第69話 奇襲
辺境伯から届いた報告は、王城に、これまでとは違う緊張感をもたらした。
「敵国軍の展開は、もう、本格的なものと見て間違いないでしょう」
報告を受けた重臣たちは、額を寄せ合うようにして、対応を話し合った。
「辺境伯の兵だけで、抑えられるだろうか」
「数の上では、何とか互角といったところでしょうが……士気の面では、もう一押し、何か欲しいところです」
そんな話の流れの中で、ひとつの案が、自然と持ち上がってきた。
「第三王子殿下に、出陣いただいては、いかがでしょう。先の戦勝で名を上げたばかりですし、国軍を率いていただければ、兵たちの気持ちも、ぐっと上向くはずです」
第三王子の名声を、もう一度、使わない手はない——誰の目にも、それは、悪くない判断に見えた。
「分かった。手配してくれ」
決定は、思いのほか、すんなりと下された。
―――
第三王子の出陣は、王都の門前で、盛大に見送られた。
「殿下、ご武運を」
「行ってくる。心配しなくていい」
第三王子は、いつものように、どこか余裕のある笑みを浮かべていた。国軍を率い、辺境伯の援護に向かう——その役目に、不安らしきものは、欠片も見えなかった。
「今度も、きっと、勝利を持って帰ってくるさ」
軽い調子のその一言に、見送りの貴族たちからは、歓声が上がった。
国軍は、ゆるやかに列を整えながら、西へと進んでいった。
―――
国境では、辺境伯の軍が、依然として、敵国軍と睨み合いを続けていた。
「動きがありません。様子見、でしょうか」
「いや——むしろ、嫌な静かさだ」
辺境伯自身が、前線で、その違和感を口にしていた。長年の経験が、何かを察知していた。
その夜、異変が起きた。
「火急——! 後方の補給部隊が、襲撃を受けています!」
伝令が、慌てた様子で、駆け込んできた。
「後方だと? 正面の敵軍は——」
「正面は、変わらず、展開したままです。動いていません」
辺境伯は、すぐに、状況を理解した。
——別動隊か。正面で、こちらの目を釘付けにしながら、後方から、本隊が回り込んでいたのか。
「全軍、後方の防衛に回せ。急げ!」
指示を出すのと、ほぼ同時に、後方からの炎が、夜空を赤く染めた。
敵の別動隊は、夜の闇を利用し、まるで事前に調べ尽くしていたかのような正確さで、補給線を断っていた。混乱した辺境伯軍は、前方と後方、二方向からの圧力を受け、防衛線を、徐々に崩されていく。
「弓兵、後方へ! 騎兵は、補給部隊の救援に!」
夜襲の最中に、足の速い騎兵を、視界の利かない混戦地帯へ割り振るのは、本来、避けるべき判断だった。統制を失った騎兵は、却って、敵の別動隊に切り込まれる隙を、自ら広げる結果になった。
だが、その場の辺境伯に、そこまで冷静に考える余裕は、もう残っていなかった。辺境伯自身も、剣を取り、前線に立った。それでも、すでに崩れかけた陣形を、立て直すのは、容易ではなかった。
「数が、合いません! 思ったより、敵の数が多い——!」
悲鳴のような報告が、あちこちから上がる。
夜が明ける頃には、辺境伯軍の陣容は、すでに、大きく姿を変えていた。
―――
西の国境での出来事は、遠距離通信用の魔道具を介して、いくつかの経由を辿りながら、王都にも伝わっていた。緒方の元にも、オーレス伯爵からの使いが、その一報を届けに来た。
「国境で、辺境伯軍が、奇襲を受けたとのことです」
使いの男は、それだけを、簡潔に伝えた。
緒方は、すぐに、拓也との通話で、その情報を伝えた。
「奇襲? どの程度の規模で?」
「詳しくは、まだ分からない。ただ、かなりの被害が出てるって話だ」
「分かった。神崎さんに、伝えておく」
拓也からの報告は、その日のうちに、神崎の元へ届けられた。
「西の国境で、戦闘が起きている、ということだな」
神崎は、資料に目を通しながら、表情を引き締めた。
「これまでの内紛とは、別の動きだ。今後、向こうの情勢が、どう変わるか——注視しておく必要がある」
地球側にとっても、この戦況は、決して他人事ではなかった。テラ・マートを通じた取引、緒方の安全、勇者パーティーの立場——すべてが、この一件の行方に、繋がっていた。
―――
戦闘から数日後、辺境伯軍の被害が、ようやく、正式に集計された。
「戦力の、およそ三割を、失いました」
報告を受けた辺境伯は、しばらく、何も言わなかった。補給部隊の壊滅、後方からの奇襲——その損失は、想像以上に深刻だった。
「第三王子殿下の、国軍は」
「まだ、到着しておりません。あと数日は、かかるかと」
援軍が来る前に、辺境伯軍は、独力で、この痛手を受けることになった。
国境の空気は、もはや、緊張という言葉では、足りないほどに、張り詰めていた。




