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太陽のおかげ

 天気が良いのと私の気分がいい時は必ず屋上に上がるようにしていた。しかし、ここ数ヶ月の間に足がいう事を聞かなくなったため上がるのに少しばかり手こずっていた。大抵の場合は瀬奈や小神子やかぐやが補助をしてくれたのだが、今日は理子がその役割を担っていた。


「助かった、ありがとう」


 昔なら大したことない階段の段差も今では息も絶え絶えになるほど体力が落ちていた。


「はあ……ここからの景色も悪くない。本当はあの公園に行きたいところだが……」


「その……太陽君。身体はどんな感じなの……?」


 恐る恐るといった感じで理子が聞いてきた。先ほど私に怒鳴っていたのが嘘のように。


「日に日に体力が落ちていっている。足も言うことを聞かなくなってきたし、ボーッとするのはまあ相変わらずだが。まるでどんどんおじいちゃんになっていっているような感覚だ。最初は身体の免疫組織を破壊するだけだと思っていたが、少しずつ老化に近い症状まで現れた」


「そう……」


 それ以上理子は何も言わなかった。言えなかったと言う方が適切か。


「そうだ、理子。今度会った時お前に渡したかったものがあるから今のうちに渡しておこう」


 私は屋上に上がる際持ってきた紙袋を理子に渡した。中には五冊ほどの日記帳が入っていた。その中から私は一冊を取り出して理子に見せた。ノートには人の名前と連絡先、出身やどういった人物なのかを事細かく記載していた。


「これは?」


「俺が今まで仕事でお世話になった方々の連絡先と人物の詳細だ。シークにも同じものを残しておいたが、理子にもあげようと思ってな」


「どうしてこれを私に?」


「これから理子の仕事にはこいつが必ず必要になる。持っていて損はない。それに、ここにいる人たち、一声あれば皆理子の力になってくれる」


「もしかして、連絡が取れなかったのって……」


 榎本君並に察しの良い理子はある程度予想がついたようだった。


「お察しの通り。あとこれも」


 そして残りの四冊を取り出した。


「これをお前に託す。どうするかは理子に任せる」


 四冊は私の日記。私が日本に帰国してからほぼ毎日書いていたものだ。


「どうするって?」


「これを理子の墓まで持っていくも良し、俺の生きた証としてどこかに広めるも良し、鼻紙に使うも良し。好きにして良い」


 最後のは冗談だが、私の胸中や半ば愚痴同然の日記を方々に広めても仕方ないだろう。賢い理子ならもっと有意義な使い方をしてくれる。


「俺からは以上だ。つもる話もあるんだろうが、案外思いつかないな。これを渡すことに必死だったからか。そう言えば、俺の任せた仕事。上手くいったようでよかった」


「当たり前よ。私を誰だと思っているの?」


 新聞で私がかつて理子と榎本君に任せた仕事の成果を見て安心した。それと同時に、私がやり残したことがほぼほぼ片付いたという気持ちに襲われた。


 しばらく空を眺めていると携帯が鳴った。メッセージを見ると瀬奈が来ているようだった。


 病室に戻ると瀬奈がソファーに座っていた。


「太陽さん。あ、理子さん。お久しぶりです」


「久しぶり瀬奈……え?ええ?」


 理子は瀬奈のある変化に驚いた。私はもう慣れたが。瀬奈が一人の赤ん坊を抱いていたのだ。


「おお、一。元気だったか」


「さっきまで起きていましたが、いつのまにか寝てしまいました」


 私は瀬奈から赤ん坊を受け取り、眠っている顔をまじまじと見た。一と書いてはじめと読む赤ん坊は無論


「太陽君……その子は?」


「俺と瀬奈の子だ。名前ははじめ。一と書いてはじめ」


 天道一。いくつも残した私の生きた証。だが、この子にはそんな事を背負わせず、普通に生きてほしい。


「いつ?いつなの?」


「この子は俺が倒れる前に瀬奈が身籠った。他の子と何も変わらない普通の子だ」


 一の眠っている顔を見ている時は私の心が初めて経験するような穏やかな気持ちになった。昔の私では考えられないだろうが、今こうして子供を持つ事を実感するのは幸せな事だと改めて思うようになった。


「すまないな瀬奈。お前ばかりに面倒を見させて」


「気にしないでください。それに、小神子さんやかぐやさんも協力してくれてますので大丈夫。一体誰がお母さんなのかわからなくなりそうです」


「瀬奈が母乳をあげてるんだから、どう転んでも瀬奈が母親なのはこの子もわかるだろう。子供にはその違いがわかるようだからな」


 一が大きくなった時、小神子とかぐやがこの子から見てどう映るのか少し気になってしまう。残念なのは、それを見れずに私はこの世を去ることくらいか。


「太陽君、どうして一って名前なの?」


「この子には、何事も誰よりも最初に行動してほしいという願いをこめた。最初に行動すれば、必ず後に誰かが続いてくる。正しい事なら自然と人が集まり、慕われ、間違っていても周りの人間がそれに気づかせてくれる。色んな人の役に立ち、時として人から助けられる。そう生きてほしいと願いを込めた。まあ、親の心子知らずというように、この子にはこの子の生き方があるんだが。ちなみに、もし女の子として生まれたなら瀬奈が名付け親だった」


「瀬奈はなんて名付けるつもりだったの?」


「私は、安直ではあるのですが、月と名付けるつもりでした。太陽と対局の位置でも、暗闇を照らす光のように、困ってる人や落ち込んだ人を助けられる人に育ってほしいという願いを込めました」


 私はそれを初めて聞いた時は、似たような由来を持つ者として大いに受け入れた。


「理子、お前も抱いてみるか」


 私は一度瀬奈に一を渡して、理子に一を抱かさせた。瀬奈が持つべき場所を教えて、理子もその通りの場所を持った。


「ふふっ、可愛いわね。それに太陽君にそっくり」


「そうだろうとも。だが、目は瀬奈に似ている」


 ここで私は冷静に考えてあることを考えた。一は私と瀬奈の子供なのでどちらかに似るのは当たり前なのだが、どちらかというと私の要素が多分に含まれている。その原因としては瀬奈にあるかもしれない。


 というのも、瀬奈はかつて紅研で行われていた、私の遺伝子を利用して完璧な人類を作る実験の二人目の適合者。すなわち、私の遺伝子に適合したということ。


 だとしたら一のような子供が産まれても何ら不思議じゃない。遺伝的な意味で瀬奈は何かしらの縁になっているのは敢えて黙っておこう。何か形が良くない。それに彼女も薄々気づいているだろうし。


「た、太陽さん。そうまじまじと見られると……」


「ん?ああすまん」


 瀬奈を見ながら考え事をしていたせいで、じっと見られていた彼女の顔が赤くなっていた。


「太陽君聞きたいんだけど、この子が産まれた時どんな気持ちになったの?」


 それは忘れもしない事だった。


「初めてこの子を見た時、これ以上愛おしいものがあるだろうかと思った。そして、この子のためならどんな事だってしてやりたいとも。子供を持つというのはそんな覚悟を決めさせるみたいだ。いずれ理子にもわかる」


「そうかしら」


 私の方が若いのに、理子の将来はどうなるのだろうかと彼女の親のような事を考えていると理子が何かに気づいたように驚いた。


「太陽君、明日誕生日じゃない!」


 本日七月三十日の翌日、三十一日は私の誕生日である。


「ごめんなさい……すっかり忘れてたわ」


「気にするな。それに俺がそういったイベントに何もしないのは知ってるだろう?けど、ここ最近はそうでもないみたいだ。明日検査を受けて、問題がなければ外出の許可が出る。その時、皆でどこか行こう」


 イベントの日に何かをするというのをするようになったのは瀬奈が来てから。以前まではイベントがあっても世間と隔絶され蚊帳の外といった具合だったが、これがどうして中々に楽しかった。


「わかったわ。じゃあ少し早いかもだけど、お誕生日おめでとう」


 その後はしばらく談笑となった。理子とは一年も会っていなかったのでその間に起きた事を思い出す限り話した。理子は私の話を聞いて笑った。


 夕方


 面会時間の終了が近づいて二人が帰る時間になった。


「じゃあ太陽君、また明日。外出できなくても、絶対何かしましょ」


「ああ、じゃあな」


 理子が先に退室した。


「じゃあ私もそろそろ」


「ああ」


 そう言って瀬奈が退室する前。


「なあ瀬奈」


 と言って呼び止めた。


「はい、何ですか?」


 そして私は一言。


「いいものだな」


 私がこう言った意図は敢えて明かさない。それは彼女達に託すとしよう。


 瀬奈は笑って退室した。私は空を見ながら、不意にやってきた抗いようない眠気に従って目を閉じた。











 目を覚ますと地平線が見えるくらい周りには何もなかった。空も地面も真っ白で不思議な感覚に陥った。光がないわけではないので暗いというものは感じないが、眩しくも光の熱で暑いということもない。そして地面。


 今私はこの白い地面の上で横になっているのだが、立ち上がりたくても立ち上がりたくなかった。まるで雲の上にいるような地面は一度立ち上がると真下に落ちてしまうのではないかという錯覚に陥ってしまったからだ。


「はあ……夢みたいな世界だな」


 思わずそう言葉を溢す。


「夢、私もここに来た時そう思いました」


 久しく聞いていなかった声を聞いて私は思わず先ほどの錯覚を忘れて声の方を向いた。するといつのまにか、その声の人物の膝の上で寝かされていた。


「エミリア……!」


「あら、もうさん付けで呼ばないのですね」


 私が力不足で救えなかった人の中で、最も後悔した人。エミリアがいた。


「まあ、テンドウさんの方がお兄さんになったので気にしませんけど」


 記憶の中にはない、初めて聞く言葉に私は感動を覚える。そして私は当然の疑問を投げる。


「エミリアがいるということは……俺は死んだのか?」


「はい」


 やっぱりかと思った。


「だが、服は病院服じゃない。俺がいつも着ていたジャケットだ」


「ここではあなたの一番記憶に残った状態でやってくるの。つまり、私が死んだ後の状態。死んだ時のこと覚えてないの?」


「朧げだ。今までにない眠気に襲われて、目を閉じると気持ちよくすぐに眠れそうな感覚が最後だった」


「じゃあ、何があったにせよ天命を全うできたわけね」


「いいや、俺はお前を救えなかった。そればかり後悔しながら生きてきた。一度たりともお前のことを忘れたことはない。あの日を何度やり直したいことだったか。お前にもう一度会って、謝りたかった」


 私がPTSDに陥った原因は少年兵時代も多分にあるだろうが、何より心当たりしかなかったのは彼女を失った、救えなかったという後悔からくる自責の念だったと後になって理解した。


「テンドウ君、私が死んでから人を助けたことに後悔したことありますか?」


「もちろんない」


「じゃあ、私もあなたを助けたことも、自分の命を捧げたことに後悔してませんよ。あなたにとっては辛い経験でしたけど、あの出来事があったからこそ、あなたはもっと多くのものを、家族というものを得たのですよ?」


 実になんとも言えないものだった。


「そうか……こうなるのがお前にとって最善ならしてやられたな。でも、またこうして会えて嬉しい」


「はい、私も。あなたのことを見ながらずっと待っていました」


「……見てたのか?」


「はい、ずっとそばにいました」


 普通なら寒気のする話なのだろうが、エミリアに見守られていたと知ってもむしろ安心した。


「けど、あなたの口から聞かせてください。流石にテンドウ君の胸中はわかりませんでしたから。あれから何があったのか」


「そうだな……」


 私はエミリアの膝から離れて意を決して立ち上がった。先ほどの錯覚が笑ってしまうくらい立ち上がっても普通だった。


「もしここが死後の世界ならどこかに両親がいるかもしれない。歩きながら話そう」


「はい、聞かせてください」


「良いとも、面白い話がある」


 見渡す限り私とエミリアしかいないが、私一人ではないというのは不思議と感覚で分かった。対向から誰も来ないので私とエミリアは横並びになって、かつて彼女の故郷を散歩した時と同じようにゆっくり、穏やかな気持ちで歩き始めた。どこへ向かうかなんてどうでもいい。今は彼女にまた会えたことを話しながら喜ぶこととしよう。







 どこかの街で起きた事。逃げ惑う人々。物が壊される音。悲鳴。恐怖。絶望。たった一つの禍々しき存在が現れたことによって平穏が壊されようとしていた。


 龍。空想上の世界にしか存在しないソレは確かにそこにいた。西洋の龍の形、耳をつんざくような咆哮、火を吐き、巨大な体躯で周辺を跡形もなく壊し、街を獣という本能のままに蹂躙した。


 人々はそれになすすべなくただ涙を流し、逃げた。家財を、歴史を、平穏を捨てて生き延びることだけを考えていた。そして多くの人が祈った。


 ーー誰か助けて……


 龍の火によって作られた地獄のような街を前にしてもなお祈りの声は消えない。すると突然龍が咆哮をあげたと思うと苦しみだした。人々が異変に気づいて龍を見ると龍な苦しみながら倒れた。


 そして人々の前には一人の男が立っていた。黒い外套を風に靡かせ、左手には赤い鞘の剣を持ち、人々を守るかのように立ち、空の陽の光を一身に浴びていたその男は一言呟いた。


「太陽参上」

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