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3話

看守に連れられて向かった地下の更に奥。

いきなり看守が立ち止まり、振り向き命令を下す。

「入れ」

指し示された所は、牢と言うより壁に出来た窪みにしか見えなかった。

押し込まれるようにその中に入る。

天井は低く立ち上がる事は出来ない。

幅も無いため、足を伸ばす事すら出来ない。

膝を抱え座る事しか出来ない。

私が入ったのを確認して、看守は扉を閉じた。

身動ぎするほどの奥行きも無い。

私は壁と扉の隙間に入れられた。

「生きているうちは食事ぐらいは持ってきてやる」

それだけ言って看守は立ち去った、唯一の明かりを持って。

看守の足音が遠ざかると共に、扉の隙間からわずかに入ってきていた明かりが徐々に弱まり、とうとう辺りは完全な暗闇に染まった。

あれだけ薄暗いと思っていた軽犯罪者用の牢が、ここに比べればかなり明るかった事に気がつく。

暗闇の中で手探りで壁の場所を確認するが、それはやはり自分のすぐ横に有り、改めてこの隙間でしかない牢の狭さを感じる。

左右に牢が続いているのは、入れられる時に確認できた。

だが、聞こえてくるのはとても人が発したとは思えないような、うめき声や叫び声ばかりだった。

試しに声をかけてみたが、一時うめき声や叫び声が止まるだけで、すぐにそれらは何事も無かったように続けられた。

時折、壁を殴っているのか頭をぶつけているのか規則的な音と振動が伝わって来る。

ここに居る誰もが自分だけの世界の中に居た。

完全な暗闇は、目を瞑っていても開いていても変わらない。

自分で意識しなければどちらかも分からなくなっていく。

そしてそれは自分が寝ているのか起きているのかすら曖昧にしていった。

今、自分が見ている暗闇は現実の暗闇だろうか、まぶたの裏の暗闇だろうか、はたまた夢なのだろうか。

区別がつかなくなるのに時間はかからなかった。

そんな暗闇の中に妻と娘の姿を見るようになった。

妻と娘はいつも笑顔で私を迎えてくれた。

私は妻と娘に笑みを返し、会話を弾ませた。

「そうだ。ここを出たら三人で郊外の丘に行こう。覚えているかい、そうあの丘だ。ああ、そうかお前は知らないか。お前が生まれる前に、パパとママだけで行った場所でね。夜明け前に街を抜け出して郊外のその丘に行ったんだ。ちょうど登り始めたお日様がそれは綺麗だった。丘に行ったらお前たちの為に小さくても碑を建てよう。お前たちがいつまでも笑顔で居れるように。ああ、お前の笑顔が世界で一番可愛いよ」

例え妻と娘の姿をこの世で二度と見ることが出来ないとしても、二人は私の心の中に居る。

二人がいつまでも笑顔で居れるように、碑を建ててそこに私の心の中の二人を弔おう。

そんな事を日夜考え続けた。

そんな私を妻と娘は暗闇の中から笑顔で見守ってくれた。

牢の中ではあるが、ある意味穏やかな日々が続いた。

しかしそれは突然崩される。

二人の看守の足音が近づいて来る。

扉の鍵が外され、扉が開けられる。

「3751番。生きているなら出てこい」

看守が手に持った明かりをこちらにかざした。

ただの手持ちの明かりだが、ずっと暗闇に居た私には太陽を直視したかのように眩しかった。

手で明かりを遮り目を細めて、久し振りに体を動かした。

出ようとしても、足に力が入らず這うように牢から出る。

「何をしている。とっとと立て」

よろめきつつ、壁にもたれながら立ち上がる。

「や、やっと外に出られるのですか」

私の質問は無視され、何かを手渡される。

「これに着替えろ」

見ればそれはへんてつの無い、どこにでも有るようなただの服だった。

「これに、着替えるのですか」

理解がおよばず、おうむ返しにしたのが看守の機嫌を損ねた。

「いいから早く着替えろ。それともまだ懲罰が必要か」

看守は拳をあげた。私は反射的に身をすくませた。

私は暴力への恐怖から口をつむいで、着替えに専念した。

牢に入ってからずっと着ていた服は薄汚れ所々穴が開いていた。

まるでもう一枚の自分の皮膚のようになっていたその服を脱ぎ、看守が持ってきた別の服に着替える。

決して新品の服ではなかったが、先ほどまでの服に比べて全身を包む違和感が有った。

看守の二人は私の様子を見ながら、確認しあった。

「髪と髭はこのままの方が良いだろう」

「そうだな。このままの方がそれっぽく見える」

私は口を挟んだ。

「いったいなんの話ですか。このまま外に出られるんですよね」

私の問いはやはり無視され、視線だけで着替えを急かされた。

何とか着替えが終わると看守が口を開く。

「3751番、お前の処分が決定した」

「・・・」

「処刑だ」

驚きながらも反論する。

「待って下さい。私が行ったのはパンを一切れ盗んだだけです。それで処刑はあまりにも、」

「お前の犯した罪なんかは関係ない」

看守は冷たく言い放った。

「意味がわかりません」

「お前は革命を企てる一派の主犯マリユスとして処刑される」

「マリユス、誰ですかそれは」

「知らん。上がそう名前を付けただけだ」

私はマリユスでは無い。本名も別にある。しかし、私はマリユスと言う名前で処刑される。

「なぜ、そんな事に」

看守達は目配せをしてから、一人が話し出した。

「そこまで聞くなら教えてやろう。

知っての通り、残念だが一派の存在を好意的に見ている市民が多く居る。

そんな中で一派の主犯が逮捕され処刑されれば、やつらに対する熱狂に冷や水を掛ける事が出来るだろう。

そうすれば賢い市民は、冷静になって一派の事を見限るだろう」

ならば本物を処刑すれば良い、と口元まででかかって理解する。

彼等は本物を捕まえる事が出来ていない。だから別の誰かが必要となった。

「でも、なぜ私なのでしょうか」

「あ、そりゃあお前の書類に一派の一員の可能性有りと書かれていたからさ」

「私は関係ありません」

必死に反論するがまるで聞く耳を持ってくれない。

「お前の証言なんてどうでも良い。可能性がある奴が牢に居るなら、そいつを使わない理由が無いだろう。

ところで、どうしてこれだけ丁寧に説明したと思う」

「・・・」

饒舌な説明から一転、真顔で質問が飛んでくる。私は何も考えつかず黙る事しか出来なかった。

「お前が状況を理解した上で処刑台に立ったら、お前は惨めに命乞いをするだろう「俺は違う。偽物だ」と。

お前が惨めに振る舞えば振る舞うほど、市民が熱狂から覚めやすくなる。

市民のためにも涙を流して薄汚く命乞いをしろ」

それまで黙っていたもう一人の看守が軽口を挟む。

「あまりにもみすぼらしく命乞いをすれば、観衆から批難の声が上がるかもな。

それで事態の収集がつかないぐらいに、お前が批難されれば処刑は延期されるかもしれない」

「わ、私は、」

言葉にならなかった。心臓がうるさいほど高鳴る。

なんという理不尽だろう。

私には私としてこの生涯を終わらせる事すら叶わないのか。

それほどまでに、パン一切れを盗んだ罪は重いのか。

屈強な看守二人から逃げ切れるわけもなく、このまま粛々と処刑されるしかないのか。

「さあ、準備が出来たのなら行くぞ。既に観衆がお前の登場を待ちわびているぞ」

強引に引っ張られそうになり、慌てて答える。

「少しだけ、少しだけ待って下さい」

「あ、どうした」

看守達が止まってくれたので、私は後ろを振り向く。

私が入れられていた懲罰房。

看守の持ってきた明かりによって、その暗闇は薄くなっていた。

薄くなった暗闇の中に妻と娘の姿を見つける。

私を安心させるように、二人は笑顔だった。

暗闇と共に薄くなった二人に声を掛ける。

「すまないね、私にはやらなければならない事が出来た。少しの間お前たちの側を離れるよ。大丈夫。すぐにお前たちの所に行くから。そうだね、また後で」

二人に挨拶を済ませ、看守の方に向き直る。

「じゃあ行きましょう」

看守達は怪訝な顔をするも歩きだした。足腰には相変わらず力が入らず、何とか歩いている状態で、何度となく転びそうになる。

その度に看守に引っ張り起こされる。止まることも倒れることも許されない。

地下から地上に上がり、そして屋外に向かう。

徐々に周りが明るくなる。

看守の手に持った明かりですら眩しく感じていた私に、太陽の輝きは強すぎた。

目を開けてられない。瞳に痛みすら感じて自然と涙が流れる。

瞼を閉じていても眩しかった。

看守に引っ張っぱられ連れて行かれると、徐々に騒がしくなる。

耳に届くのは人々のささやき声が集まった、さざめき。

それが私の四方八方から響いてきた。

「これより革命の企てる一派の主犯マリユスの処刑を始める」

役人と思われる人の声が響く。

私は更に数歩歩かされ、台の上に寝転ばされ、首を固定される。

「最後に言い残す事は何か有るか」

役人が私に問うてきた。

心臓が再度高鳴る。ついにその時が来た。

「私は、」

久し振りに出す大声は、自分の予想以上にかすれていた。

私は一つ咳をして、目を見開いた。

太陽の光は見えるもの全てを白くさせ、わずかに観衆が陽炎のように影が揺らめいて見えた。

目の痛みは酷くなり、涙が止まらない。

だが、私はそのまま続けた。

「俺はこの手で国王の胸に剣を突き立てようとした。

この足で国王をその座から蹴り落とそうとした。

だが、俺は失敗した。そして今まさに処刑されようとしている。

俺の最後を見に来た市民達よ。皆も俺の思いは解るはずだ。

不況にあえぎ、何とか生き延びている日々。

そんな日常がいつ崩壊するともわからない恐怖。

労働者の市民達よ。その仕事が明日には無くなるかもしれない。その先には浮浪者への道しか残されていない。

浮浪者の市民達よ。他者の慈悲に頼るしか生きるすべを持たないが、それもいつ無くなるかわからない。また、憲兵の横暴によっていつ暴力と逮捕が降りかかるかもわからない。

婦人や幼子の市民達よ。愛すべき家族がいつ家に帰ってこなくなるかわからない。その先には不幸しか待っていない。

それぞれがそれぞれに明日を迎えられるだろうかと不安がつのっている事だろう。

俺はそんな今を変えたかった。皆が生きれるようにするために。

ここに集まっている皆は俺と同じ思いで明日をそして国を憂いている事を知っている。

立ち上がれ。武器を取れ。知恵を回せ。

各々が革命の当事者となって国王に剣を突き立てろ。

自らの手で明日への希望と言う一切れのパンを手にいれろ」

私は名前を知らないどころか、存在しているかすら怪しい革命グループの党首の役を演じきった。

私に出来る唯一の嫌がらせだった。

首が固定されているせいで、私の演説を聞いて苦虫を噛み潰したような顔になっているであろう役人の顔が見れない事だけが残念だ。

観衆のざわめきは私が演説をしているうちになくなっていた。それが、演説の終わりと共にまた徐々に大きくなった。

大きくなるざわめきを聞きながら、私は満足して持ち上げていた首を台の上に降ろす。

瞼を閉じて最期の瞬間を待つ。

しかし、私は聞いてしまった。

観衆のざわめきの中で、それだけが確かに聞き取れた。

「パパ、」

聞き間違えるはずがない。娘の、未だ舌足らずの娘の声。

あの懲罰房ですっと聞いていた、私の心の中の娘では無い、観衆の中から聞こえた声。

私は慌てて首を持ち上げ、娘の姿を確認しようとした。

だが、その前に首筋に強い衝撃を感じた。


処刑場に集まっていた観衆は、ざわめきを広げるだけだった。

誰かが叫ぶわけでもなく、誰かが飛び出すわけでもなく。

役人によって処刑が執行された事が宣言され、片付けが始められた。

観衆は解散し、それぞれの場所へと戻っていく。

役人は心の中では観衆全員を検挙したかった。

あの男の演説を聞いた観衆は、もしかしたら良くない事を企てるかもしれない。その芽を摘み取る為にも検挙したかった。

だが、現実的にそんな事は出来ない。苦々しく散っていく人々を見送った。

翌日から憲兵による市民への監視がより一層強化された。

反体制的な事をしようとした者だけでなく、処刑された男の話をしていただけの者も検挙していった。

市民への抑圧は悪化し、市民は不満をため込んだ。

それは時に憲兵への反撃という形で噴出した。

憲兵が襲われる事件が街の各所で相次ぎ、そのうち役所が襲撃された。

こうして国内は泥沼の内戦へと発展していった。


夜明け前に一人の女性が街を抜け出した。

背中には幼い娘を担ぎ、最低限の荷物だけを持っていた。

女性は寡黙にその歩みを続けた。背中の娘は眠りに落ちていた。

郊外の丘。そこまで来た時には朝日が昇り始めていた。

女性は在りし日を思い出し、足を止めた。

先ほどまでの心地よい振動が無くなった事で娘が目を覚ます。

「ママ、どうしたの」

「ちょっとパパの事を思い出していたの」

娘は女性の背中から降りた。

「パパの事」

「そう。ずっと前にパパとこの景色を見た事を思い出してね。せっかくだからパパの為にお祈りしようか」

「うん」

女性は手を合わせ、亡き夫の為に祈った。

娘もそれを見よう見まねで、手を合わせた。

二人の姿を朝日が優しく包み込んだ。

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