5話 流離う星の力
「失望させてくれたな、妹」
抑揚のない声で男がつぶやく。そこには怒り、悲しみ、恨みといった相手への強い感情はこもっておらず、ただ静かな失意のみが漂う。
その強くはないが深い感情の渦を向けられた放浪っ娘は、一瞬怯むも、歯を食いしばり男に向かって毅然とした態度をとる。
血痕のように淀んだ臙脂の瞳と、血潮のように澄んだ朱の瞳。明暗の異なるその色は、二人の内面を表しているかのようだ。
「あたしは成長したぞ、盗賊達のボス」
男の重圧が支配する空間で放浪っ娘は軽い調子で近況を報告する。額に流れる汗を無視し、胸に渦巻く混乱を排し、初めて感じる恐怖を雑に飲み込み、自分がどれだけ成長したかを子供のように語って聞かせる。
この異様な光景に、ルクドとハコノアは少しの恐怖を感じていた。目の前にいる男は自分たちを攫ってきた盗賊団のボス。先ほど出会った男が牽制のために殺気を放っていたのに対して、こちらの男は混じりっ気のない純粋な殺気を心から放っている。
それなのに、彼女はまるで相手が害を成してくることがないと確信しているかのように自分の近況を聞かせている。
体の動かせぬこの異様な空気の中で、二人の頭だけが高速に回転する。放浪っ娘の話などもう二人の耳には届いておらず、ただこの異様な空間を理解しようと、混乱して止まりそうなその思考を懸命に動かす。
接触したときに男が発した妹、という言葉。放浪っ娘はそれを否定するどころか男のことをアニキと呼び、むしろ今の自分を自慢するかのように男に対して親身に話しかけている。
数秒にも満たない思考の中で二人の頭が兄妹という回答を何度もたたき出す。何度繰り返しても、何度否定しても。どんなに険悪な雰囲気でも家族にあるまじき感情が漂っていたとしても、彼らの明暗の異なるが似た瞳の色と髪の色が、彼らが発したお互いへの呼称が、必ず答えを兄妹という結果に収束させる。
「だからアニキ!今、正々堂々あたしと....!」
突如、思考の外側で鳴り続けていた雑音が止まる。今までに感じたことのないほどのプレッシャーに顔を上げれば、先ほど放浪っ娘と対面していたはずの男が二人を見ていた。
「答えろ。仲間を殺したのは、お前か」
それは、質問ではない。この行為に目的などなく、男にとっては事を起こす前のあいさつにしか過ぎない。
「それとも、お前か」
これから起こるのは、尋問ではない。事実を口にさせる必要はなく、ただ復讐のために殺すだけ。
「....ぁ」
動物としての本能が二人に告げる。この男は、自分たちを殺すのだと。
そう、視界の端に転がるあの朱のように。
「....ぁ」
経験したことのないプレッシャーに息が詰まる。先ほどまで男と話していたはずの放浪っ娘は、壁にもたれかかっている。かろうじて肩が上下しているのが見えるが、壁の破損具合からしてかなりのダメージを負っているだろう。
なかなか答えないわたし達に痺れを切らしたのか、男がまた一歩、こちらに近づく。
「直接手を下したのは僕達ではない。けれど、彼女の行いは僕達の行いでもある。共犯と捉えてもらって....」
澄んだ音とともにルクドの短剣が弾かれる。あまりの速さに何が起こったのか理解が追いつかない。
「ハコノア!」
言いながら、彼がわたしの腕を掴んで後ろに跳躍する。先ほどまでわたし達がいたところは大きくへこんでおり、そこには男の拳がめり込んでいた。
彼の胸に抱き留められながら、ただ漠然とわたし達が攻撃されたことを理解する。その途端、霧のように散漫になっていた思考が悪寒とともに凝固する。
男はこちらを見据えたまま、ゆっくりと拳を引き抜き、拳を引き抜くのと同時に地面をえぐり、それをこちらへと投げつける。焦ることなくお互い左右に避ければ、男は迷うことなく右へ避けたルクドに向かい跳躍する。
おそらく、ルクドの方が危険だと判断して右に跳躍したわけではなく、ただ単純に選んだ方が右だっただけだろう。それぐらいにわたし達は男にとって取るに足らない相手だと思われている。
なんども男の攻撃をよけ続けて確信する。わたし達ではこの男に勝てない。逃げきるビジョンも悔しいことに見えず、そもそも、逃げるというのは放浪っ娘を見捨てるのと同義。
なす術のないまま、ただひたすらに攻撃を避けることしかできない。
けれど、それも長くは続かない。わたし達は男に、力だけが劣っているのではなく、体力面でも劣っているのだから。
この長いようで短い戦闘にもとうとう終わりが見えてくる。
「...っハコノア!」
一瞬、一瞬気が逸れただけだった。疲労から思考が少し逸れた瞬間を男は見逃さなかった。
気づけば眼前に男の拳が迫ってきており、どうやっても間に合わない。ルクドとの距離も少し離れているため助けを求めることもできない。
(ああ、終わった)
なす術のない状況に、諦めだけが胸中に広がっていく。最後の瞬間、せめて男の顔だけでも覚えてやろうと、閉じそうな目をこれでもかと広げ、男をまっすぐ睨みつける。
そうして、わたしの顔に到達するはずだった拳は横からの一撃により吹き飛ばされ、代わりに朱焔が目の前を通過していった。
「....ぁたしは、まだ、っ終わっちゃいねぇ..!」
息を切らしながら、放浪っ娘が拳を構える。頭から血を流し、立つのもやっとなほどにぼろぼろなのに、それでも男を正面から見据え戦闘の体制をとる。
「放浪っ娘...」
「無茶だ!今の君の体じゃ....!」
「うるせぇ!」
ルクドの静止を、さらに大きい声で放浪っ娘が遮る。胸に渦巻く恐怖を追い払い、お腹に力を込めて、大きな声で鼓舞するかのように。
「この中で力があるのはあたしだ!あんたらじゃ防御するのが精一杯、そうだろ!だから!全員で生き残るために、あたしが前に出る!」
言い終わるや否や、先ほどの一撃から立ち上がった男に殴りかかりに行く。その一撃は難なく防がれてしまったが、続く男の一撃を彼女は受け止め次の攻撃へと繋げていく。一見互角に戦えているように見えるが、よく見ると彼女がなんとか攻撃をいなして次の一撃を放っているのに対して、男は難なく攻撃を受け止めてすかさず次の一手で攻め込めこんでいる。
このまま長期戦になれば、彼女に勝ち目はないだろう。けれど、それは彼女が勝利を目標としていた場合のみ。
「右!」
「....っ!」
彼女はわたし達に言ったのだ。全員で生き残るために、と。だからあたしが行くのだ、と。
前方では放浪っ娘が敵と戦い、ルクドが飛んでくる石などからわたしを守る。
この勝負での彼女の目標は、いや、わたし達の目標は勝つことではない。
「右上!」
わたし達の目標はただ一つ。
だからこそ、わたしは男を観察し隙を探す。今度こそ、初めに立てた作戦のように全員で脱出するために。
アニキは昔から強くて、あたしの憧れだった。
強くて、かっこよくて、力持ちで。......頭はそんなに良くなかったし、面白くなくてうざくてしつこかったりしたけど。でも、あたしの一番かっこいいお兄ちゃんだった。
『おにい....、アニキ!わた、あたしと!けっとうしろ!』
『ああ~ん!俺の可愛い妹が、汚い言葉を使うぅぅ!』
....うん。かっこいい、アニキだった、はず。
思い出す姿はどれも残念なものだけど、それでもあの日の背中が忘れられない。
森の中で迷っちまったあたしを、アニキは懸命に探してくれた。群れからはぐれた獣に襲われそうになった時、身を挺してあたしを助けてくれた。血だらけになりながらも、想像できないぐらい痛かっただろうに、それでもあたしに背中を向けて平気なふりをしてくれた。
夕日に照らされたアニキの背中はとってもかっこよかったけど、同時に、アニキがどこか遠くの世界に行きそうで怖かったのを覚えている。
思わず泣いて抱き着けば、お前に血は似合わねぇ、なんてかっこいいぐらいまぶしい笑顔で言うから、少しだけ、ほんの少しだけココロが変になったことも覚えている。
アニキが15の時、いきなり盗賊団に入るなんて言い出した。あたしも入ると駄々をこねれば、お前はダメだと意地悪なことを言う。それでも何度もアニキの後をついていこうとした。....とうとう大人に怒られた。あたしだけ。
みんな、あたしが盗賊が出てくるお話を好きなことを知っているのに、あたしがそのお話にでてくるとある盗賊を好きなのも知ってるくせに。アニキはそれを一番知ってたくせに、あたしを捨てたんだ。
だからあたしも強くなって、あたしを仲間にしなかったことを後悔させてやろうと流浪の姉ちゃんにいっぱい力を学んだ。
だからこそ、あいつに吹っ飛ばされた時、頭の中で何かがカチンときた。あたしはこんなにも頑張ってたのに。あんたに認めてもらおうと、あんたに勝ってあの時の選択は間違いだったと認めさせて、それで、それで、今度こそ仲間にしてもらおうと頑張ってきたのに。
「....っはああ!」
あたしらの後ろではハコノアがアニキの隙を伺っている。今回のあたしらの作戦はあくまで洞窟からの逃亡であり、アニキに勝つことではない。
あの時より、今のわたしは確実に強くなっている。それでもアニキに勝てるなんて慢心はしないし、あいつらを危険に晒すようなことはしたくない。本当に短い間だったけど、あいつらとつるむのはすごく楽しかったから。
「...右っ、フェイク!」
アニキは頭が悪い。けれど、戦闘におけるセンスはずば抜けている。ハコノアは動体視力が良いのかアニキの次の行動をすぐに読み取るが、アニキはそれにすぐ順応して逆にハコノアを騙そうとしている。
あたしの体力にも限界がある。このままづるづる長引けば....、いや数分もしないうちに押し負ける。
どれだけを体を動かそうが、どれだけ頭を回そうが、どれだけ攻撃を防ごうが、各々の努力を嘲笑うかのように時間だけが過ぎていく。
ああ、もっと。もっと、あたしに力があれば。
『とっておきの魔法を教えてあげる。それはね...』
ふと、流浪の姉ちゃんの言葉を思い出す。あたし達に魔法を、ベッグの加護のもっと強い扱い方を教えてくれたあの人の言葉を。
『これはね、マジのマジでマジマジやばいときにしか使っちゃダメだからね。命をかけたとっておきなんだから』
もう、限界だ。きっと次の数発であたしは体力が尽きて負ける。
結局アニキに傷一つつけられず、あいつらを逃してやることもできずに。
でも、そんな負け方はあたしらしくねぇ。どうせ負けるなら、アニキに傷一つつけられないのなら。せめて....。
目の前の戦いはより激しさを増す。男と打ち合うことで彼女の腕も磨かれていっているのか、先ほどよりも男の攻撃をいなし、確実に男の体に攻撃を入れている。
それでも彼女の顔には疲労の色がはっきりと浮かんでおり、対する男がぴんぴんとしていることからもこの戦いは数分も持たないだろうことが見て取れる。
先ほどから逃げるための隙を見逃さないよう、全神経を集中させて二人の戦いを観察しているが、どうにもうまくいかない。むしろ、彼女の技量が上達するにつれて男の動きがより洗礼されていき、互いが互いを高め合い、そして格下ではなくなった相手への警戒が男の手札をより引き出している。放浪っ娘は確実に成長しているはずなのに、結果をみれば負の循環が出来上がっている。
ジリ貧な状況に喉が渇く。手汗を拭いさらに集中して戦いを観察していれば、放浪っ娘が後ろに跳躍したことで突如として戦いが中断される。
「....放浪っ娘?」
男への警戒はそのままに、彼女に困惑の声を投げかける。男は何かを察したのかそれ以上深追いはせず、ただ静かに彼女の次の動きを見定めている。
「...やっぱりやめだ。こんなんじゃ、あたしらしくねぇ」
そう言いながら、彼女が構えをとる。先ほどまでより無駄のないその構えは感情さえ削ぎ落してしまったかのように静かだ。けれど、構えをとる人からは、自身と、誇りと、喜びと、そして輝きが溢れている。
「二人とも、最高だった!また、会えたら!」
目の前を流星が横切る。それは、力の限り男へと駆けていく一人の輝かしい女の子。
『ファイヤァァァアア!!』
蛍のように、その瞬間に生命のすべてを込めて。星のように、その最後に数多の物語を抱きしめて。
その輝く瞬きの光景に思わず見惚れる。目の前では放浪っ娘の朱焔をまとった拳と、男の臙脂焔をまとった拳がぶつかり、それは刹那の間に火花を散らし、そして須臾の間に決着がつく。
結果は引き分け。惚けるわたし達の前では二つの影が倒れる。一人は胸に大きな火傷を負い、一人は全ての力を使い果たしてしまったかのように安らかに。
「....放浪っ娘!」
ルクドの声で現実へと引き戻される。あわててわたしも倒れる彼女に近寄れば、ルクドが静かに首を振る。
また、会えたら。そんな明日への希望を口にした彼女は、今わたし達の手の中で微笑んでいる。けれど、本来暖かいはずのその笑みにわたし達は温度を感じることはできない。
最後まで輝き抜いた彼女に、かろうじて残っていた気力で手を合わせる。
「...かっこよかったよ」
「うん、そうだね」
「んだんだ」
「だべだべ」
わたしの言葉にルクドの悲しそうな返事と、仲間達の子供の成長を噛み締めるかのような....
「誰?!」
存在しないはずの第三者の声に隣を見れば、随分前に放浪っ娘が叩きのめしたはずの男達が手を合わせている。理解のできない状況に目を回していれば、またありえるばすのない声が聞こえてくる。
「いたたた....、なんだ、ホントに殺してなかったのかよ」
声のした方を見れば今度は先ほどまで放浪っ娘と対峙していた男が起き上がる。その胸にあったはずの火傷はなぜか消えており、どこか居心地が悪そうに頭をかく。
とうとう思考能力は限界を迎え、男がこちらに近づいてくるのにも関わらず、わたし達はその場から動けずにいた。
「おい、起きろ。いつまで寝てんだ」
男が放浪っ娘の頭を乱暴に、けれど傷をつけないように力を加減して叩く。
目の前で行われるあまりな行為に止まっていた思考が再び動き出す。
「ちょっと、あなた...!」
「いてぇー!ぼこすか叩き過ぎだ!」
最後まで戦い抜いた放浪っ娘に酷い仕打ちをする男を止めようとした時、地面で安らかに眠っていたはずの彼女が文句とともに起き上がる。
本日何度かの理解の追いつかない状況。しかし、流石に慣れてきたのか、それとも他の人たちが生きているのを見てどこかで希望を抱いていたのか、わたしの思考が再び止まることはなかった。
「おい!年頃の女の顔をボコボコにするなんて、お前それでも男か?!」
「頭だ、頭。それと、お前は前から言葉が足りねぇんだよ。今回だって....」
「放浪っ娘」
わたし達に構わず言い合いを繰り広げる彼女の肩を掴む。わたしの呼び声にヒッ、というか細い悲鳴が聞こえ、その向かいにいる男がなにか恐ろしいものを見たかのような顔をする。
しかし、わたしはその一切を無視してもう一度彼女に問いかける。
「詳しく、説明してよね」
「.....ハイ」
何度目かわからない問答をまた繰り返した。




