第4話 廃工場ー3
男の側頭部から照射される強力なライトが、そのものの姿を明らかにした。
見た目はゴキブリ、ただし体高が高く、筒の様な胴体はコオロギにも見えた。
そしてその大きさ、それは控えめに言っても牛くらいの大きさがあるのは間違いない。
これが、ヒカリンを追ってたものの正体だ。
「うぎゃああああああっ。」
「ゴキゲーターの成虫だな。殺せ、ジュンシロ―。」
「いや……。」
男は素早く腰に携えた拳銃を抜き取り、それをゴキブリの顔面に向かって発砲した。
地下工場内にその発砲音が鳴り響く。
弾丸を複眼に数発受けるゴキブリ。
ゴキブリはその驚きで、瞬時に後ろに飛び退いた。
「馬鹿野郎かおめぇ!! 銃で死ぬわきゃねぇえええだろぉがぁ。」
クワガタが声を荒げる。
「何のために殺虫剤背負ってんだぁああっ、あ!?」
「君こそわかってんだろうね! 今殺虫剤を撒いたらどうなるかっ。」
「ああそうともさぁ、勿論そこの男も死ぬだろうなぁああっ。だがそれがどうしたぁあああっ、コイツは死にに来てんだっ、そうだろぉ? 何にも知らずに地下5000に来た時点で終わってんだよぉおおおっ。ぎゃはははははははっ。」
「でもまだ生きてる。」
「はあああああ!? 生きる意味なんてねええええだろぉおおがぁああ! 社会のルールを守れねえクズをなあ、養うだけの余力がこの国にあんのかぁあああ!? え!? どうなんだあああああっ! ジュンシロ―!!」
「ちょっと騒がしいんじゃないかい!? クガマルさんやぁ!?」
「ぎゃははははははははっ。」
「いいから手伝ってよ。」
体勢を立て直すゴキブリ。
男は更に数発の弾丸をゴキブリの節足に撃ち込んだ。
その衝撃で前脚の棘が幾らか散って飛んでいったが、足にはほとんど効いてなさそうだ。
「どーすんだ。」
「逃げる。」
次の瞬間、男はヒカリンの体を抱えると、ゴキブリに背を向けて走り出した。
「援護~。」
「ッチ、面倒くせぇえええなあああ、この野郎がっ。」
男に飛び掛かるゴキブリに、正面から迎え撃つクワガタロボット。
クワガタロボットはゴキブリの顔面に体当たりすると、次の瞬間にそのペンチのような大顎で、ゴキブリの触覚を根元からバチンと切り落とした。
しかし、その攻撃にもゴキブリは全く怯む気配を見せず猛進する。
ヒカリンを抱えて走る男。
クワガタロボットもそれに合流すると、ヒカリンの体に取り付いて、羽ばたくパワーを使ってその重さを軽減させた。
「コイツを捨てろジュンシロ―。それで全ては解決する。」
「そうはしないさ、きっと助かるよ。」
男は息を切らしながら答えた。
「言っておくがなぁ、ゴキゲーターを甘く見んなよ。確かに殺虫剤が効く相手だが、生身の人間が到底勝てる生き物じゃねえ。」
「ははは、久しぶりに君の口から真面目なアドバイスを聞いた気がするよ。」
「馬鹿言ってんじゃねえ。おめえも死ぬぞ。」
「それはまだ嫌だなぁ。」
階段を駆け上がり、右へ左へと全力疾走する男とクワガタ。
ゴキブリは足を鳴らして高速で移動、もう間近に差し迫った。
しかし次の直角左進路で男の前に現れたのは大型バイク。
道をわかって走ってみると、スタート地点は案外近い。
クワガタは一旦ヒカリンから離れ、再び突進攻撃をゴキブリに食らわした。
そしてその隙に男はヒカリンをバイクの荷台に投げ飛ばし、自身も跨りエンジンスタート。
クワガタが追い付く。
その瞬間にスロットル全開の急発進。
ゴキブリが飛び掛かった間一髪でバイクは前に走り出した。
工場を抜け、地下道を疾走。
ゴキブリは追撃をやめる気は無いようで、先ほどよりも速度を増して追いかけた。
「おい、どーするつもりだ。これじゃ埒があかねえぞジュンシロ―。」
地下道を走り抜けるバイクの上。
その荷台の上で、クワガタはヒカリンが転落しないように押さえつけてながら言った。
「一応考えはあるよ。」
「どんなだ?」
「上に行く。」
「あああああ!? 上なんてねぇだろ。おめえは一般開放区にゴキゲーターを連れ出す気か!!」
「いやいやまさか。でも、もう一層くらいは上あるでしょ。」
「そうだが……。」
「じゃあいいね。まあしっかり押さえておいてよ、ヒカ何とかさんが落ちないようにさ。」
何度かカーブを曲がった後にやってくるのは、上の方へと抜けていく螺旋道路。
バイクは車体を大きく傾けて、その螺旋坂道を走って昇る。
荷台の上に積まれたヒカリンは、その飛び出た頭部がバイクの傾きで地面すれすれまでに晒されたが、どうにかクワガタが引っ張り上げたお陰で、彼の頭皮が抉れるのは免れた。
そして地下道は上階へ。
先程クワガタロボットが言った通り、これ以上の上にはもう逃げれない。
「地下中部401から公安指令本部。地下中部401から公安指令本部。応答せよ。」
男は車載の無線機を手に取って、そのマイク部分を口に当てた。
――地下中部401どうぞ。
呼び出しから数秒後、無線機のスピーカーに音が入る。
ここまで上に来てしまえば、ノイズもほとんど入らない。
「先ほどの一般人侵入の件について、出動車両の現在地おくってください、どーぞ。」
「そーいうことかよ、ジュンシロ―さんよぉ。」
後ろでクワガタが言った。
「ってなわけで頼むよ、クガマル。」
――え~現在、出動隊にあっては……。
男は無線が入ってくる音に耳を澄ませる。
が、しかし音声が聞こえて来るのと同時に、どこからか聞こえてくるサイレン音。
前方数百メートル。
赤の回転灯を回す、公安隊の巡視車両が目に入った。
「しめた。」
男は無線の送信機を一旦ポケットに突っ込むと、次にバイク搭載のスピーカーマイクを手に取った。
「ゴキゲーター接近中!! ゴキゲーター接近中!! 全車停車してくださ~い!!」
前方から接近する巡視車両は、最初何事かと一旦速度を緩めたが、そのバイク後方から接近する巨大ゴキブリの姿に気付いた瞬間、それの意味を理解したようだった。
正面から合流する公安隊の巡視車2台と地下衛生管理局のオートバイ。
巡視車は急ブレーキを踏み込んで、タイヤを鳴らしながら急停車。
乗車していた職員は皆、開いたドアを盾にしながら、即座に小銃を構えた。
そして狙いを定めて一斉射撃。
鉛玉の礫が、巨大ゴキブリの体表面を抉っていく。
ハチの巣にされる巨大ゴキブリ。
体の破片があちらこちらに飛び散った。
だがしかし、どんなに弾に当たろうともゴキブリは全く勢いが衰えない。
公安の職員らは、これでもかと次々に弾を撃ち込むが、その効果は無きに等しい。
地衛局のバイクが巡視車付近まで接近。
バイクは後輪を振り回しながら、荒々しくその場に停車。
「全員車内に隠れて!!」
バイクに乗った男は、昆虫型高性能ドローンの力を借りて、バイク荷台に乗せた負傷者を近くの職員に預けると、すぐさまゴキブリの方に向き直った。
公安の職員たちは次に起こる行動を察し、みな慌てて車の中に飛び込んだ。
男は横目でそれを確認。連れて来た負傷者も車の中に収容されている。
猛進してくる巨大ゴキブリ。
しかし、鉛玉を全身で受け止めて、僅かに速力が落ちているか。
男は、拳銃とは別の、ライフル型の金属器具を両手に構える。
その器具の根元が導管で繋がった先には、MEGAーKILLERと黒く書かれた黄色のボンベ。
足を前後に開いて、男は放射ノズル先端をゴキブリに向けた。
間近に接近しているゴキブリ。
男は放射器具の引き金を引き込む。
するとその瞬間に、前方辺り一面に噴き出す白い煙。
その煙はたちまちゴキブリを取り囲むが、それからゴキブリが走り続けて、飛び掛かってくることは無かった。
白い煙のなかで、一体ゴキブリはどうなってしまっているのか。
その様子は全く確認できないが、男は少なくとも30秒程は白い煙を放射し続けた。
そしてようやく止まる薬剤放射。
公安の職員たちは、みな車両の中で息を潜めてその光景を見ていたが、やがて煙は消え去った。
現れるゴキブリの体。
6本の足は完全に上向きで縮こまり、羽の生えた背側を地面と接する体勢だ。
足の先っぽが、僅かにぴくぴく震えている。
その体に近づく男。
一旦胴に蹴りを入れてみた。
反応がない。
男はくるりとゴキブリに背を向けて、すたすたとバイクの方まで戻って歩いた。
「地下中部401から公安指令本部、用件終了につき無線閉局。」
――了解。
「以上。地下中部401。」
西に向かって走る車は、黒いボディの軽トラック。
暮れ行く太陽を真っ直ぐ目指し、赤く染まった日暮れの街を、のんびりガタガタ走り去る。
右肘を窓枠にぶらりと引っ掛けて、片手でいい加減にハンドルを掴んで曲がる運転手は先ほどの男だった。
男は、作業服からジーパンTシャツに着替えているが、側頭部のアクションカメラはそのまま装着。
ここはいつもの帰り道。と言っても、ほぼ一週間ぶりの帰宅となるが、この時間に下り車線が混み合うのは相変わらずだった。
車のラジオから流れる2000年代のヒット曲。
ハンドルに乗せた指先は軽くリズムに乗っていた。
助手席に大量に積まれた野営の荷物。
クワガタムシ型ロボットは、ちょこんとその上に乗っかって、ぼさっと景色を眺めてた。
地上はいい。
体に触れる太陽が、光と風がじわりと体に流れ込み、ただそこにいるだけで、何だか体が洗われているような気分になる。
「結局収穫はゼロだったな。既知の害虫が4匹がいただけだ。」
隣に座ってるクワガタが言った。
「4匹? ゴキゲーターは最後に見つけた一匹だけじゃない?」
「もう3匹虫がいただろうがよ。」
「まさかあの人達のこと言ってるの?」
「それ以外何があるってんだ。人間なんて害虫みてえなもんだろ? なあ。だから最後の男もゴキと一緒にブチ殺しとけば良かったのさ。助かるとか助からないの問題じゃねえよ。」
「君みたいな邪悪なドローン。量産されたら人間は絶滅するだろうね。」
「ジュンシローよお、お前実際のとこどう思ってんだ。お前にとって、人の命ってなんだ? そんなに尊いのか?」
「クガマルよ。」
「んあ?」
男は少し間を置いた後、遠くを眺めて口を開く。
「今夜の晩飯何だろうな。」
「はあ? なんだそれ。」
「いや、別に。たださっきの人も、そうやって思うこともあるんだろうなと思ってさ。」
「意味わかんねぇぞお前。」
「あぁ、スポーツカー買いたいなぁ~。」
「藪から棒もいい加減にしとけ。まあ確かに、こんなボロい軽トラじゃ、いつまでたっても彼女の一人もできねえだろうからな。」
「だろうねぇ。」
「でもまぁ。」
「?」
「そういうことさ。」