳ですね、これでもう安心、みんなこの中で暮らせばドコデモダケの胞子から体を守れるんです。そしてこの場所、尾張中京都もその内の一つということですね。」
「がしかし、ここで大きな問題が生じました。それは何か。そう、国民全員は隔離都市に収容できないと。」
「入りきらなかったらどうするか、場所を増やすしかないですね。でも平面的には広げれない。なぜなら、都市の機関システムは限定的な区画でしか有効に機能しないからです。はい、それでは一体どうしたのか。」
「平面が駄目なら上にもしくは下に、しかし上は無いので下しかない。はい、こうして地下世界が誕生しました。」
スライドが変わる。
開発当初の地下施設。
それはマンションであったり、デパートであったり、工場であったり、青い空がないことを除けば、その風景は地上のものと何も変わらないように見えた。
「とまぁ、こんな感じです。そしてそこから更に開発が進み、地下コロニー化、地下市町村誕生、そして地下衛生管理局や公安隊など新たな公機関が発足しました。長いようで実に短い近代史、こんな具合で今に至るのですね。」
さて、長い前置きであったが、ここまでは周知の事実である。
今ある世界についてだが、もっと簡単に説明すると、要は、ドコデモダケ発生からの人口の都市集束、そして地下開発の3ステップで成り立ったのだ。
しかし実際は今の説明のように、決して綺麗に問題解決したわけではない。
暴動や旧政権の転覆、テロに暗殺など、流れる血は決して少なくはなかったが、それでも日々押し寄せる胞子の波に、市民は団結を余儀なく求められた。
地下開発にあってもそうだ。
そこには、地方難民や地下資源の利権争いなど様々な問題が絡み合い、一筋縄で進むことは無かった。
公安隊の創設も起源はそこにあるという。
だが、一点釘を刺しておくと、それらの問題は決して終息をしたわけでは無い。
この様な講演の場所で、そんな面倒な問題をわざわざ喋る必要もないが、それは事実として社会問題になっているのが今日である。
「は~い、それではですね、今日のテーマである高度衛生事業の分業システムについて……。」
数枚のスライドを終えて、講義は本題に入った。
実にゴミの様なテーマである。
潤史朗は話をしながらいつも思っていた。
地下が抱える爆弾のような問題はそっちのけ。結局人に話せる議題は、綺麗で明るく未来的な部分のみ。臭いものには蓋を、と言う訳である。
大学生はこんな話を聞かされて、さぞかし退屈だろうとしみじみ思う。
上っ面だけのちんけな広報活動も、された方はいい迷惑だ。
まぁ、手当が発生するので、それでも実行する訳だが。
さて、今日は何人寝ているだろうと、適当に喋りながら、ぐるりとホールを見渡した。
一人、二人に、三人四人。
と、そうしてみていると、学生が一人手を挙げて、こちらを凝視しているのに気が付いた。
なんだろう、面白い学生もいたものだと潤史朗はその学生に声を掛ける。
「え~と、そちらの眼鏡の方、質問でしょうか。」
「はい。」
立ち上がる眼鏡の学生。
「質問なんですが~、地下深度5000メートル以下の空間はぁ、何で封鎖されているんですかぁ? さきほど情報課とおっしゃってたんで~、そこら辺の事詳しいとおもうんですよぉ~。どうなんですかぁ?」
成程、良い質問である。
大学生たるもの、常に社会問題に目を向けるべきである。
だがしかし、それでは駄目だ。
これから広い社会に出るに際しては、やはり長い物には巻かれなければ生きていけない。
大局に逆らっては駄目なのだ、眼鏡の青年。
「それは周知のとおりですね。衛生的に問題が多く、それ以下を開放すると、地下コロニーへの影響が深刻だからです。」
と答えておくのが無難である。
というより、それが政府の見解すべてだ。それ以上は何もない。
学生の意識が高いのは良いことだが、それを自分に聞くのはお門違いである。
そういう事はネットで色んな人の話を聞けばいい。そうすれば、あること無いこと色々聞ける。
昨日だってそういう人がいただろう、地下の秘密を暴くと言って意気込んできた人が。
「じゃあ、昨日のヒカリンのあれは何だったんですかぁ~。衛生的になにか問題があるようには見えなかったんですけど。」
そう来たか。
と潤史朗は思った。
やはり昨日の配信は、結構多くの人の目に触れていたようだ。
報道規制は掛けている筈だが、やはりネットの話題に上がるのは必然かと思われる。
待て、そう言えば今日の講演は、いつもに比べてやたら人が多いように感じたのは、気のせいではない。
まさか、ヒカ何とかの影響なのか。
やはりそういうことか。
最近の学生は意識が高いと、つい感心してしまったが、やはり高度衛生事業の話など誰も興味がないわけだ。
みな今日ここに集まったのは、ヒカ何とかについて聞くのが目的であるのだ。
ミーハー共め。
そうとわかれば、こちらもそれなりの対応を変えざるを得ない。
「え~とですね……。」
だが、何とごまかしたものか。
抗戦体勢でいようと思ったものの、実際問題いい加減に回答するのは公職員的にまずいだろう。
潤史朗は一旦、学生たちに背中を向けた。
スマートフォンを開いてメールを確認。
そういう重要な事項の対処法は本部から通知が来ているはずだ。
背中に沢山の学生の視線が突き刺さるのをひしひしと感じるが、致し方ない。
メールボックスを何度かスクロール。
ふむ。
何もないな。
「え~、そうですね。」
振り返ると、講堂全員の視線が一気に集まった。
くそ、クガマル、助けてくれ。
「はい、まぁ何と言いますかね、その件については公安隊と調査中でしてね、まだ事実確認に至っていないと申しますか、まぁそんな感じです。」
はぁ、と全員のしらける声がまるで聞こえ来るようだ。
まぁそれで良い。
さて、講義に戻ろう。
「あれ~~、もしかして志賀さん、動画に映ってたひとじゃね?」
おっと、何を言い始めるんだ、最前列の頭悪そうな茶髪の兄ちゃん。
お陰で、講堂がざわつきはじめてしまったではないか。
「今つけてるアクションカメラって、動画の中のやつと同じじゃね?」
更に講堂がざわついた。
残念だが、こうなってしまった以上、しらけのどん底につき落とす他ないようだ。
確かにわかる、その都市伝説的な地下5000ミステリーが気になる気持ちは、よくわかる。
だが駄目なものは駄目だ。
ここはバッサリ切っておこう。
「いいえ、違いますよ。」
と、これで収まると思いきや、その考えは甘かった。
前列数人の男グループが団結し始めた。
「いや、ぜってえそうだって。同じ人じゃん、ぜってぇ~そうだって。」
「はい嘘~、それ嘘~、はい嘘出ました~。」
「いやいやいやいや本人です、動画の本人ですからー。」
くそ、ガキんちょめ。歳いくつだよそこの大学生。
「あぁ、いや違いますから。」
クガマルの方をちらりと見る。
こういうタイミングで普段の凶暴性を見せて欲しいところだが、やはり無言を貫くか。
いやまて、あの目は笑っている。
表情はないが、あの視線は笑っているに違いない。
くそ、ドローンのくせに。
「いや、ですから~。」
しばらく騒ぐのをやめない男グループ。
何故あのような、整髪料で頭を塗り固めたようなタイプの男は、やたらつるんで騒ぎたがるのだろうか、全く謎である。
しかし公職という立場的に、怒って立ち去る訳にもいかないし、何とか鎮めてやらねば仕方ない。
どうしたものか、と肩を落とすが、その時突然にクガマルが喋り出した。
まさか助け舟を出してくれるというのだろうか。
「キュウナンシンゴウ! ジュシンチュウ! キュウナンシンゴウ! ジュシンチュウ!」
対外仕様のロボット音声で喋り出すクガマル。
案外大きなその音は、学生たちの注目を一辺に集めた。
「プロジェクターが……、喋った……。」
「キュウナンシンゴウ! ジュシンチュウ!」
ところでクガマルよ、助けてくれるのは非常にありがたい訳であるが、一体それはどういう意味なのか。
まさか、人の気を引き付けるためだけに、そんないい加減な事を言う事はあるまいに。
というか、救難信号受信って、それ本当なのか。
「ジュンシロ―! ジュンシロ―!」
こちらが不思議そうにしているのを察したようで、クガマルは更に続けた。
「キンキュウ! キンキュウ! レンラク! シブ二レンラクセヨ!」
どうやらマジのような雰囲気である。
これは一旦、支部に確認を取ってみる必要がありそうだ。
潤史朗はそう思い、先ほどポケットにしまったスマートフォンを再び取り出して、電話帳の画面を表示した。
そうしたところ、タイミングを同じくしてスマートフォンに着信あり。バイブレーションが手の平を震わせる。
潤史朗は、すぱっと着信に出ると、学生たちに背を向けて、スマートフォンを耳に当てた。
「志賀です。」
潤史朗は暫くそのままスクリーン側を向いて、学生そっちのけで電話を続けた。
「はい、……はい、……はい。そうですか。いいでしょう。そちらに急行します。はい。ええ、無論支部には寄りますよ、準備がありますから。……はい、では後ほど。」
通話を切った。
振り返る潤史朗。
見ると講堂の空気はあまりよろしくなかったが、先ほどよりも学生の注目率は上がっていた。
潤史朗の次の言葉を待つ一同。
彼はその期待に応え、さわやかな笑顔で言い放つ。
「みなさん。急用が入りました。講演は以上で終わります。ご静聴、ありがとうございました。」
潤史朗がそういうと、学生たちの方からは、大なり小なり様々な感嘆の声が上がったが、もはやそれはどうでもいい。
地底世界が呼んでいる。
「行こう、クガマル。」
荷物は一つ、このドローンのみ。
呼べば飛んできて、撤収は三秒で終了した。
「では、さらばだ学生諸君。」
あっけにとられる大学生たち。
非難を浴びる隙さえ見せず、特別講師は一瞬で講堂から立ち去った。
そして空飛ぶ謎の昆虫プロジェクター。
その最先端すぎる技術には言葉を失った。
「はっはっはっはっ、つまらん講義は終了だ。ふははははははははははっ。」
廊下から何故か悪役の如き高笑いが聞こえたが、気にしてはいけない。
「あいつ、全く何やってんだか……。」
「えっ、何その言い方!? やっぱり夏子、あの人の知り合いなんでしょ?」
ぼやく夏子に、隣の女が反応した。
「だから違うって。さ、帰るよ。」
「え、マジで終了なの?」
「そうじゃない? 多分あの人もう戻らないよ。」
「え~マジか~。もうちょっと見てたかったな~あの人。あっ、わかった! あの人、志賀さん、もしかして夏子の彼氏?」
「なんでそうなるのよ。どう考えてもあり得ないでしょ。」
夏子は呆れた様子で席を立ち、女友達もそれに続いた。
「えぇ~怪しぃ~。なんか妙に知ってそうだし~。」
「はぁ、あのね……。私のフルネーム、知ってる?」
夏子は何かを諦めた。
「志賀夏子?」
「じゃあさっきの人は?」
「志賀……、え? まさか兄妹!? え? え? マジ? じゃあお兄さんってこと!?」
「はぁ、そうよ。あれが兄。わかったらちょっとテンション抑えて。」
彼氏に間違われて変な誤解を生むよりはいいだろうと思い、夏子は兄とばらしたものの、これはこれでまた煩くなった。
どうやら少し誤算であったか。
「マジ? マジ? え~ちょっと今度会わせてよ~、ね、ね、いいでしょ~。」
「いや、まぁ、駄目じゃないけど。」
駄目ではないが単に面倒くさい。
兄は頭がおかしいが、流石に他人に対して、妹と同じような乗りでは話さないだろう。
それに今日見てみて、意外と外ではまともなのだと少し安心した。
まあ、突然飛び出していく辺り、やはり頭がおかしいようだが。
「よっしゃ~、夏子兄とお茶だね、お茶。いつにする? あたし駅ちかで良い感じのカフェ見つけたんだけど~……。」
「はぁ……、次はいつ帰って来るんだか……。」
夏子は小さく呟いた。




