第56話 中央集積広場ー4
……おかしい。
この違和感、どこかで何か間違っている。
車両のボンネットにとまるテントウムシドローンは、一人黙って考えを巡らせていた。
それの思案するところは、潤史朗という男の実体だ。
彼のことは良く知っていた。なにせ下士官時代のアサルト・ゼロ同期であり、戦場を共にすることも多かったからだ。
その彼を間近で見てきたテントウムシにとって、潤史朗という男は唯一のライバルであり、評価に値する人間であった。
そして今日、久しぶりの再会ということで少し胸を弾ませていたところであったのだが……。
何だあれは。
姿形こそ潤史朗だが、まずその雰囲気からして別人としか言いようがない。
そして何より。
弱すぎる。
その戦闘の模様が全てを語っていた。
結果として、大きく肩を落としえない。
非常に落胆した。
対怪虫ヒト型兵器グラン-エクスノイド。
その試作機であるレイシアが彼に対してどこまで通用するのか、そしてどこまで彼に迫ることができるのかと実験的な意味で楽しみにしていた。
にも関わらずだ。いざ蓋を開けてみれば、レイシアは大破するどころかダメージ一つ負っていない。彼女の圧倒的勝利であったのだ。
ありえない。
本来ならレイシアの勝利を喜ぶべきところだろう、だがしかし彼にはそれ以上の失望をもたらされた、残念で仕方ない。彼女など所詮は試作調整段階、なんの芸も持たない単純ロボット人形に元アサルト・ゼロのエースが破れるなどあってはならない事と思う。ましてや潤史朗と名の付く人間がだ。
義腕と義足の不調は聞いた。
だがそんなものは関係ない。彼が潤史朗であるならば、腕や足の一本二本のハンディなど大したことは無いはずだ。
もしかしたら彼に対する自身の評価がそもそもおかしかったのかもしれない。当時の彼の事をただ忘れているだけなのかもしれないと、そうも考えた。
実のところ、潤史朗の復活を知ったのはついこの間であり、直接会うのは4年かもしくは5年ぶりだ。それならば潤史朗について忘れることもありうるか。彼に対する自分のイメージが勝手に膨らんでいき、それが先行することで過大な評価が出来上がったか。
実際当時から彼の人格などは特に気にはしていなかった。彼との会話などは全く思い出せない。よって、別人かどうかの判別は、彼の戦闘力と戦術力を見る以外には不可能だ。
ただ一つ、彼は今の時代に求められる人材であり、将来的に自分の補佐として大きく活躍してもらおうとの算段があっただけだ。
しかし、今の彼からは、そのようなところを全く感じない。
もし記憶にある潤史朗が、自分の過大評価が生んだ虚像であったとしても、それでもこの程度の男を、当時の自分がリスペクトしていたとはとても思えなかった。
この男は、潤史朗ではない。
潤史朗という名を被った、その偽造品。
考えてもみれば、実は生きていて……、という情報からして何だか怪しい。
志賀潤史朗は、死んでいるのではないだろうか。
やはり、何かある。
自分の知らないところで、まるで物事の裏側を泳ぐように。
大きな隠し事が息づいている。
志賀潤史朗という死んだ人間のその名に固執する理由が。また、公安隊アサルト・ゼロの司令たる自分さえも知りえなかったこの事実は、それ自体が大きな問題である。
そして、このタイミングまで潤史朗の生存を知らなかったことすらも、ここに隠された謎の一端であるとの見方が可能だ。
誰なんだ。
何者か、恐らくはとんだ大物の人物が公安隊という巨大な組織の裏をかこうと画策しているのではないだろうか。
いや。
流石にそれは考えすぎだろう。
「司令官。おにいさ、訂正、潤史朗とクワガタムシの収容は完了致しました。」
「ああ、ご苦労様。」
テントウムシ型ドローンのところまでやっきたレイシア。
彼女が着用しているその戦闘服、所々破けているものの、やはり潤史朗からのダメージはほとんど何も受けてはいないようだ。
「それで、いかが致しましょうか。今すぐ尋問をされますか?」
「いやいい。今すぐそうしたいのは山々だが、現状それどころじゃない。なにせこの有り様だ。残存の戦力を即時終結して小隊区分を再編する。ゴキゲーターの来襲に備えたまえ。」
幸い潤史朗から受けた被害は人員のみ。ほとんどのカブタスはその操縦装置も含めて無傷である。生き残った隊員、警務員や通信員、戦車運用員などを全てカブタスの操縦に割り当てれば、半数以上の機体を運用できる。
あんなもの、特段高度な操縦技術が要求されるわけではなく、少しの練習で誰でも簡単に動かせる。たかが操作要員の消耗など問題にはならない。
「それでそうだな。こちらの消耗も大きいわけだし作戦を変更しよう。一般人の掃討も含めて4900地帯に侵入したのゴキゲーターの捜索活動は全て地元の部隊に任せればいいだろう。」
「司令、しかしそれでは……。」
「うん?」
「我々と異なり、一般部隊ではゴキゲーターへの対応は不可能かと思われます。」
「それが? 何か問題でも?」
「?」
「見たところ、4900に進出したゴキゲーターの頭数は思いの他少ない。一般部隊がそれを発見した時点で我々が駆除に向かった方が効率的だろう。この作戦、何か変なところがあると思うのかな?」
「いえ、ありません。では一般部隊は、その人員の消耗を前提とした活動を実施するという認識でよろしいでしょうか。」
「無論だ。即刻中部本隊に通達したまえ。」
「了解。」
人間の代わりなどいくらでもいる。しかし彼らが大きな働きをするかと言われればそうでもない。それを踏まえると、彼らに対してはディスポーザブルな運用こそが望ましいといえるのであった。
要は使い捨てだ。
テントウムシは思う。
既に生身の人間兵士の時代は終わった。
地下戦闘に特化したグラン-エクスノイドの運用計画は着々と進んでいる。もはや20年後には、実働部隊にサイボーグ以外はいなくなるであろう。
それを考慮すると、もはや現存の一般隊員で構成された部隊など邪魔でしかない。どのようにかして彼らを使いきってしまわねば、彼らを養っていくための不要な予算が発生してしまう。
将来的に公安隊は、指揮官以上の幹部隊員を残し他はすべてが機械化することが望ましい。
「それでは、その旨を嵯戸中尉に伝えて参ります。」
「ん?」
完全に忘れていたが、そう言えばあの男まだ生きていたのか。
命令に忠実であり、且つどんな作戦であっても適切に実行するあたりを評価していたが。
それでこの様か。
いざテントの中に毒ガスボンベを投げ込まれたときの嵯戸の対応。彼の指揮・判断能力には疑問が湧く。
正直ただ命令通りに部隊を操るだけならばAIでもできる。
それ以上の高度な状況判断能力がなければ、わざわざ彼を残しておく必要もないということだ。
「レイシアくん、ちょっと彼を呼んできてはくれないか。」
さて、彼の処分はどうしたものか。
そして呼ばれてすぐにきた嵯戸。
毒ガスの影響だろうか、あまり顔色はよろしくないようだ。
「し、司令。この度の失態。まことに申し訳ございませんでした。」
テントウムシドローンの目の前に連れてこられた嵯戸は、車両の上に乗ったそれに対して体を直角に頭を下げた。
「うん、そのとおり。大失態だ。」
そして当然ながら、このドローンに表情機能はない。
だが、淡々と並べられるその言葉にも、たいして感情が乗せられているわけではなかった。
「君の命をもってして、これを償いたまえよ。」
「え?」
一瞬この虫ロボットが何を言っているのか、その言葉が理解できなかった。
いや、まさか。降格や更迭だろうと覚悟を決めていたが、命をなんだって? そんな処分は常識的にありえない。
冗談か、たとえ話のつもりだろう。
するとその時、不意に嵯戸の目の前へと一歩踏み出るレイシア。
彼女を見上げる嵯戸。
まさか、自分を庇うとでも……。
「レイシアさん……。」
しかし、次の瞬間に彼女がとった行動はその正反対であった。
突然に突き出されたレイシアの右手、それは嵯戸の細い首を素早く捕まえた。
「うぐっ、レイシアさ、き、貴様なんのつもりで……、うぐ、ぐがが。」
徐々に強く締められる右腕に、嵯戸の顔は赤みを帯び、そして喉からでる言葉はただの呻きへと変わっていく。
「部下に殺される気分はどうだ、嵯戸。」
レイシアの口から、レイシアの声帯で発せられる言葉。
普段の彼女ならばありえないことを口走る。
「言っておくが、お前よりこのロボットのほうが圧倒的に能力が高い。それでも慣習みたいなものでお前を指揮官にしていたが、こんな様では生かしておく必要すらもない。お前だって、降格させられて元部下の下で働くのは嫌だろう?」
いや、レイシアじゃない。誰が喋っているというんだ。
まさか。
テントウムシが?
意識が遠のく。
絞められた首に、顔面は血液がうっ滞して真っ赤。
すでに声もでない嵯戸は、レイシアの腕を離そうとする両手にも力が抜け始めた。
「まぁいいや。」
と、彼が気を失う寸前にレイシアの右手は彼の首を解放した。
その場に倒れこむ嵯戸は、その場で大きくむせかえる。
「!? わ、私は一体何を??」
倒れる嵯戸を目の前に、レイシアは突然起こった目の前の事態に混乱した。
知らぬ間に、そこに倒れている嵯戸。まさか自分がこれを?
そんな彼らを気に留めず、テントウムシは続けてまた喋り出した。
「今までの実績を考慮して今回の失敗は特別に見逃そう。だがもう少し頑張ってくれたまえよ嵯戸くん。どうか君の有用性を示してくれ。そうでなければ、また処分もやむを得ない。」
「げほっ、げほっ。」
「ではレイシアくん。先ほどの作戦変更の件、きちんと彼に説明しておくように。それじゃ今度こそしっかりと頼むよ。」
倒れた体をレイシアに支えられる嵯戸。彼はまだ返事を返す余裕がなかった。
テントウムシの司令官は、ただそれだけを言い残すと車両から羽ばたき去って行く。
「嵯戸中尉、しっかりなさって下さい。」
「げほっげほっ、はぁ、はぁ。大丈夫です、レイシア、さん。」
恐ろしい男だ。
これが、日本最強の特殊部隊アサルト・ゼロを取りまとめる最高司令官。
丁寧な口調と穏やかな振る舞いとは裏腹に、それの考えている事は底の知れない深い穴である。
すべてを見透かし、何者であろうとも征服する。
彼は、深淵なる闇そのものであった。
これに逆らうことなど叶うはずもない。
「くそ、くそめ。」
一方のこちらは潤史朗。
機動輸送車の荷室内にて捕らえれていた。
失った両腕両足、もはや逃げようも戦おうも、どうすることもできなかった。
胴体のみを残されて荷室の床で仰向けに倒れているだけ。
背中に感じる冷たい床、天井にはオレンジ色の車内灯が薄っすらと灯っていた。
首を横に向けるとクガマル。
完全に停止した状態でひっくり返っている。
無事なのだろうか。ただ電源が切れているだけならいいのだが、故障でもしていようものならそれは非常に不味い。
万事休す。
これからどうしようかと考えるも、腕と足がない以上どうしようもないのだ。
救援すらも期待できない。
SPETの要請をしていようとも、アサルト・ゼロがここを封鎖している以上彼らでは手の出しようがないだろう。
Dr.ニュートロンも駄目だ。同じ公安サイドでは立場も良くはないし、この状況を打破できるとは思えない。
増住知事。こっちも無力に等しい。知事だろうと公安の権限には及ばない。
いや、そもそもの問題として救援を呼ぶ手段がない。あっても腕がない。
諦めるしかないのか。
そんな発想、いままで思いつきもしなかった。
全ての手段がなくなる瞬間とは、今この時こそなのだろう。
夏子。
また怒らせちゃうな。
いや、怒らせるどころじゃ済まされない。
いいのか?
諦める。
いやいや。そんなこと、できるはずがない。
帰宅することこそが、潤史朗という男の最大の務めだ。
だから、もうちょっと必死に考えようか。
まだ全てを失ったわけじゃない。
いや、むしろ最大の武器を奪われることは免れた。
ここに意識が清明にあり、考える頭は正常に動く。
考えろ。
諦めるのは、頭が吹っ飛んでから初めてすることだ。
「だ、だれがいるのか……。」
と、その時。不意に聞こえる誰かの声。
とても弱々しく車内に響いた。
少年の高い声だ。
果たして救いの天使でも現れたのか。
残念ながらそうでもない。
全身血だらけ、ボロボロの男の子。
その手足を拘束されていた。